2012年4月10日
レンギョウとケナリ

レンギョウは韓国語でケナリという。韓国では春を告げる風物詩で、町中が真っ黄色になるほどケナリで覆われる。その黄色の帯の中で、低いところは朝鮮ツツジのピンク、高いところにコブシ、木蓮が咲き、桜が咲き始める。
 
そのくらい印象の強いケナリなのだが、なぜか日本のレンギョウはそれほどイメージがない。黄色い花が咲く春先の木というくらいの印象しかないのだ。今年、日本のレンギョウを見ていて気がついた。枝を切ってきれいに揃えている物が多いのだ。だから葉と一緒に花が咲く。一方で韓国のケナリは枝を切らずに伸ばしている。この伸びたところにたくさんの花が咲くというわけだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(2012年大田区にて)
これが韓国のケナリと日本のレンギョウのイメージの違いのように思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005年、ソウル竜山にて。

Posted by hajimet at 12:39 | Comments (0)

2012年2月23日
日本語?韓国語?

社稷洞にある団体旅行者向け食堂。店の名前、日本語でも韓国語でも読める。
日本語なら「宮の朝」、韓国語では「宮의 朝」。上手く工夫したものだ。

Posted by hajimet at 19:34 | Comments (0)

ココ麺とcool

今流行っている꼬꼬麺(ココ麺)を入手。そして、真露のCoolも。
ラーメンは帰国後食べたが、びっくりするような辛さ。
Coolは18度の焼酎で、濃いめの日本酒と同じくらい。
25度の真露を知っている身からすると、水みたい。
でも、量の加減も分かるから、飲み過ぎる心配も無い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 19:30 | Comments (0)

1月29日、韓国へ飛ぶ。関空経由金浦便。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
富士は雲の上に出ていた。そして、日本海側は雲の上で何も見えない。
冬型の気圧配置の中を飛んだからだ。
ところが、しばらく行くと所々海面が見えて、ついにはヒツジ雲状態に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いよいよ雲が無くなったと思ったら、朝鮮半島だった。
雲が大陸側から海を渡る間に出来ることがよくわかるフライトだった。
雲ははるか遠くに見える(この後、韓国の領域に入ったので
撮影禁止というアナウンスが流れた)

Posted by hajimet at 19:22 | Comments (0)

2011年10月31日
牛なのに

近くの店で「プルコギ定食」をだしていた。
バックに불고기とも書いてあって、ハングルもずいぶん目に触れるようになったと思った。
 
そして、
「なぜ『누プルコギ』なのだろう。牛なら『소』なのに…」。
 
「牛」を「누」と見間違えたのだった。これで二日連続…

Posted by hajimet at 21:59 | Comments (0)

2011年10月2日
かっぱ

10月1日、古墳巡りの途中、久留米市田主丸を通りがかった。町中カッパだった。
まず、巨瀬川ぞいに「カッパ大明神」」がある。

6月8日に町内のカッパ達が集まって、祭りを行うと言うことだ。
川沿いには、カッパの壁画が描かれている。

  

 
近くにある巨瀬入道河童(清盛の化身とも)

 
楽太郎河童…幸せそう(田主丸駅前)

 
たまたま来た久大線列車

 
近くの筑後川。一万匹の河童よさわげ、十万匹の河童よさわげ。どどん、どどん

Posted by hajimet at 20:08 | Comments (0)

対馬の食事(3)…と言っても、壱岐と唐津

9月29日昼 ウニのぼっかけ(壱岐、ハラホゲ)
さばいたばかりのウニをご飯の上に乗せたもの。
醤油代わりのタレもウニを溶き込んだものだった。


29日夜 唐津(ほとんど呼子)のホテルにて。
刺身、塩辛、鰒、その他煮物、牛など…
さらに、イカシュウマイも。

 
メインはイカの活け作り。げそは塩焼きや天ぷらに。
 

Posted by hajimet at 09:32 | Comments (0)

対馬の食事(2)その他の郷土料理。

9月27日夜。いしやき。
海岸の石を焼いてその上に焼きたいものを並べる。

この店では黄色いタレに付けてから焼く。
元は浜辺での漁師料理だったそうだ。

 
9月28日昼 対州(たいしゅう)ソバ
対馬は平野が全島の1%しかない。土地も余り豊かでない。
そばは繋ぎを使わない。

  
9月28日夜、いりやき
締めたばかりの魚を鍋にする。

Posted by hajimet at 09:19 | Comments (0)

対馬の食事(1)ろくべえ

27日に対馬到着。すぐ韓国の見える展望台に行き、すぐ近くの比田勝で「ろくべえ」を食べる。


固い黒こんにゃくのようなかみ応え。

 茶飯、漬物、ひじき、味噌、刺身などもでる。
ひじきも、ワラビの煮付けかと思うくらい長く太いものだった。

下は、ろくべえを団子風にこねて、黒蜜をかけたもの。

  
ろくべえの説明。

サツマイモを砕き、水にさらすなどしてデンプンを取りだし、

さらに団子状にして、数日、日に干して発酵させる。
それを粗jく下ろして粉状にして、上新粉のように調理。

Posted by hajimet at 09:12 | Comments (0)

対馬で見たハングル(2)

韓国に行くと、日本語で「トイレットペーパーはゴミ箱に」と書いてあるものを見かけますが、これはその逆バージョンです。


 

そんなこと言われても…。改行を工夫した方がよいような…。

 
社会問題です。

 
 こんなものもありました。やはり「国境の島」

Posted by hajimet at 08:44 | Comments (0)

対馬で見たハングル(1)

対馬、壱岐方面に行ってきた。震災後一時期を除いて、対馬は韓国から定期船と定期便が出ている場所。韓国客の9割近くが韓国人のため、韓国語表記もあちらこちらで見られる。ホテルの中もそうである。

프런터の方が普通ですが…。


 
ちなみに、この前に置いてあった、自由に使えるPCは起動した段階で、
韓国語IME設定になり、Facebookは韓国語版になっていました。
 


ホテルに関係ないが、久しぶりにハングルの長音記号を見た。

Posted by hajimet at 08:35 | Comments (0)

2011年9月19日
おっと危ないハングル2

突然、目の前ハングル(갸)と満州文字風が飛び込んできました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
目黒線西小山駅前にあります。
 

Posted by hajimet at 20:12 | Comments (0)

2011年9月10日
御殿場散策(両面石)

御殿場の宝寺院に行って来た。足柄方向へ2`弱のところにある。
途中で面白い石を見つけた。二枚橋の交差点を過ぎたところにある。
名前は両面石
片方から見ると「亀」、もう片方から見ると「ガマガエル」と言う石である。
 
こっちから見ると亀

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こっちらから見るとガマガエル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
結構リアルだった。

御殿場は富士山と箱根に挟まれたところで、景色が良い。
元は軽井沢とならぶ避暑地だったそうだ。
 
こちらは箱根。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

こちらは富士(♪「頭を雲の上に〜だ〜し〜)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
御殿場は元東海道本線の主要駅の一つだったが、
現在は1時間に2本列車があるかどうかのローカル駅となっている。
富士山登山、箱根観光の拠点である。
駅前には、蒸気機関車が置かれていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その入り口に蒸気機関車のミニチュアと、
鉄道唱歌、汽車の歌の碑があった。こちらの方も楽しい。

 
 
 

Posted by hajimet at 20:25 | Comments (0)

2011年8月23日
ソウルの看板4

4.韓国語の音声体系との混同、5.その他
 
韓国語と日本語で音の区別の仕方が異なることから起こるもの(厳密に言えば音の長短もここに入る)。とくに、日本語の濁音と清音の区別はないため、韓国語の話者が「G」「D」「B」「Ja」と発音しているつもりでも、日本人には場所によっては「K」「T」「P」「Cya」に聞こえる。言葉の頭は絶対に濁らないが、韓国語話者にその感覚が無いため、濁音で書かれることが多々ある。
(逆に韓国語話者からは、日本語話者が「k」で話すと、「Kh」に聞こえることが多いそうだ)
個人的にはGimpo空港を「ギンポ」と言われると、背筋がぞっとするくらい気持ち悪い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プリクラのつもり。
…それ以外にも多くの事例がある。
これは日本でも韓国語に仮名を振るときによく見られる。
その言語の体系でなく、違った音に聞こえる異なった体系を持っている人に
理解して貰うことが優先であろう(日本語→韓国語も一緒)。
 
5.その他

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国語フォントの環境で日本語を書こうとすると、こうなる事がある。
それをそのまま刷りだしたのだろう。
文章も、韓国語的だが、ここは意味が通じるということで、とくに扱わない。
 
1〜4まで、言語の体系の違いから来ることなので、
その「差異」を知る必要があるという事になるように思われる。

Posted by hajimet at 09:45 | Comments (0)

ソウルの看板3

3.訳しすぎ…個人的にはこれが一番面白い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ピビン冷麺」→「揉むこと冷麺」
「ピビン」の部分は冷麺に対しては「混ぜる」と訳すが、
「揉む、こする」の意味もある(こちらが基本)。
但し、上の「咸興ピビン冷麺」が「揉むこと」になっていないのが不思議。
英文の方が正確に意味を表しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文字の混同もかなりある看板
「アンコウ」と「アソコゥ」、「フグ」と「フゲ」
適度に漢字を混ぜれば、まだ意味がとおる看板だが、
カタカナで表したため意味不明になった。
「タラボルムシ」は「タラの蒸し物」くらいか。「뽈」…不明
「수육」は煮た牛肉のこと。「フグ煮」か「茹でフグ」、
「튀김」は揚げ物だが、「フグ揚げ」くらい。
最後の「鰒」確かに「フグ」だが、「アワビ」もこの漢字。韓国語では「アワビ」の意味しか無い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「め韓牛」→メス牛のこと。生さしみ→ユッケのこと。せいぜい「さしみ」。
つい数年前まで、この手のメニュー表示が多かった。

