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暑い夏。8月の頭に膝の靱帯をのばし家でゆっくりする日が多かった。それでもお盆は佐渡へ行って法事に参加したし、下旬には関西方面へ旅行に行った。 怪我した直後には、スキーストックを杖代わりにして長野松代の大室古墳群や大本営跡、森将軍塚古墳を見学した(痛かった)。お盆のときも両津長安寺の朝鮮鐘を見学した(えっちらおっちらと)。そのときよりは足は楽になったが、まだ引きずる。 大阪へ行くついでに、大津による。大津歴史博物館にあるオンドル遺構と大津絵を見たいと思ったからだ。京都で途中下車をして、湖西線で西大津へ向かう。そこから歩いて10分ほど。大津商業高校や、遠くから聞こえる三井寺の鐘の音を楽しみながら博物館へ。常設展では大津事件の津田三造の特集をやっていて、ロシア皇太子(ニコライ2世)血染めの座布団や、津田三造に関する資料が多く展示されていた。大津宮、近世以降などの展示は、こぢんまりとしてはいるが、充実していた。博物館の前は見渡す限りの琵琶湖。ヨットがゆったりと走っている。大きいと思ったが、ここから眺められるのは湖南だけ。 続いて大津宮跡を見る。京阪「近江八幡」駅のそば。折り返し線のある駅で、脇には車庫がある。駅前に空き地があり、そこが宮跡。 ただし何があるわけでもなく、杭が立っているだけであった。博物館で場所を教えてくださった方が、「期待して行くと、なんだこれだけかと思いますよ」と行っていたが、まさしくそういう景色だった。京阪で京阪膳所まで戻り、大阪へ。浜大津から京阪膳所までの線路の通っているところがそれまでの私鉄らしさと違うと感じたが、あとで古い地図を見たら東海道線が開通する前に、京都から大津までの鉄道が使っていた線路跡だった。米原方面から東海道線が伸びてくるまで、膳所駅のところで折り返して今の浜大津へ向かい、そこから汽船で琵琶湖を横断するルートだったようだ。 翌日、大津でレンタカーを借り、知人に運転を頼み再び湖西見学。渡来系の遺跡を中心に見る。京阪線にそって坂本まで行くが、近江八幡以北は線路条件がかなり違うようだ。それまでほとnど平坦で路面電車の延長のような線路だったものが、30パーミルを越えるこう配が随所に見られる。 坂本から比叡山の麓へ行く。まず日吉大社をみる。日枝神社の総本社であって、立派な山王鳥居がたっている。中は西、東にそれぞれ宮があり、古式ゆかしい拝殿が建っている。途中には室町時代の御輿が特別展示されていた。さらに水垢離のできる滝があったり、「いわくら」であろう石が多くある。気温は30度を超えているが、さわやか。山の雰囲気と木立の中、周りに豊富に流れるきれいな水がそう感じさせるのだろうか。 ただし、これらは古墳の石室だったものかもしれない。境内一帯は日吉古墳群の中で、付近には百基近いの古墳が残っているからである。 続いて袋古墳群を見に行く。日吉大社の近くで、整備されて公園になっているはずだが発見できなかった。ここに行くまでの道は宿坊などの穴太積みの塀が見事だった。 さらに穴太野添古墳群へ。墓地の脇、細い林道をあがっていく。さすが小型車。小回りがきく。墓地では野猿が2匹遊び回っていた。こちらは発掘したあと、いくつかの石室を整備して残している。 穴太遺跡(何にもない…ついでに食事の出来る店も)を通過してから、百穴古墳群へ。山の中に無数の石室が散在する。百済系の石室墳と考えられている。そこから崇福寺址へ行こうとしたが、道が悪すぎて断念。ガイドブックでは車ですぐしたまで行けると書いているが、車に傷をつけるわけにはいかない。 今回の旅行で一番びっくりしているのは、もしかするとこのレンタカーかもしれない。予想外の悪路だったし、カーナビは操作を間違えて延々と大津港への道を案内していたし…(京都に着くまで)。しかし、大型ワゴン車がそちらへ向かって上がっていった。こちらは車高の高い車の勝ち? 途中にある弥勒仏(滋賀の大仏)を拝見して下山。30号線を比叡山越をして京都へ。燃費も良くガス代は631円だった。 この日は愛知県の江南で一泊した。すぐそばが木曽川で河を越えれば岐阜県。 翌日は岐阜県各務原を中心に見る。各務原には山田寺、蘇我石川麻呂の墓、蘇原という地名、蘇我氏との関係を思わせるところだ。木曽川の対岸、犬山市には入鹿池などという地名もある。各務原には古代寺院も多い。 まず各務原の中央図書館の埋蔵文化センターへ行き、発掘品を見る。古代寺院の遺物、古墳からのものなど多くを見る。続いて須恵器窯へ。付近は須衛という地名。この近くに村国神社があって、壬申の乱の時の関係が深いことも分かる。神社裏の森の中は大量の古墳がある。半分藪となっているところを入っていき、古墳らしきものを見る。村国神社も古代の氏族との関係を感じさせる祭神が祀られている。 犬山で味噌田楽を食べたあと、青山古墳へ。愛知県側の犬山市である。古墳の説明をうけた。この古墳からは丹後半島につながる「土師器」が出てくる。丹後は古代、加羅と鉄の貿易をしていた地域で、今も加悦という地名が残っている。若狭を通じて朝鮮半島とのつながりが強かったと言うことになる。 続いて近くの田県神社へ。子宝祈願などの神社で、男根の奉納物がやたら多い。若い夫婦が多く訪れて、祈願していた。写真は珍宝窟で、前に置かれている玉をさすって願い事をする。その上をキノコ型をした笠が覆う。参拝した後、東京へ。夏休み最後の週末のため上りの新幹線は大混雑。指定席をとったが、「のぞみ」はかなり後までなく、「こだま」でのんびり帰ってきた。 名古屋ではホームにいるだけで頭がぼおっとしてきた。冷房の入った待合室は立錐の余地がないほど人がいるし、待合室でなくとも日陰にいる人が大多数だった。それもそのはず。名古屋を出てすぐのビルの上にある温度計は38度を示していた。