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2014年5月30日
日本史授業 20140530 尊王攘夷運動と八月十八日の政変
F尊王攘夷運動

1862年7月に始まった文久の改革は、島津、慶喜の思想面の違いと、
京都の事情でうまく行かなかった。

攘夷派が集まっていた京都では、京都警備役の島津久光が京都を去り、
1862年後半、譲位派、特に長州の力が強くなった。

長州藩では松下村塾出身者が政権を握り、攘夷が藩是となった。
また、土佐でも土佐勤王党が力を持つ。

そして、長州藩主毛利敬親、土佐前藩主山内豊信が上洛した。
これによって、京都の主導権は攘夷派が握ることになった
彼らは「天誅」を合い言葉に京都に集まってきた。

一方、幕府側は、これに対抗して
京都守護職会津松平容保傘下の近藤勇(調布近郊の生まれ)に新選組を作らせて、
京都を警護させる

(好きな人は、ずっと語っていてもらいたいだろうなと思いつつ、さらっと流す)。

このような状況を背景に孝明天皇は、攘夷の命令を下しに、急進的攘夷派の公家、
三条実美を江戸に派遣する。

さて、三条実美の江戸訪問を受けて、1863年3月家茂は京都に上がる。
天皇は和宮の兄であるとともに、攘夷を約した相手だった。
家茂は3000の兵を連れて二条城に入った。

将軍に指導力があることを示し、朝廷を牽制するためであった。
ちなみに、将軍が京都に行くのは家光以来、229年ぶりのことであった。

しかし、家茂は天皇の意向を抑えることが出来ず、
5月10日攘夷決行を約束してしまった。
これを受けて1863年5月10日、長州は下関で英仏蘭の船を攻撃した

G八月十八日の政変
このように攘夷派の力が強くなったことを良く思わなかった会津、薩摩などと
公武合体派の公家は、8月18日、攘夷派を抑えるためにクーデターを行った。

すでに攘夷派と結んで親政をめざした孝明天皇は
藤原家の神社、春日大社と神武天皇陵を参拝しており、
親政後には天照大神を祀った伊勢神宮に参拝する予定まで立てていた。

しかし、公武合体派に宮中を抑えられ、
長州藩士や三条実美ら七卿は変化記できずに都落ちをした(七卿落ち)。
京都は公武合体派が実権を握った

孝明天皇も「自分の意思は8月18日以降の動きである」と宣言した。
攘夷派はハシゴを外されてしまった。

そして、長州は再起をかけて新たな動きを起こすこととなる
そのきっかけは64年6月の池田屋事件であった。

再び京に参集し始めた長州藩士は池田屋に集まってクーデターについて
相談していた。大風に乗じて京都に火をつけ、そのすきに孝明天皇を
長州に連れ出すと言うことであった。しかし、藩士の一人が新選組につかまり、
ばれてしまった。その結果、会津、桑名などの兵が囲む中、池田屋が襲撃され、
死者6人などの惨事になって仕舞った。

これを受けて、長州は三条実美らの名誉回復を求めて1500の兵で京都に向かった
しかし、7月、皇居近くで薩摩、会津、桑名と戦い敗退した。
これを蛤御門の変、禁門の変という。このとき砲弾一発が宮中に落ち、
それによって後の明治天皇が失神したという逸話が残っている。

長州はこの戦いで負け、朝敵とされてしまった。
というのも、
孝明天皇が(本心とは別として)公武合体派を支持していたのであって、
長州はそういう天皇の立場に反して、天皇のいる皇居を襲撃したからである。
Posted by hajimet at 21:50 | Comments (0)


倫理 20140530 パーソナリティーの形成
青年期のまとめ。

パーソナリティーの形成。
1.個性と価値観。
人は自然環境、社会環境と調和、適応する。

社会環境…公園、学校、商店街、交通機関の便利さ等々

それに自ら合わせたり(半袖、地震に耐える建物)、
自ら作り替えたりする
(冷暖房、溜池(武蔵野台地の溜池群)、川の付け替え(荒川放水路))。

 cf.国木田独歩『武蔵野』
武蔵野の原風景が「雑木林」というのは間違い。
  もともと火山灰台地であって、水はけが良い。水を得るために用水を掘ったり、
  井戸を掘ったりした(マイマイズ井戸)。新田開発のために、腐葉土を得たり、
  防風林としての役割で植樹したものが雑木林化した(新田集落)。


個性は人それぞれ独自性(自我…他人との違い)を意識するもの。
青年期以前は「個性」の違いまでは意識していない。

個性は3要素にわけられる。それは
 能力(知能、技能)、
 気質(情緒=喜怒哀楽の継続的な現れ方。気分など)、
 性格(意志的能力=能力と気質をコントロール)であり、
人によりどれが強く出るかは異なる。
また、性格は後天的に形成されるもので、行動、態度の積み重ねで形成される。

これを類型化した人もいる。
クレッチマー(生徒は誰々はこれか等と騒ぐ)、ユング、シュプランガーなど。

クレッチマーは犯罪者の体系的特徴を元に体型と気質を関連づけたが、
これは優生学やヒトラーの思想に繋がるもので、現在は否定されている。
(危険な人、素質のある人は「消せ」ということになる。)
こういう分け方があったと言うことだけ知っておいて欲しい。

ユングは精神学者としてフロイトともに知られる。内向、外向
シュプランガーは文化的価値をどこにおくかに注目した。

改めて、性格は個人の全体的特徴である。
英語ではパーソナリティー。ラテン語のペルソナ(仮面)から来る。
仮面は性格を表すものだからで、歌舞伎の隈取りも同じ。
赤は正義、怒り、青は悪人。

性格は遺伝的要素+教育、学習(環境、主体)によって形成される。
だから、形成する為、自己を変えるための意思と努力が必要。
そして、青年期はそのような個性の確立期にあたる。

青年期は「モラトリアム」の時期で社会に出る猶予をされている時期である。
成人に入りきれない独特な時期で、社会にでることを待つ時期である。
したがって、その時期に色々なことを身につける必要がある。

同時に、それは「マージナルマン」であって、子供でも成人でもできないことが
出来る時期である。

さらに、学校に学びに来ている。学校=スクールはギリシア語のスコーレから
来ているが、「スコーレ」とは「余暇」のことである。
だから、その余裕を利用して、本などを読んで、自分を追求するべきだし、
他人の考え方に触れることも必要(教科としての倫理の必要性)。

そのなかで個性化(あるべき自分)と社会化(社会の成員)を身につけ、
自己の価値観、生き方をみつけ、ふさわしい進路を見付ける。
すなわち、職業選択、理想像を形成する。

ところで、エリクソンはライフサイクルの中で、青年期の発達課題を
「アインデンティティ(自我同一性…自己か?)の確立」とした。
「『私は』だれ?」「『私は』社会にいかに貢献するか」の答えがそれである。
(「私が」が主語になっていることに注意。)

一方で自分自身が分からなくなると、「アイデンティティが拡散」し、
「アイデンティティの危機」に陥る。
そうなると、ステューデントアパシー、青い鳥症候群、ピーターパン症候群、
パラサイトシングルなどの現象が起こる。

拡散しつつも収斂させることが必要である。

さらにハヴィガーストも青年期の発達課題を挙げている。
その中で「価値や倫理の体系を学習し、適切な科学的世界像を形成すること」が
課題としてあげられている。

そのようなヒントとして、
過去の人の考え方について、これから触れていくことにする。
ギリシアに入る前に神話から入っていく。
Posted by hajimet at 20:51 | Comments (0)