Posted by hajimet at 09:14 | Comments (0)

ソウルの日本語看板2

2.似た字体の混同
ひらがなとカタカナが混合する場合もある。ひどくなると、スラックスが「ズうツクス」なったり、ダマゴ(たまご)が「ゆまぢ(「ゆ」は濁点)」となることもあった。これは韓国語の発音体系との混同も含まれている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ネンミョン(冷麺)。「ン」「ソ」の混同。

 
 
 
 
 
 
「ッ」と「ツ」、「ジ」と「ヅ」、「ウォ」と「ゥオ」、「ン」と「ソ」
 
※日本語の知識がないと、どうしても起きてしまうが、
  ロッテホテルの案内でも発見して、びっくりした。
  似た文字の混同とするとハングルを「引き移す」と、よりひどいことになりそう。

Posted by hajimet at 09:05 | Comments (0)

ソウルの日本語看板1

ソウルの日本語看板も以前に比べてかなり良くなってきた。「ゆ」に濁点が付いたり、意味不明の日本語はほとんど無くなったが、それでもおかしいものはある。ほぼ五つに類型化できるようだ。
1,音の長短、2,似た文字との間違い、3,訳しすぎ、4,韓国語の音声体系との混同、5,其の他である。
 
まずは音の長短。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国語は音の長短の感覚が無い。韓国語からすれば、「チョ」も「チョー」も区別しない。
そのためにこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらは韓国語をそのままカタカナで表したもの、。
単語そのものは「ウリ」だが、次の単語との関係で若干伸びて発音されるのだろう。
ただし、「イ」一文字分発音すると、かなり間延びした感じになる。

Posted by hajimet at 08:52 | Comments (0)

2011年8月22日
チャミスルオリジナル

チャミスルがオリジナルのラベルをつけて売っていた。
一番の好みはこれ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一番上の文字を一文字ずつ読むと、チャミスルになります。
(左から)本当(Cham)に青い海岸で、この(I)ように立っていると、サッ(Sul)と駆け出したい気持ちだね。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャミスル一杯やろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これも、一行ずつチャミスルにかけている。

Posted by hajimet at 09:40 | Comments (0)

韓国での食事8月19日

昼、ホテル裏のコッケ(ワタリガニの沖漬)の店でコッケ定食を食べる。
これで3万ウォン(2500円)いきません。
大量の突き出し。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左からアオサの海苔、海苔、カキの塩辛、鱈の甘辛炒め、
ズッキーニの和え物、ナスの和え物、ジャコ、
大根菜っ葉のキムチ、シメジの和え物、よくわからない葉っぱの和え物
 
まずこれが出てきた。…続いて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メイン登場。甲羅に飯を入れて海苔に巻くのが美味しい。
もちろん、生ですすってもよい。
カニが出てから、テンジャンチゲ(韓国風味噌汁)、イシモチ、
韓国風茶碗蒸し、チジミも出てきた。
 
最後に桃がデザートに。ただし、笑ってしまうくらい「固い」。
うす甘い大根をかじっているような雰囲気。

Posted by hajimet at 09:22 | Comments (0)

韓国での食事8月18日

朝はホテルで。町歩きをして「伝統茶院」で韓国のお茶(茶葉をつかなくとも「チャ」と言います)。
昼は参鶏湯。
夜は韓国の飲み屋(店名「マポナル」)で一献。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左から、ポッサム(ゆで豚をキムチなどで包んで食べるもの。
中 カムジャジョン(ジャガイモのチジミ)
右 ナクチポックム(タコの辛味噌炒め)。ここの店はそうめんを混ぜ込んで食べる。

Posted by hajimet at 09:15 | Comments (0)

韓国での食事8月17日

12時頃ホテルに到着。
ホテルの裏で、韓国のソバを食べる。こちらはビビンメミル(ソバをコチュジャンなどで混ぜるもの)を頼む。あわせてソバのジョン。香ばしくて美味しかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は近くのスンドゥブの店で焼き肉。サムギョプサルとカルビ、スンドゥブを注文。

Posted by hajimet at 09:03 | Comments (0)

2011年7月31日
市区改正

明治23年(1890)の市区改正=都市計画地図である。
東京市全図だが、永田町の一部だけコピー。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左下の緑の部分が「日枝神社」。公園計画地。
その右のオレンジのラインが計画道路。
それを上に逐っていくと、ちょっと左に曲がり直進できるようになっている。
途中から点線になり、さらに直進すると左右に横切る点線。
これが、国道246号線。
 
今もほぼ同じ道筋があるが、日比谷高校グラウンド脇の道は細く、
しかもクランクまである道となっている。この道も地図に書き込まれている。
ルートとしては良いのだが、道の狭いのがネックになっているが、
江戸時代以来そのままと言うことのようだ。
 
そこを直線にしよう(今のグラウンドを斜めに横切るように)といわけだった。
計画では8m幅。その後計画は修正され続け、若干ずれた形で
溜池山王からキャピタル東急前の道が拡張されたのが、ほぼ10年前。
長い時間がかかるものである。
 

Posted by hajimet at 09:00 | Comments (0)

2011年7月3日
つかれると(おっと危ないハングル1)

つかれているとき、なぜ「」があるのかと考えてしまいました。
東急池上線の列車広告です。しかも2回も。
 
正解は「水ようかん」の「水」を崩した文字です。
ときどきこういう見間違えをします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この「青」、ぱっと目に入ってくるんですが、「背景が意外と地味なんです」。
 

Posted by hajimet at 16:02 | Comments (0)

2011年4月6日
東日本大震災の影響

東日本大震災は、大きな揺れではあったが、東京では建物の倒壊は少なかった。
しかし、余震が続いてるせいか、あるいは地震では耐えられたものが徐々に耐えきれなくなって
おかしくなっているのか、少しずつ様々な変化が出ているようである。
 
地元の神社の鳥居である。鎌倉時代に作られた溜池の端に作られているのであるが、
地震発生後2週間以上たって、接近禁止となった。


鳥居が傾いている。鳥居は他にも同様のことがあり、職場の近くの赤坂日枝神社の鳥居も倒壊危険となっていた。
 
赤坂見附付近は、江戸時代の溜池の跡に作られていた軟弱地盤地域である。埋め立てが古いため、液状化は起きていなかったが、

地盤が最大10センチ近く沈んだようだ。

浮き上がった建物、

建物に引っ張られて浮き上がったタイル、

土台に亀裂の入った、

建物の間でつぶされたブロック塀など、
土台部分に影響が大きく見られる。中には土台が大きく崩れ、立ち入り禁止になっている建物もあった。

建物の土台が浮かび上がったもの
 

浮かび上がっただけでなく、空洞になっているもの

(道路の沈み方がよく分かる)
 

大きく段差の出来たもの
 

建物にくっついて歩道タイルがまくれ上がったもの。
 
ともかく、変化が大きかった。

Posted by hajimet at 20:11 | Comments (1)

2011年2月19日
大邱で見た日本語

大邱のホテルで見た計算書。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本語の文章がおかしいのは置いておいて、
下から2行目と最終行の書き方はおかしい。
「なさつて退宿の薪につント迄…」
「どらも」
 
撥音の概念は韓国語にないため、「っ」と「つ」の区別がつかない。
「フ」と「つ」の混同。
「ロ」と「□(四角)」の混同。
「ど」…ハングルで書く場合、語頭の「と」を「do」で表すことが多いことから、
    それをそのままカナでも援用してしまった。
「う」と「ら」の混同。
 
間違えではあるが、どのようなものを何故間違えたのか、
誤用例を集めておくと、様々な分野で役立つように思える。
かつては、かなりひどく、あるホテルで
「ずうつクス」というのを見たことがある。「スラックス」であるが、
これも説明のつく間違えではある。

Posted by hajimet at 22:21 | Comments (0)

釜山、金海国際空港で

2月17日

 
国際線カウンターに、
機内持ち込み禁止物の
ポスターがあった。
 
どこかで見たことがあると思ったら、
国土交通省航空局、警察局と
書いてあった。
 
利用者の多くが日本人であることが
わかる一場面であった。

Posted by hajimet at 22:14 | Comments (0)

韓国の食事(6)

2月16日(夜) ヤンニョムカルビ

 
釜山 タルマジで。
左下の赤、緑、黄は
大根を染めたもの。
 
ここの店は、
タマネギを醤油に浸したものを
つけダレにして食べる。

Posted by hajimet at 22:10 | Comments (0)

韓国の食事(5)

2月16日(昼)

慶州ヘジャングクタウン
 
ヘジャングクも慶州の名物。
全国的に食べることができるが、
二日酔いなどのときの食べ物と
され、胃に優しいという。
 
慶州はそばのムクのヘジャングク、
コンナムルのものが有名であるが、
この店は、この両方が入っている。
あっさりした味だ。
 
 

 
もう一つ、ソンジククがあった。
これは牛の血を元に作った、
塊が入っている。
ほとんど鉄の塊である。
 
少々鉄くさいが、
味は濃厚な牛のスープである。

Posted by hajimet at 22:02 | Comments (0)

韓国の食事(4)

2月15日(夜)

