2018年3月27日
チェコ・韓国旅行(12) 終了
取り敢えず、帰国前の夜。
抜いた親不知の破片が「生えてきた」事件を除いて大過なし。
歯(実は骨)が舌に当たって、プラハの2,3日は痛くて話ずらかった。

チェコ、スラヴの歴史、言語はこれから勉強するとして、ゲ
ルマンとスラヴの交錯する面白い地域だと言うことが分かった。

そして、中国に行ったとき以上に、日韓がよく似た国だということを改めて認識した。
西洋から来たら、食べ物の味以外の違いは気がつきにくいのではないかとすら思った。

ついでに、ドイツ語と英語、ブロークンで何とかなることも分かった。
「ドイツ語の勉強をしているから、ドイツ語のパンフレット頂戴」と言ったときに
ニコニコしてパンフレットをくれたのは本当に嬉しい。

また、話したことに英語で答えてくれたのも嬉しい。
もちろん、通じない方が多かったけど。

一方、韓国語は意識的に封印。Is there a Book 입니까?とやりたくなる。
I seeというつもりが네, 알겠습니다とやってしまったり…。
それを止めようとすると、英語の前にドイツ語が出てきて大慌て。

やっかいなことに、韓国語のYesは네(ネ)、チェコ語はアーノ。
韓国語のNoは아뇨(アニョ)。チェコ語はネー。
無意識でネー、ネーとやっていたので、向こうの人にはNo,No,と聞こえたはず。
怪訝な顔をしていたわけだ。

ともかく意識的に韓国語を封じていたので、
ソウルに着いたら楽に韓国語が話せること。普段以上にスラスラ言葉が出てきた。

ところで、今回印象的だったことはチェコとドイツの国境を越えたこと。
雰囲気ががらりと変わった。かといって断絶よりも連続も感じた。

日韓の違いも、実は違いと連続ではないか。
そうだとすると、チェコ、ドイツの違いとどう差があるのか
ケーススタディになると思った。

また神聖ローマ帝国、ハプスブルグなどとの関係から、ドイツ語が優勢だった中で、
チェコ人の民族意識が形成された。
チェコ人とフス派が結びつく時期もあって、
カトリックが強化されたときに失郷民となった人が多く出た。

国民意識の高まりと共に、戦後、多くのドイツ人が失郷民になった。

この谷間にあったのがカフカ。ユダヤ人のドイツ語話者。
ドイツ語で作品を発表したから、チェコ人からは見向きもされない。
ナチスの時代は当然評価されず、思想的に合わないため共産主義時代も無評価。
民主化後チェコで評価されるようになって、我々の評価とかなり異なるようだ。

カフカ博物館ではチェコ語より英語、
英語よりドイツ語の分量が多いことが印象的だった。

この辺のことが日韓のこととパラレルに見える。
在日の学校の文化、朝鮮語で書かれた作品が朝鮮語がわからない話者に
どう受け止められるかなど、多くのヒントを得たように思った。


時差ぼけ、身体を動かしていれば大丈夫。
止めると落ちる。一瞬の判断ミスは結構多く、注意力が落ちていることは分かる。
生理現象だからしょうがない。

飛行機の中でも行くときは寝ている人が多かったが、
帰りは着陸数時間前(ヨーロッパ時間で0時ころ)から寝る人が多かった。

新しい視野を広げさせてくれたと共に、
日韓をより深く見るきっかけになったように思う。
チェコ、韓国、ともに刺激的な旅行だった。

実は撮影ミスなのだが、意外と幻想的な写真が出来た。
8ミリ映画のような…戦前の彩色絵はがきのような…。

















旅のシメ。自分への土産。
Posted by hajimet at 11:36 | Comments (0)

チェコ・韓国旅行(11) 2017年4月3日
思わず、日本語に目が行きます。















紙が流せるトイレが増えました。
流せないトイレは、正直言って抵抗がありました。
















空港に行く前のひととき。韓国的風景を探して。



















6回目の機内食。韓国豆腐…。タレが中途半端。
そして、生タマネギの醤油和え。日本人はきついかも知れない。
Posted by hajimet at 11:33 | Comments (0)

チェコ・韓国旅行(10) 2017年4月2日
♪朝焼けの光の中に立つ影は…

















竜仁民俗村。
これまでも何回か行ったが、丁寧に見たら、まる一日かかった。



















車中にて


















昼。スジェビとトンドン酒














韓国らしい(今の)民家の町並み




















桜もちらほら
















夜。予定が変わって一人メシ。
どじょう汁。
お酒が先に終わったので、だめもとで「スープだけ頂戴!」と言ったら出してくれた。
韓国では基本的にサービスで、お代わりを出してくれる。

ドジョウの入っていないスープ。
ここのドジョウは磨り潰し方だから、粉っぽい食感しかないのだが、
ドジョウがダシを出してくれることを再確認した。

Posted by hajimet at 11:24 | Comments (0)

チェコ・韓国旅行(9) 2017年4月1日
午後、昌徳宮へ

















いろいろ


















京都の舞妓体験と同じ状態。


















サムギョプサル、人心地ついた


















さて、大丈夫かな?。米の香りがふくよかな焼酎。
Posted by hajimet at 11:20 | Comments (0)

チェコ旅行(8) 2017年3月31日 韓国へ
昼間で市内散策。お土産などを買う。
ついに、譜面を扱っている店を発見。
トロンボーンと言ったら、ごそっと古い譜面が。
一つは日本でも手に入るがこの際と買う。
ドイツで出た、ヒゲ文字時代のアルトトロンボーンの教則本というものもあった。















空港。知らない航空会社が一杯。


















乗ったとたんに安心。
普段あまり感じないのだが、
客室乗務員の笑顔が日韓でよく似ていることに気が付いた。

















機内食第一回。ビーフ、チキンとピビンパップがある。
ピビンパップ、ユクスがついておいしそう。
別に辛ラーメンのカップ麺を頼んでいる人もいた。
酒はチェコ航空のほうが豊富。
















機内食2回目。粥の付け合わせが間違っていて、交換してもらう。
4月1日11時40分、仁川到着。降機、ソウル市内へ。
Posted by hajimet at 11:14 | Comments (0)

チェコ旅行(7) 2017年3月30日
ネルドヴァ通り。今日、二回登った。
1回は景色を見るために、1回は鐘の音を録るために駆け上がった
…間に合った。


















音楽博物館。見たことのない楽器がたくさん。
もちろん、弦もピアノ系もたくさん。


















さ〜く〜ら〜、さ〜く〜ら〜、や〜よ〜い〜の…


















踊るビル。


















昼。ビーフと黒ビール。アコーディオンが歌う中、ベヘロフカも飲んだ。


















国民劇場。


















ベツレヘム礼拝堂。聖キリルと聖メトディウス教会、クレメンティヌムも見た。















今日のトラム
















賛美歌、やっと探し出した。














チェコ最後の夜。居酒屋。
チーズのフライとタルタルソース(美味しい)、
プラハハムのおろしラディッシュ和え(こういう組み合わせも粋)、
オモロウツのチーズ(チーズのくさや風??? こういうの好き!)、
黒ビール(無濾過、要するにナマ。とても飲みやすい)で一献。


















ホテルでマッサージ。チェコ式にやると言われる。
リンパマッサージ系だけれども、うまくこねくる感じ。
オイルマッサージも付いていたが、気持ち良い。
これで日本に帰るまでもつかな?。
それとも韓国でもう一度?。

マッサージ師さん、英語でいろいろ語ってくれたが、
チェコ語の発音との干渉か、癖があった。earlyが面白い発音になっていた。
チェコでの英語が聞き取りにくい一端かな?。ドイツは英語の聞きとりが遙かに楽だったのに…
Posted by hajimet at 11:00 | Comments (0)

チェコ旅行(6) 2017年3月29日
午前中は、まだ混み合っていないカレル橋を見学してからスメタナ博物館へ。
リブシェのファクシミリ版があった。
でもそれ以外は…。

その後シナゴーグ巡り。
旧新シナゴーグはユダヤの帽子を頭に載せて見学。
次の修道院は墓地がある。

学生の後ろについて10分近く待つが、
実は、個人は関係なく入って良いことが分かった。表示が欲しい。

ユダヤの墓地、色々な形式、象徴が刻まれる。
お元気なら、先週亡くなった倫理の先生と酒の肴に出来たのにと、
ふっと思いをはせる。

スペインシナゴーグからアネシュカ修道院まで行き、絵と建物を見学。
それから一気に新市街地まで行き、フス教徒の乱のきっかけになった塔を見学。
その後は絵本とお土産を買う。全部で1万51000歩。

一番欲しい「賛美歌」が手に入らない。何としても手に入れて帰りたい。




















トラム。ブレーキが秀逸。レールを押さえつけている。
これだと坂道を転げ落ちることもない。
50q近いスピードで飛ばしている。都電ではありえない…


















昼。ポークとクネドリーキ。修道院のカフェにて。















チェコ的足場組み?















