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2005年12月31日
寒い韓国(3)

3日目。朝9時10分のKTXで大田(テジョン)へ向かう。1時間で到着。途中車内では時速300キロを超えている表示が出ている。
 
大田から西大田バスターミナルへ行き、扶余方面のバスに乗る。論山など数カ所を泊まりながら、約1時間半で扶余に到着した。昼時なので、バスターミナル裏にあるスンデの店で、スンデクックを食べる。あたりにスンデの店が多いので、どうしてか聴いたら「ここがスンデタウンだからね」と言われた。(ここのところスンデの店がやたら目につくように思う・タウンは日本語ではストリート、シティーと言った方がしっくり来るようだ。ここではスンデ・ストリートがよい。)
 
市内には雪が積もっているが、扶蘇山も白く雪化粧している。麓は王宮跡で盛んに発掘が行われている。一部寺跡が公園化されていた。山は5pくらいの積雪があったが、一部アイスバーン化していて怖い。ここを200メートルほど登る。途中の迎日楼は木々の間に水田が見える。これまで、この山には2回登っているが、いずれも夏から秋にかけてで、木々が茂っていて下を見ることは出来なかった。
 
さらに小一時間、望月楼へ行く。眼下に広がる扶余の町並みが雪にをバックにはえていて、幻想的な風景だ。遠く白馬江が扶余を取り囲むように半円形に流れていることがよく分かる。山を登り込み、
もう少し歩くと落下岩である。前回訪れたときは、川霧の中で下が何も見えず、吸い込まれるよだったが、今回は晴れ渡り、足下の白馬江が綺麗に見える。
 
下まで降りていき、白馬江の遊覧船に乗る。貸し切りで12000ウォン。定価は16000ウォンだそうだ。川の縁には分厚い氷が漂っている。船を下り、クドゥレ公園を抜け、定林寺、宮南寺へと歩く。いずれも15分ずつ見れば歩いていける。
 
宮南池も分厚く氷がはっている。氷の上には人の足跡や、イタズラ書きのあとがある。おそらく乗っても割れないだろう。池の近くに松林が見える。軍守里寺跡であるが、行ってみたところ発掘調査をしていた。1930年代に一回発掘されているところだが。今回発掘し直したとのことだ。訪れたときはすでに発掘を終えて、埋め戻す作業をはじめたところであった。
 
16時40分のバスに乗り大田に戻る。知人と食事をして儒城温泉で一拍。夜遅くなりすぎて、温泉には入れなかった。
 
翌27日8時50分発のKTXでソウルへ。ノンストップで50分間でソウル駅に着く。ソウルで知人にあったり、用事を足したりした。写真はそのおり、東亜日報社からとった景福宮の写真である。その後、夜、焼き肉をたべに行く。孔徳洞(地下鉄5号線、7号線:コンドック)で美味しいと知られている店であるが、店は一見綺麗でない。その店の前に屋台風の設備があり、そこに案内される。屋台のまわりはビニールで覆われていて、風が入らないようになっているが、外より少し暖かいだけで、かなり寒い。外は頭を締め付けられるような寒さで、防寒着、防寒帽が効かない状態であった。
 
さらにもう一日28日にソウル市内をふらつき、昼にスジェビを食べて、夜の便で帰国した。帰りは対地速度1200キロほどで、1時間50分で羽田に。9時15分に着陸し、10時には家に到着していた。東京は韓国より10度近く気温が高いが、それでも寒いものは寒い。

Posted by hajimet at 22:55 | Comments (0)


2005年12月30日
寒い韓国(2)

2日目。町はうっすらと雪化粧。昨日ソウルへ来る途中の漢江もうっすらと氷がはっていて、水のあるところに水鳥が集まっているという状況だったが、今日も寒い。町に出たが、雪が降ってきても体に張り付くことはないし、雪はいつまでたっても新雪状態である。
 
清渓川へ行く。水源は東京の丸ビルのようにライトアップできるようにしてある。川面におりるが、脇の道は雪がうっすらと積もっている。風も冷たいが、ダウンジャケットのフードでほぼ防げる。途中、水標橋あとへ行く。水標橋そのものは奨忠壇公園に移設されているが、現在元の場所に戻すべく準備が行われているとのことである。川にはあちらこちらに説明する人がいる。韓国語と英語を交えて水標橋の説明をしてくれたが、最後に「It's a fantastic day in Seoul」とやっていた。
 