2014年5月29日
杉並総合ハングルT,U 20140528 サバイバル韓国語
ハングルT

金曜日に韓国板橋(パンギョ)の高校から訪日団が来校、交流をする。
そのため、サバイバル韓国語の練習。

まず、紙を出させる。そこに
・名前は何ですか
・家はどこですか
・学校の名前は何ですか
・何のクラブですか
・何歳ですか→自分の歳は覚えること
・日本語(韓国語)大丈夫ですか→大丈夫です、ダメです、少しだけです
・歌、好き?
・(歌手)誰、好き?
・好きな食べ物は
・趣味は何ですか
  を書かせる。
一部すでに練習をしているものもあるが、
ALTに発音してもらってカタカナで書き取らせる(生徒の耳を慣らす意図もある)。

部活は、韓国では日本の部活と相当異質な活動になるので、
「トンアリ(同好会)は何?」にする。

生徒:何でそんなに韓国の高校生は勉強するんですか?
答え:大学に行かなければならない社会だから

年齢は数え年で教える(ここで年齢についての説明は終わる)。
ついでに、丑年、寅年、卯年の韓国語も教える。

基本的に助詞を省いて練習したが、「趣味は何ですか」だけ助詞をつけた。
助詞の導入のきっかけにしたかったからである
(全部やると、煩雑でかえって生徒がこんがらがる)

その後ALTと練習。
自分のことを言わせたり、生徒からALTに質問させたり、様々な方法で練習。

当日は紙を持って行っても良いが、
紙ばかり見て、相手の顔を見ないなんていうことないように…。

(サバイバルをやるように見せながら、一年間の授業の伏線づくりが裏目的)

ハングルU
1時間目
「2年生にサバイバル教えたぞ、君たちは当然出来るよね???」

ハングルTと同じことを1時間で行う。板書はハングルで。
「頼むから、質問は2年生に任せた、などと言うことのないように」

2時間目
「チャレンジ韓国語」第5課。
昨年扱った은/는、입니다.、입니까?がテーマ。
だが、昨年扱っていない라고/이라고 합니다もある。

昨年扱ったところは簡単に済ませ、라고/이라고 합니다を丁寧に練習。
教科書の練習問題が面白い。

「これ、日本語でなんていうのですか?」という問題。
回答が「八つ橋、石突き、蚊取り線香、岡持、湯たんぽ」…。

この日はここまで。
Posted by hajimet at 21:39 | Comments (0)


2014年5月27日
日本史 20140526 公武合体とその背景

C公武合体(1)

これまで、幕府の中では開国派と譲位派が対立していた。
開国派はそれまでの幕政の独立を維持しようとしてきた。
最後に井伊直弼が支えようとした。

だが、桜田門外の変で井伊が殺されると担い手がなくなり、
譲位派に妥協する政治をする。同時に朝廷をどう取り込むかが問題となる。
 
堀田正睦(安政の大獄で死去)の次の老中
安藤信正は、開国派であり、井伊の外交政策を継承しようとした
一方政治的には井伊時代の反省もあって、穏健路線を取ることにした。
 
彼が考えたのは、
幕政を建て直し、権威を維持するために朝廷の力を利用しようとしたことであった。
これが公武合体である。

安藤の考えた公武合体は幕府を中心とした公武合体であった
 
安藤が理由としたことは、表向きは朝廷が攘夷をするためには、公武合体が
必要と言うことであったが、
その裏では、朝廷が(内勅のように)幕府の政策に反対すれば、
廃帝もあり得るというものであった。
 
その象徴として和宮を家茂と結婚させることが図られた。
1860年末には結婚を朝廷に申し込んでいる。

しかし、朝廷側は、和宮にすでに婚約者がいること、孝明天皇と異腹の兄弟で、
そちらの母親から許可が取れていないことなどを理由に結婚を拒んできた。
そもそも荒い武士の跋扈する遅れた東国なんかに妹を送り出したくなかったのだ。
 
だが、次第に外堀が埋められ、1861年に孝明天皇は婚姻を許可した。
ただし、攘夷を実行し、鎖国にすることが前提である。
幕府側は10年以内の攘夷を約束した(実際にこの攘夷は実行に移せる)。
 
和宮も、江戸城でも御所と同じ生活をすることや、
年に一度の墓参りのために京都に戻ることを条件とした。
 
和宮は1861年11月に京都を出発した。
経路は中山道。道幅が狭いこともあって供奉の行列は50キロにも及んだ。
東海道は大井川の川止めがあって、予定が立たないことと、
結婚に反対する過激派の襲撃を受ける恐れがあった。
 
一方で、中山道は日光への例幣使の道に使うなど、
公家にとっては馴染みの道だった。

沿道の住民には、高いところから見ないとか、
犬や鶏は、鳴き声の聞こえないところに移させられた。
 
1862年2月、いよいよ結婚式。
しかし、和宮が内親王になっていたため、
将軍家の結婚式なのに、主人は和宮となった。

その後の生活は和宮にとって満足行くものではなかったようだ。
考えてみれば、御所風の生活と言っても、
ハモのようなものは江戸では手に入らない。
 
そうではあったが、和宮と家茂の中はとてもよかったようで、
近年、増上寺で行った発掘では、
家茂の姿が映った銀板を抱いて寝ていたことが分かった。
 
D坂下門外の変
このような幕府側の動きに対して攘夷派の反発が強まり、
1862年2月、安藤信正が坂下門外で襲撃された。
これも水戸藩浪士による者で、1860年から計画はされていた。
桜田門の変以来、警備が厳しくなっていたために、
安藤は大した傷も負わずに済んだが、これをきっかけに安藤は失脚した。
 
E公武合体(2):文久の改革

1862年、藩主島津忠義の父、島津久光は、朝廷から京都の警護を命じられた。
尊攘派が集まって治安に問題が出たからである。
久光は自己の独自の公武合体案をもって鹿児島を出発した。
京都に着き、朝廷より改革案の承諾をとる。
そして、朝廷の使者とともに、江戸に来て、将軍に謁見して、幕府もこの案を吞んだ。
 
その案とは幕府を改革すること、言い換えれば
『公』に重点を置いた合体であった。
 
 1. 一橋慶喜を家茂の後見職とすること。
 2. 薩摩、長州、土佐、肥前、仙台の藩主を五大老とすること
  (重要な港を持つ所による雄藩連合。倒幕を考えてはいない)。
 3. 兵制を西洋式にする。
 4. 参勤交代を1勤3年とし、滞在期間を100日に縮める。
   人質として江戸にいた大名の妻子の帰国を認める。
 
これにより、一橋派の力が伸びた。
 
ところで、島津は上洛するときと、江戸から京都に戻るときに
大きな事件を起こしている。

 1.1862年の寺田屋事件。
    倒幕の動きが強まり、寺田屋に志士が集まると、久光は藩兵に命じて
    寺田屋を襲撃させた。久光は倒幕までは考えていないと言うことだ。
 2.生麦事件
    江戸から戻るときには生麦事件を起きた。
 
これにより、島津を中心に改革がうまく行くかのように見えた。
しかし、次第に慶喜と島津の間で意見の違いが出てきて、改革はうまく行かなかった。
そこには、思想的な背景があった。つづく。
 
【参考】攘夷思想について
島津と慶喜の行き違いは思想的背景が違うとことに由来する。
当時攘夷に結びつく考えは大きく2つの流れがあった。

(1)国学
 賀茂真淵−本居宣長−平田篤胤と続く。

平田は全ての古伝は日本にあったと考え、
アダムとイヴも実はイザナギとイザナミだったとする。
文字もそうで、漢字渡来以前に神代文字があったとする(ハングルで理解出来る)。
すべてが日本にあったわけだから、神道と天皇を尊重する流れとなる。
 
