| 2012年4月10日 |
| レンギョウとケナリ |
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レンギョウは韓国語でケナリという。韓国では春を告げる風物詩で、町中が真っ黄色になるほどケナリで覆われる。その黄色の帯の中で、低いところは朝鮮ツツジのピンク、高いところにコブシ、木蓮が咲き、桜が咲き始める。 |
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Posted by hajimet at 12:39
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| 2012年2月23日 |
| 日本語?韓国語? |
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社稷洞にある団体旅行者向け食堂。店の名前、日本語でも韓国語でも読める。 |
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Posted by hajimet at 19:34
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| ココ麺とcool |
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今流行っている꼬꼬麺(ココ麺)を入手。そして、真露のCoolも。 |
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Posted by hajimet at 19:30
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| 雲 |
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1月29日、韓国へ飛ぶ。関空経由金浦便。 |
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Posted by hajimet at 19:22
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| 2011年10月31日 |
| 牛なのに |
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近くの店で「プルコギ定食」をだしていた。 |
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Posted by hajimet at 21:59
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| 2011年10月2日 |
| かっぱ |
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10月1日、古墳巡りの途中、久留米市田主丸を通りがかった。町中カッパだった。 6月8日に町内のカッパ達が集まって、祭りを行うと言うことだ。 |
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Posted by hajimet at 20:08
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| 対馬の食事(3)…と言っても、壱岐と唐津 |
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9月29日昼 ウニのぼっかけ(壱岐、ハラホゲ)
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Posted by hajimet at 09:32
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| 対馬の食事(2)その他の郷土料理。 |
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9月27日夜。いしやき。 この店では黄色いタレに付けてから焼く。 |
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Posted by hajimet at 09:19
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| 対馬の食事(1)ろくべえ |
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27日に対馬到着。すぐ韓国の見える展望台に行き、すぐ近くの比田勝で「ろくべえ」を食べる。
下は、ろくべえを団子風にこねて、黒蜜をかけたもの。 サツマイモを砕き、水にさらすなどしてデンプンを取りだし、 さらに団子状にして、数日、日に干して発酵させる。 |
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Posted by hajimet at 09:12
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| 対馬で見たハングル(2) |
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韓国に行くと、日本語で「トイレットペーパーはゴミ箱に」と書いてあるものを見かけますが、これはその逆バージョンです。
そんなこと言われても…。改行を工夫した方がよいような…。 |
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Posted by hajimet at 08:44
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| 対馬で見たハングル(1) |
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対馬、壱岐方面に行ってきた。震災後一時期を除いて、対馬は韓国から定期船と定期便が出ている場所。韓国客の9割近くが韓国人のため、韓国語表記もあちらこちらで見られる。ホテルの中もそうである。 프런터の方が普通ですが…。
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Posted by hajimet at 08:35
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| 2011年9月19日 |
| おっと危ないハングル2 |
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突然、目の前ハングル(갸)と満州文字風が飛び込んできました。 |
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Posted by hajimet at 20:12
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| 2011年9月10日 |
| 御殿場散策(両面石) |
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御殿場の宝寺院に行って来た。足柄方向へ2`弱のところにある。 |
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Posted by hajimet at 20:25
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| 2011年8月23日 |
| ソウルの看板4 |
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4.韓国語の音声体系との混同、5.その他 |
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Posted by hajimet at 09:45
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| ソウルの看板3 |
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3.訳しすぎ…個人的にはこれが一番面白い。 |
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Posted by hajimet at 09:14
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| ソウルの日本語看板2 |
