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2006年8月9日
フォッサマグナミュージーアム
融通念仏供養碑を見学したのち、糸魚川のフォッサマグナミュージーアムへ向かう。その前に、住職から話題に出た大宮諏訪大社を見る。小谷の総鎮守で諏訪大社下社と関係が深い。神社には薙鎌があり、七年に一度、新潟との県境にある神社の神木に薙鎌を打ち込むことで御柱祭が始まる。薙鎌はこの神社のお守りにもなっている。本殿は1600年代に建てられたものだった。本殿は長野県の文化財になっているが、他にも舞などが文化財に指定されていた。千国街道はここから山へ入っていく。

姫川を下る。あたりは深い山の峡谷で、足下は姫川の早い流れが怖ささえ感じさせる。国道も鉄道も洞門で落石から守られている。途中新潟県との県境、新国界橋の脇に慰霊碑がある。1995年に大規模に崩落した場所で、その復旧工事の最中に支流からの土石流で工事関係者が多くなくなった場所だ。95年の崩壊現場はいまだに崩壊が続いていて、斜面が生々しい。

新国界橋からトンネルに入るところは、何となく硫黄の臭いが漂っていた。トンネルと洞門を抜け、次の谷が小滝川の谷である。昭和13年、日本で最初に翡翠が見つかったところで(それまで日本に翡翠原石はないと考えられていた)、谷の奥に翡翠峡がある。谷をさかのぼりそこまでいく。目の前にあらわれたのは明星山の大岩壁であった。谷底から頂上まで石灰岩の岩壁で、500mほどの高さがある。この日は見られなかったが、ロッククライミングをする人も多いそうだ。翡翠峡はその足下。下流側である。近くまで降りる道もあるようだが行く時間はなかった。もっとも天然記念物のために原石を採取することは出来ない。あたりは落石地帯で、ここに行くときにはなかったはずの石が、戻るとき(といってもわずか10分)にはあり、車の底をこすってしまった。

姫川に戻り、下流近くの河岸段丘上のフォッサマグナミュージアムへ行く。鉱物などが充実している。特に翡翠については力を入れていることがよく分かる。特別展示ではアスベストの紹介をしていた。フォッサマグナそのものはナウマンの言っているものよりももっと広いものだそうだが、その成因をわかりやすく説明していた。糸魚川静岡線の境界より西側は古い地層だが、それらの成因や、フォッサマグナの変化などを岩石や、化石と関連づけて説明しており、とてもわかりやすかった。化石もいろいろ集めていて、足の生え始めたオタマジャクシの化石や、なんと「うんこ」の化石まで展示されている。うんこの化石は、置き換わった鉱物の関係(確か鉄)でなんとも生々しい色だ。ここの博物館は関連の出版物も充実している。

ミュージアムでヌナガワ(奴奈川)姫と大国主命の伝説の映画を見る。大国主が出雲からやってきて、ヌナガワ姫を嫁にするために越の国にやってきて、生まれた子供の1人が諏訪大社の神になったという話だ。先ほど見てきた諏訪神社のみならず、姫川沿いには諏訪神社が多いという。しかも、この川は翡翠があるところで、確かに古代の人はここの翡翠を使う文化をもっていた。のみならずここの翡翠は広い範囲に広がっていたのだ(それが忘れられていたわけだ)。姫川をさかのぼり長野側に入ると、そこは渡来人によって開発されたところだ。おそらく渡来人のルートの一つだろう。ミュージアムを出て、ミュージアムパークに向かう。姫川と根知川の分岐点であるが、そこにある根小屋の集落の入り口には不思議な人形のようなものが道をマタイでぶら下げられていた。

根知川は糸魚川、静岡構造線が横切っているところで、そこを発掘して公開している。断層線沿いには粘土が分布し、その西側にはかなり古い岩石が、東側は新しい安山岩が分布している。また、海底で溶岩が噴出したことを示す枕状溶岩が東側にはあちらこちらで見ることが出来た。

糸魚川と松本を結ぶ千国街道もこの構造線にそって通っている。姫川沿いの渓谷は危ないため、道路が開発されたのは明治になってからだ。そういえば、栂池高原の千国街道も神城断層にそって通っていた。

Posted by hajimet at 10:58 | Comments (4)

Comments
1日遅れで申し訳ありませんがコメ残します。
きれいな景観ですね。大きな写真を見られないのが残念です。
地理の勉強だと堅そうな内容なのに、フォッサマグナミュージアムは何故か面白そうですね^^
  Posted by: との at 2006/08/18 23:32:59
学校の授業はどうしても固くなりますね。見てきたように話したとしても、やはりどこか「公式」的なものになります。実際に見ることで共感できるのですが、知識を具体化し、それをさらに深めると言うことですかね?
  Posted by: hajimet at 2006/08/21 20:24:19
こんばんは。だいぶ出遅れましたがブログ拝見させていただきました。
糸魚川行かれたのですね。懐かしい地名や風景が沢山出てきますね。

小滝地区のヒスイ峡は子供の頃数回いった記憶がありますが(確か山菜取りで家族に連れられて行った?)、明星山が間近に屹立してスゴイ場所だったと思います。地元ながらなかなか行く機会がありません。

鎌を打ったご神木のある神社はおそらく小谷村の「戸土」という地区ではないかと思います。
今は廃村になり人が居住されていませんが、糸魚川市と小谷村の境界線が集落内にあり
小谷村側からは地形の関係で分水嶺の向こうにあり直接の道路は通じておらず、一旦
新潟県側へ入れないと行けない地区です。よって人が住んでいた頃は長野県にありながら
生活圏は全く新潟県。「長野県内で唯一海が見られる集落」だったそうです。
豪雪地帯のため住民は離村し(昭和40年頃)糸魚川方面に移住したそうです。面白い場所ですね。

実は灯台下暗しでこの戸土にはまだ行ったことがありません(笑
興味のある場所なのですが。。。。

フォッサマグナミュージアムは糸魚川でもオススメの場所です。
私も3度行ったことがあります。まぁ地元にず〜っといると行くこともないのですが
仕事の関係とあと友人が遊びに来たときに案内しました。

糸魚川、小谷周辺は歴史的にも地理学的にも面白い場所ですよ〜。
人もノンビリしてますしいい所です。

自称地理オタからでした。
(この書き込みで誰だかわかりますよね?笑)
  Posted by: ぴっぴ at 2006/11/09 0:39:39
この3月定年退職で教師生活が終わり,卓球,書道,釣り,など趣味三昧の日々。翡翠の原石の魅力にはまり,6月親不知海岸に広島から原石探しに…。これまで,骨董市などでさまざまな偽物を購入。アベンチュリンやオーストラリア翡翠ならまだしも,最近はメタジェイドというガラスに鉱物を混せてゆっくり冷やした偽物がでまわっています。以前買ってしまった。
 親不知海岸の某海浜にはさすがに,緑や青やラベンダー色の原石は皆無ですが,赤茶色や黒い翡翠の原石ぽいものがごろごろしていました。キツネ石かもしれません。土佐の桂が浜の茶色の石とは異なって明るい茶色でかなり固くて紙ヤスリでも殆ど傷が付きにくい。ひょっとして…!?。
  Posted by: 矢野清司 at 2009/09/23 14:56:21


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