ついで、宗廟から昌徳宮と抜け、恵化ロータリー方面に歩く。宗廟では、朝鮮の王廟であるが、なぜか一人高麗時代の王が祀られている。王系が違うから本来祀ってはならないのだ。その中が後悔されていた。廟の前の石畳は雪があるおかげでとても綺麗であった。昌慶宮は大長吟の舞台にもなっている。昌慶宮の門の所は2003年に猛烈な地吹雪に遭ったところだ。猛烈な風と雷で雪が巻き上げられ、50メートル先が見えなくなり、目の前の道が渋滞した。5分で10p近く一気に雪が積もった。今回はそういうことはなかった。
 
今歩いている道のすぐ向こうは大学路(テハンノ)であるが、こちらの道は繁華街という雰囲気はない。ロータリーをこえると道は上り坂になる。そこを登り切った峠に小さな門が見える。東小門(恵化門)である。ここまで昌慶宮の正門から15分ほど。門から道を挟んだ反対側には朝鮮時代の城壁がのこっている。つまりここからが旧漢城になるのだ。現在も鍾路区と城北区の境になっている。門のある側の城壁は一部復元されている。奥まで行ってみた。城壁が続くはずの北岳山がすぐ目の前に見える(遠くには道峰山も)。足下には、伝統的な韓国住宅が広がっている。L字型の建物を2つ向かい合わせにした構造で、その間に四角い庭が出来る形をしている。
 
漢城大学入り口から地下鉄4号線に乗って忠武路に戻る。ここで遅めの昼食(2時)で、お粥をたべ
南村韓屋村を見る。そこを出たところがコリアンハウスである。そこを示す道路表示板はカタカナでコリアンハウスと書いてあった。韓国の中でカナで道路表示板があるのは珍しい(看板はいくらでもあるが)。さらに明洞には入り明洞聖堂を覗く。途中の道にはポンテギ、菊花パン(大判焼きの小さな感じのもの)、カルメ焼き(今年はあちらこちらで見かける)の屋台がならぶ。教会の前にはベツレヘムの馬小屋でイエスが誕生した様子をかたどったセットが置かれ、多くの人がろうそくを捧げて祈りごとを捧げている。教会の中ではやはり多くの人が座り、礼拝を捧げる準備をしていた。町中の人では、前の日ほどではない。
 
夜はキムチジョンとネジャンタン(ホルモンナベ)を食べて宿へ。

Posted by hajimet at 21:56 | Comments (0)


寒い韓国(1)

12月24日、ソウルへ行く。朝8時15分羽田発のJALである。左に芦ノ湖(二重火山が実によく分かる)や雪のない富士を見ながら飛ぶ。琵琶湖を遠く眺めるころか雲の上を飛ぶようになった。高度11000mまで上昇したところで、飛行機は揺れはじめた。時速は650キロほど。しばらくして耳が圧迫されるような感覚があり、ナビゲーターを見たところ9600メートルまで降下していた。

 

揺れの関係で高度を調節したとのこと。この日のソウルの気温は氷点下10度。天気は良いのだが、滑走路が滑りやすいのでシートベルトを厳重にするように機長のアナウンスがある。たしかに滑走路に雪や氷が落ちている。
 

ホテルに着き、たまたまソウルに来ていた親戚と合流して全州屋へ行く。ピビンバプをたべ、南大門市場へ散策。南大門では衛兵の交代式のさなかであった。続いて明洞へ。
 
実はなぜか服一着だけ、寝間着がわり持ってきたものが羽田のターンテーブルに落ちてしまい、慌てて買い直す羽目になったためである。機内で現物を見せていて、似た服の人がいると思っていたのだが…。結局服は出てこなかった。
 
町はクリスマスイヴ。明洞は明洞教会はじめ教会の多く集まる場所で、人が川のように流れている。しかし、目にしたのは、ほとんどが若者のカップルであった。どの店もものすごい込みようである。道路のすみではクリスマスケーキを売る店が出ていた。日本のものより少し色遣いがはっきりしているか。
 
夜、近くの店でチャドルベキを食べる。牛肉の油の入ったところの薄切りを石板の上で約。油が適当に抜け落ちて美味しかった。

Posted by hajimet at 21:38 | Comments (0)


2005年12月9日
諏訪、山梨

ここのところ、めちゃめちゃ忙しかった。本作成の最終工程(まもなく出版)もあり、夜も寝られない状態がかなり長く続いた。(ついでに20年ぶりに楽器を買い換え、こちらは満足)。でも、その本の写真撮影のおかげで、春以来いろいろなところに行くことが出来たのだから、疲れたなどとはいっていられない。といっても、終わってしまえば、気も抜けるものである。
 