 
浦項の刺身屋
 
まずは
タイ、ヒラメなどの刺身を堪能。
サンチュ、チジミ、ニンニク、
青唐辛子、海草のこんにく風、
茹でエビ、つけだれ

 
 
 
 
続いてムルフェ(水刺身)
よく分からない白身の魚
(骨きりしていたところからすると
太刀魚か?)にキュウリと梨の千切り
刻みネギと海苔とコチュジャン。
 
これに水をかけて混ぜて食べる。
漁師の料理だそうだ。
 
さすがに水を入れる気には
ならなかった。
 

 

 
 
 
 
最後にカメギ
浦項の名物。
サンマの一夜干し風だが、
特に塩をしてあるわけ出ないので、
不思議な感じがする。
 
 

 

 
実際には一夜干しでなく、
洗った秋刀魚を10〜16日間自然凍結乾燥させたもの。食べ方は葉に昆布、ワケギなどを一緒に捲いて食べる。
 
独特の弾力がある。
 
 
 
 

 

 
 
 
最後にタイのスープが出た。豆ホヤが出しに使われていた。
 
(あるブログによれば、
刺身料理を食べる場合、
お腹のためには焼酎が良いそうだ)

Posted by hajimet at 21:42 | Comments (0)

韓国の食事(3)

2月15日(昼) スンドゥブ

急遽変更された店で。
 
個人的には韓国に行くと
必ず食べる好物。
 
おぼろ豆腐の鍋である。
 
キムチ、大根の葉の煮物、
豆の葉の漬物、
ナムル(わかめ、大根、ほうれん草)
 
 
おからの味噌仕立て、ごまめ、キャベツの葉のチヂミ風、
カレイの甘辛仕上げ、鰯の塩辛、唐辛子(日本風)の揚げ物など。
(旅行者向けに辛みを抑えてもらった…少々物足りない)

Posted by hajimet at 21:36 | Comments (0)

韓国の食事(2)

2月14日(夜)キムチチゲ

 
慶州コーロンホテルにて。
 
キムチ、もやしのナムル、
わかめのナムル、
ほうれん草のナムル、
チジミ、キムチチゲ

Posted by hajimet at 21:20 | Comments (0)

韓国の食事(1)

2月14日(昼)サムパップ(包みご飯)
 サムウォン(森園)サムパップにて

多くの葉っぱ(マメ、カボチャ、
白菜、昆布、チシャ、茹でキャベツ他)、
ニンニク付け、ほうれん草和え、
チヂミ、韓国風茶碗蒸し、
ジャガイモサラダ、味噌、ズッキーニ、
海苔の佃煮風、鰯の塩辛、
サンマの煮付け、梅のシロップ漬
キムチなど。
 
  

                                  
 
葉っぱにご飯を包んで食べる。
葉っぱは季節によって違うが、
タンポポの葉が出てきたこともあった。
 
ご飯と一緒に包むものは
好きなものを自由に入れて良い。
 
入れすぎると口が閉まらなくなる。
(夫婦げんかの時にわざとやるとか…)
 
  

Posted by hajimet at 21:12 | Comments (0)

記録的大雪の慶州。その2

雪は夜11時頃まで降り続いた。
 
2月15日
朝一面の雪景色。
テレビは盛んに観測史上(植民地時代含む)初めての大雪を伝えている。
北部の江原道では1m以上積もったのだが、そんなには積もらない地域なのだ。
 
9時出発のはずのバスは現れない。
何と昨日留まったところから動けないとのことだった。
チェーンはあるが、雪に埋もれて付けられず、
バックしようにも雪に埋もれた車があって動けない。
何とか排除して動いたのは10時近かった。

 
 
 
道は半分圧雪になっていて、
滑りやすい。
そこをホテルから下りていく。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
途中の駐車場では
押しがけをしている車まであった。
(オートマでは無理)
 
 
 

 
それでも何とかバスのあるところまで移動した。
しかし、バスの止まっている付近は、除雪はされているが、今度は氷っていた。
一瞬滑り、怖い思いをした。

遺跡はどこも、雪を掻き分ける始末だ。
講師の先生と一緒に
先人を切って歩いたが、
長靴の上から雪が入り込んでくる。
 
高村光太郎をもじれば、
「僕の前に道はない。
僕の後ろには道がある。
その道を人がついてくる」
という気分だった。

 

 
昼食は急遽店を変更。
予約していた店が
雪で潰れたからだ。
 
ビニルハウスも随所で潰れていた。
 
それでも午後になると、
路面から湯気が出るほどの陽ざしで、
雪はかなり溶けた。
 
 
特に雪の少ないところでは地肌が出るほどであった。
 
だが、全体が溶けたかと思うのは
 
誤算だった。あるところにはあったのだ。
場所によっては膝まで雪が来た。しかも夕方にはそれが凍り始めた。
しかし、1日雪焼けするほどの快晴。夕陽はきれいだった。

 
 
雪の影響は次の日も続いたが、
雪そのものよりも雪の影響で
道が閉鎖されたりすることの
方が大きかった。
 
また、頭上の木の枝からは
半ば氷った雪が落ちてくることが
怖かった。
 
 
 
 

Posted by hajimet at 20:20 | Comments (0)

記録的大雪の慶州(2月14日)

2月13日から17日まで、新羅紀行で韓国に行った。
初日は薄曇り、飛行機が多少揺れた程度だった。
 
週間予報では最終日以外「晴れ」。

 
なのにテレビでは雪の予報を伝えている。
 
翌日目覚めたら一面の雪。すでに10cmくらい積もっている。
シンシンと、風もなく降り続けていた。
雪による大渋滞を抜けて何とか慶州に入るが、そこは吹雪のまっただ中だった。
 

 
慶州は雪景色もきれいだそうだ。
だが、それどころ出ない。
 
ちょっとでも外に出ると、
 
雪だるまになるのだ
 
お昼頃、すでに30cmくらい積もっていた。
雪景色と言うより、これから何が起こるか分からない怖さがあった。
 
 
これは、翌日明らかになる。
 
午後、雪はもっと激しくなる。

 
木の枝からは積もった雪が霧のように落ちてくる。

  
 
 
 
 
 
 

長距離までは
見通せない。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついに
深い雪になった。


この時点で30cm近く。
バスは最徐行で進む。
それでも、ときどきお尻を振り、
恐怖を感じる。
 

 
 
さらに怖いことに、今日のホテル。
コーロンホテルは
 
山の上なのだ。
 
 
何事もないことを願っていたが、結局バスはホテルにたどり着けなかった。
メインの通りが閉鎖されてしまったことと、
一本しかない裏道でバスの前を走っていた車が、すり減った普通のタイヤのためエンコし、
バスの進路を夫妻だからである。そこから200mほどホテルまで歩く羽目になった。
 
運転手は深夜1時まで何とかしようとしていたが、あきらめたとのことだった。

Posted by hajimet at 19:48 | Comments (0)

2011年1月9日
チュオタン(韓国式鰌鍋)

韓国式鰌鍋チュオタン。よく見るのは、鰌をすりつぶしたもので、鰌は単なるダシのような位置づけである。しかし、本来のチュオタンは違ったという。水に鰌を入れ、豆腐と一緒に茹でる。すると豆腐の中に鰌が入り込むので、その豆腐を切って食べていたという。武橋洞にある湧金屋は1932年開業のチュオタンの店だが、最初はそのようにして食べさせていたそうだ。味は辛かったとのこと。
 
場所柄、李承晩時代は東亜日報の記者のたまり場になり、子供を「スンマニ(承晩ちゃん)」と呼びつけて、李承晩の悪口や反政府的なことを言っていたという。刑事もここには顔を出せなかったそうだ(この店の名前の付いた小説などもあるようだ)。
 
その後作り方は変わったが、鰌そのものが入っている事は変わりない。柔らかく煮込んであるので、骨も普通に噛むことが出来る。1月6日昼に食べた。辛さもそれほどでもない。同名の店が景福宮の近くにある。こちらは分家に当たるとのこと。
 
ついで…麻浦で食べたヘムルチョンゴル。貝やホヤ、魚、野菜など様々なものが入り、それを生から茹でて食べるものであった。ガラスのフタの下で何かうごめくものが…。たこが一匹生きたまま入っていて、ゆでだこになるところであった。まだ動きが止まっていないときに、挟みが出てきて、タコを切り、「もう食べ頃、堅くなる前に食べるように」と言われた。確かに新鮮なのだが、あまりにも刺激的な風景であった。

Posted by hajimet at 22:05 | Comments (0)

余命808…これ何?

ソウルにて発見


「黎明808」なんとも不思議な名前のものである。最初「余命808」と呼んでしまった。余命と黎明は韓国語で同じ音。読み間違えたのは、この飲み物が目的としているものからの類推からである。
 
表には発明家南宮ヒョンと署名の入った写真が刷られ(どこかのドクター○○に雰囲気は似ている)、

808DAWN
 
韓国標準協会ロハス認証
 
韓国標準協会「黄金の蝶賞」、
 
韓国消費者ウェルビーング指数「6年連続1位」
受賞した名前が続く。
 
さらに韓国の特許番号が大きく刷られ、
その下に
「発明特許品」世界11カ国国際発明特許品「名品」と仰々しく書かれる。
 
そのものとは、
 

「宿酔解消用天然茶」
 
横にはさらに黎明808と書かれ、第43回発明の日金塔産業勲章受勲、
 
米国FDA公認研究機関で
 
人体無毒性判定とまで書かれいてる。
 
そして「黎明808は国際発明発明特許技術で製造し、早い二日酔い解消で活気に満ちた朝、黎明(夜明け)を開いてくれる」と書かれる。要するに、ナナカマド、甘草、葛花などの漢方濃
 
縮液を甘くしたもの。
 
味は…甘い薬でした…。二日酔い解消効果は…不明。
でも仰々しい
 
…。信じるものは救われる?

