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2013年3月26日
韓国語紹介(2時間完結編)

韓国語紹介
 
都立駒場高校:2年2H,4H,6H。
日時 2013年3月7日、8日 倫理
 
2時間:時間が余ったため韓国語紹介を行う
目的:韓国語の紹介。細かいところには入り込まない。
 
生徒観:進学水準・実績の高い学校。授業は熱心に静かに聞く生徒が多い。
     新しいことを行っても、比較的素直に受け入れている。
 
以下はほぼ中継(T=教員、S=生徒)
 
1時間目
 
1,導入(10分)
T:倫理の授業「は」もう締めた(終わりの「語り」をしました)。
 でも、韓国語の免許を持っているから、韓国語を教えても誰からも怒られない。だから、韓国語入門をやる。

 
S:「おーっ」
T:英語ではこんな文章は簡単に作れないはずだ。
 (例) 「僕は今日、昨日会ったA君と一緒に、B君が準備したお土産物を受け取りに、C君とも一緒に駒場高校に行こうと思ったが、間違えて東大に行ってしまった。」(その場で作っているので、クラスで全部違う)
 
 (暫く様子を見て、できないことを確認する。まれにネーティヴに近い生徒がいると、英語に訳してしまう場合があるため)
 
そして、単語ごとに韓国語をカナで書いて、(ナ・ヌン・オヌル・オジェ…)これを韓国語として繋げると…

S:「おお」
T:そして、文法だけでなく、似ていること場も多い。
  チリ、カグ、クドゥ、カバン、マサジ シップン ムリョー、ミミョハン サムガククヮンゲ。

 
二.ハングル紹介(30分)
 続けてそれから生徒の名前を黒板に書いて、それを当てさせる。
T:じっと見ているうちに読めるようになるぞ。
 
T:何も言わないから、どこの列か当てろ。
  一列、生徒の名字を書いていく。
S:この列でしょう?
T:なぜ分かった?
S:だって、みな「ト」みたいな記号がついているから、きっと「たかやま(仮名)」君だ。
T:じゃ、二列目は「おかだ(仮名)」。これも「ト」が後ろに二つつている。
S:(この頃になると多くの生徒が気づく)ザワザワ。
 
T:では五十音はどう表せるのだろう?
 黒板に五十音表を作り、そこにハングルを入れていく〔基本的には韓国式〕。
 
語頭は濁らない。金閣寺と銀閣寺の区別は絶望的などと、話しをしながら表を完成させる。ここではあくまでも「お試し」なので。가をフトと書くなというようなことは言わない。
 
T:次の授業で、名刺造りをするから、メモをとっておけだけ指示(動機付けのため。いくら番外編と言っても)。
 
最後まで書いて、ワが合成母音であることを実感させる。
オ、アを発音させながら指揮をして徐々に早くする方法。
T:左手を出したときに「オ」、右手を出したら「ア」と発音して下さい。
S:「お」・・・「あ」、「お」・・・「あ」
T:別々だね。じゃあ、少しずつ早くするよ。
S:「お」・・「あ」、「お」「あ」…(一気に)「わあ」(爆笑)。
 
S:「音楽をやっているからだ」と大受け。
T:あとは長母音は無視。
 おばさん、おばあさん、おおおばさん、おおばあさん、おおばさんの区別は出来ない(大場さんを入れるのがミソ。ここで必ず笑いが出る)
 
五十音表を作らせてお終い。次回につなげる。
 
第2時間目。3月8日。1クラスは、他教科の答案返却に15分渡したので、1を省略。
 
1 読めるかな?(10分)
.黒板にハングルで、青山、渋谷、大橋、二子玉川と書いて読ませる。
ついでに、オイ、コギと書いて読ませ、意味を教える。

S:オイキムチってこれか。プルコギもそうか
 
(プルってなにと1クラスで質問が出る…キムチを使ってパッチムの概念だけ話そうと思っていたので、うってつけの質問。さらに、このクラスではトッポッキは?と質問も出た。そのため、このクラスだけはT:떡볶이(受けた)、これは濃音という音で、紙を口の前に持っていて揺れないと言うと、興味を持った生徒が結構出た)。
 