平田は多くの弟子を取り、影響は広がった。
地方では郷土史に関心を持つとともに、地方を改良とする人が多く出たし、
政治では「尊皇」が重視されるようになった。
そして、これと攘夷が結びつく。このため倒幕へと進む。
 
(2)水戸学
 藤田幽谷、藤田東湖らによって作られていく。
こちらは、忠で以て互いの職分を果たすことを重視する。
また、天皇を中心に忠愛で結ばれている社会を国体という。
 
忠で結ばれている関係を重視するので、幕府を擁護する考え方に繋がる。
すなわち天皇から政治を委託された幕府は、天皇に対して忠で結ばれていれば良い
これによって、政治は王道が求められる。
 
従って、「尊皇」ではなく、「尊王」であり、これと攘夷が結びつく。
京都の「尊皇派」と違い、「そんのうじょうい運動」は「尊王攘夷運動」である。
 
ところで、現在に於いても攘夷派克服されていない。
と言うのも開国の動き自体が、攘夷の発展系だからである。

国学者の大国隆正は、
攘夷をするためには、まず国力を付けなければならない。
すなわち、外国と交易をして、富国強兵をすることによって
初めて外国と対峙できる
とした。

その後も、日本の歴史の中で、この考え方はときどき顔を出している。

Posted by hajimet at 14:45 | Comments (0)


伊勢紀行 20140524(3) 帰路

続けて参道を歩く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参道から月讀宮に向かって歩く。15分ほど。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月讀宮直前に「上田神社」があった。祭神は素戔嗚尊、大山祇神、菅原道真。
ここも神殿を遷したところであった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つづいて、月讀宮に行く。4つの宮が並んでいて、向かって右から月讀荒御霊魂宮、月讀宮、
伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並ぶ。月讀宮、荒御霊、伊佐奈岐、伊佐奈弥の順で参拝する。
境内に別の小社がいくつかあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五十鈴川駅でタクシーに乗る。そのまま伊勢市駅へ行くつもりだったが、運転手の勧めで、
倭姫宮と月夜見宮も見ることとする。倭姫宮は下り坂の参道を降りていく。最後の部分で
階段を上り、参拝となる。内宮の宮で、鰹木は偶数、千木は水平方向尾に切られる。
なお、外宮の宮の鰹木は偶数、千木は先端が垂直に切られる。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして月夜見宮。こちらは外宮系。脇に稲荷があるが、落雷で燃えた木のうろに祀られていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宇治山田駅に出る。近鉄特急で名古屋まで。

 

Posted by hajimet at 13:54 | Comments (0)


伊勢紀行 20140524(2) 内宮他

外宮からバスで内宮に向かう。約15分。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五十鈴川にかかる宇治橋を渡り内宮に入る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一鳥居まで、広々としたところを歩いて行く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第1鳥居をくぐると、五十鈴川御手洗場。そして、その脇に滝祭神がある。囲いの中を覗くと、
三角形の石が一個置かれていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五十鈴川沿いに上流に向かい、風日折宮橋を渡り、風日折宮に行く。名前の通り、
橋から進むと、折り返すように神社に着く。川に背を向けた方向に神社はある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いよいよ正宮。正宮の石組み隅には籾だね石がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正宮裏手、坂を下りていくと、天照大神の荒御霊を祀った荒祭宮になる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神苑に戻る。その脇にひっそりと子安神社と大山祇神社がある。
鳥居と子安神社の向きは直角である。他の宮と異なり、遷宮の対象になっていないようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参道を散策しながら月讀宮に向かった。

 

Posted by hajimet at 13:33 | Comments (0)


2014年5月26日
伊勢紀行 20140524(1) 外宮

名古屋での用事に合わせて、伊勢と養老渓谷を巡った。
朝7時過ぎの新幹線で名古屋へ。みえ3号に乗り換えて伊勢市駅に向かう。
周囲は田植えの風景と麦秋が見られる。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11時6分、伊勢市駅着。外宮への参道を歩く。遷宮と遷宮官が出来たことに合わせて、
2013年に整備されたとのこと。案内図もある。外宮の周りにもいくつも神社があることが分かる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外宮到着。5分ほど。高倉山を背後に抱く神社である。
伊勢の在地集団の神を祀ったのが始まりとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
表参道から入る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
御正宮前には池があり、その前に川原祓所がある。
もともと宮川の支流がここを流れていて、ここで禊ぎをしていたと伝えられる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正宮参拝。まだ、古殿が残されていた。鳥居の後ろについたてが立っていることが不思議。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
別宮に行く。風宮、荒魂を祀る多賀宮、土宮の順で回る。
多賀宮は小山を登ったところにあった。
土宮の近くには下御井神社もある。こちらは説明も何もないが、
山手から川が流れ込むところにある。水に関する神社か?
 
これらの宮も遷宮したり、遷宮する工事をしている。
2014年に正宮が遷宮し、別宮は翌年とのことである。
遷宮した跡は神柱を守る小社が建てられる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1時間ほど掛けて参拝修了。暑い。参道で伊勢うどんの入った巾着を食べる。
醤油出汁とサンショウが利いている。うどんはモチッとした食感。

 

Posted by hajimet at 21:19 | Comments (0)


日比谷ハングル20140523 合成母音、パッチム(1)

【導入】前回の復習。濃音の復習。ティッシュをかざしながら。

「音を高く発音してごまかしています〜」→
(実はそれで十分なのだが)ここは正攻法で勉強すること。
濃音の入った単語の読み。読みは次第に早くなっている。
だが、ㅗ,ㅜ、ㅔ,ㅖ、ㅈ,ㅅ、ㄱ,ㄴなどの混同は続く。
 
【展開1】
어때요?で「韓国語어때요?」などと質問。
 
単語に続けて누구예요?の練習が出ている。
(教科書の答えは뽀빠이예요. 아빠예요. 오빠예요.)
いくつか会話練習したあと、「○○の선생님 누구예요?」と質問。
答えは「○○선생님이에요」。
ついでに、「○○の선생님 누구예요?」と質問したら、
異口同音に「怖い선생님니예요」.(誰かは言えない)。
 
次に뭐예요?
(教科書の答えは까치예요. 토끼예요. 코끼리예요.)
까치:日本ではカチガラスとも言って佐賀の特別天然記念物。
文禄の役の時に持ってきた。
韓国では家に巣をかけると幸福になるというが、日本では電柱に巣を作り停電になる。
なぜか北海道にもいる。
 
토끼:発音を間違えると斧になる。
코끼리:象印もさす。何回真っ赤な電気釜を運んだことか…。
 
【展開2】
続いて合成母音。これは大体読めれば良い。
基本的に二つの母音を組み合わせてごちゃっと話せば通じる。
 
돼지に関連して서태지の話。회사から「社会」という言葉を連想させる
(漢字語のイメージをつけるための導入)。
추워요では、더워요、무더워요、시원해요も導入。

스웨터(スェットではない)から外来語の話に移る。
ヘンボゴ、セロリーメン、テッチョ、メガド…結構受ける。
それからジャンケン(가위, 바위, 보)で遊び、優勝者には商品。
 
【展開3】
パッチムまで。響くパッチムと消えるパッチムについて。
響くパッチムは「ん、る」と音が聞こえる。消えるパッチムは促音のようで音が聞こえない。
「『ん』が3つあります。消えるパッチムは区別が分かりません〜」
 