辻音楽。
チベット系の人の行進だろうか。変わったアコーディオンを持っている。


















漢字結構あります。ハングルと勘違いしそうなものは結構あります。















共産主義博物館。プラハの春の展示が大きなウェートを占めていた。
絵はどこの国もよく似ている。

中国と北朝鮮のものは目にしてきたが、それとよく似た図柄がとても多い…。

そして、チェコの人々が共産主義時代をどう捉えているかよく分かる。
ナチスに続く思い出したくない時代のようだ。


















トイレ使っレシートをもらうのは初めて。
EETという制度のためにト、有料トイレでもレシートを発行する義務が生じたそうだ。



















シャールカ駅。伝説の地。これで「わが祖国」シリーズ完成。
Posted by hajimet at 10:39 | Comments (0)

2018年3月25日
チェコ旅行(5) 2017年3月28日
朝食。インターバル。














「朝いち」でストラフ修道院。
哲学の間、神学の間(いずれも図書館)の装飾がすごい。

幕末、初めて渡欧した人たちは、このような物を見てどう感じただろうか。
感じたことが文明開化に繋がったことは事実だが、それに対する疑問である。

個人的には文化背景が違いすぎて消化できない。
ヨーロッパ発のものが仕事、趣味の主体なのだが、
「こういうことだったのか」ということが正直な気持ち。

志賀直哉が日本の言葉をフランス語にしようといったり、
漢字は後れているからローマ字にしようという動きが、
いかに浅はかなものだったか強く感じた。


















最初にここに行った目的の一つは鐘の音を録音することだった。
静かな環境で録れると思ったら、鐘の音と共に工事の音が…。
こちらの人にとっては単なる時報・生活の音でしかないのだろう。


午前の2番目に聖ヴィート寺院。
ゴチック建築で、あらゆるものが天を志向している。
また、ステンドグラスと光…。「神」を感じる。
神が輝いていて、光が注ぐのだから。

…東京でも韓国でも同じ景色は見られるのだが、何か違う。
チェコで見ているためか、根本的に違うのか?

入場まで20分ならぶ。
自分の前後には中国人の団体、前が韓国人の団体。
韓国人の団体が礼儀正しく見えた

…韓国に行くと余り感じないのだが、
中国人と比較すると、日本人と韓国人はよく似ていると思う。
中国に行ったときに感じたことを、チェコで再確認した。




















叔父に会う予定が出来て、12時に一旦ホテルに戻る。
午後、旧市内散策。フス像を中心に。イースターの準備も始まったよう。



















市民会館見学ツアー。英語だが聞き取りやすい。
スメタナホールもコースに。
こういう絵に囲まれて演奏を聴くのかと思った。

ほかいくつかの部屋を回るが、
メインは「市長の間」。

ここはムハ(ミューシャ)の絵で満たされている。
特にフスを見たかった(これの元絵はこのとき東京に来ていた)。

予約チケットを見せて、撮影許可のチケットを買ったのに、
なぜか元チケット消滅。
買い直しましょうか?とガイド氏に言ったが、
最終的にOKとなって事なきを得た。



















聖ミクラーシュ教会でミニコンサート。約1時間。
バッハ、ヘンデル、メンデルスゾン、ドボルザークをオルガンとアルトで。
とはいっても客席(礼拝席)からは見えない。
後方上にあるオルガンで演奏。

音が上から響き合いながら降りてくる。
色々な方から包まれる。
細かい動きは響きと時差で混ざり合い
パッセージがどうなっているかはよく分からないが、
混ざる故に、かえって旋律線が浮かび上がってくる。発見だ。
バッハはその辺も計算しているのではないかと思った。

神はスッと降りてくるのではなく、
少しずつ、少しずつ降りてくるのだ。そんなことを感じた。

こういう演奏を、
礼拝の時に、しかも目の前にはイエスの絵を見ながら聞くのだから、
自然と音と絵が「神」と結びつくのだろうなと思った。



















教会の前の広場などあちらこちらで思い思いの辻音楽。
見たことのない楽器も(旧市街の広場にて)。
王宮前の民謡風の歌のフルートと、旧市街広場のサックスは上手かった。


















夜、プラハ市交響楽団で
ペールギュント、ブルッフの交響幻想曲、ドボルザークの交響曲第8番。
ソロ:Mikhail Ovrutsky 指揮:インキネン。ホールはスメタナホール。

前2曲の弦が弱音器を付けたような響き、管も渾然一体と響く。
ブルッフは良かった。そして、アンコールのタイスの瞑想曲。うねるような演奏。

ドボルジャークは、響きが全然違った。
トロンボーンも最初のコラールが、チェロと対等に聞こえ、
かつ歌っていたのが印象的だった。

そして、展開部にはいってF(ff?)でもり上がるところ。
ただ強くなる演奏が多いのだが、
段差があってむやみに強くなるのではなく、
あくまでも前からの旋律の続き、
低音からバランス良く鐘が響くように音楽を支えていた。

つまり、そのあとの疾風怒濤のような展開のスタートでなく、
飽くまでもそれまでの集大成に響いていた。
音の強弱、楽譜の指示が全部意味を持って、
文脈に反していないことがよく分かる演奏だった。

トロンボーンの音色の変化も素晴らしく、
コラール、ソロ、オケの支えで全然響きが違う。
最後の15小節の部分、最初2小節は旋律の響きで吹き、
次の小節からは支えにパッと変わる。
こういう吹き方が出来ると良いなと思う使い分けだった。

客席は静かではない。色々な音が聞こえる。
でも聴いている人は楽しんでいることが分かる。
休憩も社交の場であることがよく分かった。

しかし…タイミングは大事。

ブルッフの最後のパウゼで盛大に一発咳をした人(不満なのかと思った)、
一部アンコールの幻想曲で、最後のトゥッティの直前にものを落とした人、
極めつけはドボルザークの2楽章の真ん中、
静かにコントラバスが演奏している部分で
カカオトークの着信音を流した人…。

歌舞伎ならもの凄い絶妙な合いの手。
一斉に笑いが出ていました。




















買ってきた酒。スリヴォビッツ。
ドボルジャークがこれを飲み過ぎて、
譜面に間違いが多い云々と、高校の時の指揮者が語っていた。
ほんのり甘くて飲みやすい。でも30度。
朝が怖い(今0時10分。日本時間7時10分)。
Posted by hajimet at 17:11 | Comments (0)

チェコ旅行(4) 2017年3月27日
れからドレスデン。朝6時半の列車。

まだ時差の余韻が残っていて、3日連続で朝2時に一度目が覚める。
これが日本時間の9時。それから寝直して11時半に起きる。頭はすっきり。
10時半(朝4時半)には寝ているので、夜更かししていて限界になったころ
「お休み」というパターン。

午後3時ころドレスデン出発の列車で戻ってくる予定。

ドレスデン駅



















ドイツに入って、なぜかホッとする。
まったく聞き取れないし読み取れないチェコ語と違って、
何となく聞き覚えのある言葉。

そして、町の雰囲気が「日本の都会的?」に。
治安も問題なくフラフラ歩けた。

ツヴィンガー宮殿、レジデンツ宮殿の歴史的緑の丸天井を見学。
続いてシュターツオーパ−へ。
ちょうどツアーの時間だった。

ドイツ語だけでとても聞き取れなかったけれども、見るだけで満足。
こういう雰囲気で演奏する、聴くのかと思うだけで幸せ。



















三位一体大聖堂を通り(中も見た)、フラオエン教会へ。
周囲の建物もそうだが、戦争の破壊のすさまじさを目の当たりにする。
尖塔まで登った。なかからは礼拝とパイプオルガンの音。

受付の人は入れると言ってくれたが、残念ながら入れなかった。




















テラスで食事。
多すぎるからと注文の変更を勧められて変えたのだが、
それでも多すぎた。ビール、軽い味で飲みやすい。
















プラハへ。エルベ川の渓谷が綺麗。
ドイツからチェコに入ると建物の雰囲気が何となく変わる。





















夜、ブドヴァルの店で食事。
バドワイザーはこの名前を英語風に表記したものだが、ブドヴァルとは関係ない。
ビールはバドワイザーより味が濃い。
食事は昨日と同じソーセージの和え物。
ソーセージを縦に半分、蝶番状に切ってキューリのピクルスを挟んである。
昨日のお店よりも食べやすい。


ところで、酒屋では食事をしている人は少ないと聴いていたが、
確かにそうだった。

ビールだけで語り合う感じ。

せいぜい一品何か頼む程度。

大量に頼んでいる人は大抵東洋人だった。
食文化の違いか。

Posted by hajimet at 12:42 | Comments (0)

チェコ旅行(3) 2017年3月26日
時差が1時間日本に近づいた。夏時間だ。
微妙に時差ぼけが残っている(早寝早起き)身体にとっては、
少しは、いやしになるかもしれない。

















今日は郊外へ。ブラニークとターボルを見学。

ボヘミアにある森

















ボヘミアの草原


















伝説の山、ブラニーク山


















ターボル到着。まずは腹ごしらえ。
オニオンスープとアヒルの足。チェコは昼食がメインだそうだ。


















ターボル(城塞都市)

