2.挨拶(15分)
白水社『チャレンジ韓国語』の挨拶の所をコピーして配る。
各挨拶の言い方を教え(書き取らせて)、雑談を交えながら最後まで。
T:韓国の人の電話を聴いていると
 「ナダ。ネー。ネー、ンー、んー、マジャマジャマジャ、クノー」というのが結構多いとまねしてみせると受ける。

 
そして、セヘポンマーニパドゥセヨのところで、新暦、旧暦の話、数え年の話をする(ここの生徒は数え年の概念を持っている生徒が多かった(そうでない学校も結構ある)。
 
(「明けましておめでとうございます」とともに、「良いお年をお迎え下さい」も訳にくわえさせる)
 
3、名刺造り(25分)
その後A4の紙を配り、自分の名前と住んでいるところ(区、市まで)をハングルで書かせる。最初は鉛筆で書き、机間巡視をして、OKなら清書させる(平音、激音の区別などが混乱しても、場合によっては注意しなかった〔特に語頭の激音〕)。
 
終わった頃を見計らってカナダラ表を配る。
発音の細かいところは無視して、カナダラ、アヤオヨ、カギャコギョとやってみる。(音の並びに受ける。特に、激音になってから)

アヤオヨのウイの部分も受ける。こちらもワザと酔っ払ったようにウイとやっているのだが、それが面白ようだ。
 
カナダラ、アヤオヨ(時間が余ればカギャコギョ、ナニャノニョ(この辺は遊ばせる)も)
 
*不思議なことに、1,2回しかやらせていないのに、アジャチャカタパサになる生徒が数人いた。
これは、どこでやっても同じような現象が起こるのだが、日本語の音のつながり方として、そちらの方が自然だからだろうか?

 
終了(特にまとめもしないで、流れるように終わらせる)
 
考察:どうしても、一定数の生徒は脱落していくが、関心持って遊んでいる生徒も多かった。
ハングル覚えたいと言っている生徒もいて、紹介編としては、結構うまくいったと思う。
だが、番外編としてこのような授業を行うのは2時間が限界だろうと感じた。
 

Posted by hajimet at 22:16 | Comments (0)


2013年3月23日
ソウル春(3) 3月11日、12日

午前中は部屋でのんびり。昼、知人に会いに市庁前まで行く。プレジデントホテル下のハンガラムという店でマンドウ・ククを食べる。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
食後、楽園楽器商街と仁寺洞を散策。とんかつは「돈까스」と書かれるものが多くなったと思いながら、看板を眺める。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4時頃ホテルに戻り、ホテルのサウナで垢すり、マッサージ(痛かったが上図だった)。それからソウル駅へ行き、5,6年ぶりに友人と会う。南大門市場へ行き、チョッパリをあてに、マッコリ、トンドンチュ。メインの通りの豚の頭が置かれている店。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日、この日日本から来た知人と合流して弘大一帯を散歩。居酒屋、日本料理店の多い所でもある。「四柱とタロット」などと言う店もあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弘益大学も散策する。オーケストラや日本語同好会のポスターがあった。歩いている人のカバンの形が少し変わったかな?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
合井駅に着く。地下鉄も到着案内などが出来て、ずいぶん雰囲気が変わった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
合井駅横のパン屋で時間をつぶす。隣の餃子屋さん。店名の漢字表記がおかしい。韓国で餃子のことを饅頭というが、「満度」と書かれている。別の人とも合流して「エゴマの身のチゲ」を食べる。店の前に「東京焼き」と書いた看板があったが、どんなものだろうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルに戻りチェックインしてから、南大門市場と栄豊文庫、教保文庫による。南大門も修復感性間近だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7時過ぎの飛行機で帰国。
 
 

Posted by hajimet at 22:24 | Comments (0)


ソウル春(2) 3月10日

寒い。昨日20度以上あったのに、今日の朝の気温はマイナス3度。
9時過ぎ、ホテルを出て「漢城百済博物館」へ行く。タクシーで1万5千ウォンほど。
オリンピック公園の平和門で下りて、そこから歩く。途中の公園の遊具の写真