Posted by hajimet at 12:55 | Comments (0)

2010年7月28日
韓国の食事(7)

7月25日 ソウル サムギョプサル
 
すっかりこの焼き方になりました。
もともと、薄めの肉を焼いていたのですが…
 
ブタの油で、豆腐、ジャガイモ、キムチを
揚げ(?)ます。
 
野菜、ニラ、サンチュなど

Posted by hajimet at 10:10 | Comments (0)

韓国の食事(6)

7月24日 江華島 硫黄アヒル燻製

 
 
肉は焼いて、ごま油で食べる。
サンチュ、ダイコン、ニラ、キムチ、
水キムチ、ニンニクなど。

Posted by hajimet at 10:07 | Comments (0)

韓国の食事(5)

7月25日夜 仁川 韓国風中華料理

 
 
中華料理定番の突き出し。
タクアン(酢をかけて食べる)
タマネギ用テンメンジャン風ミソ、
タマネギ(生、辛くない)
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
中華街

Posted by hajimet at 10:01 | Comments (0)

韓国の食事(4)

7月23日 霊光 クルビ(イシモチ料理)

 
イシモチ2種類
干し鱈、かに2種類、
エイの刺身、エイの蒸し物、
貝、干しエビ、エビ、アサリのスープ、
牛肉とニンニク、ニンニク(エシャロット?)漬、もやし、タケノコ、豚の皮等々
 
 
 
 
 

 
 
 
配膳した机を運び込む。

Posted by hajimet at 09:55 | Comments (0)

韓国の食事(3)

7月22日(夜) 光州 
プルコギ

 
ソウルよりも淡泊。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
付け合わせ
キムチ、サラダ、ニラ、もやし等々

Posted by hajimet at 09:50 | Comments (0)

韓国の食事(2)

7月22日 全州 ピビンバプ(石焼きではない)

 
 
混ぜる前。
入れ物は…
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
付け合わせ
もやしスープ、エリンギ、キムチ、
水キムチ、キュウリ(メンマ?)、
ゴボウ、ミツバ、大根菜の水キムチ、
ズッキーニの揚げ物
 

Posted by hajimet at 09:45 | Comments (0)

韓国での食事(1)

7月21日 公州にて(ソモリ クッパ)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つきだし

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キムチ、カクトゥギ、タマネギ醤油漬け、塩辛、ニラ、
肉につけるわさび醤油

Posted by hajimet at 09:40 | Comments (0)

2010年7月27日
店の名前(3)

日本もそうですが、どこをみたらよいのでしょう?
(光州月桂洞 2010年7月22日)

 
 

Posted by hajimet at 20:21 | Comments (0)

店の名前(2)

回転寿司屋の名前なのですが(ソウル 武橋洞、2010年7月26日)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はらはらします。

Posted by hajimet at 20:18 | Comments (0)

店の名前

韓国と日本で店の名前の付け方が違うが、これもその一つ
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「簡単に一杯」…。仁川新都市にて(2010年7月25日)
 
 

Posted by hajimet at 20:13 | Comments (0)

外来語

韓国語と日本語と、外来語の読み方はかなり違う。
これもその一例(2010年7月25日、ソウル孔徳にて)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メドゥ ポ カルリク
日本式ならマッド フォー ガーリック
かなり違います。

Posted by hajimet at 20:09 | Comments (0)

2008年10月3日
八百屋?

韓国の果物屋の風景です。普通の住宅街にある店です。

どこか変わっていませんか?注目は右下です。

 

「トマト」があるのです。

 

韓国では果物扱いです。

ちなみに、八百屋も何軒か見て回りましたが、置いていない店の方が多かったです。

左下は屋台で、栗と棗の実を売っていました。

(9月28日、ソウル麻浦にて)

 

Posted by hajimet at 11:24 | Comments (1)

ドングリは

「ドングリの本来の主人は、リスです」

9月29日撮影

宗廟の入り口にあった。「宗廟野生動物食料保護」の標語である。

韓国ではドングリは食用されるので、この標語の意味は

単なる「樹を大切にしましょう」ということではない。

 

実際に宗廟を散策している女性達が、足下に散らばるドングリの実を手に取りながら、

「このドングリの実はおいしくて、あれはおいしくない」と言って、

物色していた。

Posted by hajimet at 10:55 | Comments (0)

2007年12月15日
虎がたばこを吸っていた頃

12月、韓国の益山の料金所のトイレで撮った写真。

 

なぜ、虎が山にいなくなったかを知っていますか?

虎がたばこを吸っていた頃の虎は、

肺ガンで死んだという説があります。

 

ということだそうです。

※虎がたばこを吸っていたころ=日本の「昔々あるところに」あたる。

 

Posted by hajimet at 14:40 | Comments (0)

2007年8月27日
大津・各務原紀行

暑い夏。8月の頭に膝の靱帯をのばし家でゆっくりする日が多かった。それでもお盆は佐渡へ行って法事に参加したし、下旬には関西方面へ旅行に行った。
 
怪我した直後には、スキーストックを杖代わりにして長野松代の大室古墳群や大本営跡、森将軍塚古墳を見学した(痛かった)。お盆のときも両津長安寺の朝鮮鐘を見学した(えっちらおっちらと)。そのときよりは足は楽になったが、まだ引きずる。
 
大阪へ行くついでに、大津による。大津歴史博物館にあるオンドル遺構と大津絵を見たいと思ったからだ。京都で途中下車をして、湖西線で西大津へ向かう。そこから歩いて10分ほど。大津商業高校や、遠くから聞こえる三井寺の鐘の音を楽しみながら博物館へ。常設展では大津事件の津田三造の特集をやっていて、ロシア皇太子(ニコライ2世)血染めの座布団や、津田三造に関する資料が多く展示されていた。大津宮、近世以降などの展示は、こぢんまりとしてはいるが、充実していた。博物館の前は見渡す限りの琵琶湖。ヨットがゆったりと走っている。大きいと思ったが、ここから眺められるのは湖南だけ。
 
続いて大津宮跡を見る。京阪「近江八幡」駅のそば。折り返し線のある駅で、脇には車庫がある。駅前に空き地があり、そこが宮跡。
 
ただし何があるわけでもなく、杭が立っているだけであった。博物館で場所を教えてくださった方が、「期待して行くと、なんだこれだけかと思いますよ」と行っていたが、まさしくそういう景色だった。

京阪で京阪膳所まで戻り、大阪へ。浜大津から京阪膳所までの線路の通っているところがそれまでの私鉄らしさと違うと感じたが、あとで古い地図を見たら東海道線が開通する前に、京都から大津までの鉄道が使っていた線路跡だった。米原方面から東海道線が伸びてくるまで、膳所駅のところで折り返して今の浜大津へ向かい、そこから汽船で琵琶湖を横断するルートだったようだ。
 
翌日、大津でレンタカーを借り、知人に運転を頼み再び湖西見学。渡来系の遺跡を中心に見る。京阪線にそって坂本まで行くが、近江八幡以北は線路条件がかなり違うようだ。それまでほとnど平坦で路面電車の延長のような線路だったものが、30パーミルを越えるこう配が随所に見られる。
 
坂本から比叡山の麓へ行く。まず日吉大社をみる。日枝神社の総本社であって、立派な山王鳥居がたっている。中は西、東にそれぞれ宮があり、古式ゆかしい拝殿が建っている。途中には室町時代の御輿が特別展示されていた。さらに水垢離のできる滝があったり、「いわくら」であろう石が多くある。気温は30度を超えているが、さわやか。山の雰囲気と木立の中、周りに豊富に流れるきれいな水がそう感じさせるのだろうか。
 
ただし、これらは古墳の石室だったものかもしれない。境内一帯は日吉古墳群の中で、付近には百基近いの古墳が残っているからである。
 
続いて袋古墳群を見に行く。日吉大社の近くで、整備されて公園になっているはずだが発見できなかった。ここに行くまでの道は宿坊などの穴太積みの塀が見事だった。
 
さらに穴太野添古墳群へ。墓地の脇、細い林道をあがっていく。さすが小型車。小回りがきく。墓地では野猿が2匹遊び回っていた。こちらは発掘したあと、いくつかの石室を整備して残している。
 
穴太遺跡(何にもない…ついでに食事の出来る店も)を通過してから、百穴古墳群へ。山の中に無数の石室が散在する。百済系の石室墳と考えられている。そこから崇福寺址へ行こうとしたが、道が悪すぎて断念。ガイドブックでは車ですぐしたまで行けると書いているが、車に傷をつけるわけにはいかない。
 
今回の旅行で一番びっくりしているのは、もしかするとこのレンタカーかもしれない。予想外の悪路だったし、カーナビは操作を間違えて延々と大津港への道を案内していたし…(京都に着くまで)。しかし、大型ワゴン車がそちらへ向かって上がっていった。こちらは車高の高い車の勝ち?
 