響くパッチム。ンの区別は日本語にもある。
「パンにバターを塗ったパンも好きだが、アンパンも好きだ」
→『ん』の発音はそれぞれ違う(3つにわかれる)。
 
それから、ㅁ,ㄴ, ㅇの練習。
ㅇは「アン、アン、アン、とっても大好き」の要領で(アンを段々早くする)。
ㄹは英語より奥の方(舌で上あごをたどると、急に深くなるあたり)ににゅっと付ける。
 
消えるパッチムは、発音する直前で止める。
「おじいさんと一緒にチックタックチックタック」。早く歌うと?「そうか…」。納得する生徒
【まとめ】
次回の予告。次回は連音化を中心に扱う。

Posted by hajimet at 20:41 | Comments (0)


2014年5月25日
養老渓谷20140525

9時45分名古屋発大垣行きに乗り、大垣へ。そこから養老鉄道で養老へ向かう。
養老山地は傾動地塊で、断層線と複合扇状地、濃尾平野が接近しているため、
土地利用などの特色がコンパクトにまとまっていて、、地理ではよく取り上げられる。
 
発車後、すぐに養老山地が迫ってくる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
杭瀬川を渡る。杭瀬川は元の揖斐川本流。後背地が広いことで知られる。
ここで牧田川と合流するが、下流までかなりの距離平行に二条で流れていく。
授業では急流の牧田川が揖斐川にほぼ直角で合流するため、牧田川側が滞水する。
それを避けるために二条にすると教えたが、今回見た限り、川の状態が違いすぎる。
 
牧田川は上流からの土砂で伏流水状態になっているのに対して、
杭瀬川はつねに水がある。これでは杭瀬川が埋まってしまい、
かえって洪水の危険性が高まる。水の流れと、河床の問題だけではなかった。

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 養老駅到着。10時50分頃。駅は滝谷を超えるためか勾配を登っていく。
扇端部よりむしろ扇央先端に近い。駅前は集落が形成されているが、
駅から低い方向を見るとそのことはよく分かる。養老の滝だけに瓢箪が名物。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
養老の滝から流れ下る滝谷は、この辺では伏流水になっている。
上から流れる土砂が一気に下に流れないように、砂防ダムになっている。













 
 
 
川の左岸の道を、だらだらと坂を登る。勾配はほぼ一定。20分ほど。
扇頂部で集落が出てきた。わき水、神社、寺も確認。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
集落が切れたところで、養老公園に入る。入り口脇、滝谷が伏流水になる点が目に入る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公園の駐車場が終わった所に、滝不動がある。ここに「孝者」の「墓」がある。
この辺からが勾配転向点。急に勾配がきつくなり、階段状になる。
滝まで600mだが、15分とある(本当にかかった)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
到着。























 
























 

 
 
 
































 
 
 
 
再び養老駅に向かって下る。勾配転換点まではかなり大きな岩が転がっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勾配転換点で急に小石が登場。切り通しにも同じような大きさの石が
積もっている様子が見える。今度は右岸降りる。下に行くほど、石が小さくなることが印象的。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
扇央部は公園になったり、果樹畑になったり。果樹畑は柿が多かった。あとは栗。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
養老駅到着。ちょうど12時11分発大垣行きが止まっていた。
列車まで時間があれば、天井川をトンネルでくぐるところや、
扇端部の神社の祭神を調べたかったが、次回に残す。
果樹畑、扇端部分の集落を見ると、もう濃尾平野。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
集落も輪中集落に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
遠くに養老山地と複合扇状地の様子を眺めながら。

Posted by hajimet at 21:46 | Comments (0)


2014年5月17日
皇居乾通通り抜け 20140407

皇居の通り抜けに行って来た。
10時半頃二重橋前駅に着く。馬場先門側の出口から地上に出る。もう凄い人数。
内堀通りの信号が3回変わらないと、渡らせてもらえない。渡るまでに15分近く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
凱旋濠から桜田門、二重橋前を通る。二重橋前は記念写真を撮る人もいて渋滞中の渋滞に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やっと坂下門前に着く。だが、門前の通りを一度内堀通りに戻り、Uターンして坂下門方面へ
身体検査と荷物検査を受けて、坂下門をくぐる。ここまででほぼ2時間。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
桜が迎える(蛤濠)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宮内庁。脇に新宮殿も見える。休憩所、待ち合わせ場所はここしかない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
乾通りを抜ける。右は蓮濠池。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
桜はきれい。樹下は大渋滞。傘は差さないで欲しい。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下道灌濠

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
乾濠

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
乾門から出る。1時間の行程

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北桔梗門脇のモクレン。

Posted by hajimet at 13:39 | Comments (0)


日比谷高校ハングル 20140516(濃音)

導入
まず、前回の復習。이름이 뭐예요? 집이 어디예요? 오오타쿠가 어디예요?から初め、
中学校の名前、高校の名前、小学校。
幼稚園(ただ、유치원しか提示しない)の名前、場所、最寄りの駅名などを言わせる。
 
展開1(文字と発音の定着)
次に前回チャレンジ韓国語のハングルの読みのところ(나무 ,나라…)を読ませる。
読めない文字は反切表を見てもよい。そして、CDを聞かせる。
 
最初は流して、次にCDについて発音させる。
抑揚も意識(ただし、このCDは抑揚については余り参考にならない)。
一度目:よく聞き取れない。
そこで、「ㅅ,ㅋ,ㅌ,ㅊ,ㅍ」で始まる音に注意するように指示。
高いところから音が出ていることを確認させる。
 
韓国語は低-高-低、高-高-低の抑揚がある。
日本語は高低が違うと「雨」が「飴」になるように意味が変わってしまうが、
韓国語はそれはない。
 
続いて「読んで書いてみよう。書いて、読ませた後、ここにある가수,요리などを利用して会話。
3年生を使って좋아하는 요리가 뭐예요?などの文型を繰り返し、
좋아하는が「好きな」、좋아해요が「好きだ」ということに気づかせる。同時に노래も。
 
そして、生徒に質問。
노래 좋아해요? 좋아하는 가수가 누구예요? 좋아하는 노래가 뭐예요?
 
좋아하는 도시가 어디예요?
후쿠오카예요が出てきたので、
同様の手法で맛이 있는を導入連体形としてでなく、一つの「単語扱い」として提示す)した後、
후쿠오카 맛이 있는 요리가 뭐예요?などと聞いていく。
 
展開2 濃音
 
가-카-까, 다-타-따などの音を聴かせた後、ティッシュを準備させる。
発音のコツを練習していく。「うっかり」、「ヤッタ−」、「やっぱり」、「あっさり」、「抹茶」を使う。
それぞれの「っ」の部分の舌や口の形を意識させる。
「っか」は口の奥が塞がる。「った」は舌が前の方にある。「っぱ」は口を閉じる。
「っさ」は舌先、「っちゃ」は「っさ」とほぼ一緒だが、若干力が入る。
 
「うっかり」を数回発音し「っ」を意識。それから「うっっかり」、
「っっ」のとき、閉じている部分に力を入れ。「か」を言うときに言い直さないで、軽く「か」と発音。
「うっっか」→「っっか」→「っか」→「까」。
kKAのつもりで発音するとよい。
ティッシュを口の前に当てて、ティッシュが動かなければOK。
 
他の音も同様。
짜は「アラレちゃん」の「んちゃ」(一人だけ分かる生徒がいた)。
 
日本語の「っ」は実は次の音を準備している、口の図を書く。

 
(舌の形が「ㄱ」)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、この口や舌の形がハングルの子音の文字になったと制字原理にも触れた。
 