ターボルの洞窟…(メット必要 何回ぶつけたことか)


















夜。初めての一人メシ。チーズ、ソーセージとピクルスの合わせ。
意外と美味しい。チ
ップ入れて400コルナ払ったつもりが(100+100+200=2000円弱)、
100+2000+100と払ったらしくて、店員がビックリして返してくれた

しかし…beer 하고 チーズと言ってしまったり、
그리고と言いかけて言葉を飲んで、ついに英語が出てこなくなったり、
ソー−セージというつもりが、うっかりウィンナーと言ってしまう…、
結構いろいろやらかしている。

Posted by hajimet at 12:21 | Comments (0)

チェコ旅行(2) 2017年3月25日
朝食はホテルのビュッフェ。日本食もある。

















ホテル、日本のテレビも映る。
基本NHKで、こちらの時間で放送。朝ドラが朝8時から。
でも突然民放に切り替わったりもします。

短波ラジオも持ってきたが、NHKワールド、
ヨーロッパ向けの日本語放送やっていない。
英語とロシア語だけ。残念。

ガイド氏と一緒にプラハ散策



















プラハ城。プラハ大司教の葬儀と重なり教会は入れなかった。
鐘の音が鳴り響いていて荘厳だった。




















カレル橋






















昼。ガーリックスープとグラーシュ。
パンのようなものもナイフで切って食べると。
ガーリックスープだけでお腹いっぱい。
真夜中になってもこなれないのが分かる。






















高い城























音楽家の墓
























モルダウ。早すぎず、遅すぎず、淡々と流れる。
本来の意味は「暴れる川」だそうだ。


























路上ライブ。頑張っている。
しばらく耳をそばだてて、ようやく何の曲か分かるような、
かそけく音の外れていた演奏も(蝙蝠の中の一曲だった。お金も入っていた)
…楽器の前に帽子をおいて。
























音の聞こえる方に行ってみたら何と…。
ヤングボヘミア・ミュージック・フェスティヴァルのパレード。
駒込学園、新潟敬和高校、渋谷幕張の生徒が先頭。
その後ろにヨーロッパ各国の若者。聞いている人の顔も素晴らしい。






















プラハ点景























夜は叔父と一緒。日本食のありがたみを感じつつ、ちらし寿司。
もとチェコ大使館付きの日本人がやっているので、味はとても良し。
プラハの日本人のたまり場になっているようだ
Posted by hajimet at 11:35 | Comments (0)

チェコ旅行(1) 2017年3月24日 初日
羽田出発
















仁川空港。9時到着。出発は2時の5時間待ち。
新しいターミナルビルから出発。シャトル列車に乗る。
空港でテンジャンチゲを食べる。














チェコ航空、機内食。ビール、ワイン美味しい。


















大韓航空の系列のためか、飛行機の説明板、英語と韓国語。
機内エンタメ、英語、中国語、日本語、韓国語。
シンゴジラを見た。ビール美味しかった。

長い曲をたくさん聞いた。
ブルックナーの5番はモノラル(フルトヴェングラーのようだった)。
確実に残り時間が1時間ずつ減るのが嬉しい。

でもね、曲の順番考えて欲しい。
ブラームスの交響曲。1番から4番の1楽章を再生し、
次に1番から4番の2楽章。

で、最後までそう行くかと思いきや、4楽章ではブラームスの1番が1番最後。
もちろん、1番の1楽章のあとに2番のそれが出てきても気持ち悪いから、
再生を止めて1番の2楽章を指定しなおす(そうしないと、オートで再生される)。

ブルックナーはもっとバラバラ。
なのに、5番の2楽章から4楽章は続けて入っている。
どういうコンセプトなんだろう。ウトウトし始めたころに睡眠は中断される。


プラハ空港もロシア語、英語、韓国語表記。




















夜。叔父に会う。韓国人が経営している寿司屋で食事。
かなり流行っている。ビールがめちゃくちゃ美味しい。
装飾は韓国風で、盆栽も韓国風盆栽だった。

Posted by hajimet at 11:10 | Comments (0)

チェコ旅行(0) 2017年3月23日 出発前夜
自宅出発。空港そば、穴守稲荷の弟宅に投宿。
飛行機は6時過ぎ、受けつけは4時20分から。
5時までに行けば大丈夫なのだが、起床は3時半。プラハ到着は17時半、日本時間1時半。
殆ど徹夜作業。まずは起きれるか!!!

そういえば蒲田から乗ったリムジンバス。
後ろではしゃいでいた若者。
途中から「やべ、時間間違えた、7時半発だった」…沈黙…
「え、今離陸しているよ」「なぜ確認しなかった」
「もう一日泊るのか」…「空席があれば…」。
笑いをこらえるのが大変。でも明日、自分がそうならないように…。
Posted by hajimet at 10:30 | Comments (0)

2017年1月3日
白キムチ(朝鮮漬け)

親戚に伝わる「朝鮮漬け」。在日が作る朝鮮漬けは「赤い」キムチの系統だが、
日本人が作るものは「白い」ものに刻んだ鷹の爪が入るケースが多く、
もしかすると、朝鮮にいた日本人が「朝鮮風白菜漬け」として作っていたものが
日本に伝わったのかも知れない。
 
白菜1個を軽く乾してから下漬。
韓国の漬け方ではなく、日本の白菜漬けの方法で下漬けする。
 
豚の挽肉を茹でて、網に漉しておく。茹で汁も使う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葱、大根、人参、ニラを刻む。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニンニク、ショウガ、リンゴ、梨、大根、タマネギ(キムチと同じ分量)をミキサーで摺り下ろし、
砂糖、アミの塩辛、刻んだ鷹の爪8本分、味調整用に塩、豚肉、
豚の茹で汁と野菜を和える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白菜に挟み込み、冷暗所に置く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1週間ほどで完成。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニラは歯触りが合わない。辛みももう少し合っても大丈夫。
ということで、第2弾はニラを入れなかった。唐辛子も10本に。
また、カナリエキスとイワシエキスを入れ、アミの塩辛がなかったのでシラスを入れた。
漬けてから1週間で食べられるが、その時点でシラスは溶けきっていなかった。
さらに3日後になると、シラスは溶けて無くなっていた。

Posted by hajimet at 20:08 | Comments (0)

白菜漬け 2016

日本版白菜漬け。
白菜を割って、樽の底に塩を振りかけ白菜を並べる。上からも塩を振り、
外葉で蓋をする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2日ほどで水が上がってきたら、水を捨てて本漬け。昆布、柚、唐辛子をチラシ、軽く重し。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
冷暗所に保存

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3日目くらいから食べられる。柚はかなり入れてもよいようで、第2弾では柚を大量に入れた。

Posted by hajimet at 20:00 | Comments (0)

キムチ 2016

12月初旬、キムチ漬け開始。
日干しした白菜の葉の間に塩を振り、重石をしてタルに。大根は千切りにして軽く日に乾す。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日大根はタルから揚げて、水切りをする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダシ。昆布でダシをとったのち、煮干し、タマネギ、長ネギを茹でて野菜出汁とする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
餅米を摺り下ろし糊にする。
すり大根(大根半分)、ナシ(半分)、リンゴ(半分)
タマネギ(半分)、砂糖カップ2分の1、、ニンニク3かけ、生姜半かけ
カナリエキス4分の1カップ、イワシエキス4分の1カップ、アミの塩辛半カップを
ミキサーに入でおろし、ヤンニョムとする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
万能ネギ10束、ニラ2分の1束、セリ数本、長ネギ1本を4センチ程度の長さに刻み、
唐辛子を少しまぶしておいた大根の千切りと混ぜ、
さらにヤンニョム、糊、ダシ、粉唐辛子カップ2と混ぜる。
(千切り、ざく切りは前の日のうちに刻んでおいた)
 
白菜の葉の間に具を入れて漬ける。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
密閉して冷暗所に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3週間後、まだ漬かりが浅いが、完成。

 
 
 

Posted by hajimet at 19:35 | Comments (0)

2016年8月23日
下蒲刈島 2016年3月28日

3月27日、会議前に尾道散策

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
瀬野八を越えて広島へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
会議終了後、呉の大和ミュージアムへ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日、呉線で広駅まで行き、下蒲刈島へ渡る。
三之瀬瀬戸をゴーゴー音を立てて塩を流れる。そこに、朝鮮通信使が11回立ち寄った。
琉球からの使節もここに寄っている。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
景色は鞆の浦が一番だが、下蒲刈島は一番食事がよかったといわれる。
その様子が松濤園の御馳走一番館に復元されている(内部は撮影不可)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
福岡相島、鞆の浦、下蒲刈も、風光明媚ではあるが、直接本土が見えない位置に
客観が設けられていることは印象的であった。
 
福島雁木(通信使が上陸した港。上部は地盤沈下で昭和期に補修。そばに対馬雁木もあった)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三之瀬本陣(復元)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
客館へ行く石階段(唯一残る当時のもの)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
呉に戻り、海軍カレーを食べてから、てつのクジラ館見学