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2.似た字体の混同 |
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Posted by hajimet at 09:05
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| ソウルの日本語看板1 |
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ソウルの日本語看板も以前に比べてかなり良くなってきた。「ゆ」に濁点が付いたり、意味不明の日本語はほとんど無くなったが、それでもおかしいものはある。ほぼ五つに類型化できるようだ。 |
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Posted by hajimet at 08:52
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| 2011年8月22日 |
| チャミスルオリジナル |
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チャミスルがオリジナルのラベルをつけて売っていた。 |
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Posted by hajimet at 09:40
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| 韓国での食事8月19日 |
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昼、ホテル裏のコッケ(ワタリガニの沖漬)の店でコッケ定食を食べる。 |
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Posted by hajimet at 09:22
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| 韓国での食事8月18日 |
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朝はホテルで。町歩きをして「伝統茶院」で韓国のお茶(茶葉をつかなくとも「チャ」と言います)。 |
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Posted by hajimet at 09:15
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| 韓国での食事8月17日 |
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12時頃ホテルに到着。 |
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Posted by hajimet at 09:03
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| 2011年7月31日 |
| 市区改正 |
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明治23年(1890)の市区改正=都市計画地図である。 |
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Posted by hajimet at 09:00
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| 2011年7月3日 |
| つかれると(おっと危ないハングル1) |
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つかれているとき、なぜ「갸」があるのかと考えてしまいました。 |
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Posted by hajimet at 16:02
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| 2011年4月6日 |
| 東日本大震災の影響 |
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東日本大震災は、大きな揺れではあったが、東京では建物の倒壊は少なかった。
地盤が最大10センチ近く沈んだようだ。 浮き上がった建物、 建物に引っ張られて浮き上がったタイル、 土台に亀裂の入った、 建物の間でつぶされたブロック塀など、 建物の土台が浮かび上がったもの 浮かび上がっただけでなく、空洞になっているもの (道路の沈み方がよく分かる) 大きく段差の出来たもの 建物にくっついて歩道タイルがまくれ上がったもの。 |
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Posted by hajimet at 20:11
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| 2011年2月19日 |
| 大邱で見た日本語 |
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大邱のホテルで見た計算書。 |
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Posted by hajimet at 22:21
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| 釜山、金海国際空港で |
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2月17日 |
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Posted by hajimet at 22:14
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| 韓国の食事(6) |
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2月16日(夜) ヤンニョムカルビ |
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Posted by hajimet at 22:10
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| 韓国の食事(5) |
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2月16日(昼) |
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Posted by hajimet at 22:02
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| 韓国の食事(4) |
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2月15日(夜) |
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Posted by hajimet at 21:42
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| 韓国の食事(3) |
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2月15日(昼) スンドゥブ |
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Posted by hajimet at 21:36
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| 韓国の食事(2) |
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2月14日(夜)キムチチゲ |
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Posted by hajimet at 21:20
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| 韓国の食事(1) |