まとめ
濃音の単語を読む。

中間試験まであと二回(試験をやるわけではないが)。
次回は合成母音、パッチム。次々回は連音と有声音化を扱い、
文字と発音の話は終わらせる予定。

Posted by hajimet at 13:00 | Comments (0)


関西旅行 20140324 (4日目、京都散策)

関西4日目。最終日。春の特別公開期間は終わっているが、
まだ特別公開をしているところを探して、散策。
四条堀川から堀川鞍馬口までバズで移動。南下して歩く。
まずは、後花園天皇火葬塚、水火天満宮を覗く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて第1の目的地、本法寺に行く。長谷川等伯の涅槃図が特別公開。
上にマヤ夫人が描かれず、左下にネコが描かれている。
江戸時代中期になるとマヤ夫人が描かれると共に、ネコが描かれなくなるという。
続けて、宝鏡寺に行き、人形展を見た。
ひな人形の変遷や、出家した皇族のための男の子の人形などが興味深い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここから出町柳方向に歩く。まず、百々橋の礎石。応仁の乱の時、この橋を挟んで、
細川勝元、山名宗全が対峙したという。
続いて、妙見寺。頭塔には尾形光琳の墓があるが、非公開だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに相国寺。この日から始まった特別公開を見る。
法堂の天井図(竜。どこからみても目が合う)、法華経の経文で描かれた観音菩薩図、浴室が
見られる。寺の脇には、「薩摩藩戦死者墓」がある。これは甲子役(1864:禁門の変か?)、
戊辰役(1868)の戦死者を祀ったもののようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出町柳で昼食。バスで錦林車庫前に行く(急にここで運転打ち切り、入庫になった)
真如堂まで歩く。三井の菩提寺。江戸時代中期の涅槃図を見る。マヤ夫人がいた。ネコもいた。
そして、涅槃の庭、随縁の庭を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徒歩で金戒光明寺を抜けて、岡崎道から祇園までバス。
八坂神社を見る。素戔嗚尊はじめ、渡来人の神を祀ったことに始まるが、末社まで含めて
殆どが出雲系、渡来系の神を祀っていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続けて高台寺。ねねを祀る寺。開山堂、利休の意匠による茶室などを見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寺の入り口脇に高台寺天満宮がある。マニ車が設置されていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ねねの居所だった観徳院の庭、秀吉の持念仏を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バスで東寺に行き、密教文化展を見て、帰宅。

Posted by hajimet at 11:18 | Comments (0)


2014年5月16日
関西旅行 20140323(3日目)

昼間は吹田で会議。山陽本線で姫路から向かう。
会議終了後、京都に向かい、弥栄会館ギオンコーナーで伝統芸能を見る。
1時間で、色々な芸のエッセンスが見られるというもの。
 
まずは、上手で、茶道をする中、(「さどう」でなく「ちゃどう」と言っていた)、箏曲と華道で開幕。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて、雅楽。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
狂言(太郎冠者)、京舞
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文楽(八百屋お七)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
祇園を散策しながら、ホテルに戻る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は四条大宮駅の脇で、串カツ。意外にあっさりしていた。

Posted by hajimet at 21:43 | Comments (0)


関西旅行 20140322(2日目 姫路・赤穂)

2日目。姫路の書写山圓教寺に行く。966年創建。
西の比叡山と言われたが、その後一時衰退した。黒田官兵衛の関係でカップルが多かった。
 
バスで書写山のロープーウェイ入り口まで行き、そこから上に上がる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに10分ほど山を登ると山門。そこからもう10分ほど歩くと、清水寺によくにた摩尼殿に着く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
摩尼殿から裏山に入る。険しい場所を登っていくと、白山権現が祀られていた。
1月の修正祭、鬼おい会式の始まりは、この権現での拝礼に始まるとする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
裏山を下り、大講堂、食堂、常行堂が集まる地域に出る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
周囲の建物や、眺望を眺めた後、再び山を下り、姫路駅へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼食後、播州赤穂駅へ。そこから赤穂城まで歩く。城の中に大石邸跡や大石神社がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに、本丸は箱館五稜郭と同じ形式で作られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
赤穂城を見た後、花岳寺を見学。浅野家墓碑、森家墓碑、47士墓碑、義士宝物館などがある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
待ちをぶらつきながら、播州赤穂駅へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
姫路に戻り、姫路城の周りを一周(天守閣は工事中で近づけない)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は姫路おでん。生姜醤油で食べるおでん。意外とさっぱりしていた。
この店のおでん汁は、静岡おでんのように濃い。それと「松葉」。鶏の鎖骨部分のこと。

 

Posted by hajimet at 20:41 | Comments (0)


2014年5月15日
関西旅行 20140321(初日)

3月21日、関西へ向かった。
本来は3月23日に大阪で会議があり、それに出席する予定だったが、
3月21日に小山台高校が21世紀枠で甲子園に出るため、その応援もかねて21日に出発した。
アルプススタンドのチケットは、発売30分で売り切れるという状況。
 
連休、甲子園などが重なり、大阪、京都、滋賀、奈良、兵庫のビジネスホテルはどれも無し。
しかたなく、姫路で2泊、そして京都で1泊することとなった。朝7時台の新幹線で出発。
隣の席では、甲子園に応援に行く中学生3人がはしゃいでいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

10時に大阪着。京橋から阪和線に乗り長尾へ。ここで伝、王仁博士墓を見る。
長尾駅から10分ほど坂を登っていくと到着。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手前の丸い石が墓とされるもの。韓国式の門「百済門」は2006年に建立。
玉垣は「皇紀2600年記念」で作られたもので、「中央朝鮮協会」の名前も彫り込まれている。
そばに有栖川宮幟仁親王の建墓碑が建つ。
 
駅に向かって戻ると、右手に正俊寺がある。初代大坂町奉行久貝因幡正俊を祀るために
建てられた寺。建立時に四條畷から移した石塔が建つ。1327(嘉暦2)年の紀年銘がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

長尾から尼崎まで一直線。そこから東海道本線で西宮へ。
駅前で蕎麦を食べる。「きつね蕎麦」を食べたくて、自動券売機を見ても
「キツネうどん」しかない。ほかには蕎麦があるのに変だと思って聞いたら、
「たぬき蕎麦」…そうだ大坂だ。ちゃんときつね蕎麦が出てきた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
食後阪急西宮まであるき、西宮神社見学。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それから本来の目的地、甲子園へ。2時半には現地に着いて並ぶ。
「ともかく、都立高校の試合はメチャクチャ混むから早く来て」と、
関西にいる友人に言われていた。
たしかにすごい。スタンド入り口は自由通路になっているが満杯で立錐の余地がない。
そこを、自転車で入り込む地元の買い物客がいる(すごい)。
「地元の阪神戦でも、こんなに混むことはない」とのことだった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結果はどうあれ、試合を楽しむ。自分の側の「応援ブラス」の音はよく聞こえない。
相手側の音はびんびんに響いてくる。ラジオから聞こえてくる球音の方が、
実際に聞こえる音より早い。そして、音が聞こえた瞬間にそちらを見ても、もう球はない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ラジオはやたら応援席の「菜の花畑のような黄色の絨毯」を取り上げていた
(写真はネットにあったもの)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
試合終了後、阪急甲子園から三宮に移動。ここでJR新快速に乗り換え、姫路に。到着9時。
すぐ、姫路駅南口の「風林火山」に行き、生麩田楽、初鰹のたたき、シーザーサラダ、
姫路前の煮穴子を注文した。写真は生麩田楽。