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
広島に戻り縮景園見学

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰京

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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鞆ノ浦対潮楼 2016年3月26日

3月27日の広島での会議に合わせて前日出発。福山で降りて、バスで鞆の浦へ向かう。
まずは、福山藩の迎賓館、対潮楼に向かう。海に面した部分を額縁に見立てた
建物で、朝鮮通信使の接待場所だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通信使の書が懸板となって懸けられている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここはサザエさんのオープニングでも取り上げられた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて鞆の浦港へ。江戸時代の港の形式を完全に備えた唯一の港。
雁木、常夜灯、防波堤などが残る

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
船番所跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
保命酒の店。先日、伊豆下田で見た保命酒はここのもの。
阿部正弘は福山藩主で藩の酒をペリーに提供した。味は漢方薬酒。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明圓寺 朝鮮通信使の定宿

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
医王寺 シーボルトが岩石採取などのために登った山道を登る。鞆の浦が一望できる。
四国がうっすら。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平賀源内生祠

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
阿弥陀寺(キリシタン墓)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南善坊、沼名前神社などをめぐり、バス停へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宿泊は、福山から2駅目、松永駅前のホテル。

 
 

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2016年8月22日
伊豆下田 2016年3月21日

浦賀に続いて下田まで日帰りで出かける。行きは踊り子号。
初島、伊豆七島を眺めながら下田へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稲田寺 プチャーチンとの交渉の時、河路聖謨の宿舎となったところ。
お吉の夫、河合又五郎の墓、安政の東海地震の供養塚(津なみ塚)がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宝福寺。日米和親条約付録下田条約交渉のとき、日本全権の打ち合わせの場所。
日露和親条約の日本側の打ち合わせの場もここ。
1863年山内容堂がここに泊まり、たまたまここを訪れた勝海舟から坂本龍馬の脱藩の
罪を許すように頼まれ、許した場所ともいう。お吉の墓もある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
泰平寺。1597年に死亡した下田領主下田忠次の墓があるが非公開。写真は門前の天満宮。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉田松陰拘禁の跡。密出国しようとして失敗した後、自首した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下田開国博物館見学。阿部正弘がペリーに出した保命酒もあった。
見学後、了仙寺へ。日米和親条約付録下田条約を林大学頭との間で調印した寺。
境内に第二代、第四代、第五代下田奉行を務めた今村家の墓がある。
境内裏には洞窟古墳も存在する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ペリーロード。遅い昼食

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長楽寺 日露和親条約締結の寺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下岡蓮杖の碑と開国記念碑

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下田港とペリー上陸の碑

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
干物

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
玉泉寺 米国領事館跡。日露交渉跡。米国人墓地と、ロシア人墓地がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寝姿山に登る。黒船見張所跡がある。下田湾の向こうに伊豆七島が見えるはずだが、
もやっていて、かすかにしか見えない(写真は補正済み)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大島、利島、鵜渡根島、新島はなんとか。神津島が一瞬見えた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これだけ、目の前の海が広いと、荷抜けはしやすい。北回り航路が出来て、船が増えた後、
下田奉行所を閉じて、浦賀奉行所に移した理由がよく分かった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
時間切れで帰宅へ。
 
 

Posted by hajimet at 21:17 | Comments (0)

浦賀 2016年3月20日

浦賀散策。まずは京急久里浜から歩いてペリー上陸地点

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
資料館

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徒歩で浦賀港へ。左、湾内。サスケハナでは入りにくいかな。
右、東京湾方向。荷抜けはやりにくいだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浦賀奉行所跡(左、外周の石、右、全景)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
為朝神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大六天榊神社 漆喰彫刻が素晴らしい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浦賀港引揚記念の碑、船見番所跡を見ながら、西叶神社へ。
社殿彫刻は、1842年阿波国の職人に寄って彫られた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渡し船に乗り、東叶神社へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
裏山は社叢林。浦賀城跡でもあり、勝海州断食の碑もある。この沖合にペリーが投錨した。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東耀稲荷

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八雲神社 龍は漆喰

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
荒巻稲荷。江戸時代末期、京都の伏見稲荷より送られた社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浦賀ドック

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京急で帰宅

Posted by hajimet at 20:35 | Comments (0)

伊豆大島 2016年3月13日

伊豆大島に行く。大島高校のお手伝い。
8時竹芝桟橋発のジェットフォイル。房総半島を眺めながら。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まずは、大島高校の椿園見学。2016年2月、国際優秀つばき園に指定されたとのこと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼食

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お仕事終了後、三原山火口まで。1人で歩いていると、結構寂寞感あり。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利島がやっと

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴジラ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三原神社、そして大型のアルグチネードト

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和溶岩の末端

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夕食。ツバキ油のフォンデユー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌朝

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊豆大島の桜株

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大島公園動物園

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
椿資料館

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
椿の花寿司

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
筆島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
波浮港

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竜王埼灯台。幕末の鉄砲場跡。そして太平洋戦中の戦争遺跡も。この日は新島まで見えた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
波布比当ス神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クサヤ工場

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バウムクーヘン

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼食、そして伊豆大島崋山博物館見学後、帰宅へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東京湾

 

Posted by hajimet at 20:01 | Comments (0)

2016年8月21日
南漢山城と三田渡碑

2016年4月3日 ソウルに到着後、すぐに南漢山城に向かう。
新羅、百済時代に作られたとも言われるが、
現在の物は朝鮮時代、仁祖の時代に築造されたもの。
ここは、その仁祖の屈辱の舞台でもあった。
 
1636年、後金から清に国号を改めたが、太宗は朝鮮に朝貢を求めた。
明との関係を維持していた朝鮮の仁祖はこれを拒否したため、
1637年、太宗は自ら12万の軍で朝鮮に侵入した。
 
仁祖は南漢山城に逃げ込み、45日間籠城したが、ついに降伏した。
その山城が南漢山城である。
 
地下鉄8号線、山城駅からバス。どこで降りるのか運転手に聞いたらどこでも良いと。
南漢山公園で降りるように乗客から言われる。これは、山登りコースだった、
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30分ほど上ると、南門。ここの城壁は垂直状だが、一部斜めに勾配が変わるところがある。
文禄慶長の役の倭城の影響だという。韓国の城壁は基本的に垂直に組む。
織豊系から江戸時代の日本の城壁は勾配、カーブを持たせる。
 
本来は上の構造物に耐えるための仕組みなのだが、
朝鮮では敵が登ってこられない防禦のための仕組みと考えられた。
そのため、文禄慶長の役後、一部重要な城に勾配を持つ城壁が採用された。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城壁に沿って城内を散策。ところどころ暗門がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
途中望楼からソウル市内を見る。漢江、三田渡との位置関係が分かる。
(実際、三田渡そばの夢村土城からの登山コースがある。)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
守禦将台

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この前からの景色。ちなみにソウル空港への進入路が目の前に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらく城壁散策。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北門

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城の中央からバスで下山。
 
●三田渡碑 2015年8月。
ロッテ蚕室の湖水沿いに三田渡碑がある。元々漢江本流の跡。
仁祖が清に降伏した翌年、三田渡で清に対して三跪九叩頭という臣従の礼をとった。
それを記すため、清によって建てられた。
 
碑は満州語、モンゴル語、漢語で彫られる。
 
朝鮮にとっては屈辱の碑であるため、清との関係が切れた後、この碑は埋められた。
その後、日本によって掘り出されたが、解放後再び埋没。その後掘り出されたという。
しばらく別の場所にあったが、本来の場所に戻された。
 
亀趺は2つある。一つはサイズが小さく、清のから碑の土台にすることを拒否されたもの。

 
 

Posted by hajimet at 21:38 | Comments (0)

2016年8月15日
貞陵(2016年4月6日)

4号線漢城大入口からタクシーで行く(歩いても15分くらい)
初代太祖の後妃神徳王后康氏の陵。最初貞洞に埋葬されたが、ここに移された。
参道が途中で折れているのが特徴。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5分ほど山を登ったところには、神徳王后を祭る興天寺がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 22:36 | Comments (0)

西五陵(2016年4月5日)

王陵巡り
地下鉄3号線ノクポン駅からタクシーで向かう。ソウル市をわずかに外れた高陽市
入口は工事中のため、臨時入口より入る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通路の関係で、まず明陵。第19代粛宗と第一継妃仁顕王后(右)、
少し離れたところに第二王后の仁元王后を祭る。
参道は王陵の典型的な作りとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綏慶園。第21代英祖の後宮。暎嬪李氏の墓。思悼世子の母。
王、王后は陵。世子は園。王族は墓。世子の母だから「園」か?
したがって、王や世子の墓とは異なる、簡素な作りである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翼陵 第19代粛宗の王后、仁敬王后の陵。世子時代に結婚。20歳で天然痘で死亡。
翼陵の丁字閣は両翼に長い翼廊をそなえ、参道が階段状である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
王陵は陰宅風水で作られる。両脇から尾根が前方をふさぐように延びる。
その前には元来川が流れていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
順昌園  第13代明宗の世子、順懐世子と世子嬪の墓。陵より一回り小さい。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬陵 第7代世祖の第一王子、懿敬世子の墓。第2王子成宗が後を継ぐと、
   徳宗に追尊された。右が徳宗、左は昭恵王后