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2月14日(昼)サムパップ(包みご飯) |
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Posted by hajimet at 21:12
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| 記録的大雪の慶州。その2 |
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雪は夜11時頃まで降り続いた。 |
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Posted by hajimet at 20:20
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| 記録的大雪の慶州(2月14日) |
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2月13日から17日まで、新羅紀行で韓国に行った。 |
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Posted by hajimet at 19:48
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| 2011年1月9日 |
| チュオタン(韓国式鰌鍋) |
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Posted by hajimet at 22:05
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| 余命808…これ何? |
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ソウルにて発見
808DAWN、 「宿酔解消用天然茶」 |
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Posted by hajimet at 12:55
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| 2010年7月28日 |
| 韓国の食事(7) |
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7月25日 ソウル サムギョプサル |
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Posted by hajimet at 10:10
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| 韓国の食事(6) |
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7月24日 江華島 硫黄アヒル燻製 |
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Posted by hajimet at 10:07
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| 韓国の食事(5) |
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7月25日夜 仁川 韓国風中華料理 |
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Posted by hajimet at 10:01
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| 韓国の食事(4) |
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7月23日 霊光 クルビ(イシモチ料理) |
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Posted by hajimet at 09:55
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| 韓国の食事(3) |
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7月22日(夜) 光州 |
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Posted by hajimet at 09:50
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| 韓国の食事(2) |
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7月22日 全州 ピビンバプ(石焼きではない) |
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Posted by hajimet at 09:45
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| 韓国での食事(1) |
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7月21日 公州にて(ソモリ クッパ) |
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Posted by hajimet at 09:40
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| 2010年7月27日 |
| 店の名前(3) |
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日本もそうですが、どこをみたらよいのでしょう? |
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Posted by hajimet at 20:21
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| 店の名前(2) |
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回転寿司屋の名前なのですが(ソウル 武橋洞、2010年7月26日) |
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Posted by hajimet at 20:18
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| 店の名前 |
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韓国と日本で店の名前の付け方が違うが、これもその一つ |
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Posted by hajimet at 20:13
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| 外来語 |
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韓国語と日本語と、外来語の読み方はかなり違う。 |
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Posted by hajimet at 20:09
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| 2008年10月3日 |
| 八百屋? |
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韓国の果物屋の風景です。普通の住宅街にある店です。 どこか変わっていませんか?注目は右下です。
「トマト」があるのです。
韓国では果物扱いです。 ちなみに、八百屋も何軒か見て回りましたが、置いていない店の方が多かったです。 左下は屋台で、栗と棗の実を売っていました。 (9月28日、ソウル麻浦にて)
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Posted by hajimet at 11:24
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| ドングリは |