 

Posted by hajimet at 21:00 | Comments (0)


杉並総合高校 20140514 ハングルT、U

ハングルT
ALTと自己紹介の練習。이름이 뭐예요? 집이 어디예요?から始まり、
학교 이름 뭐예요? 반갑습니다, 감사합니다と進める。
 
日比谷高校2014年5月2日とほぼ同じ授業だが、
最初に住んでいる地名、部活名などをハングルで(日本語)書いてもらう(半分が帰宅部)。
部活名を韓国語に訳してもらい、○○부예요を言えるようにした。
帰宅部は아무 것도 하지 않아요.といわせた。
 
カナダラを確認したところで1時間。
 
次の時間は아야어여오요우유으이の練習。
あとは、日比谷と一緒。最後に한글이 야호、ガナダラの歌、우유 송を見せてお終い。
 
ハングルU
ALTと自己紹介の練習。その後、ALTと半分雑談をしながら進める。
生徒から
「この間テレビで見たんだけど、007빵のとき、どうして、四角いジェスチャーをするの?」と
いう質問が出た。おそらく007가방(アタッシュケース)から来ているんだろうと話した後、
実際に全員で007ゲームをやって貰った。途中から、数字の3の倍数と3つくとき、拍手をするというゲームをALTが紹介した(昨年、やったと思っていたが、やりそびれていたそう。20人以上いて、成立しないと考えたことを思いだした。)
 
そこで、数字ゲームをやらせたが、数字がおぼつかない。そこで急遽授業内容変更。
本来は라고 합니다.を定着させようと思っていたが、それより数字が先。
 
2時間目(ALTが帰った後)、漢数詞を99まで練習する。漢数字の組み合わせで考える。16系統だけは、発音が多く変わることを意識させる。
 
そこで数字ゲーム再開。1時間目よりスムースに進む。誰かが間違えると1から再開するのだが(数字の定着が狙いなので、なおさら)、今回は40過ぎまでいった。最後の1名になるまで続ける。「さっきやったから、数字が覚えられた」という観想つきだった。
 
続いて、固有数詞。一応30まで練習。
とおあまりふたつ」とか「はたあまりいつつ」というような感じ。といいながら、数字ゲーム。
さすがに一通りやったら、疲れ果てていた。
 
もう一度、数字を練習しておしまい。
 
次週もUの方は「臨機応変対応授業」をする予定。

Posted by hajimet at 20:25 | Comments (0)


倫理 20140513 自我の目覚め、欲求

1.自我の目覚め
青年期は生理的変化に伴い内面に関心が向く時期である。
最初のうちは、自分の体の変化に対することに注目するため、外面に関心が向くが、
高校生くらいになると、体の変化も落ち着き、むしろ内面に関心が向く時期となる。
 
この中で、他人と違う、自分だけの世界を発見する。自我の目覚めである。
自我とは自分を外面から「客観的」に眺められるようになる事である。
それまでの漠然とした自我と異なり、明確に他人と異なった自分を意識する。
 
自我に目覚めると共に、心理的離乳も興る。そのために精神的に不安定となる。
これまでと自分を取り巻く状況が変わるからである。したがって、孤独感、空虚感、虚無感に襲われる。
 
その状況の中で3つのことが心理的に行われる。
 1.自己探求。これは自己実現、自我の確立へと進む。
 2.友人を求める。 
   小学校までの友人関係は、たまたま近くにいる「お友達」の関係。
   だから、成長したり、引っ越したり、生活環境が変わると、関係が切れることが多い。
   一方、青年期、特に高校時代の友人関係は、自分の自己探求や孤独感などの
   心理状態を背景に行われるために、自己の内面を共有する者同士が関係をもつことに
   なる。したがって、一生のつきあいになる関係が成立することが多い。
 
     ・友人は第二の自己(アリストテレス)
     ・友人は喜びを2倍にし、悲しみを半分にする(シラー)
 3.異性を求める。
 
青年期は、一生の中でも友人や異性を求める「欲求」が強い時期である。
 
2.欲求
欲求は一次的欲求(生理的欲求)と二次的欲求(社会的欲求)に分けられる。
空腹感は一次的欲求だが、「寿司を食べたい」は二次的欲求。
 
二次的欲求にも段階がある。
ex.ただ、「寿司」が食べたいのか、「美味しい」寿司が食べたいのか、
  美味しい「ウニ」が食べたいか。
 
欲求に階層を有ることを認めたのが、マズローの欲求階層説(段階説)
生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求、親和の欲求、自己実現の欲求と5段階に分かれる。
より下層の欲求が実現されて、次の段階に行く。自己実現はそれまでの4段階が実現されて、
はじめて実現される。このようなことは、東日本大地震のとき、自分たちの振る舞いを考えれば、
理解出来るように思われる。
 
青年期はこのような欲求が最も強い時期であるが、社会的に未熟であるため、欲求不満(フラストレーション)にも直面する時期である。時には欲求が同意に二つ以上生じて対立し、身動きがとれなくなる場合もある。これを葛藤(コンフリクト)という。
 
葛藤には接近-接近型、回避-回避型、接近-回避型があるとされる。また、ヤマアラシのジレンマと呼ばれる、距離の取り方の分からない葛藤も存在する。
 
だが、大部分の葛藤、欲求不満は心理的に時間と共に解決される。これを合理的解決という。しかし、場合によっては、いわゆる「切れる」というような「短絡反応」「近道反応」がおこることもある。一方「防疫機制」という心理状態が興ることもある。
 
防疫機制はフロイトが発見したものだが、欲求不満や葛藤状態にある心理的問題を「無意識」のうちに意識化に押し込めてしまい、あたかも不満が解消されたようにふるまう状態を言う。本来の解決でないから、性格に影響を与えるとか、何かの折に噴き出す(フラッシュバック)するなどの問題が起こる。
 
東日本大地震のあと、地震のことをよく覚えていないという人がいた。それも防衛機制の一つ、「抑圧」の例である。押さえ込んでいるだけだから、時間が経つと、PTSDなどがおこる可能性もある。ほかに、空想の世界に逃げ込む「逃避」、イソップの「酸っぱい葡萄」のような「合理化」、自分を他人と重ねてしまう「同一視」、自分の短所を他人のものとみなして非難する「投射」、抑圧した気持ちと反対の行動を採る「反動形成」、赤ちゃん返りのような「退行」、他の欲求に置き換える「代償」、より高い価値の欲求に置き換える「昇華」などがあるとされる。ベートーヴェンやチャイコフスキーの音楽は昇華による例の一つとされる。
 
…試験範囲はここまで。試験後はパーソナリティとアイデンティティの形成へ。

Posted by hajimet at 19:51 | Comments (0)


2014年5月12日
野草摘み

5月10日土曜日、仕事の合間をぬって野草摘み。個人的春の風物詩。
ノビル、ヒメジオン、ハルジオン、カラスノエンドウ、タンポポ。
 
ノビル以外は茹でて、1日水にさらす。醤油とマヨネーズで食べた。

Posted by hajimet at 23:48 | Comments (0)


今年も山菜

今年も岩手のお店から到着。山菜セット。
毎回内容は違うが
今年は、左からタラノメ、コシアブラ、ハリキリ、葉わさび、コゴメ。
 
葉わさびはサッと熱湯にくぐらせ、冷水につけた後、醤油漬けに。
コツは冷水につけてから瓶に密閉しておくこと。
 
コゴメの大部分は茹でて、醤油とマヨネーズ。
残りは、他の山菜と一緒に天ぷらにする。
ハリキリはタラノメをもっと凝縮させたような香りと、味。
コシアブラも香り満点だった。