途中にある弥勒仏(滋賀の大仏)を拝見して下山。30号線を比叡山越をして京都へ。燃費も良くガス代は631円だった。
 
この日は愛知県の江南で一泊した。すぐそばが木曽川で河を越えれば岐阜県。
 
翌日は岐阜県各務原を中心に見る。各務原には山田寺、蘇我石川麻呂の墓、蘇原という地名、蘇我氏との関係を思わせるところだ。木曽川の対岸、犬山市には入鹿池などという地名もある。各務原には古代寺院も多い。
 
まず各務原の中央図書館の埋蔵文化センターへ行き、発掘品を見る。古代寺院の遺物、古墳からのものなど多くを見る。続いて須恵器窯へ。付近は須衛という地名。この近くに村国神社があって、壬申の乱の時の関係が深いことも分かる。神社裏の森の中は大量の古墳がある。半分藪となっているところを入っていき、古墳らしきものを見る。村国神社も古代の氏族との関係を感じさせる祭神が祀られている。
 
犬山で味噌田楽を食べたあと、青山古墳へ。愛知県側の犬山市である。古墳の説明をうけた。この古墳からは丹後半島につながる「土師器」が出てくる。丹後は古代、加羅と鉄の貿易をしていた地域で、今も加悦という地名が残っている。若狭を通じて朝鮮半島とのつながりが強かったと言うことになる。
 
続いて近くの田県神社へ。子宝祈願などの神社で、男根の奉納物がやたら多い。若い夫婦が多く訪れて、祈願していた。写真は珍宝窟で、前に置かれている玉をさすって願い事をする。その上をキノコ型をした笠が覆う。参拝した後、東京へ。夏休み最後の週末のため上りの新幹線は大混雑。指定席をとったが、「のぞみ」はかなり後までなく、「こだま」でのんびり帰ってきた。
 
名古屋ではホームにいるだけで頭がぼおっとしてきた。冷房の入った待合室は立錐の余地がないほど人がいるし、待合室でなくとも日陰にいる人が大多数だった。それもそのはず。名古屋を出てすぐのビルの上にある温度計は38度を示していた。
 
 
 

Posted by hajimet at 21:25 | Comments (1)

2007年6月25日
アンサンブル・サクラ 日韓友情コンサート2007

ここのところ、久しぶりに外出が続く。
22日は区議会議員になった知人と会い、議会の話などを聞く。
23日は韓国関係の人々と会う。昼過ぎにいったらもう宴会が始まっていた…。フードライターに会って、著書をいただく。
24日は2週間に1回の鍼灸へ行った後、コンサートへ。
 
アンサンブル・サクラ 日韓友情コンサート2007である。オーボエ奏者を韓国から招いていた。
 
場所は市ヶ谷ルーテル教会。初めての場所だ。定員200人のこじんまりしたところ。小規模のコンサートにはちょうどいいところ。席も前から5番目の中央という、最も良いところが確保できた。開演前など、教会員の方などが、座席などに気配りをしていた。
 
行く前から、どういう演奏になるのだろうと思う演奏会も珍しい。マリンバ、ピアノ、オーボエの組み合わせだ。マリンバ+ピアノ、オーボエ+ピアノは何回も聞いたことがあるので想像がつくのだが、マリンバとオーボエが結びつかない。
 
実際は、すべての曲が3台で演奏するわけでなかった。
 
しかし雨降りである。オーボエの調子が心配だった。チューニングの時、少しリードの調子が悪いのか、音がかすれ気味だった。もっともどちらかというと太めの音の奏者である。愛の挨拶。最初のフェルマータの長さが、絶品。自分で演奏すると長くなりすぎるのだが、このくらいでちょうど流れるのかという長さだった。残念ながら、調子がまだあがっていなかったかな?
 
モーツアルト、ハフナーセレナーデよりロンド。マリンバとピアノでとれも流麗。次の一柳 慧「パガニーニ パーソナル」はパガニーニの旋律が自由に展開していく。変奏と言うよりも断片化したり、自由に転調したりして面白い。故岩城宏之氏のために書いた曲であるが、マリンバが激しく、改めて「打楽器」の一つなのだと思う。続いて尹伊桑の「タルモリ」。オーボエのしっとりした旋律が楽しい。一部の最後は山本純ノ介の「借景U」であった。作曲者は故山本直純氏の息子さんで、雰囲気はよく似ていた。
 
第2部。殆ど初めての曲。西村 朗「アリラン幻想曲」の次に、M,シュミット「ガナイア」。ガーナのリズムがヒントになっているということで、そのリズムを基調に旋律が組まれている。韓国のサムルノリなどもそうだが、聞いていると強烈な陶酔感を覚える。目の前に荒野とサバンナのなかに遠くぽつりとたたずむ象という光景が浮かんでいた。その中で、太鼓を人がたたいている…。なんとなくステレオタイプではあるが。
 
続いて松村崇継の「ランド」。とてもきれいな曲。途中の転調、転調で曲が進行する部分がすばらしく、さらに時々かいま見られる旋律が非常にきれい。最後の部分、作曲家によると曲が「自然に帰る時間を」示しているそうだが、いったいPがいくつついているのだろう。文字通り消え入るように、曲が消えていった。だんだん目の前の光景がかすれていって、溶けるような…。明るさがフェードインして、そのまま暗くなるのでなく、明るさは変わらずに、景色が溶けている。どこかでこの光景を見たように思っていたら、カラヤンがザルツブルグで振ったドンジョバンニの1シーンだった。最後にドンジョバンニが使者に握手したまま連れ去られるところの効果がそうなのだ。だんだん小さくなり、ぼけていって、青い空間に消えていき、そして何もなくなる…シュミットとともに、機会があったら是非、音がほしい演奏だった。
 
ここでオーボエの再登場。尹伊桑の「ピリ」。ピリはダブルリードの縦笛で、太いながらも甲高い音が出る。しかも、尺八に似て、音程の上げ下げができる。西洋楽器ではオーボエが一番近いが、かなり性格が違う。しかし、演奏が始まった途端、ピリにとても近い響きと音程の揺れがでて、驚いた。勿論、本物ほどスムースに音程を揺らすことは出来ないが、ぼーっと聴いていると、一瞬どちらかなと思う瞬間もあった。韓国人で、体でピリの音がイメージ出来ないと、とても演奏できないとも思った。きっと日本人がやると、ピリの音の揺らし方が尺八の揺らし方になるのではないかなどという余計なことまで考えてしまった。
 
演奏する方は大変であったであろう。響きや音程を出すだけでなく、途中で循環呼吸をしている部分もあるし(さすがオーボエ)、重音もある。管楽器は基本的に重音は出せないのだ。しかし、5度に近い響きを出したり、オクターブの倍音をうまく響かせて、きれいであった。
 
つづいて、モンティのチャールダッシュ。マリンバとピアノのみ。よく知られているだけに、最後に肩の力を抜いて聴くことが出来た。それにしても加速感がイイですね。
 
最後にアンコールに「愛の挨拶」。1曲目の時に、なんとなく本調子ではないなと思っていたが、こちらは文字通り絶品。エルガー夫妻が庭で紅茶でも飲みながら、愛をささやきあっている雰囲気がとてもよく出ていた。テンポを前に持って行くところも抑制がきいていて安心して聞けた(1回加速しすぎて音楽がせせこましくなった経験があるもので)。
 
結局3つの楽器がそれぞれきれいに関係づけられた演奏会であった。また、初めての曲が多い割には、面白いプログラムで楽しむことが出来た。特に現代の曲は、なんだか分からないうちに終わることも多いのに、今回はいろいろな情景を思い浮かべながら聞くことが出来た。また、聴きたいものである。
 
追伸:先週の日曜日、カール・ベームの初期のCD(10枚組)とトスカニーニのCD(10枚組)を買ってきて、聴くのに大わらわ。どちらも10枚で2000円しなかったもので、つい買ってしまった。その上、カールベームが1980年に最後に来日したときのフィガロのDVDまで届いて…。フィガロは出演者がすごい。個人的には、このときわれたベートーヴェンより数段上の演奏をしているように思える。

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2007年5月20日
もっとも保存状態が良いキトラ古墳「玄武」公開 その2(ツアー)

2日目。
 
昨日は曇り空で、時間がたつにつれて蒸していた。夜は雨が降っていた。 早く起きて橿原神宮を参拝。畝傍山の麓である。この地域に神武、綏靖、安寧、懿徳などの天皇陵が散在する。前日の雨があがり、すがすがしい。ホテルに戻り茶がゆを食べる。天気予報では午前中は雨が降ることがあるが、午後は回復するという。しかし、これは裏切られた。
 
さっそく飛鳥資料館へ。キトラの玄武公開で混み合うため、真っ先に行く。8時50分頃バスが到着するが、すでに100人ほどが並んでいた。資料館の庭には飛鳥の石造物(人面石、酒船石、須弥山石、甕石など)のレプリカがおかれ、特別展示室では山田寺の回廊などが復元されていた。
 
 
 
 
30分ほど待って、キトラの玄武と対面。5ミリほどの均等な漆喰の上に繊細に描かれている。隣には高松塚古墳の玄武の模写が。こちらは中が削り取られている様子がよくわかる。特別展示室その2は玄武の由来。中国からの系譜を紹介していた。先日見学した高句麗五灰墳4号墳の壁画も紹介されていた。常設室も見る。飛鳥の軒がわら百済のものを並べていたが、本当によく似ている。まだ日本化していないのだ。
 
続けて飛鳥坐神社へ。神を呼ぶことと雷との関係(ちょうど鳴り始めていた)。雷が落ちることは神が降りてくることだそうだ。この神社には80万神が集まってくる。よい神も悪い神もいるが、よい神だけが集まってくるとのことだ。ここには男根石が多いのだが、そのことの説明なども受けた。続けて昼食。石舞台の脇の食堂である。休憩時間に石舞台を見学。そこからバスで飛鳥川に沿って奥飛鳥へ入っていく。
 