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「ドングリの本来の主人は、リスです」 9月29日撮影
宗廟の入り口にあった。「宗廟野生動物食料保護」の標語である。 韓国ではドングリは食用されるので、この標語の意味は 単なる「樹を大切にしましょう」ということではない。
実際に宗廟を散策している女性達が、足下に散らばるドングリの実を手に取りながら、 「このドングリの実はおいしくて、あれはおいしくない」と言って、 物色していた。 |
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Posted by hajimet at 10:55
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| 2007年12月15日 |
| 虎がたばこを吸っていた頃 |
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12月、韓国の益山の料金所のトイレで撮った写真。
なぜ、虎が山にいなくなったかを知っていますか? 虎がたばこを吸っていた頃の虎は、 肺ガンで死んだという説があります。
ということだそうです。 ※虎がたばこを吸っていたころ=日本の「昔々あるところに」あたる。
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Posted by hajimet at 14:40
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| 2007年8月27日 |
| 大津・各務原紀行 |
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Posted by hajimet at 21:25
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| 2007年6月25日 |
| アンサンブル・サクラ 日韓友情コンサート2007 |
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ここのところ、久しぶりに外出が続く。 |
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Posted by hajimet at 22:00
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| 2007年5月20日 |
| もっとも保存状態が良いキトラ古墳「玄武」公開 その2(ツアー) |
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Posted by hajimet at 11:40
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| もっとも保存状態が良いキトラ古墳「玄武」公開1(ツアー) |
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久しぶりの更新。 |
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Posted by hajimet at 10:50
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| 2007年3月19日 |
| 武州渡来人紀行(3) |
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昨日の後半から、武蔵国を回っているので、上州から武州に名前を変える。 |
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Posted by hajimet at 20:07
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| 2007年3月18日 |
| 上州渡来人紀行(2) |
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第2日目。8時20分宿舎発。宿舎は東横イン高崎駅前。LANでインターネットには接続し放題。朝はおにぎり、味噌汁、スープ、パンのサービス。夜はカレーライスのサービスのあるホテルだった。カレーライスの魅力的な匂いは、14階のエレベーターホールまで充満していた。おなかのすいていた身でこれから飲み会の立場からは「何とかして〜」であった。それ以外は居心地はよい。 |
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Posted by hajimet at 21:20
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| 2007年3月16日 |
| 久々に・上州渡来人紀行(1) |
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久々の更新。あまり出かけていなかったもので。 |
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Posted by hajimet at 18:02
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| 2006年11月25日 |
| 昭島、羽村紀行 |
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土曜日、天気がよいので昭島まで行った。東京で唯一の積石塚があると言うことなので見に行ったのだ。多摩地区から埼玉にかけては狛江、調布、志木、新座、狛江など渡来系の関係が以外と多い。大和朝廷が新羅、高句麗の渡来人を関東に配したこともあるのだろうが、古墳となると時代は少しさかのぼる。 立川から青梅線、拝島から五日市線に入る。青梅線はカメラを持った集団が先頭を占領していた。ディーゼル機関車が旧型客舎を牽いて走るとのことで、それがお目当てだそうだ(途中でそれ違ったが、プッシュプルで運転していた)。 東秋留駅で降りてまず二宮考古館へ。ここで発掘品を見たり、資料を集めて昭島に向けて歩き始めた。五日市街道のケヤキが見事に紅葉している中をひたすら西へ歩く。五日市街道のあるところは台地の上だが、秋川はじめ両岸を流れる川の向こうは急流が広がる。その向こうに関東山地が見え、富士山や大山まで見える。道の先にも山が立ちはだかり関東平野の末端であることを感じさせる。何となく韓国慶州の風景を思い出させる光景だ。左手に大山古墳を見る。円形だが、よく見ると墳丘全体が角張っている。方墳らしい。墳丘の上からは台地全体から丘陵一帯が見渡せる。都立秋留高校の標識を見ながら、昭島駅に到着。約25分ほど。昭島駅から積石塚の瀬戸丘古墳群までは徒歩15分くらい。民家の中に石室があらわれる。その後古墳が密集しているという栗畑へ行く。落ち葉がおちてよく分からないが、一か所だけ石室らしき石組みが見えた。詳しくはこちらを。 駅に戻ると1時半。近くで食事をとり、福生行きのバスに乗る。15分ほどで福生駅だ。地図で見ると十分歩ける距離なのだが、少々疲れたのだ。福生駅から青梅線で一駅。羽村駅だ。駅前に神社があり、そこに「まいまいず井戸」がある。ずっと話に聴いていたのだが、一度見てみたかった。地面を10メートルくらいくぼめ、螺旋状に井戸に下りていく。上から見るとカタツムリ(マイマイ)の様に見えるのだ。下りてみる。おりきったあたりがローム層の下端で、そこから礫層になる。井戸はさらに10メートルくらい深いところにあった。ところで、どこにも説明がなかったが、井戸わきに「隼人墓(塚)?」というのがあった。こりゃいったいなんだ?(疑問を残しつつ) 駅の反対に抜ける。まっすぐ坂を下りていく。途中馬の水飲み場跡を眺めながらどんどん下りていくと、そこは多摩川である。羽村は玉川上水の取水口がある。そこを見に行ったのだ。江戸時代に多摩川兄弟が作った堰とほぼ同じ場所に堰が作られ、多摩川の水の多くが一旦上水側に引き込まれる。そのうち余剰分を多摩川に戻すようになっている。堰の真ん中には筏用の門も残されている。多摩川兄弟の像を見る。これを見つけて嬉しそうに喜んでいたカップルもいた。そして玉川上水を下ってみたが、水の豊富なのは500メートルほど。そこで水は羽村浄水場へ引き込まれてしまい、その下流は少しの水が流れているだけであった。ここで3時半になった。薄暗くなったので帰宅した。この日の東京の日の入りは4時29分なのだ。 |
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Posted by hajimet at 22:27