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここから弘陵、昌陵へは尾根を横切る。その途中に大嬪墓がある。
禧嬪張氏(チャンヒビン)の墓。ここに移葬された。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
丘陵越え。猪注意の看板が。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弘陵 第21代英祖の正妃、貞聖王后の陵。
    左側の空間は英祖が埋葬される予定だったところ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昌陵 第8代睿宗(左)と、継妃安順王后の陵

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元来た道を戻る。場所はソウルとの市境。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 21:51 | Comments (0)

2016年8月14日
東九陵(2016年8月6日)

8月6日午前。世界遺産の東九陵を見学。往十里から中央線で九里まで行く。
朝鮮王朝の王、王后の陵がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホンサル門をくぐれば聖域。気温は33度。湿度が低く、木陰は気持ち良い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綏陵 24代憲宗の父、文祖(諡号)と神貞王后趙氏(諡号)を合葬した陵

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
顕陵 5代文宗と顕徳王后権氏を祭る。左側(建物のある方)が王、右側が王后。
このような作り方を同原異岡陵という。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
健元陵 李朝の始祖、太祖を祭る。この陵だけ草が生えっぱなし。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
穆陵 第14代宣祖、懿仁王后朴氏(同原異岡陵)。向かいに仁穆王后金氏を祭る
    文禄慶長の役の時に王だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仁穆王后陵

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徽陵 16代仁祖継妃 壮烈王后趙氏を祭る

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元陵 第16代英祖と貞純王后金氏を祭る。向かって左が仁祖

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
暑い!!!。そして、小バエが凄い。動きを止めると目の前が真っ黒になるほど。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
景陵 第24代 憲宗、孝顕王后金氏、孝定王后洪氏の陵が3つ並ぶ(よく見えない)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
恵陵 第20代景宗妃 端懿王后沈氏を祭る

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
崇陵 第18代顕宗と明聖王后金氏を祭る

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
約1時間半。直線で奥まで行って戻ってくる西五陵と異なり、
巡回式で回れること、陵の間の勾配がきつくないので、
比較的に楽に全体を見ることが出来た。
 

Posted by hajimet at 21:27 | Comments (0)

倭城巡り+文禄の役の激戦地(2016年4月)

4月4日 ソウルから日帰りでKTXに乗って順天まで。
順天倭城。慶長の役の撤退直前、小西行長が明、朝鮮軍に包囲された城。
積み直されているが、かなり良好な保存状況。
 
堀跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
虎口1

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本丸入口(虎口6と4)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天守台と景観

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町は桜のシーズン

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウルも

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4月7日 1592年1月平壌の戦いで明に負けた後、明に反撃、勝利した碧蹄館あと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くにある竜岩寺双塔磨崖石仏

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
碧蹄館に続く激戦地、幸州山城。日本側敗退。
銅像は朝鮮側武将、権慄。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 20:29 | Comments (0)

倭城巡り

文禄慶長の役で、朝鮮南部に作られた日本側による城。1593年から築城。
出兵が西国の武将中心だったこともあって、天主重視で総石垣りの織豊型の城作り。
これまでも蔚山、西生浦、機長、釜山本城、釜山子城、順天倭城は見学している。
 
今回は熊川倭城から。熊川南山頂上部にある。
築造当初から拠点となった城で、小西行長が護る。
小西行長が招いた宣教師セスペデスが滞在したところでもある。
韓国史上はじめて韓国の地を踏んだ宣教師である。ただし、布教活動はしていない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
曲輪

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天主から二方向に伸びる登り城。これに囲まれるように城下が築かれる。
江戸時代の城には殆ど継がれていない築城法。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天主、そして瓦

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天守台よりの眺望。右側が巨済島。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
熊川邑城。最初はこちらが拠点。この城では明軍の兵器に耐えられなかったことも、
倭城を作った理由。邑城は近年復元された。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて安骨浦倭城。熊川倭城とは湾を挟んで対岸の山上にある。
公園として整備されている。本城と2つの子城からなるが、藪になっていて行けなかった。
城下の安骨浦は、文禄の役初戦時に安骨浦の戦いで朝鮮水軍に負けた場所。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
眺望。釜山新港開発で埋め立てが進む。そして、安骨浦港と南山

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日はバスで泗川へ。慶長の役の激戦、泗川城の戦いの場所。
城門。発掘後、「姫路城の形式」で復元された。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天主

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
眺望と城郭図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そばにある泗川朝明軍塚

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
車で20分。晋州邑城。1593年、晋州城の戦いの舞台。慶尚道から全羅道への要衝。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
義岩と晋州城壬辰大捷癸巳殉義壇

 

Posted by hajimet at 08:52 | Comments (0)

2016年8月13日
釜山 東横インのトイレにて

トイレの説明…絵が凄い

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紙の流し方…これだけは馴れません
(日本で韓国語の表示を見ると「流せ」と書いてあることが多い)。

 

Posted by hajimet at 21:23 | Comments (0)

韓国旅行 食事 

8月3日。出発

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
機内食(JAL エコノミー)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山、夕食。テジクッパ(豚骨スープ+ご飯)だが、分けてもらった(タロクッパ)
釜山中央洞サンチョンテジクッパ(釜山に行く度に行く店)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8月4日 泗川、晋州へ。晋州でチョングクジャン(納豆汁)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は釜山駅前でスユクペクパン(前日食べた物とほぼ同じ)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8月5日 釜山駅前でミルミョン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山からKTXでソウルに移動。釜山は駅ナカが充実。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウル 夜はチュクミ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8月6日 昼は国立中央博物館でチャジャンミョン

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜はホテル裏でサムゲタン(味が落ちた)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8月7日 昼 鍾路三街の「ヌンラ パプサン」で平壌冷麺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は、永登浦市場でサムギョプサル

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてチョゲタン(二次会)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8月8日。最終便で帰国。

 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 21:04 | Comments (0)

ハングルデザイン

釜山にて
달달 dal dal どちらにも読める看板

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウル
京畿北部子供博物館(경기 북부 어린이 박물관)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
중섭
  

Posted by hajimet at 20:56 | Comments (0)

2016年5月24日
友だちは、改題、試験は
面白かったので、永久保存。
テストの自由記述覧に書いてあった言葉。


「テストは学習時間を5倍にし、睡眠時間を半分にし、心の余裕を皆無にする」


たしかに。
Posted by hajimet at 00:05 | Comments (0)

2016年3月11日
ソウル・水原紀行(4) 2016年1月7日

景福宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町なかの一場面

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カンジャンケジャン定食

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市内散策

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
予定がすべて終わり、空港へ。

Posted by hajimet at 11:17 | Comments (0)

ソウル・水原紀行(3) 2016年1月6日

1号線で水原へ。まずは正祖陵の健陵と、思悼世子陵の髣ヒへ。
健陵

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
髣ヒ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
思悼世子を祭る竜珠寺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
華城まで行き昼食。スンデクク

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
水原華城めぐり

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
行宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
水原華城博物館

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ムグンファ号でソウルに戻る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜はコプチャン

Posted by hajimet at 11:06 | Comments (0)

ソウル・水原紀行 2016年1月5日

許浚博物館
屋上に野草園があって、そこから見るように言われたが…

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
切頭山教会。殉教者の記念碑。展示館は模様替えで臨時休館だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
楊花津外人墓地。切頭山教会から徒歩5分。
君が代を編曲したフランツ・エッケルトの墓もある(最初の写真)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼。チュオタン

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
午後、ソウル薬令市 韓医学博物館へ。新設洞駅そば

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市場を散策

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古宮博物館(改修中)を見た後、鍾路散策。所々、朝鮮時代の遺構が発掘展示されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜はチジミとポッサム

Posted by hajimet at 10:50 | Comments (0)

ソウル・水原紀行(1) 2016年1月4日

出国

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西小門歴史公園殉教地。脇を京義線が走る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西大門方面に散策。西大門址。(峠状になっているところ)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京橋荘(大韓民国臨時政府最後の庁舎。解放後金九が狙撃されるまで私邸としていた)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウル市教育庁付近。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
洪蘭坡家屋

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文禄慶長の役の時の武将、権慄の家の跡と、樹齢450年近い銀杏

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
独立門(迎恩門)と独立館(慕華館)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄で蚕院駅へ。朝鮮時代に桑畑があったところ。復元されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鴨鴎亭の碑(団地の中にある)。韓明繪の家の跡。漢江に向かって地面が下がっていて、
当時は漢江から北漢山などが一望できたものと思われる。風光明媚だったのだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜。焼き肉のあと、ポジャンマチャへ

Posted by hajimet at 10:30 | Comments (0)