一面棚田の中をバスは峠を越える。ただし、この地域は6月に入ってからの田植えだそうで、棚田というよりは段々畑に見えた。そうこう言っているうちに飛鳥川に縄が張られているところに来た。
 
 
男綱とよばれ、道祖神などと同じ役割をするそうだ。下流側は神式で貼られ、上流側は仏式で貼られる。中央につり下げられている物は、下流側は男性を、上流側は女性を示している。ここから旧道に沿って谷をあがる。まず飛石。続いて南淵請安の墓。ここで滝のような雨に遭遇した。墓のある所は周囲に比べて高く、雷も鳴り始めたので、集落まで降りて雨宿り。雨は10分ほどで上がり、すぐに晴れ上がった。道路からはもうもうと湯気が上がっていた。後から分かったが、このそばに竹石王石塔もあった。
 
続けて飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社へ。手すりのない階段を270段ほど上がる。それほどきつくはないが、降りるときは怖い。続けて栢守集落へ。加羅との関係が指摘されている集落である。飛鳥川も細流となってしまい、音も聞こえない。ここの加夜奈留美命神社へ行く。
 
栢森集落から奥は芋峠となり、吉野へつながる。その吉野からの入り口を守る神社である。式内社であって、格もとても高かった。飛鳥は百済、高句麗の影響はあちらこちらで見られる。しかし、加羅、新羅に関係するものは少ない。加羅との関係も指摘されるこの集落も、飛鳥の中心地からすると、非常に山奥である。飛鳥中心地との関係であろうか、それとも吉野方面から進出してきたのであろうか。 このあとキトラ古墳を見学して、帰京した。

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もっとも保存状態が良いキトラ古墳「玄武」公開1(ツアー)

久しぶりの更新。
 
キトラ古墳の玄武公開にあわせて行われたツアーに参加した。キトラだけでなく、普段行きにくいところが多くコースに入っている。朝7時台の「ひかり」に乗って東京を出発。京都で下車して奈良交通のバスに乗り換える。高速と一般道を組み合わせて110分の行程である。橿原から藤原宮あとを抜けて甘樫丘わきで飛鳥川をわたり向原寺へ。
 
バス停の前には小墾宮跡とも言われる土壇がある(今は蘇我氏の邸宅跡との説が強い)。向原寺は日本で最初にできた寺とされる。百済聖明王が欽明天皇に送った仏像を、蘇我稲目がここでまつったとされるからだ。後に推古天皇がここで即位して豊浦宮をおき(593-603)、その後蘇我馬子が譲り受けて豊浦寺とした。住職から発掘の様子などを聞く。江戸時代や鎌倉時代、飛鳥時代の寺跡の下から、宮跡が出てきて、さらにその下から邸宅が跡が出てきているという。
 
住職の案内で一部残されている宮跡を見た。軒先だそうで、ここの上をまさに推古天皇や聖徳太子が歩いたわけだ。それにしても3段の版築は立派だ。寺の横は蘇我稲目がまつった仏像を捨てたという難波池がある(ただし、物部氏の地盤は別のところで、そちらにも難波の津江あとがある)。裏手の甘樫坐神社には立石があり、その前でクガタチをしていた。
 
続いて於美阿志神社へ。檜前にある。なだらかな丘陵地帯である。東漢氏の始祖、阿知使主をまつるが、もともとは彼らの氏寺である檜隅寺があった場所だ。道を歩いていて、寺域に入った途端に布目瓦が散乱していた。
 
寺跡には講堂、塔、金堂の跡が残されていて、塔のあとには平安時代に建てられた13層石塔がある。この地域は渡来系の勢力が強かった場所で、高松塚もキトラもこの一帯にある。講堂跡からは高松塚の覆屋が一望できる。そういえば壁画は高句麗の強い影響が指摘されている。そもそも高市郡の7割が渡来系の姓だったそうだ。
 

 
続いてマルコ山古墳。近鉄の線路をバスがわたれないため真弓丘の丘陵を歩いていく。しばらく歩くと現れる集落が「地の窪」である。ガイド氏は「窪み」の意味で説明していたが、地形的には風水で言う「気」の吹き出す「穴」のことのように思えた。
 
古墳は地の窪集落の裏手にある。整備されていて墳丘に木などが生えていないので、慶州などで見る古墳のイメージに近い。高松塚やキトラと同じく終末期のもので、石室の構造もほぼ一緒である。発掘したところ、石室は漆喰で塗られていたが、石室はなかったとのことだった。たここからみる飛鳥の風景は絶景。山の稜線がほぼそろっているのも印象的だった。
 

 
一旦飛鳥を後にして今井寺内町へ行く。中世末に作られた環濠集落である。それまで条理集落や条理を元にして作られた池、地名を眺めていたのだが、まったく異なった世界に来たようだ。中世末に一向宗門徒によって作られた集落で、江戸時代いっぱい自治が認められていた。そのために裁判を行った家なども残されている。道筋は行き止まりや食い違いになっていて防御に優れている。土蔵作りで部屋の配置もすべて決められている。
 

 
明治10年2月10日に明治天皇が即位の報告をするために橿原へ来て、今井寺内町の中心の寺、称念寺に泊まった。その車列のために軒先を削られた家が、いまでも削られたまま残っていた。今井寺内町の人が明治天皇に拝謁するときの話が残っている。しかし、明治天皇はこのとき橿原へ参拝出来なかったそうだ。2月11日、西南戦争が始まったからだ。古い町並みもさることながら、風薬の看板も面白かった。「みみづ入」である。
 
ホテルに戻っておしまい。橿原ロイヤルホテル。炭にこだわった部屋で、あちらこちらにオブジェがある。部屋は静かで快適だった。

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2007年3月19日
武州渡来人紀行(3)

昨日の後半から、武蔵国を回っているので、上州から武州に名前を変える。
前日狭山茶を眺めながら飯能に泊まる。通勤圏なので、泊まることは珍しい町であるが、泊まったホテルも「今時?」というホテルだった。昔懐かしいというか何というか。インターネットは使えない。その上持って行った携帯とつなぐUSBコードをなぜかPCは認識しない。
 
翌日8時30分出発。高麗川の高麗家住宅へ。藁葺きの家で、様式は江戸時代前期以前のもの。昭和30年代まで使われたとのこと。あたりは梅の花が咲き乱れる。なぜか茶褐色のバッタが蜜を吸っていた(写真の真ん中・枝に着いている枯れ草みたいなもの)。
 
続いて高麗神社へ行く。この地域は高句麗系移民が開拓したところであるが、その辺の話を宮司から伺う。先代が昨冬に急逝されたとのことであるが、話はうまい。ここに高麗神社ができるまでの話と、それ以降の高麗氏の略歴、神社の効能?を端的に話していた。
 
先代には2001年にお目にかかった事がある。もうすでに体がかなり弱っていたようであったが、そのときに現職ともお目にかかっていたようである。そのときに系図を見せてもらいカメラに収めたが、本物と聞いていたが…今日、複製と判明。
 
続けて聖徳院に行く。山号が高麗山というように、本来は高麗神社と一緒だったものが、神仏分離令で別々になった。脇にこの辺の開拓の中心人物、高麗王若光の墓と言われるものがある。朝鮮式の三層石塔というがそれらしいと言われればそうだが、違うと言われれば違う。屋根の笠に当たる部分が風化していてなくなっているので、判断が付かないのだ、
 
山門をくぐり本堂へ。ここから入場料がいる。以前はそんなことはなかったのにと思いつつ、石段を登っていくと…。そこにはそれまでここで見たこともない立派な本堂が。さらに鐘突堂がある。その目の前に石像が。よく見ると「高麗王若光」となっている。その向かって左手、遠くには山越に富士山がよく見えていた。
 
境内の奥には無縁韓国人供養碑がある。在日韓国人のある人が中心となって寄進したとのことで、中央に石塔が建ち、その後ろに十二支像の彫り物がある。韓国の古墳の周りに彫られるものと違い、板に刻まれた「絵」である。その左手には東屋が。3.1独立宣言を発表したタプゴル公園の東屋を模したものと事である。入り口には石像が数体立つ。無名のもの(広開土王か壇君)、武烈王、鄭夢周などの像である。説明板には、高麗王若光が日本の中心で、風水のよいところであるここを開拓の土地と定めたという趣旨の説明があるが、これはおかしい。風水が入ってくるのは、若光が入植してからかなり後のことであるし、自発的にではなく、この地に政府によって住まわせられているからである。飯能駅で別れ、レッドアローで帰宅。池袋まで50分ほどの距離であった。

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2007年3月18日
上州渡来人紀行(2)

第2日目。8時20分宿舎発。宿舎は東横イン高崎駅前。LANでインターネットには接続し放題。朝はおにぎり、味噌汁、スープ、パンのサービス。夜はカレーライスのサービスのあるホテルだった。カレーライスの魅力的な匂いは、14階のエレベーターホールまで充満していた。おなかのすいていた身でこれから飲み会の立場からは「何とかして〜」であった。それ以外は居心地はよい。
 
まず綿貫観音山古墳へ。しかし上州は大きな前方後円墳の多いところだ。ここもそうだ。石室を開けてもらい入る。榛名山の噴石を側面に、多胡石と同じ砂岩を天井石にしていて、崩壊していたものを復元したそうだ。入り口は西南を向いていて、その方向は百済だと言うが、この方向は太平洋である。あえて百済と考えるとすれば、遺体の頭の向きが北西を向いていれば、(つまり入り口の通路に直角方向)そちらが百済になる。なぜ、百済かというと、この古墳から百済公州武寧王から出てきた鏡と同じ型から鋳出した鏡が出ているからである。ここからは「泣き女」3人が一つにされた埴輪が出ている。まわりは妙義、浅間、榛名。妙高、穂高などの山が囲んでいる。その山からの出口で、しかも利根川などの大河が流れるのだから、いかに豊かな土地か想像できる。
 