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| 2006年11月22日 |
| N響コンサート |
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久しぶりにN響を聴いた。N響自体はテレビでも聴くがそのことではない。生だ。 11月13日、オペラシティーでだ。ノリントンの振る演奏にしてはいやに安いと思いつつ、行ってみたらNTT東日本の冠コンサートだった。 1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソロは庄司紗矢香。弦楽器は対向配置でピリオド奏法だ。1楽章の序奏部はこんなに連綿たる曲かと思うくらいゆっくり演奏が始まった。ソロが入って多少テンポを取り戻したものの、全体としてとてもゆっくりだった。2楽章は今度は速いテンポで、ベートーヴェン交響曲第6番の2楽章を思わせるような明るい曲に仕上がっていた。3楽章はまた落ち着いたテンポだ。 ピリオド奏法のせいか、ノリントンの解釈のせいか、4拍連打するときに、1拍目を強く、後を弱くしているのだが、かなり気になった。 2曲目はヴォーン・ウィリアムズ「交響曲第5番」。はじめて聴く曲だ。というよりもヴォーン・ウィリアムス自体がほぼ始めてだ。「スリーンスリーヴスによる幻想曲」くらいしか知らない。 D-durのはずが、Cから始まる不思議な曲だ。ドミナントはCisだから、普通Cは使わない。ホルンの牧歌的なメロディーと弦楽器の民謡風のメロディーが対話のように繰り返されるとプログラム通りに曲が進む。しかし、金官は苦労していたな。 2楽章になると、プログラム通りに曲が進行しなくなった。不思議だ。3拍目にアクセントをつけた3拍子で書かれた曲というが、指揮は4拍子を示している。8分の12かとも思ったが、どうも違うようだ。その内に変拍子の嵐に。管が強くなっている中での変拍子だから、ブラスでも面白そう。でも、3拍子はどこへ? 4楽章はもっと不思議。後半はフーガになり、最後はニ長調の手話音が明るく鳴り響き渡って曲が終わると書いてあるのだが、曲はどんどん静かになり、クラリネットのD-durのスケールが聞こえてきて、静かに消え入るように終わってしまった。マーラーの6番の終わりのように、最後にD-durでの壮麗な響きがあるように想像したのだがそうではない。ちょうどメンデルスゾンの交響曲第3番をうっかりクレンペラー版で聴いてしまったような、虚無を思わせるのだ。しかし、記述と演奏の違いは何なのだろう。 あとでCDとスコアを買って検討しなければならない。 |
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Posted by hajimet at 19:55
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| 2006年11月20日 |
| 広島 |
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ここのところ、HPのUPの関係でブログはお休みだった。その間にも韓国、コンサートなど行っているので、改めて書くことにしよう。 まずは広島訪問。韓国語の教員研修のためで、17日から19日まで。往復飛行機。割引を使ったので、ほぼ新幹線と同じ金額だ。広合間訪問は91年以来2回目。あの時は駆け足だったが、今度は時間があることはある。 17日、授業が終わってから羽田空港へ。18時30分広島着。しかし、広島から先が悪かった。山陽道が事故渋滞で空港から市内まで2時間かかった。結局新幹線の方が早い。夜先に来ているメンバーと合流して韓国風料理を食べ、そのまま寝る。宿所は法華クラブ広島。 18日、6時半起床。朝食はバイキング。ヤマイモ、メカブ、広島漬けなどこの手のものにしては充実した内容だ。研修は午後からなので、午前中は宮島へ行くこととする。紙屋町東から広島電鉄で宮島へ。途中線路幅と道幅がそれほど違わないところを通りながら列車は進む。分岐点などは専用信号があるが、基本的には交通信号で走る、広電西広島からは専用軌道で鉄道用の信号で走る。隣は山陽線が併走する。 途中から忽然と戦前の建物が現れ始めた。広島市内は当然原子爆弾のためその様な建物はないので、突然何軒も固まって目の前に現れたのには驚き、改めて原爆の威力を知った。 宮島駅で降りる。道の向かいに船乗り場があるが、宮島行き船乗り場の看板が2つあり、入り口も二つ。JR連絡船と広電系の二社が競合しているのだ。まるで箱根の伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道の戦いみたい。あちらはバス停留場も船着き場も完全に会社ごとに別れているが、こちらはJRも広電もほぼ同じ場所に停留所がある。波止場も一緒で、対岸もならんでいる。駅の位置や列車本数から行けば広電に歩があるが、広電はJRに比べ時間がかかる。船は大鳥居のそばまで行けるJRに歩があるが、その分時間がかかる。実際行きは15分かかるが、帰りは鳥居によらないので10分だ。 厳島神社は多くの観光客でにぎわっていた。近くのガイドの話を聞いていると、やたら台風で崩壊したことを強調している。大鳥居を眺め、紅葉谷へ。名前の通り一面紅葉で、「旬は旬に楽しまなきゃ」という事を思い知らされた。それと一緒に、今年は中国、韓国、広島と紅葉前線に沿って旅行したので、なんと恵まれているのだろうと思い感慨にふける。秀吉が作らせ、途中で終わった千畳閣などを眺め、JRで西広島駅まで。昔の己斐駅だ。そこから広電で原爆ドーム前まで戻り、ドームと平和記念公園を見学する。18日。雨(一時土砂降り)。 7時半起床。研修会が9時30分に始まるので、その前に広島城へ行く。1キロほどで歩いて15分ほどだ。目的は旧大本営址を見ること。広島城内にあるが、土台だけ残っていた。原爆で建物は吹き飛ばされてしまい、入り口に上がる階段までしか残されていない。原爆ドームは爆風がほぼ真上から来たため、建物の駆体は残ったが、こちらは横風だったのだろう。新羅の寺院跡とか、藤原京の旧薬師寺跡を見ているような不思議な気分だ。これが4秒程度の出来事だなんて。 午後、終了後、平和通りを歩いて比治山へ向かう。約2キロ。歩いて30分はかからなかった。途中被爆した石塔のある寺などを眺めながら陸軍墓地をめざす。予備知識なしで行ったが、入り口に「木口小平」の写真が。戦前の修身の教科書に「死んでもラッパを放しませんでした」といった人物だ。墓地の中に日清戦争でなくなった広島陸軍の合同墓があり、そこに名前が刻まれていた。朝鮮成歓で死亡。ソウル南方100キロの天安の少し北だ。戦前は天安駅前に銅像が立っていた。しかし、死亡場所を眺めていると、この戦争が朝鮮を舞台に行われたことが改めて分かる。墓地には北進事変で死亡した外人墓地もあった。墓地からは陸軍広島被服支敞あとから宇品港まで見渡せる。要するに陸軍の要地そのものだ。その後広電で宇品港に向かう。似島や江田島へ行く船もあったが、時間の関係であきらめる。さらに広電で平和記念館へ向かい、資料を集める。高校の修学旅行生と一緒になったが、見学を進めるにつれての反応の変化が興味深かった。 18時30分発の飛行機で帰宅。飛行機はまず日本海へ飛び、それから東京へ向かった。関西にある低気圧を避けたのだと思ったが、それとともに直前に大阪上空で乱気流に巻き込まれ、けが人が発生したことが、あとになってわかった。実際飛行機は大揺れで、突然突き上げるように上昇したり、スッと下降したりで客室乗務員が思わずしゃがみ込むくらいであった。こちらの読んでいた本は一瞬にぐちゃっとなってしまった。機長も2回も放送を入れる位ひどい揺れだったのだ。 |
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Posted by hajimet at 21:07
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暑い夏。8月の頭に膝の靱帯をのばし家でゆっくりする日が多かった。それでもお盆は佐渡へ行って法事に参加したし、下旬には関西方面へ旅行に行った。
続いて大津宮跡を見る。京阪「近江八幡」駅のそば。折り返し線のある駅で、脇には車庫がある。駅前に空き地があり、そこが宮跡。
坂本から比叡山の麓へ行く。まず日吉大社をみる。日枝神社の総本社であって、立派な山王鳥居がたっている。中は西、東にそれぞれ宮があり、古式ゆかしい拝殿が建っている。途中には室町時代の御輿が特別展示されていた。さらに水垢離のできる滝があったり、「いわくら」であろう石が多くある。気温は30度を超えているが、さわやか。山の雰囲気と木立の中、周りに豊富に流れるきれいな水がそう感じさせるのだろうか。
今回の旅行で一番びっくりしているのは、もしかするとこのレンタカーかもしれない。予想外の悪路だったし、カーナビは操作を間違えて延々と大津港への道を案内していたし…(京都に着くまで)。しかし、大型ワゴン車がそちらへ向かって上がっていった。こちらは車高の高い車の勝ち?