釜山・慶州紀行(4) 2015年9月14日

最終日。まず子城台公園へ行く。文禄慶長の役で釜山子城のあったところ。
山の手前は、日本時代になるまでは海であった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子城から本城を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公園の片隅には永嘉台の扁額のある建物がある。朝鮮通信使が出発するときに
ここで旅の安全を祈り宴をしたというが、本来の場所は異なる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子城台のそば、釜山鎮市場。最初の倭館のあったところ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市場の裏手、線路との間に永嘉台碑がある。民家の裏手、塀の中にある小さな門を潜る。
何回もその前を行き来したのに分からない。民家の人に聴いてようやく分かった。
 
永嘉台は鉄道を通すときに削られてしまった。だが、周囲の地形は小高くなっている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
草梁客舎跡。倭館に来た対馬の使節が、ここで朝鮮王(の牌)に拝礼した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山駅でお土産購入。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
空港でユッケジャン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰国

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 10:03 | Comments (0)

釜山・慶州紀行(3) 2015年9月13日

地下鉄で東莱駅。そこからバスで福泉洞古墳群へ。まずは福泉博物館。3度目の正直。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古墳群。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古墳群は東莱邑城北門そば。文禄慶長の役の激戦地。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城壁沿いに10分ほど急勾配を登る。北将台。遠くうっすらと対馬が見える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東莱邑城歴史館。東莱邑城の成り立ちがよく分かる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄で佐川に戻る。鄭公壇を見てから、テグタン。
タラの出汁が利いていて、今まで食べたどのテグタンよりも美味しかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
甑山公園まで登る。かなりの急勾配。
文禄慶長の役時代釜山本城のあったところ。対馬が見える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公園前。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここからは旧倭館跡を散策。宴大丁あと。付近には日本家屋も残る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山近代歴史館。元アメリカ文化会館。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竜頭山タワー。倭館時代から植民地時代にかけて竜頭山神社があった。
対馬がはっきりと見える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東館跡。日常生活の場。道の配置は当時のまま。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海岸線跡。左側が海。右側は急坂で竜頭山に向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
館主宅への階段と、石垣。両方とも積み直しているが、場所は元のまま。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西館の地域。公式行事の場で、道も整備されている。
大覚寺。参判屋あと。戦前は東本願寺だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国際市場。ここの配置も行廊跡を基本にしているようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石垣跡の道路(周囲より高くなっている)を見てから、ホテルへ。
食事はミルミョンとマンドゥ。かなりの量。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜、テレビを見ながら…

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 09:14 | Comments (0)

釜山、慶州紀行(2) 2015年9月12日

午前中は慶州散策。
月城。亥字(堀)跡には一面綿が咲いていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小雨の慶州散策。徒歩で歩き回る。静かで趣がある。皇竜寺跡へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
芬皇寺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼。カレーライス。日本人の経営している日本式カレー。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南山洞三層石塔と三層模塼塔

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
KTXで新慶州から釜山へ。ホテルは駅前の東横イン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山市立博物館。古代史と日韓交流史の展示を中心に見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜、中央洞でテジクッパ(いつも行くところ)。運転手さんに「お勧めは?」と聴いたら、
「店ごとに味も違うし、好みも色々だからね」と言われたのが印象的だった。

Posted by hajimet at 09:00 | Comments (0)

慶州・釜山紀行(1) 2015年9月11日

9月11日、釜山に飛ぶ。釜山と九竜浦の取材。慶州は息抜き。
 
鬼怒川が決壊する大雨の翌日。
機長からはかなりの揺れが予想されるので、乗機前にトイレに行くように指示。
釜山行きの機種は中型機と言うこともあるのだろう.実際は大したことなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
機内食

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釜山到着。すぐにバスで慶州に向かう。慶州からは知人の車で九竜浦へ。
植民地時代、日本の漁民が多く住んでいたところで、観光地化されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神社跡。現在は忠魂閣、竜王堂などがある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本文化体験も出来る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
慶州に移り、まずは夕食。ソンジグク。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大陵園周辺は公園整備、発掘が進む。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月城。ここも発掘が進んでいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日も暮れ、ライトアップ。雁鴨池。瞻星台


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 08:43 | Comments (0)

2016年3月10日
ソウル紀行(6) 2015年8月28日

前日、偶然存在を知ったハングル博物館へ。
建物が「ㅈ」という文字を象っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
展示

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄でホテルに戻る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お昼はピビム冷麺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お土産を買いに京東市場と薬令市場を行ったり来たり。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お土産はこれ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰国へ。

Posted by hajimet at 21:28 | Comments (0)

ソウル紀行(5) 2015年8月27日

朝、ホテルのそばでコムタン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タクシーを飛ばして蚕室まで。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三田渡碑を見る。
仁祖が清国に降伏した「記念碑:屈辱碑」で漢文、満州語、蒙古語で彫られる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くのお店で、知人と「和牛」なるオーストラリア牛を食べる
(日韓とも口蹄疫のため双方の肉は輸入禁止)。
南山麓の南山韓屋マウルへ行く。伝統建築の確認。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タクシーで前日行きそびれた先蚕壇へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに北村散策。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗親府あとを見ようと思って迷い込んだ正徳図書館。(金玉均家跡)
15年前も、同じ失敗をしたことを思いだした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗親府跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
甲申事変のきっかけとなった郵逓局。そして、図画署あと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は平壌冷麺

Posted by hajimet at 21:13 | Comments (0)

ソウル紀行(4) 2015年8月26日

ソウル4日目。天気は頗る良い。月曜日のリベンジも兼ねて。
まずは、東大門歴史館1398。ここのメインの建築物である
「東大門デザインプラザ」は「ザハ氏」の設計。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歴史館を見学した後、五間水橋の跡を通り、ソウル城郭博物館へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄に乗り、先農壇と先農壇歴史文化館を見る。
歴史文化館は先農壇の祭祀の様子を紹介する。一説に依れば、ここはソルロンタンの発祥地。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先農壇。そばには日本時代ここにあった石碑が残っている。
京城女子師範学校の裏手の丘に立っていたものという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高麗大学の前を歩いて、清涼里方面へ。
まずは、腹ごしらえ。スンデククを食べる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くの世宗大王記念館へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに15分ほどかけて清涼里駅まで歩く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて、地下鉄を乗り換えて漢城大入口まで。恵和門を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先蚕壇に行こうとしたが、うまく方向がつかめず、タクシーもダメ。
雨も降ってきたので市内に戻る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雲峴宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タプゴル公園 3.1独立運動の「独立宣言」を行った場所。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方で、燕山君までは円覚寺のあったところ。公園の名前の元になった塔。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寺の遺構。そして碑。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安洞別宮跡(現豊文女子高校)。世宗がここで死亡した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は知人と一献。元、倫理の先生だったそうで…

Posted by hajimet at 20:24 | Comments (0)

2016年3月7日
ソウル旅行(3) 2015年8月25日

予報が当たり雨。
そこで、ソウル大学の奎章閣まで行き資料調査。
その後、国立中央博物館に移るまずは昼食。チャジャンミョン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
博物館見学。このたびは、李朝時代のものを中心に見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、南大門市場で買い物をしてお終い。

Posted by hajimet at 21:48 | Comments (0)

ソウル紀行(2)2015年8月24日

この日は月曜日。いろいろ番狂わせがおきた。
まずタクシーで将忠壇公園へ。明成皇后(閔妃)が殺害されたとき
犠牲になった人を祭った。日本時代はこのそばに博文寺が作られ、
英祖の時代には南小営が置かれていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここに清溪川から移された水標橋がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歩いて光熙門(東小門)へ行く屍躯門として使われていた。東大門運動場のそば。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城壁はここで途切れる。東大門歴史文化公園に行く。
朝鮮時代の兵営あとが発掘展示されている。東大門歴史館1398に行こうとしたが、
月曜日で休館。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
二間水門

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公園をでて東大門へ。至近距離。門の前に日本時代の水準点が残る。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東大門から地下鉄で祭基洞駅まで行き、先農壇まで行く。ここま休館。
市内に戻り知人と昼食。
「ニクを食べるか?」といって、断ったら「ブタ肉」に連れて行かれた。
あとで、韓国語で「ニク」というと、通常牛肉を指すことを知った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徳寿宮も休み。徳寿宮裏手の重明殿へ向かう。途中のオブジェ。平衡感覚がおかしくなる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重明殿は第二次日韓協約が締結された場所、
修復されてきれいになっていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そばには旧ロシア公使館あとも残る。周辺で一番高いところ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日はこれでお終い。
 
 

Posted by hajimet at 21:18 | Comments (0)