その埴輪などを見に群馬県立歴史博物館へ行く。特別展で雛人形をやっていて、御殿雛に関心を持つ。旧石器時代の話、縄文期の海進の時の群馬、縄文、弥生の説明を受け改めて上野国の勢力の大きさを感じさせられる。また古墳や仏教伝来時の3国からの影響なども見られる。ちなみに昨日見た多胡碑をはじめとする上毛三碑は碑石を作る習慣のほとんどない日本では珍しいことで、文字の使い方などに新羅の影響が見られるとのことであった。ついでに多賀城碑のレプリカも今回何カ所かで見たが、これも渡来人の影響があるとのことだ。なぜか靺鞨という文字もあるのだが、これはのちの靺鞨と同じか分かっていないとのこと。庭にでる。馬のモニュメントがある。渡来系の「牧」の事かと思ったが、そうではなく、現代彫刻の「巨馬(おおうま)」であった。
 
群馬を後にして17号線を南下。行田行く。約1時間であるが、それにしても関東平野は広いと改めて思う。まわりはただ平野だけ。埼玉古墳群につく。5世紀に突然大古墳が出現するので有名で、武蔵の南部の政権との勢力争いの結果、上州と結んだ南武蔵が負け、大和政権と結んだ埼玉の勢力が勝ったためと言われる。雄略天皇の名前の入った鉄剣が出たことでも有名。これは埼玉の資料館に本物が展示される。丸山古墳に登った後、鉄剣の出た稲荷山に登るが「何だか変」だ。ここは3回目であるが、記憶の古墳と違う。後で分かった。2回目に来たときにトレンチを掘っていたのだが、それをもとに前方部を復元したのだった。将軍塚は日本ではわずかにしかない馬具が出たことで知られる。馬具は直感的に加羅を連想するのだが。資料館では稲荷山古墳の出土物と、横穴古墳の特別展をやっていた。
 
吉見百穴へ行く。いつ行っても異様な風景だ。旧軍時代の地下軍事工場もここにあって、途中までは行くことができる。古墳はいくつかの形に分けられるようだが、蒼ケが付き、棺台がある。上は粘土、下はグリーンタフの凝灰岩でいずれも掘りやすい土質である。だからこれだけ掘られたのだろう。渡来系との関係を想定することもあるが、たしかに須恵器は出てくるが、いかんせん横穴古墳はそもそも副葬品が少なすぎる。遠くからは訓練であろう。銃声が聞こえてくる。さらにバスで一時間。飯能に就く。地名については韓国語の「ハンナラ」(偉大な国)との関係を指摘する人もいる。ここで1泊。東京への通勤圏の中なので、こんな機会でもなければ泊まれないところである。

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2007年3月16日
久々に・上州渡来人紀行(1)

久々の更新。あまり出かけていなかったもので。

高句麗紀行へ行った名古屋のメンバーと一緒に、上州から高麗川へ抜ける渡来人紀行にきている。やっと初雪の降った東京を9時半に出発。
 
親戚が新潟・佐渡にいる関係で群馬県はしょっちゅう通過するが、降りるのはほとんどない。高崎で降りたのは2回目。1回目は平成8年。父が亡くなった後、終戦直後に疎開した新潟五泉で父がお世話になった人に挨拶に行った帰りだった。新潟では油田を案内してもらった。その帰りに高崎で降りて多胡碑を見に行ったのだった。畑で採ってきたばかりのネギをロッカーに預けて(ロッカーの臭ったこと匂ったこと)。それからも高崎はしょっちゅう通過はしている…。
 
高崎駅でだるま弁当を買う。出かけるときからきめていた。東京のチキンライス、新潟の、ます寿司、横川の釜飯と同じくらい定番だ、普段の赤いプラスティックの入れ物に入ったものではなく、「復古だるま」。普通のが900円に対して1300円。素焼きの入れ物に入る。中身も素朴で。お品書きには牛肉のしぐれ煮(おいしい)、地鶏の付け焼き(そんなものかな?)、マイタケ委の含ませ煮、花豆のふっくら煮(食べであり)、マイタケのわさび和え(珍味)等々であった。
 
上信電鉄に乗り吉井へ。ワンマン運転。駅間距離が長いのと、レールが貧弱でよく揺れる。一部高規格のレールだがここだけは揺れない。以前乗ったときは西武の旧型車で、「弱め界磁」が自動的にできずに、手動スイッチで「弱め界磁」に切り替えていたのが印象的であったが、今回はさすがにそれはなかった。西武から来た車両には違いないが…。線路はしばらく河岸段丘と谷底平野の間を走るが、吉井の手前からは段丘面に乗る。
 
吉井駅で町歩きのパンフレットを探したが…なかった…やむを得ず持参したラフな地図で徒歩で辛科神社へ。駅前から国道254号線に出る。本当は古墳などを見ながら行きたかったが、名古屋のメンバーが「順調に」ついたとのことで神社へ直行。それでも少しコースを外れれば神保古墳群があるということで、そちらへ向かったが見つからなかった。
 
辛科神社も上神保という集落にあるが、河岸段丘の上にある。途中で畑越しに眺めた妙義、浅間は絶品。もともと韓郷と呼ばれていて、かなり早い時期から渡来人が生活していた。12時半に到着。「だるま弁当」を食べながら到着を待つ。神社は大宝年間に創建した神社で、この地域に古くから住んでいる渡来人が作ったと伝えられる。祭神はスサノオの命とその子、イソタケルの尊。ただし変遷があるようだが、いずれも渡来系の神であることはわかる。周りには神保氏が戦国時代に作った館跡の空堀が残る。
 
なお、神社が所有している古墳もあるが、そのようなところからは渡来人そのものの明確な遺物は出ない。そうとう土着化した渡来人がいたのだろうという。カラは加羅の事だとすれば、かなり早い時期の渡来人である。神社の入り口には「狛犬」らしきものが置かれている。少し雰囲気が違うが…実は「神獣」である。宮司さんの話によると、もともと仁王像があったが、神仏分離で別の寺に移されたとのこと。その後空いている場所に、先代が中国で買い求めたものだそうだ。由緒は…ない!
 
続いて多胡碑をみる。周りの風景は依然とずいぶん変わり、記念館ができていた。以前は碑の周りに回廊状に展示物があったが、それはなくなっていた。多胡碑は普段は覆堂の外から見るが、この日は特別に開けてもらい、間近でみることができた。但し碑にさわってはいけないとのこと。カビが出るそうだ。なぜここに碑があるかというと、ここに国衙があったからだとされるが、まだ発掘はされていないとのこと。記念館では文字の解析、付近から発掘されたもの、朝鮮、中国に渡った多胡碑の文字の話などが展示されていた。…しかし、胡が多いとは。ここに郡が作られた時期なら、そうとう土着した「胡」だったはずなのに。
 
続けてバスで30分ほどで保渡田古墳群へ行く。王家クラスの古墳で、石葺きの大前方後円墳が3つある。規模も大きいもので、一時期に3代分作られたことが分かっている。このうち八万塚古墳は作られた当時の姿に復元されている。関東にはほとんどない舟型石棺も出てきている。また、埴輪がすごい。群馬の古墳は堀に中島があったり、埴輪が多いのが特徴だが、墳丘に6千あったという。現在は3千復元されている。中には狩をする人と、その矢に射られて血が流れるイノシシが対になっているものもあった。近くから館あとや、渡来系の積石塚が見つかっている。2段の方墳で上段は完全な石積。埴輪も出ていて両方が混じっていることが分かる。ここからは「飾履」など渡来毛糸のものが出ている。
 
水田跡などもあるが、古墳時代の榛名山の噴火で一瞬にして埋まってしまったとのことである。そのため耕作したばかりの足跡も残っていた。たしかに目の前に榛名、赤城、妙義、その後ろに浅間が見えていて、火山災害の多いことが伺われる。たしか日本のポンペイといわれた遺跡もこの辺だっけ。そういえば、新幹線から眺めた土、熊谷あたりまでは白い砂であるが、高崎に近づくにつれて赤い火山灰の色が混じっていた。
 
…赤城おろしのひどい一日だった。あしたは埼玉方面へ。

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2006年11月25日
昭島、羽村紀行
土曜日、天気がよいので昭島まで行った。東京で唯一の積石塚があると言うことなので見に行ったのだ。多摩地区から埼玉にかけては狛江、調布、志木、新座、狛江など渡来系の関係が以外と多い。大和朝廷が新羅、高句麗の渡来人を関東に配したこともあるのだろうが、古墳となると時代は少しさかのぼる。

立川から青梅線、拝島から五日市線に入る。青梅線はカメラを持った集団が先頭を占領していた。ディーゼル機関車が旧型客舎を牽いて走るとのことで、それがお目当てだそうだ(途中でそれ違ったが、プッシュプルで運転していた)。

東秋留駅で降りてまず二宮考古館へ。ここで発掘品を見たり、資料を集めて昭島に向けて歩き始めた。五日市街道のケヤキが見事に紅葉している中をひたすら西へ歩く。五日市街道のあるところは台地の上だが、秋川はじめ両岸を流れる川の向こうは急流が広がる。その向こうに関東山地が見え、富士山や大山まで見える。道の先にも山が立ちはだかり関東平野の末端であることを感じさせる。何となく韓国慶州の風景を思い出させる光景だ。左手に大山古墳を見る。円形だが、よく見ると墳丘全体が角張っている。方墳らしい。墳丘の上からは台地全体から丘陵一帯が見渡せる。都立秋留高校の標識を見ながら、昭島駅に到着。約25分ほど。

