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2005年12月30日
寒い韓国(2)

2日目。町はうっすらと雪化粧。昨日ソウルへ来る途中の漢江もうっすらと氷がはっていて、水のあるところに水鳥が集まっているという状況だったが、今日も寒い。町に出たが、雪が降ってきても体に張り付くことはないし、雪はいつまでたっても新雪状態である。
 
清渓川へ行く。水源は東京の丸ビルのようにライトアップできるようにしてある。川面におりるが、脇の道は雪がうっすらと積もっている。風も冷たいが、ダウンジャケットのフードでほぼ防げる。途中、水標橋あとへ行く。水標橋そのものは奨忠壇公園に移設されているが、現在元の場所に戻すべく準備が行われているとのことである。川にはあちらこちらに説明する人がいる。韓国語と英語を交えて水標橋の説明をしてくれたが、最後に「It's a fantastic day in Seoul」とやっていた。
 
ついで、宗廟から昌徳宮と抜け、恵化ロータリー方面に歩く。宗廟では、朝鮮の王廟であるが、なぜか一人高麗時代の王が祀られている。王系が違うから本来祀ってはならないのだ。その中が後悔されていた。廟の前の石畳は雪があるおかげでとても綺麗であった。昌慶宮は大長吟の舞台にもなっている。昌慶宮の門の所は2003年に猛烈な地吹雪に遭ったところだ。猛烈な風と雷で雪が巻き上げられ、50メートル先が見えなくなり、目の前の道が渋滞した。5分で10p近く一気に雪が積もった。今回はそういうことはなかった。
 
今歩いている道のすぐ向こうは大学路(テハンノ)であるが、こちらの道は繁華街という雰囲気はない。ロータリーをこえると道は上り坂になる。そこを登り切った峠に小さな門が見える。東小門(恵化門)である。ここまで昌慶宮の正門から15分ほど。門から道を挟んだ反対側には朝鮮時代の城壁がのこっている。つまりここからが旧漢城になるのだ。現在も鍾路区と城北区の境になっている。門のある側の城壁は一部復元されている。奥まで行ってみた。城壁が続くはずの北岳山がすぐ目の前に見える(遠くには道峰山も)。足下には、伝統的な韓国住宅が広がっている。L字型の建物を2つ向かい合わせにした構造で、その間に四角い庭が出来る形をしている。
 
漢城大学入り口から地下鉄4号線に乗って忠武路に戻る。ここで遅めの昼食(2時)で、お粥をたべ
南村韓屋村を見る。そこを出たところがコリアンハウスである。そこを示す道路表示板はカタカナでコリアンハウスと書いてあった。韓国の中でカナで道路表示板があるのは珍しい(看板はいくらでもあるが)。さらに明洞には入り明洞聖堂を覗く。途中の道にはポンテギ、菊花パン(大判焼きの小さな感じのもの)、カルメ焼き(今年はあちらこちらで見かける)の屋台がならぶ。教会の前にはベツレヘムの馬小屋でイエスが誕生した様子をかたどったセットが置かれ、多くの人がろうそくを捧げて祈りごとを捧げている。教会の中ではやはり多くの人が座り、礼拝を捧げる準備をしていた。町中の人では、前の日ほどではない。
 
夜はキムチジョンとネジャンタン(ホルモンナベ)を食べて宿へ。

Posted by hajimet at 21:56 | Comments (0)

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