で、息抜きをかねて諏訪方面へ行ってきた。甲府駅で降り、知人の車で中央自動車道をとばす。左に甲斐巨摩を、右に八ヶ岳の雄大な山裾を眺めつつ車は進む。この山、もともと火山だが、諏訪湖の南側から見るとその雄大な山裾が富士山の裾野に似ていて、いかにも火山であるという様子が見える。紅葉のピークは過ぎ「遅れモミジ」になっていたが、途中の山々は山裾は「秋」、山の上は「冬」で、峰々には雪がうっすら積もっていた。
 
諏訪の町を通過して、下諏訪大社まで行く。神社の脇の川を進むと、万治の石仏があらわれる。岡本太郎が見つけたという話だが、奇怪な形をした石仏である。大きな石の上に石仏の首が乗っている。日本的な石仏というより、韓国で見られる石仏に似ているのだ。見た途端に、頭は韓国安東のチェビ庵の石仏の仏頭(高麗時代)、胴体は韓国慶州の三陵渓磨崖石仏(新羅時代)を、背中は韓国扶余定林寺の石仏(百済時代)を連想してしまった。時代的に直接の影響があるとは思えないが、それにしてもよく似ている。
 
諏訪大社で御柱を眺める。あたりの神社の祠のまわりには、どこにも御柱が立てられている。昼食後諏訪湖を一周し、国道20号線を甲府へ向かう。左に八ヶ岳が崩壊して出来た韮崎岩屑流を見ながら進む。いかにももろそうな岩壁の下を釜無川が峡谷状に谷を刻んでいる。谷のまわりには岩がごろごろとしていて、荒涼たる風景の場所もある。
 
白州でサントリーの工場を見学。「南アルプスの天然水」の工場のあるところである。後ろの山から平野に出る扇状地の上で、いかにも美味しい伏流水の豊富そうな地形をしている。この生のウィスキー工場を見学。知人とばったりあったりしながら、コースを回る。まずつけ込み、蒸留工場。小麦と麹をつけるので、入り口では醤油工場と同じような甘い香りが漂っていた。ここで3日間つけ込むのだが、1日目と2日目では発行の仕方が違う。
 
それから、樽焼きの現場へ。熟成する樽の力が落ちると焼いて復活させるそうで、最初はウィスキーのアルコールが燃え、それから木に火がつく。その貯蔵庫へ。入るだけで酔いそうな香りの強さだ。そして試飲コーナー。無料と有料があるが、有料の方で30年ものの樽酒原酒を飲んできた。少しどっしり落ち着いた感じの香りになっていた。
 
サントリーに続いて、近くの七賢の絞りたての新酒を堪能し、一拍。
 
翌日は昇仙峡へ。以前谷を歩いて、ロープーウェイの乗り場まで行ったのだが、その乗り場付近の様子しか覚えていなかった。今回はロープーウェー乗り場まで行きそこから谷を半分くらい歩いて降りた。あたりは雪がちらつく。仙峨滝をみて、屹立する花こう岩の狭い岩の間を降りる。川がものすごい勾配を流れ落ちる。谷底にも直径が10メートル近くにもなる岩がごろごろしていた。岩にも夢の松島とか、天狗岩など様々な名前が付けられている。前を親子連れが歩く。
 
今度は下まで車で降りて、1qほど谷を遡る。こちらは雨。先にメインの滝付近を見たせいか、谷が落ち着いて見える。あたりには、猿岩、大仏岩、大砲岩、オットセイ岩、猫岩などと名付けられた岩がある。ほとんど想像力の世界だが、良く名付けられたなというくらい、本物を連想させるものもあった。徐々に花こう岩の中心の世界になっていく(なぜか、堆積岩の丸い石が積み重なっているところもあったが)。韓国の山歩きの時に見慣れた風景になってきた。韓国の山は花こう岩中心だからだ。
 
ただし、昇仙峡の方が木が多く、水が豊富に流れている。表土が少ないせいか、杉や檜はほとんどなく、マツが中心の所はよく似ているが、岩の割れ目にまで木々が根をはって茂っているところは、韓国ではあまり見ない。そんなことを考えているうちに、先ほど前を歩いていた親子連れとそれ違ってしまった。
 
甲府から各駅停車で高尾へ向かう。勝沼までは雨であったが、勝沼の駅のすぐ上にある葡萄畑は白く雪化粧していた。そこから徐々に雪が増え、甲斐大和では雪が積もっている状態に。特急通過待ちの10分間、扉は手動でしまっていた。笹子峠をこえ、大月付近まで雪は続いた。
 
 

Posted by hajimet at 09:57 | Comments (1)