ソウル紀行(1)2015年8月23日

資料調査も兼ねたソウル行き。MERSの影響で1月遅れ。
席の交換をお願いしたら、ビジネスクラスに移してくれて…

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウル到着。友人とお昼。プルコギ定食。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北岳山の城壁巡りをする。軍事地帯のため撮影できるところは限られる。
水もトイレもない。なのに水を忘れた。汗だく。まずは粛清門(北大門)へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城壁の修理過程がよく分かる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本が「気脈」を切ったという白雲台。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この辺りはかなり険しい。途中の尾根筋から景福宮方面、
山頂から景福宮方面への地形はたしかに「明堂」の地形(撮影不可)
一気に数百段の階段を一直線に降りると彰義門(北小門)。
鶏にまつわる伝説がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
景福宮方面へなだらかな坂を下る。左は北岳山。軍事施設のため撮影不可。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1968年北朝鮮兵が青瓦台を襲撃したときに殉死した警官の記念碑。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宣禧宮。英祖後宮暎嬪李氏(思悼世子母)を祭る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ソウルろう学校の裏にある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古宮博物館へ。ここまで約3キロ。涼みがてら見学。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
光化門交差点。高宗の「記念碑殿」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
殿閣前には日本時代の道路元標が置かれる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルへ。夜は焼き肉。

 
 

Posted by hajimet at 20:50 | Comments (0)

2016年3月6日
掛川、浜松、天竜川 2015年6月28日

遠州鉄道の終点、西鹿島に天然ウナギを食べに行くツアー。
その前に巡検。
まず掛川。
掛川城。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
掛川城御殿

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大日本報徳社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大日本報徳社大講堂

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竹の丸

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浜松へ移動。賀茂真淵記念館を訪ねた後、遠州鉄道で浜北まで。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
二本ヶ谷積石塚群

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
到着。天竜川のアユ、ウナギ。猟で捕った猪、鹿などなど。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天竜二俣駅より掛川に向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
掛川駅

Posted by hajimet at 20:47 | Comments (0)

園城寺、宇治平等院 2015年4月6日

大阪での会議の帰り。JRで大津まで行き、バスで浜大津まで。
そこから園城寺(三井寺)まで歩いた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
園城寺そばの三尾神社に参拝。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
園城寺到着。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
晩鐘で有名な鐘

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
閼伽井屋と弁慶の汁鍋

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一切経蔵と三重塔

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日の目玉。新羅善神堂。園城寺の境内だが徒歩10分。
以前は境内からまっすぐ行く道があったが、
廃止されて、一旦国道まで出なければならない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そばには弘文天皇陵。
壬申の乱で、大海人皇子(後の天武天皇)に敗れて死んだ大友皇子の墓。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇子山から京阪で石山寺まで乗る。駅から15分ほど歩いて石山寺到着。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再びJRの石山に戻り、奈良線で宇治まで。平等院。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宇治駅までの道すがら。

 

Posted by hajimet at 20:26 | Comments (0)

奈良・福岡紀行(4) 2015年7月24日

最終日。福岡市立博物館へ行く。展示替えしてからは初めて。
福岡、博多と大陸との関係を非常に丁寧に公開している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近所はサザエさん発祥の地

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元寇の防塁跡と元寇神社。そばは西南学園大学と修猷館高校。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千眼寺。関帝が祭られている。本尊脇にいるそうだが、見られなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄で唐人町へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
福岡城

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鴻臚館跡。もと平和台球場跡でもある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
関帝廟跡(建物の中に関帝像が祭られているとのこと)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
聖福寺などを散策して空港へ。

 

Posted by hajimet at 10:18 | Comments (0)

奈良・博多紀行(3) 2015年7月23日

福岡3日目。宗像の大島に渡る。宗像大社の中津宮の島。フェリーで25分。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まず、「沖津宮遥拝所」に向かう。残念ながら沖ノ島は見えなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次いで、中津宮へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内脇を流れる川は「天の川」。七夕信仰がある。
まずは天真名井

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参道を挟んで織女社と彦星社(道路の反対側)が向かい合う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参拝終わり、安倍宗任の墓。前九年の役で源頼義と戦い敗退。
伊予から大島に流されたという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神湊に戻り、そばの頓宮を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて、織幡宮。岬の突端の山に祭られる。
海上から見ると、山そのものが神だったかもしれない。祭神は武内宿禰。
金達寿氏は秦氏に関係すると言うが…。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗像大社。遷宮は終わり、新しい拝殿である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
桜京古墳。壁画墳で、公開に向けて準備中。道が悪い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津屋崎古墳群。胸形氏の奥津城。何となく慶州を思い出す。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
福津市中央公民館に寄ったあと、古賀市立歴史資料館へ
その後、御島神社へ。香椎潟の中に在る香椎宮の境外末社。
神功皇后が朝鮮に渡る前に、ここで髪を洗い、みずらを結ったという。
祭神は「綿津見大神」。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに香椎宮へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古宮へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古宮。ご神木の香椎。仲哀天皇の棺を架けたとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
不老水

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
箱崎宮へ。空港が近い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
那津宮家跡とされる比恵遺跡を見学してホテルに。

 
 

Posted by hajimet at 09:14 | Comments (0)

2016年3月5日
奈良・博多紀行(2) 2015年7月22日 

福岡初日。
実は、研究会が博多であった関係で、7月5日にも博多に来ている。
この時は、研究会終了後、散策をして山笠を見てきた。
博多櫛田神社。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山笠

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川上音二郎の町でもある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子供山笠

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
で、今回は相島に向かった。その前に、糟屋屯倉跡と言われる鹿部田渕遺跡へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに大森貝塚と、近くの高いところから見た地形。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
船原古墳

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いよいよ相島へ。船で20分。ここはアコヤ貝を養殖している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
相島積石塚古墳郡群

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮通信使関連墓地

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太閤潮井の石と遠見番所跡。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竜王石

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神宮寺

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先波止場。通信使の上陸したところ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若宮神社と通信使用の井戸


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通信使客館跡。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
数カ所よりながら宗像泊。夜は刺身で一献。

 
 

Posted by hajimet at 22:46 | Comments (0)

奈良・福岡紀行(1) 2015年7月20日、21日

クラブツーリズムの白鳳展見学と、福岡紀行を繋げて行った。
朝、こだまで名古屋まで。近鉄で特別列車をしたてて西の京駅まで行く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まずは、国立奈良博物館で「白鳳展」を見る。この日のバスは「まったく冷房の効かない」バス。
運転手が頭からタオルをかぶっているという惨状。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
少し早めに抜け出して、春日大社へ早足で往復。汗だく。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旧暦の七夕直前。神官が練習をしていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて、薬師寺のライトアップ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日の朝。まずは當麻寺へ向かう。奈良市内、漢国神社前を通過。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
當麻寺。参道の家々に恵比寿様がいる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
當麻寺。日本で最古の石灯籠。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
庭園を眺めながら昼食。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
午後、石位寺に向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついで蟹満寺へ向かうが、手前の綺原座建伊那太比売神社も面白い。
鳥居に豆殻を下げているのも興味深い。
木津は渡来人の多い所であったが、この神社も、蟹満寺も渡来系とされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蟹満寺。
白鴎時代の釈迦如来を拝見。発掘により創建当時の場所から移動していないとのこと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京都から新幹線で博多へ。夜、もつ鍋で一献。
お店は殆ど韓国人と中国人で、我々が「少数民族」

Posted by hajimet at 22:16 | Comments (0)

2016年3月2日
関東渡来関係紀行20150619,29

6月19日
東向島の白鬚神社に行く。
951年に近江の白鬚神社を移したとされる。
隅田川(荒川)上流、高麗川の付近にも白鬚神社が分布していて、
高麗王若光が代わったものとされる。
 
一説には、墨田区の白鬚神社も渡来系の神社ではないかとされている。
神社は隅田川沿いの自然堤防の上にある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参拝

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰りは東武博物館を見学。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌29日。ロマンスカーで秦野に向かう。秦氏に関係するところと言われている。
ここに加羅古神社がある。唐土より飛来したという伝承がある。
寿永二年(1183年)創建とされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて小田原経由で大磯に向かう。
高来神社へ行く。高麗山の麓、地域の名前も高麗である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高麗王若光が上陸したところとされる。
社伝では、神功皇后の三韓征伐の後、
三神を高麗山に降ろしたが、その一柱が高麗権現であった。
その後高麗権現は箱根山神社と伊豆山神社に遷座したとある。
江戸時代までは神社の隣に高麗寺もあったが、
神仏分離後廃寺となり、高麗神社も高来神社に名前を変えたという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なお、7月14日には多摩市の稲荷山古墳に行った。
渡来人とは関係ないが、関東で珍しい八角墳である。

 

Posted by hajimet at 10:35 | Comments (0)

2016年3月1日
大島・神津島紀行 その2 20151219

朝6時半。大島岡田港から神津島へ。まだ暗い。
日の出。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鵜渡根島。右遠方は三宅島。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
新島。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
式根島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神津島へ。黒い層は黒曜石。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
崖崩れ:三宅島噴火の時の地震で崩れたもの。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10時に到着。展望台から三宅島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オタアジュリア碑と神津島の集落

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伝オタアジュリア墓

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
物忌奈神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
阿波命神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トロッコの跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
赤碕遊歩道

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼食。地場の金目鯛

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
郷土資料館を見学してから、神津空港へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三宅島、御蔵島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
新島、式根島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊豆半島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大島

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三浦半島、多摩川、そして着陸。わずか35分。

Posted by hajimet at 21:16 | Comments (0)

