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2014年5月15日
倫理 20140513 自我の目覚め、欲求

1.自我の目覚め
青年期は生理的変化に伴い内面に関心が向く時期である。
最初のうちは、自分の体の変化に対することに注目するため、外面に関心が向くが、
高校生くらいになると、体の変化も落ち着き、むしろ内面に関心が向く時期となる。
 
この中で、他人と違う、自分だけの世界を発見する。自我の目覚めである。
自我とは自分を外面から「客観的」に眺められるようになる事である。
それまでの漠然とした自我と異なり、明確に他人と異なった自分を意識する。
 
自我に目覚めると共に、心理的離乳も興る。そのために精神的に不安定となる。
これまでと自分を取り巻く状況が変わるからである。したがって、孤独感、空虚感、虚無感に襲われる。
 
その状況の中で3つのことが心理的に行われる。
 1.自己探求。これは自己実現、自我の確立へと進む。
 2.友人を求める。 
   小学校までの友人関係は、たまたま近くにいる「お友達」の関係。
   だから、成長したり、引っ越したり、生活環境が変わると、関係が切れることが多い。
   一方、青年期、特に高校時代の友人関係は、自分の自己探求や孤独感などの
   心理状態を背景に行われるために、自己の内面を共有する者同士が関係をもつことに
   なる。したがって、一生のつきあいになる関係が成立することが多い。
 
     ・友人は第二の自己(アリストテレス)
     ・友人は喜びを2倍にし、悲しみを半分にする(シラー)
 3.異性を求める。
 
青年期は、一生の中でも友人や異性を求める「欲求」が強い時期である。
 
2.欲求
欲求は一次的欲求(生理的欲求)と二次的欲求(社会的欲求)に分けられる。
空腹感は一次的欲求だが、「寿司を食べたい」は二次的欲求。
 
二次的欲求にも段階がある。
ex.ただ、「寿司」が食べたいのか、「美味しい」寿司が食べたいのか、
  美味しい「ウニ」が食べたいか。
 
欲求に階層を有ることを認めたのが、マズローの欲求階層説(段階説)
生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求、親和の欲求、自己実現の欲求と5段階に分かれる。
より下層の欲求が実現されて、次の段階に行く。自己実現はそれまでの4段階が実現されて、
はじめて実現される。このようなことは、東日本大地震のとき、自分たちの振る舞いを考えれば、
理解出来るように思われる。
 
青年期はこのような欲求が最も強い時期であるが、社会的に未熟であるため、欲求不満(フラストレーション)にも直面する時期である。時には欲求が同意に二つ以上生じて対立し、身動きがとれなくなる場合もある。これを葛藤(コンフリクト)という。
 
葛藤には接近-接近型、回避-回避型、接近-回避型があるとされる。また、ヤマアラシのジレンマと呼ばれる、距離の取り方の分からない葛藤も存在する。
 
だが、大部分の葛藤、欲求不満は心理的に時間と共に解決される。これを合理的解決という。しかし、場合によっては、いわゆる「切れる」というような「短絡反応」「近道反応」がおこることもある。一方「防疫機制」という心理状態が興ることもある。
 
防疫機制はフロイトが発見したものだが、欲求不満や葛藤状態にある心理的問題を「無意識」のうちに意識化に押し込めてしまい、あたかも不満が解消されたようにふるまう状態を言う。本来の解決でないから、性格に影響を与えるとか、何かの折に噴き出す(フラッシュバック)するなどの問題が起こる。
 
東日本大地震のあと、地震のことをよく覚えていないという人がいた。それも防衛機制の一つ、「抑圧」の例である。押さえ込んでいるだけだから、時間が経つと、PTSDなどがおこる可能性もある。ほかに、空想の世界に逃げ込む「逃避」、イソップの「酸っぱい葡萄」のような「合理化」、自分を他人と重ねてしまう「同一視」、自分の短所を他人のものとみなして非難する「投射」、抑圧した気持ちと反対の行動を採る「反動形成」、赤ちゃん返りのような「退行」、他の欲求に置き換える「代償」、より高い価値の欲求に置き換える「昇華」などがあるとされる。ベートーヴェンやチャイコフスキーの音楽は昇華による例の一つとされる。
 
…試験範囲はここまで。試験後はパーソナリティとアイデンティティの形成へ。

Posted by hajimet at 19:51 | Comments (0)

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