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
漢城(ソウル)には紀元前18年(伝)から475年まで百済の都があった。オリンピック公園も管来時代の夢村土城のあとである。この漢城時代の様子をよく描き出している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここのトイレ、「紙を便器に流しましょう」と書かれていた。韓国では下水道事情から使った紙はわきのゴミ箱に捨てることが普通だから、画期的なことだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらくオリンピック公園を散歩。ここも健康器具があった。それから景福宮に移る。1時間ほど時間が余ったからだ。昨日の黄砂がウソみたいに晴れた「ソウル晴れ」。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仁寺洞に移り、「泗川」で冠式料理を食べる。プルコギと統営産の白身魚とカキの入り焼きを食べる。ここで研究の相談など。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市内を少々散歩した後、早めにホテルに戻り原稿を書く。夜、裏の店で、まずはそば粉のジョン。そば粉は小麦粉など混ざっているのだろう。少しもちもちしている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続けてキノコのチョンゴル。この中にもそばが入っていた。辛いスープにも合う。ところで、韓国の鍋には白菜が入らない。水っぽくなるからだと言った人がいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、近くの「トゥダリ」に移る。10年以上前からある日本風焼き鳥店だが、かなり韓国風に味が代わり、「辛い焼き鳥」などを置いている。店の提灯…漢字が分からない人が書いたな…。

 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 21:55 | Comments (0)


ソウル春(1) 3月9日

朝8時25分のJALで金浦空港に向かう。航路はおおむね良好。ただ、黄砂の中だったので、ソウルの町が黄砂の雲海に沈んでいるようであった。わずかに冠岳山、北漢山が雲海から頭を出していた。その雲海に飛行機は下りていった。
 
ホテル到着後、教保文庫に向かった。資料探しが目的だったが、大混雑。土曜日で家族連れが多い上に、新学期(3月開始)の教科書購入のため高校生が沢山いる。あちらこちらで座って本を読んでいるし、まともに歩けない状態。それでもいくつか本を購入する。教材用絵本も購入した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
教保文庫から清溪川を歩く。ここも家族連れや恋人同士が多く集まって、休日を楽しんでいた。
この日は3月なのに20度以上に気温が上がったため、ガラスを外して風通しをよくしたコーヒーショップまであった(翌々日ここを通ったらガラスがはめられていた)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらく散策した後、ホテルの近くに戻る。以前、韓国で自転車を見ることは珍しかったが、最近はロード用の自転車を多く見かけるようになった。スポーツとして捉えられているのだろう。多くの人が自転車用の装備をして乗っている。日本で見かけるようなママチャリは見られない。
 
近くの公園には健康器具が置かれ、老人が体操をしていた。韓国では公園にこのような器具を置いているところが多く、あちらこちらで目にすることが出来た。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は近くの焼き肉屋でサムギョプサルを食べる。最近流行りの熱い肉を石の上で焼くタイプでなく、鉄板の上で薄手の肉をじっくり焼く昔の焼き方。それでも、最初の頃よりは肉が厚い。最近はキムチも一緒に焼くようになったが、もともとはそうではなかった。10年以上前、この店でキムチを焼いたら、異様な臭いがすると言って、店員が見に来たことを覚えている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くのロッテマートで買いだし。済州島お土産のコーナー。「きせつもの」の「せつ」を一文字と認識したか。最近としては珍しい日本語の間違い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
買ってきた日本酒。韓国料理にも合うと書いてあったので買ってきて飲んでみた。韓国料理と日本酒は、酒が甘くて仕方ないのだ。結果はトロットした中途半端な味だった。3日間で飲み干すことが出来なかった。おつまみと一緒に。

 
 

Posted by hajimet at 21:28 | Comments (0)