まず各務原の中央図書館の埋蔵文化センターへ行き、発掘品を見る。古代寺院の遺物、古墳からのものなど多くを見る。続いて須恵器窯へ。付近は須衛という地名。この近くに村国神社があって、壬申の乱の時の関係が深いことも分かる。神社裏の森の中は大量の古墳がある。半分藪となっているところを入っていき、古墳らしきものを見る。村国神社も古代の氏族との関係を感じさせる祭神が祀られている。
続いて近くの田県神社へ。子宝祈願などの神社で、男根の奉納物がやたら多い。若い夫婦が多く訪れて、祈願していた。写真は珍宝窟で、前に置かれている玉をさすって願い事をする。その上をキノコ型をした笠が覆う。参拝した後、東京へ。夏休み最後の週末のため上りの新幹線は大混雑。指定席をとったが、「のぞみ」はかなり後までなく、「こだま」でのんびり帰ってきた。
2日目。
さっそく飛鳥資料館へ。キトラの玄武公開で混み合うため、真っ先に行く。8時50分頃バスが到着するが、すでに100人ほどが並んでいた。資料館の庭には飛鳥の石造物(人面石、酒船石、須弥山石、甕石など)のレプリカがおかれ、特別展示室では山田寺の回廊などが復元されていた。
男綱とよばれ、道祖神などと同じ役割をするそうだ。下流側は神式で貼られ、上流側は仏式で貼られる。中央につり下げられている物は、下流側は男性を、上流側は女性を示している。ここから旧道に沿って谷をあがる。まず飛石。続いて南淵請安の墓。ここで滝のような雨に遭遇した。墓のある所は周囲に比べて高く、雷も鳴り始めたので、集落まで降りて雨宿り。雨は10分ほどで上がり、すぐに晴れ上がった。道路からはもうもうと湯気が上がっていた。後から分かったが、このそばに竹石王石塔もあった。
栢森集落から奥は芋峠となり、吉野へつながる。その吉野からの入り口を守る神社である。式内社であって、格もとても高かった。飛鳥は百済、高句麗の影響はあちらこちらで見られる。しかし、加羅、新羅に関係するものは少ない。加羅との関係も指摘されるこの集落も、飛鳥の中心地からすると、非常に山奥である。飛鳥中心地との関係であろうか、それとも吉野方面から進出してきたのであろうか。 このあとキトラ古墳を見学して、帰京した。
バス停の前には小墾宮跡とも言われる土壇がある(今は蘇我氏の邸宅跡との説が強い)。向原寺は日本で最初にできた寺とされる。百済聖明王が欽明天皇に送った仏像を、蘇我稲目がここでまつったとされるからだ。後に推古天皇がここで即位して豊浦宮をおき(593-603)、その後蘇我馬子が譲り受けて豊浦寺とした。住職から発掘の様子などを聞く。江戸時代や鎌倉時代、飛鳥時代の寺跡の下から、宮跡が出てきて、さらにその下から邸宅が跡が出てきているという。
寺跡には講堂、塔、金堂の跡が残されていて、塔のあとには平安時代に建てられた13層石塔がある。この地域は渡来系の勢力が強かった場所で、高松塚もキトラもこの一帯にある。講堂跡からは高松塚の覆屋が一望できる。そういえば壁画は高句麗の強い影響が指摘されている。そもそも高市郡の7割が渡来系の姓だったそうだ。
古墳は地の窪集落の裏手にある。整備されていて墳丘に木などが生えていないので、慶州などで見る古墳のイメージに近い。高松塚やキトラと同じく終末期のもので、石室の構造もほぼ一緒である。発掘したところ、石室は漆喰で塗られていたが、石室はなかったとのことだった。たここからみる飛鳥の風景は絶景。山の稜線がほぼそろっているのも印象的だった。