Posted by hajimet at 23:43 | Comments (0)


日本史授業 20140512 2時間目(政局の転換)

政局の転換
 この時期は政局が大きく変わる時期であった。
 
(1)将軍継嗣問題
  13代将軍家定には子供がいなかった。そこで早いうちに後継者を定め、幕政を
安定させようとした。しかし、後継者候補をめぐり2派閥が対立した。
   
   ・一橋派(一橋慶喜):慶喜の識見で幕政を改めようとする
                  =島津斉彬、松平慶永ら(幕府の独裁を嫌う)
   ・南紀派(徳川慶福):吉宗以来の血統を重視、家定の従兄。ただし、幼かった。
                  =井伊直弼
     ↳井伊直弼:開国以外は超保守:血縁でなく賢愚で人を選ぶのは西洋の悪習。
    幕府内では一橋派が強かった。
 
(2)安政の大獄
 1858年4月 井伊直弼:大老就任
      6月 日米修好通商条約締結
         将軍の跡継ぎを徳川慶福(14代家茂)とする=一橋派を押し切る。
  
   強引な手法:反発。特に一橋派、尊王攘夷の志士〔特に京都〕の反発
   孝明天皇の怒り(違勅問題):朝廷の権威をないがしろにする
     →幕府への不満を水戸藩に下す(内勅)。
 
これに対して、井伊直弼は幕府に不満を持つ公家、大名を抑え、家臣を処刑した〔安政の大獄〕
     ・徳川斉昭:謹慎、蟄居
     ・松平慶永:隠居、謹慎
     ・一橋慶喜:登城停止
     ・吉田松陰、橋本左内:死刑
 
これにより井伊直弼は幕府の独裁を強化しようとした:
政治は天皇から委任されているのだから、危機に応ずることが当然と考えた。
しかし、かえって、水戸、薩摩、松下村塾の弟子の中から反幕の志士が生まれた。
 
…井伊直弼にはブレインがいなかったため、独裁に歯止め、ブレーキを
かけることが出来なかった(ブレインの有無はどの時代でも共通のこと)。
 
(3)桜田門外の変
    1860年3月3日(新暦3月24日)
      雪の中、江戸城に登城しようと自宅を出たところで水戸藩浪士(脱藩)によって殺害。
       cf.14世紀から19世紀後半は小氷期。
      (井伊邸は現在の憲政記念公園の場所。門と桜田門は目と鼻の先)
 
      このころ水戸藩内では、「内勅」をめぐって返納を主張する上級武士と、
      返納に反対する下級武士が対立していた。その一部の藩士が脱藩して
      (藩に迷惑をかけないように)事件に臨んだ。
 
浪士は「除奸」のつもりで井伊を斬った。倒幕のつもりはなかった。だが、本人の思うように
歴史が動くわけではない。これがきっかけに大きく政局が転換した。というのも、幕藩体制は
井伊直弼の個性によって保たれていたからで、井伊直弼に変わる人がいない以上、
そのような大勢は破綻し、崩壊に向かうことになったのだ。その結果…
 
 ・一橋派や朝廷と妥協する方向に政治が進むこととなった(公武合体)
 
また、事件が外国に知られた。すなわち
 
 ・幕府の不安定さが広く世界に知られた。
   それゆえ、各国が幕府に対する態度を決めることになった。すなわち、
    a) 幕府を改革させ、自国の勢力を伸ばそうとしたフランス
    b) 幕府に見切りを付けて、新たに日本を支配するであろう勢力を支援して、そこで
      自国の勢力を伸ばそうとしたイギリスのような国々が現れることになった。
               (歴史の中でイギリスとフランスは常に対抗状態であることに注意)  
 
次回は(4)公武合体から
  

Posted by hajimet at 16:52 | Comments (0)


日本史授業 20140512(開港の影響:1時間目)

開港の影響…続き
交易が始まったことで
(1)物価高騰
  ・大幅な輸出超過(品薄になる)
  ・海外から安価で良質な商品が入るようになる。
  ・金銀の交換比率(日本=1:15、海外=1:5。この差を利用して金が海外に流出)
     1860年 万延の貨幣改鋳:金貨の価値を3分の1に改鋳
(2)経済構造の変化
  ・産業発展:生糸産業(cf.八王子)、縮小:綿作、綿織物
  ・新興商人〔在方商人の発生〕
    生産者→在方商人(在郷商人)→居留地(居留地貿易)
     在来商人に打撃。江戸に商品が入ってこない。
     幕府は貿易統制をしようとする
      →1860年 五品江戸廻送令(雑穀、水油、蠟、呉服、生糸)
         だが、在方商人、外国の反対(自由貿易に幕府の統制はありえない)で失敗。
(3)武士の生活の困窮(固定量の米が入ってくるだけ…物価の高騰に対応出来ない)
 
(4)社会構造の変化
  ∴ (1)(2)(3)より 
  物価高騰の原因は外国貿易の開始。それゆえ、批判の目は幕府にむく。
  同時に商人や外国人の襲撃事件が頻発した。それが攘夷運動へと変化していく。
   1860 ヒュースケン襲撃
   1861 東禅寺事件
   1862 生麦事件(→薩英戦争)
 
結論 これらを通じて反幕勢力が結集し始めた
   ・朝廷
      朝廷自身に攘夷の風潮が強かった。特に孝明天皇。
      ペリーの来航による事件報告以来、朝廷の権威は上がってきていたが、
      その権威の下に反幕勢力が結集するようになった(新しい旗頭としての朝廷)
   ・西南雄藩
      列国の接近やアヘン戦争などを受けて、早い時期から近代化を進めていた。
   ・下級武士
      実際に生活が苦しい。
   ・富商
 
  

Posted by hajimet at 16:35 | Comments (0)


2014年5月11日
日比谷高校ハングル 20140509(挨拶ほか)

まずは教科書配布。最初から眺めながら進めて行く。애얘에예のところで説明。
教科書に〜예요。が出てくる。そこで会話練習。
 
展開1
저는 다케이예요.→저는 ○○예요を反復させる。
途中から、이름이 뭐예요?を加える。
さらに、○○씨? 반갑습니다を加えて、何となく何を言っているか、雰囲気だけ感じさせる。
 
また、わざと間違えて名前を聞いて、「아뇨」も教える。
 
何度か繰り返したあと、黒板に
이름이 뭐예요?と書き、뭐が「何」であることに気がつかせる。
そして「今朝食べたものは、뭐예요?」とか、「鎌倉遠足で뭐したの?」と、「何」にあたる部分だけ韓国語に置き換える。答える方も「ごはん예요」とか「海で遊んだ예요」〔これは誤用だけれども、예요も定着させたかったので、さりげなく誤用だと言うだけにした〕。
 
展開2
반갑습니다から発展して、教科書表紙裏の「挨拶」の単語を練習。一通り練習した後で、こちらが日本語で挨拶を言って、それを韓国語で答えさせる練習〔組み合わせ、順番は適当〕。
 
展開3
展開1の挨拶を発展させる。집이 어디예요? 집은○○예요. ○○ 어디예요?
중학교 이름 뭐예요?. 중학교 어디예요? などと進めて、집이、 집은、어디を導入。
어디、뭐だけで会話を進めてみる。
 
まとめ
우유 송、ガナダラの歌を見た後、ガナダラの歌の踊りを全員で練習。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 09:02 | Comments (0)