昭島駅から積石塚の瀬戸丘古墳群までは徒歩15分くらい。民家の中に石室があらわれる。その後古墳が密集しているという栗畑へ行く。落ち葉がおちてよく分からないが、一か所だけ石室らしき石組みが見えた。詳しくはこちらを

駅に戻ると1時半。近くで食事をとり、福生行きのバスに乗る。15分ほどで福生駅だ。地図で見ると十分歩ける距離なのだが、少々疲れたのだ。福生駅から青梅線で一駅。羽村駅だ。駅前に神社があり、そこに「まいまいず井戸」がある。ずっと話に聴いていたのだが、一度見てみたかった。地面を10メートルくらいくぼめ、螺旋状に井戸に下りていく。上から見るとカタツムリ(マイマイ)の様に見えるのだ。下りてみる。おりきったあたりがローム層の下端で、そこから礫層になる。井戸はさらに10メートルくらい深いところにあった。ところで、どこにも説明がなかったが、井戸わきに「隼人墓(塚)?」というのがあった。こりゃいったいなんだ?(疑問を残しつつ)

駅の反対に抜ける。まっすぐ坂を下りていく。途中馬の水飲み場跡を眺めながらどんどん下りていくと、そこは多摩川である。羽村は玉川上水の取水口がある。そこを見に行ったのだ。江戸時代に多摩川兄弟が作った堰とほぼ同じ場所に堰が作られ、多摩川の水の多くが一旦上水側に引き込まれる。そのうち余剰分を多摩川に戻すようになっている。堰の真ん中には筏用の門も残されている。多摩川兄弟の像を見る。これを見つけて嬉しそうに喜んでいたカップルもいた。そして玉川上水を下ってみたが、水の豊富なのは500メートルほど。そこで水は羽村浄水場へ引き込まれてしまい、その下流は少しの水が流れているだけであった。

ここで3時半になった。薄暗くなったので帰宅した。この日の東京の日の入りは4時29分なのだ。
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2006年11月22日
N響コンサート
久しぶりにN響を聴いた。N響自体はテレビでも聴くがそのことではない。生だ。
11月13日、オペラシティーでだ。ノリントンの振る演奏にしてはいやに安いと思いつつ、行ってみたらNTT東日本の冠コンサートだった。

1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソロは庄司紗矢香。弦楽器は対向配置でピリオド奏法だ。1楽章の序奏部はこんなに連綿たる曲かと思うくらいゆっくり演奏が始まった。ソロが入って多少テンポを取り戻したものの、全体としてとてもゆっくりだった。2楽章は今度は速いテンポで、ベートーヴェン交響曲第6番の2楽章を思わせるような明るい曲に仕上がっていた。3楽章はまた落ち着いたテンポだ。

ピリオド奏法のせいか、ノリントンの解釈のせいか、4拍連打するときに、1拍目を強く、後を弱くしているのだが、かなり気になった。

2曲目はヴォーン・ウィリアムズ「交響曲第5番」。はじめて聴く曲だ。というよりもヴォーン・ウィリアムス自体がほぼ始めてだ。「スリーンスリーヴスによる幻想曲」くらいしか知らない。

D-durのはずが、Cから始まる不思議な曲だ。ドミナントはCisだから、普通Cは使わない。ホルンの牧歌的なメロディーと弦楽器の民謡風のメロディーが対話のように繰り返されるとプログラム通りに曲が進む。しかし、金官は苦労していたな。

2楽章になると、プログラム通りに曲が進行しなくなった。不思議だ。3拍目にアクセントをつけた3拍子で書かれた曲というが、指揮は4拍子を示している。8分の12かとも思ったが、どうも違うようだ。その内に変拍子の嵐に。管が強くなっている中での変拍子だから、ブラスでも面白そう。でも、3拍子はどこへ?

4楽章はもっと不思議。後半はフーガになり、最後はニ長調の手話音が明るく鳴り響き渡って曲が終わると書いてあるのだが、曲はどんどん静かになり、クラリネットのD-durのスケールが聞こえてきて、静かに消え入るように終わってしまった。マーラーの6番の終わりのように、最後にD-durでの壮麗な響きがあるように想像したのだがそうではない。ちょうどメンデルスゾンの交響曲第3番をうっかりクレンペラー版で聴いてしまったような、虚無を思わせるのだ。しかし、記述と演奏の違いは何なのだろう。

あとでCDとスコアを買って検討しなければならない。
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2006年11月20日
広島
ここのところ、HPのUPの関係でブログはお休みだった。その間にも韓国、コンサートなど行っているので、改めて書くことにしよう。

まずは広島訪問。韓国語の教員研修のためで、17日から19日まで。往復飛行機。割引を使ったので、ほぼ新幹線と同じ金額だ。広合間訪問は91年以来2回目。あの時は駆け足だったが、今度は時間があることはある。

17日、授業が終わってから羽田空港へ。18時30分広島着。しかし、広島から先が悪かった。山陽道が事故渋滞で空港から市内まで2時間かかった。結局新幹線の方が早い。夜先に来ているメンバーと合流して韓国風料理を食べ、そのまま寝る。宿所は法華クラブ広島。

18日、6時半起床。朝食はバイキング。ヤマイモ、メカブ、広島漬けなどこの手のものにしては充実した内容だ。研修は午後からなので、午前中は宮島へ行くこととする。紙屋町東から広島電鉄で宮島へ。途中線路幅と道幅がそれほど違わないところを通りながら列車は進む。分岐点などは専用信号があるが、基本的には交通信号で走る、広電西広島からは専用軌道で鉄道用の信号で走る。隣は山陽線が併走する。

途中から忽然と戦前の建物が現れ始めた。広島市内は当然原子爆弾のためその様な建物はないので、突然何軒も固まって目の前に現れたのには驚き、改めて原爆の威力を知った。

宮島駅で降りる。道の向かいに船乗り場があるが、宮島行き船乗り場の看板が2つあり、入り口も二つ。JR連絡船と広電系の二社が競合しているのだ。まるで箱根の伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道の戦いみたい。あちらはバス停留場も船着き場も完全に会社ごとに別れているが、こちらはJRも広電もほぼ同じ場所に停留所がある。波止場も一緒で、対岸もならんでいる。駅の位置や列車本数から行けば広電に歩があるが、広電はJRに比べ時間がかかる。船は大鳥居のそばまで行けるJRに歩があるが、その分時間がかかる。実際行きは15分かかるが、帰りは鳥居によらないので10分だ。

厳島神社は多くの観光客でにぎわっていた。近くのガイドの話を聞いていると、やたら台風で崩壊したことを強調している。大鳥居を眺め、紅葉谷へ。名前の通り一面紅葉で、「旬は旬に楽しまなきゃ」という事を思い知らされた。それと一緒に、今年は中国、韓国、広島と紅葉前線に沿って旅行したので、なんと恵まれているのだろうと思い感慨にふける。秀吉が作らせ、途中で終わった千畳閣などを眺め、JRで西広島駅まで。昔の己斐駅だ。そこから広電で原爆ドーム前まで戻り、ドームと平和記念公園を見学する。

18日。雨(一時土砂降り)。
7時半起床。研修会が9時30分に始まるので、その前に広島城へ行く。1キロほどで歩いて15分ほどだ。目的は旧大本営址を見ること。広島城内にあるが、土台だけ残っていた。原爆で建物は吹き飛ばされてしまい、入り口に上がる階段までしか残されていない。原爆ドームは爆風がほぼ真上から来たため、建物の駆体は残ったが、こちらは横風だったのだろう。新羅の寺院跡とか、藤原京の旧薬師寺跡を見ているような不思議な気分だ。これが4秒程度の出来事だなんて。

午後、終了後、平和通りを歩いて比治山へ向かう。約2キロ。歩いて30分はかからなかった。途中被爆した石塔のある寺などを眺めながら陸軍墓地をめざす。予備知識なしで行ったが、入り口に「木口小平」の写真が。戦前の修身の教科書に「死んでもラッパを放しませんでした」といった人物だ。墓地の中に日清戦争でなくなった広島陸軍の合同墓があり、そこに名前が刻まれていた。朝鮮成歓で死亡。ソウル南方100キロの天安の少し北だ。戦前は天安駅前に銅像が立っていた。しかし、死亡場所を眺めていると、この戦争が朝鮮を舞台に行われたことが改めて分かる。墓地には北進事変で死亡した外人墓地もあった。墓地からは陸軍広島被服支敞あとから宇品港まで見渡せる。要するに陸軍の要地そのものだ。

その後広電で宇品港に向かう。似島や江田島へ行く船もあったが、時間の関係であきらめる。さらに広電で平和記念館へ向かい、資料を集める。高校の修学旅行生と一緒になったが、見学を進めるにつれての反応の変化が興味深かった。

18時30分発の飛行機で帰宅。飛行機はまず日本海へ飛び、それから東京へ向かった。関西にある低気圧を避けたのだと思ったが、それとともに直前に大阪上空で乱気流に巻き込まれ、けが人が発生したことが、あとになってわかった。実際飛行機は大揺れで、突然突き上げるように上昇したり、スッと下降したりで客室乗務員が思わずしゃがみ込むくらいであった。こちらの読んでいた本は一瞬にぐちゃっとなってしまった。機長も2回も放送を入れる位ひどい揺れだったのだ。
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