まず
の勢力の大きさを感じさせられる。また古墳や仏教伝来時の3国からの影響なども見られる。ちなみに昨日見た多胡碑をはじめとする上毛三碑は碑石を作る習慣のほとんどない日本では珍しいことで、文字の使い方などに新羅の影響が見られるとのことであった。ついでに多賀城碑のレプリカも今回何カ所かで見たが、これも渡来人の影響があるとのことだ。なぜか靺鞨という文字もあるのだが、これはのちの靺鞨と同じか分かっていないとのこと。庭にでる。馬のモニュメントがある。渡来系の「牧」の事かと思ったが、そうではなく、現代彫刻の「巨馬(おおうま)」であった。
名で、武蔵の南部の政権との勢力争いの結果、上州と結んだ南武蔵が負け、大和政権と結んだ埼玉の勢力が勝ったためと言われる。雄略天皇の名前の入った鉄剣が出たことでも有名。これは埼玉の資料館に本物が展示される。丸山古墳に登った後、鉄剣の出た稲荷山に登るが「何だか変」だ。ここは3回目であるが、記憶の古墳と違う。後で分かった。2回目に来たときにトレンチを掘っていたのだが、それをもとに前方部を復元したのだった。将軍塚は日本ではわずかにしかない馬具が出たことで知られる。馬具は直感的に加羅を連想するのだが。資料館では稲荷山古墳の出土物と、横穴古墳の特別展をやっていた。
吉見百穴へ行く。いつ行っても異様な風景だ。旧軍時代の地下軍事工場もここにあって、途中までは行くことができる。古墳はいくつかの形に分けられるようだが、蒼ケが付き、棺台がある。上は粘土、下はグリーンタフの凝灰岩でいずれも掘りやすい土質である。だからこれだけ掘られたのだろう。渡来系との関係を想定することもあるが、たしかに須恵器は出てくるが、いかんせん横穴古墳はそもそも副葬品が少なすぎる。遠くからは訓練であろう。銃声が聞こえてくる。さらにバスで一時間。飯能に就く。地名については韓国語の「ハンナラ」(偉大な国)との関係を指摘する人もいる。ここで1泊。東京への通勤圏の中なので、こんな機会でもなければ泊まれないところである。
高崎駅でだるま弁当を買う。出かけるときからきめていた。東京のチキンライス、新潟の、ます寿司、横川の釜飯と同じくらい定番だ、普段の赤いプラスティックの入れ物に入ったものではなく、「復古だるま」。普通のが900円に対して1300円。素焼きの入れ物に入る。中身も素朴で。お品書きには牛肉のしぐれ煮(おいしい)、地鶏の付け焼き(そんなものかな?)、マイタケ委の含ませ煮、花豆のふっくら煮(食べであり)、マイタケのわさび和え(珍味)等々であった。
なお、神社が所有している古墳もあるが、そのようなところからは渡来人そのものの明確な遺物は出ない。そうとう土着化した渡来人がいたのだろうという。カラは加羅の事だとすれば、かなり早い時期の渡来人である。神社の入り口には「狛犬」らしきものが置かれている。少し雰囲気が違うが…実は「神獣」である。宮司さんの話によると、もともと仁王像があったが、神仏分離で別の寺に移されたとのこと。その後空いている場所に、先代が中国で買い求めたものだそうだ。由緒は…ない!