杉総・ハングルT20140507(ハングルで50音)

授業は日比谷高校(20140418)とほぼ同じ内容。
3分の1ほど、プチ既習者がいるので、その生徒にはこれまでの知識を確認するようにと指示。
初めての人のために、黒板に全生徒の苗字を書く。
ア段だけ強調して、文字を読んだりしながら、ア段は「ト」のような文字だとか気づかせる。
 
そのあとgndr順に進めていき、濁る音とそうでない音の使い分けなど話していく。
사行まで来たところで、가나다라마바사を練習。ある程度覚えさせてから、자から先へ。
激音のところは、50音が終わった段階で、「実は…」として、激音に変える。
激音の発音は、体を使って練習。腕を後ろから勢いよく振りながら発音させる。
 
(濃音は力こぶを作るように、クッと手を曲げる)
 
가나다라が終わった所で、ヤ行、ワ行。ヤ行のところで「ミャ」を書かせたら、全員正解。
ローマ字に分解出来ることと、部品の「ㅇ」が、子音が「ない」ことを示していることを理解できるかが、ポイントになる。「わ」で合成母音、「ん」「っ」でパッチムという言葉を導入。
 
教科書で該当ページをざっと見る。
 
授業終了後、チャドのンジャメナはどう書くのかという質問が出た。

Posted by hajimet at 08:44 | Comments (0)


2014年5月3日
日比谷韓国語授業 20140502(母音)

導入
前回の復習。
 1.名前を書く
 「お互いに名前は知っている?」→「はい」→
 「じゃあ、一番縁遠い人の名前を聞いてハングルで書け」→
 「えんどうってなんですか?」「…」
 
 2.自分の家の地名(○○区○○まで)、
  自分の使う線路の名前(会社ごと)を書く。
  おおむね良好。3年生と簡単な会話をして「중학교」を導入。音だけ。
  自分の中学校名を言わせる。
  わざと「중학교는 어디예요?」と問いかけながら
   (それ自体は今回定着を目指さない)。
 ○○線は、○○선という。(一生懸命表を探す…ない)
「表にないね。ㅅㄴはあるけど、音で聞くと「オ」に近いね」。
「韓国語の母音、前回は五十音でやったけれども、今回から韓国語の順番にします」
 3年生にアヤオヨと言ってもらう〔不思議そうな顔)。
 「아야어여오요우으이」。これが韓国語の並び方。オが2つ。ウが2つあるね。
 
展開1
 ここで教科書の反切表の部分のコピーを渡す(まだ教科書は到着していない)。
 子音の発音の要領が書いてあるので、まず復習として가나다라を練習する。
 とくに激音に注意して指導。
 「韓国の歌手で、reignっているでしょ?。韓国語では비というけれども、
  きっと日本では気持悪いんじゃないかな?。
  多くの人が「피」って叫んでいるから。피って「血」だよ」
 それから母音へ。表を見ながら「아야」はアヤ。어여はこれまでに無い音。
 오요は、実は日本語の「およ」とは異なる。우유、으も。이はイで良い。
 「어여」は口の奥で。発音記号の(Cの反対)。寝ぼけて「おはよう」という感じ
 力が抜けた感じで「お〜」と発音。「声の力までぬくな〜」。
 
 오요は口先で。「英語の「o」「u」のはどう発音するの?」。ちゃんと出来たのは1名。
 口を尖らせて、出来るだけオヨウユと発音する。
 
 으は口を横に開いて…こどものときやったでしょう?「バカカバチンドンヤ……、イーっだ」
 その要領。
 
ㅗㅜ、部品の先端が上下を向いているのは、口をとがらせろ。ㅓは縦長だから、ポカンと。
ㅡは口を引っ張れ。そう見る(制字原理はまったく違うんだけどね)。
 
それからアヤ、オヨを唱える。
飽きてきた頃にいきなりカナダラマバサとやると、気分転換になる。
 
展開2(息抜きをかねて)
子供学習番組「ハングリヤッホー」をかいつまんで見せ、アヤオヨの口の形を見てもらう。
https://www.youtube.com/watch?v=uZsxlxbzU_o
この中で、アイ、オイ、ヨウ、ウユなどが出ることに注目させつつ、
教科書の最初の単語이, 오, 요, 아이, 오이, 아야. 우유, 여우, 여유を読ませる。
これらの単語は、この日の番組の主題としても使われている単語ばかり。
 
それから、もう一回ハングリヤホーを見て、これらの単語の文字が出てきたときに、読み取れるか挑戦させる。
 
再びアヤオヨの練習。間にインターバルを挟んでいるので、어と오、우と으が混乱する。
と唱える。口を閉じていく。
徐々に閉じるのではなく、2音ごとにカクッカクッカクッと閉じていくと良い。
アヤオヨとカギャコギョは覚えるように。
 
まとめ
カナダラとアヤオヨの定着。
教科書はメリーさんのヒツジでアヤオヨ体操が書いてあるが、自分なりの覚え方をするとよい。韓国の指文字はかなり有効。
 
「ガナダラソング」を見る。受ける。笑いが止まらない。
https://www.youtube.com/watch?v=qV-ROHrI5tY
続いて、「우유」を読ませる。
ここからなぜか고등학교に話が脱線したので日比谷고등학교と言わせる(文字も書く)。
「脱力だよ〜」と言いつつ「우유송」を見せた。
https://www.youtube.com/watch?v=X9rlnwAkdek
「わははは、すごい脱力〜」。これで授業終了。
 
次回は読みとともに、簡単な自己紹介へ。

Posted by hajimet at 09:24 | Comments (0)


2014年5月2日
中学と高校の違いって(社会科
今日の授業。倫理と日本史。当然、扱う内容は異なるのだが、その中で同じことを伝えていたことに気がついた。

倫理は、「人間とは」、「青年期」と進んだ。倫理全体の導入の役割を持っている単元で、これを話すことによって、思想への動機付けをする。ただ、「問いかけ」が多い寡黙でもあるので、そのような思考態度になれていない生徒にとっては、苦痛でもある。そのため、「眠く」なる生徒も多い。

今日の授業はそういう生徒の多いクラス(1年生だから、そもそもそういう思考になれていない。高校生に脱皮する直前)。ぱたぱた寝始めた。そこで、

「寝ていると分からなくなる。今説明していることが大事。自分ならどう考えるか、どうあるかが大切。社会科は暗記だから好き嫌いという人がいるが、高校の社会科は覚えることではない、ソクラテスが何を言ったかということを覚えても仕方ない。考えていくことが中心」と、そのような生徒を起こそうと思って語った。勿論経験上、そう語ったからと言って、起きてくれることはまずない。

次の授業は、「フェートン号事件から日米和親条約の開港地」まで。2年生対象で、2時間連続授業。歴史と歴史物語は異なるから、どうしても抽象的な話が多くなる。しかも、激動期だから、政治、経済含めて、様々なことの理屈も知らなければならない。近代国家とともに、東洋の冊封体制もイメージづけることになる。

授業をしながら、
「覚えることが大事でなくて、想像してみることが大事。自分なら、この状況でどう考えるか、行動するか」が大切。と語った。結局は人の行動、人の考えがベースなのである。ただ年号や事項を覚えるのでなく、考えることが大切。

ここまで話して気がついた。倫理でも日本史でも同じような事を語っている。要するに、素材が違うだけ。実は、「考えること=イメージづけること」は自分のテーマでもあるのだけど。
Posted by hajimet at 00:09 | Comments (0)