大島、神津島紀行(1) 20151218

仕事で、朝のジェットフォイルで伊豆大島へ。波は穏やか。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
房総半島、三浦半島の地形がよく分かる。
大島高校からは富士山がきれい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学校では様々な椿を栽培している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つばきは虫がつくが、その時は薬を蒔くとのこと。ただ、山中の椿はあまり虫がつかないそうだ。電灯がないため、虫が寄りつかないためで、
その意味では都会で起きる問題と言われたことが印象的であった。
 
なお椿油の店で聞いたところ、椿は油が採れるまで20年かかり、
効率が悪いとのことだった。
 
仕事前の昼食。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仕事終わり散策。元町港からの眺め。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
為朝館あと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
為朝神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くの寺。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海の関係で亡くなったのだろう。戒名にそれを伺わせ文字が。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
波浮の港

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
筆島近くのオタアジュリア供養の十字架。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜。地場の魚で

Posted by hajimet at 20:58 | Comments (0)

2016年2月28日
佐賀、朝鮮紀行(その4) 2016年2月26日 田代

9時半頃の各駅停車で鳥栖へ。
タクシーで中冨くすり博物館へ向かう。
鳥栖、基山は対馬藩の飛び地であり、田代の薬売りで知られたところである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて田代宿歩き。
まずは長崎街道と鹿児島街道の追分。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伝大官屋敷門。棟木に対馬藩、宗氏の家紋が彫られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
田代八坂神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道端で

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
代官所跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町中で

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宿場跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
対馬藩の証明

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久光製薬

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
田代駅

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰宅

Posted by hajimet at 13:58 | Comments (0)

佐賀・朝鮮紀行(3) 2016年2月25日午後(佐賀)

3時頃佐賀に戻り、唐人町から旧長崎街道コースを散策。
まずは龍造寺八幡宮。薩長同盟の碑もあるようだが、見なかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長崎街道を進む。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
汚水のマンホール。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下水の蓋。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊勢神宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
肥前狛犬

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天満宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長崎街道から離脱。所々で「西宮」が祭られる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
江藤新平の墓

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤原直弘(鍋島勝茂四男、成富茂安養子)、成富茂安墓。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
水路だらけ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
与賀神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ともかく歩く

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大隈重信墓

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「がばいばあちゃん」の市場跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐賀の役、供養塔

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐嘉神社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日も、有明海珍味で。

Posted by hajimet at 13:35 | Comments (0)

佐賀・朝鮮紀行(その2) 2016年2月25日午前 有田

朝8時前の各駅停車で上有田駅へ。
駅から徒歩10分、泉選鉱場に向かう。
李参平が陶土を発見したところ。山1つ掘り尽くされた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
すぐ隣にある石場神社。李参平像と高麗神が祀られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町中には、窯の廃材で作られた塀であるトンバイがある。
韓国語と言うことだが、똥바위(トンバウィ:犬の糞の岩)から来ているか。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李参平が有田で最初に築いた窯跡、天狗窯へ行く。脇では「大地主産土神」が祭られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李参平墓

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くには李荘窯もある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついで、李参平を祭る陶祖神社に行く。途中札の辻付近。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
陶祖神社は一の鳥居手前が線路。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鳥居は陶製

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内も陶磁器だらけ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
拝殿となりには「八天狗社」がある。拝殿に行く階段がない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
陶祖神社の裏山頂上にある李参平碑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李参平碑から見る有田の町並み

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町の中では水神信仰が盛ん。途中桂雲寺には北辰妙見大菩薩が祭られていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばし、町中を歩く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
百婆仙の墓

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに有田駅まで歩く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
九州陶磁文化館へ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐賀へ特急で戻る。

Posted by hajimet at 13:05 | Comments (0)

佐賀、朝鮮紀行 その1(2016年2月24日)

佐賀県に残る、文禄慶長の役の跡を見に、佐賀へ行く。
新幹線と特急を乗り継いだ。
 
佐賀平野はただただ平ら。縄文海進時に有明海の底になったところで、
その後の海退で干潟が干上がったからだという。
干潟の澪筋が水路になっていて、非常に細かいクリークが発達している。
 
佐賀駅で降りて、タクシーで金立山麓の高麗人逆修碑を見に行く。
20分ほどの距離。
 
有田焼の祖、李参平が最初に窯を開いたあたりとも言われている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山の麓の畑の中だが、表示はない。しかも、猪除けに囲まれた所にあった。
この地域は徐福伝説があるところでもある。
 
タクシーに乗ったついでに、市南部の筑後川に架かる昇開橋を見学。
もと佐賀線の廃線跡で、筑後川の中央部分の橋が上下する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
橋のたもとには徐福像もあった。
 
再びタクシーで市内に戻る。阿弥陀寺で洪浩然の墓を見る。
洪浩然は文禄慶長の役の時に鍋島直茂に連れてこられた人で、
京都五山で学んだ。その後勝茂に使えた。その文字は「こぶ浩然」として
知られ、「英彦山」の銅鳥居の額なども書いている。
 
晩年、朝鮮へ帰郷する許可が下りたが、唐津港で呼び戻され、帰国を断念。
1637年、勝茂死去のときに追い腹を切った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、県立美術館、県立博物館を見学。唐人町を歩いてホテルに向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐人町は文禄慶長以前に日本に来ていて、1591年に佐賀藩に召し抱えられた
李宗歓に与えられたところ。文禄慶長の役の時には通訳として朝鮮に渡っている。
 
墓の隣には、李宗歓が朝鮮から連れ帰ってきた朝鮮人のひとりである
九山清道の墓もある。九山清道は鍋島更紗の創始者として知られる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐人町には李宗歓を祭る東人神社もある。
鳥居は肥前鳥居。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐賀は恵比寿信仰の盛んなところだが、
なかには、文禄慶長の役の時に、
黒田藩が鍋島藩の様子を探るために送ったという恵比寿もあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町中でおひな様の展示が行われていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は有明海の珍味と刺身で一献。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

Posted by hajimet at 12:31 | Comments (0)

2015年3月1日
沖縄旅行 3日目 20150226

朝、路線バスで浦添へ向かう。浦添ようどれ館に寄ったのちに、浦添城と浦添ようどれへ。
浦添城は、首里に都を移すまでの、都があったところ。城からは東西両方とも海が見える。
沖縄戦の時に、首里城を守るための激戦地になったところであるが、その理由がよく分かる。
城壁も完全には復元されおらず、土台しか残っていないところも多い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浦添ようどれ。入口は岩が覆ってトンネル城になっていたが、沖縄戦で破壊された。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バスで市内に戻り、おもろまちから美栄橋までモノレール。そこからタクシーで泊港まで。
外人墓地を見学に行く。ペリーが上陸したところで、後ろの泊高校の場所に滞在した。
墓地内には中国人の墓も残る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼は公設市場の二階で、「味噌汁定食」。量が凄い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公設市場。魚、豚…。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国際通り、平和通り、むつみばし通りを散策。日本語、中国語、韓国語、沖縄語が氾濫。
やちむん通りまでも足を伸ばした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
那覇空港。最後の食事「ゆし豆腐」。20時10分発のJAL便で帰宅。

Posted by hajimet at 20:10 | Comments (0)

沖縄旅行 2日目 20150225

2日目。
那覇バスターミナルから路線バスで斎場御嶽(セーファーウタギ)へ。
香炉が置かれているが、沖縄では香炉に特別な意味があることが、後から分かった。
ますは、大庫理と寄満。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三庫理。遠くに久高島が見えた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タクシーで見学をしながら奥武島(おうじま)に向かう。まずは知念グスク

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついで浜川御嶽(ハマガーウタギ)。
ニライカナイからヤハラヅカサに上陸した神が、留まった所。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤハラヅカサ。碑は満潮で水没中。遠くに久高島が見える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼食。モズクづくし。目の前は奥武島。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奥武島に渡る。バスは2時間ない。しかもあると言われた那覇直行は朝だけであった。
仕方ないので、島を散策。まずは竜神宮。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やはり建物の意匠が違う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
観音堂。中国人遭難者救助のお礼に中国から贈られた観音像を祀っているが、
神道、仏教、沖縄の宗教が見事に習合していた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとはひたすらバスを待つ。目の前は沖縄本島。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
那覇では対馬丸記念館に行く。途中天尊廟を通過する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついで波上宮へ。ニナイカライとアマテラスが習合。
神社の参拝をしている脇で、沖縄式に祭祀している様子が見られた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海岸に降りて、波上宮を見る。あきらかにウタギだったことが分かる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浜では、テレビか映画の撮影のための練習。空はヘリコプターが低空で旋回。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小桜の碑。すぐ手前には、「台湾遭害者供養塔」。台湾出兵の原因となった事件の碑である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜、友人と一献。島らっきょう塩漬け、豚足、ナーベラチャンプル、パパイヤのチャンプル。
イカスミソーメンのチャンプル。ミミガーなど。前の机ではモアイの集いをやっていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 19:04 | Comments (0)