2013年3月20日
関西渡来人紀行(3) 百済王氏関係

阿部野橋まで戻り、関西本線で平野に行く。杭全神社を見る。平野川の工事で杭を全て打つことが出来たからこの名前になったというが、この地域は「百済郷」「百済郡」と呼ばれた場所で、いまでも「百済野」と言われている。杭全(くまた)は百済が転訛下とも言われる。拝殿うらに三連の第一本殿から第三本殿まであるが、元禄時代の第一本殿は「素戔嗚尊」と「牛頭天王」が祭神である。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平野駅と東部市場駅の間に貨物ターミナルがある。百済貨物ターミナルという名前だ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3月16日までは貨物の「百済駅」。実は「東部市場駅」も元は「百済駅(旅客駅)」の生まれ変わった駅だ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この付近が百済野といわれるのは、百済義慈王の2番目の息子、善光が姓を賜った百済王氏が港口だった難波の津のそばに拠点を築いたからである。この地に百済寺もあった。その跡が桃谷駅裏の堂ヶ芝廃寺(観音寺)だと言われている。尼寺も発見されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くには四天王寺もある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちょうど十三講詣の日だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
午後、枚方に移動。京橋から京阪で枚方市駅。乗り換えて1駅目の交野駅から5分ほどのところ。奈良の大仏を建立するときに金鉱を発見した百済王敬福が河内守となって拠点としたところだ。館に氏寺と氏神を造った。氏神は百済王神社として残っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
拝殿の額は「牛頭天王・百済国王」。さて、牛頭天王の牛頭。韓国語で牛はソ、頭はモリである。記紀の一書によれば素戔嗚尊は渡来系の神で、新羅のソシモリに下りたとなっている。それを「牛頭」と表したとされるのである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その隣は百済寺あと。薬師寺式の伽藍配置の基壇と礎石が残っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
場所は丘陵の頂上。百済王敬福の権威を感じさせる場所であった。
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 22:48 | Comments (0)


関西渡来人紀行(2) 藤井寺・古市

新快速で近江八幡から大阪(約1時間)−(弁天町経由)−天王寺(15分)と向かい、阿部野橋から近鉄で藤井寺に行く(約20分)。東京と違って大阪には駅前などに在来市場をよく見かける。藤井寺駅前もそう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市場を抜けると葛井寺。百済辰孫王の後裔氏族の一つとされる葛井氏の氏寺。かつては2キロ四方の伽藍を持っていたと言われる。境内に当時の礎石と思われるものがあることはある。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葛井寺の直ぐそばに辛国神社がある。雄略天皇の時代に物部氏が創建したとされるが、名前からも、素戔嗚尊を祀っていることからも、渡来系の神社でもある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
辛国神社から徒歩15分。野中寺に着く。ここは船氏の氏寺だった。境内には金堂と五重塔の礎石が残る。法隆寺式の伽藍配置だったことが分かっている。船氏などの「今来伎人」にあたる人びとは「古市大溝」にそったところに配置されていたという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内にはヒチンジョ池西古墳の石棺が保存されている。また、墓地には「曽根崎心中」のお染と久松の墓がある。
 
野中寺から歩いて30分。古市の西琳寺に行く。途中は溜池と古墳だらけだ。古市古墳群のなかを歩いて行くからだ。古市は竹内街道が河内飛鳥に入る入口にあたる、道は河内飛鳥から二上山を越えて飛鳥に入っていく。その拠点に西琳寺があるのだ。
 
西琳寺はこの地域の寺で最も古いもので、王仁の後裔の西文氏の菩提寺と言われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寺の境内には石塔の心礎や、鎌倉時代の五輪塔が保存されている。近くには白鳥神社がある。ここも祭神は素戔嗚尊と牛頭天王。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一旦古市から阿部野橋に向かい、百済野を見ることにした。
 
 

Posted by hajimet at 22:15 | Comments (0)


関西百済紀行(1) 近江編

2013年3月19日 関西での用事に合わせて渡来人百済紀行を行った。今回回ったところは、曾て一回訪ねた所だが、デジタルで写真を撮る必要が出たための再訪問だった。まずは近江蒲生。
 
新幹線で米原へ行き、近江八幡から近江鉄道で八日市に向かう。車体は西武のもの。線路状態はお世辞にも良いとは言えない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八日市からタクシーをチャーター。石塔寺に向かう。この付近は依知秦氏の根拠地だが、百済系の渡来人も多いようで、百済型の三層石塔が残っている。白い花崗岩で築かれた最古の石塔である。石塔は山の上に立てられ、周囲にほかの建物があった痕跡はない。

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
扶余定林寺の五層石塔(左)や、高麗初期の扶余長蝦里三層石塔(右)によく似ている。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石塔寺をあとにして、日野、小野集落の鬼室神社へ。百済の渡来人の鬼室集斯の墓があることからこの名前が付けられる。緩やかな丘陵のつづく谷間にある神社だ。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
説明板によると、墓はこのようになっているという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これで蒲生はお終い。タクシーをチャーターしなければ1万円以上かかる距離だった。

Posted by hajimet at 21:44 | Comments (0)