続いて
続けてバスで30分ほどで
東秋留駅で降りてまず二宮考古館へ。ここで発掘品を見たり、資料を集めて昭島に向けて歩き始めた。五日市街道のケヤキが見事に紅葉している中をひたすら西へ歩く。五日市街道のあるところは台地の上だが、秋川はじめ両岸を流れる川の向こうは急流が広がる。その向こうに関東山地が見え、富士山や大山まで見える。道の先にも山が立ちはだかり関東平野の末端であることを感じさせる。何となく韓国慶州の風景を思い出させる光景だ。左手に大山古墳を見る。円形だが、よく見ると墳丘全体が角張っている。方墳らしい。墳丘の上からは台地全体から丘陵一帯が見渡せる。都立秋留高校の標識を見ながら、昭島駅に到着。約25分ほど。
駅に戻ると1時半。近くで食事をとり、福生行きのバスに乗る。15分ほどで福生駅だ。地図で見ると十分歩ける距離なのだが、少々疲れたのだ。福生駅から青梅線で一駅。羽村駅だ。駅前に神社があり、そこに「まいまいず井戸」がある。ずっと話に聴いていたのだが、一度見てみたかった。地面を10メートルくらいくぼめ、螺旋状に井戸に下りていく。上から見るとカタツムリ(マイマイ)の様に見えるのだ。下りてみる。おりきったあたりがローム層の下端で、そこから礫層になる。井戸はさらに10メートルくらい深いところにあった。ところで、どこにも説明がなかったが、井戸わきに「隼人墓(塚)?」というのがあった。こりゃいったいなんだ?(疑問を残しつつ)
駅の反対に抜ける。まっすぐ坂を下りていく。途中馬の水飲み場跡を眺めながらどんどん下りていくと、そこは多摩川である。羽村は玉川上水の取水口がある。そこを見に行ったのだ。江戸時代に多摩川兄弟が作った堰とほぼ同じ場所に堰が作られ、多摩川の水の多くが一旦上水側に引き込まれる。そのうち余剰分を多摩川に戻すようになっている。堰の真ん中には筏用の門も残されている。多摩川兄弟の像を見る。これを見つけて嬉しそうに喜んでいたカップルもいた。そして玉川上水を下ってみたが、水の豊富なのは500メートルほど。そこで水は羽村浄水場へ引き込まれてしまい、その下流は少しの水が流れているだけであった。
宮島駅で降りる。道の向かいに船乗り場があるが、宮島行き船乗り場の看板が2つあり、入り口も二つ。JR連絡船と広電系の二社が競合しているのだ。まるで箱根の伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道の戦いみたい。あちらはバス停留場も船着き場も完全に会社ごとに別れているが、こちらはJRも広電もほぼ同じ場所に停留所がある。波止場も一緒で、対岸もならんでいる。駅の位置や列車本数から行けば広電に歩があるが、広電はJRに比べ時間がかかる。船は大鳥居のそばまで行けるJRに歩があるが、その分時間がかかる。実際行きは15分かかるが、帰りは鳥居によらないので10分だ。
厳島神社は多くの観光客でにぎわっていた。近くのガイドの話を聞いていると、やたら台風で崩壊したことを強調している。大鳥居を眺め、紅葉谷へ。名前の通り一面紅葉で、「旬は旬に楽しまなきゃ」という事を思い知らされた。それと一緒に、今年は中国、韓国、広島と紅葉前線に沿って旅行したので、なんと恵まれているのだろうと思い感慨にふける。秀吉が作らせ、途中で終わった千畳閣などを眺め、JRで西広島駅まで。昔の己斐駅だ。そこから広電で原爆ドーム前まで戻り、ドームと平和記念公園を見学する。
7時半起床。研修会が9時30分に始まるので、その前に広島城へ行く。1キロほどで歩いて15分ほどだ。目的は旧大本営址を見ること。広島城内にあるが、土台だけ残っていた。原爆で建物は吹き飛ばされてしまい、入り口に上がる階段までしか残されていない。原爆ドームは爆風がほぼ真上から来たため、建物の駆体は残ったが、こちらは横風だったのだろう。新羅の寺院跡とか、藤原京の旧薬師寺跡を見ているような不思議な気分だ。これが4秒程度の出来事だなんて。
午後、終了後、平和通りを歩いて比治山へ向かう。約2キロ。歩いて30分はかからなかった。途中被爆した石塔のある寺などを眺めながら陸軍墓地をめざす。予備知識なしで行ったが、入り口に「木口小平」の写真が。戦前の修身の教科書に「死んでもラッパを放しませんでした」といった人物だ。墓地の中に日清戦争でなくなった広島陸軍の合同墓があり、そこに名前が刻まれていた。朝鮮成歓で死亡。ソウル南方100キロの天安の少し北だ。戦前は天安駅前に銅像が立っていた。しかし、死亡場所を眺めていると、この戦争が朝鮮を舞台に行われたことが改めて分かる。墓地には北進事変で死亡した外人墓地もあった。墓地からは陸軍広島被服支敞あとから宇品港まで見渡せる。要するに陸軍の要地そのものだ。