2017年1月3日 |
白キムチ(朝鮮漬け) |
親戚に伝わる「朝鮮漬け」。在日が作る朝鮮漬けは「赤い」キムチの系統だが、 |
Posted by hajimet at 20:08
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白菜漬け 2016 |
日本版白菜漬け。 |
Posted by hajimet at 20:00
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キムチ 2016 |
12月初旬、キムチ漬け開始。 |
Posted by hajimet at 19:35
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2014年6月1日 |
講演「各地に残る日韓の歴史」 20140531 葛飾シンフォニックヒルズ(韓国大使館主催) |
5月31日、葛飾シンフォニックヒルズの会議室で2時30分より講演。 題は「各地に残る日韓交流の歴史」。内容は大きく5編に分けた。 資料はこちら 導入の後、 1.日韓は近い 釜山から対馬は見える。あまり当たり前に見えていて 「対馬が見えることが分かるけれども、あれは対馬でないね。韓国の島だね」 という人に会ったことがある。 対馬の人は、対馬に来るならパスポートを持って釜山経由で来た方が好いという。 戦前は急病には釜山に運んでいたし、対馬の最も人気のあった就職先は 朝鮮鉄道であった。壱岐、九州は互いに見える距離。 漂流民など流れ着く人も多く、江戸時代にハングルで書かれた掛け軸が残っている。 実は関東が、韓国からは最も遠い場所なのである(北海道を除く)。 2.韓国の倭系遺跡 韓国にも倭系古墳、前方後円墳がある。 ヤマト政権は鉄を求めて韓国と関係を持った。 その関係で、5世紀くらいのものが中心である。 また、倭系の横穴墓もある。東城王は王になるとき九州から筑紫の兵に守られて 現在の公州に入っている。そのような人たちの墓だと考えられている。 また、共通の漁具が出てきたり、弥生時代の交易センターとして、勒島がある。 ここは弥生土器だらけの島である。 3.北九州 交易の拠点であった。まずは糸島。 魏志倭人伝に対馬―壱岐―松浦―伊都―奴のルートがでているが、その伊都国。 伽耶山を目印に来たと考えられる。5世紀前後から博多湾全体で交易が始まり、 その拠点も西新町遺跡に移った。ここには韓国人居住の跡などがある。 一方でヤマト政権側も最前線として宗像大社を祀るし、 百済復興などにからんで朝倉の宮、それと前後して水城などが形成される。 元寇の防塁、名護屋城もあるが、三浦との縁から釜山会高徳寺という寺もある。 4.関西 古来伎人(広隆寺、八坂神社)、 今来伎人(伝王仁墓、オミアシ神社、辛科神社、穴太遺跡)、 百済王にからむもの(百済駅、杭全神社、石塔寺、百済王神社など)が残っている。 八坂神社はスサノオを祀るが、渡来系の神でソシモリに降りたとされる。 ところで、百済王神社の額には牛頭天王と書かれている。 牛=ソ、頭=モリ。牛頭天王信仰と習合したか。 それ以外にも栗東狛坂廃寺磨崖仏のように、新羅人に関係する遺跡もある。 敦賀方面から琵琶湖沿いに入ってきた可能性もある。 継体天皇との関係も議論としてはある。 百済王氏が最初に配された難波の津付近に、鶴橋がある。 5.関東 直接渡来人が来たと言うよりも、再配置された人びとの根拠地。 多胡郡、高麗郡、新羅郡(新座、志木)がそれ。 一方信濃、甲斐から静岡、愛知にかけて積石塚が分布する。 高句麗系の可能性が強い。 その後、江戸時代には通信使が来るなどで、 知識として韓国のことが入ってきている。 千葉にはハングルで彫られた石碑が残っている。 (初期のハングルで彫られた当時のものは、日韓含めててここにしかない) 平田篤胤の影響の神代文字もある。 これはハングルの知識があると、なぜか読めてしまうもの。 その後、明治の交流や、現在まで続く関係がある。 こういう関係がある中で、お互いにどう付き合っていくか。 エスノセントリズムではだめで、文科相対主義で行くべき。 ところで、「理解」しようというが、 「理解」するということは、何を「理解」するのか。 まず、「違う」ということを理解すること。古来日韓のつきあいを書いたものを 読んでも、どの時代も今と変わらない、双方の違いを指摘している。 結局、両方とも変わっていない。基礎の時代、古代まで遡っても 日韓は基本的思想、神に関する考え方がまったく違う。 人は社会の中で生きるから、違う発想を身につければ、それで行動する。 日韓は顔があまりにもよく似ているため、同じ発想をすると思い込む。 しかし、違うことを前提に付き合っていかないと、行き違いばかり起こる。 これで終わり。 |
Posted by hajimet at 19:49
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2013年6月10日 |
韓国の地震 |
今日、朝鮮日報を見ていた。 |
Posted by hajimet at 23:36
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2013年3月23日 |
ソウル春(3) 3月11日、12日 |
午前中は部屋でのんびり。昼、知人に会いに市庁前まで行く。プレジデントホテル下のハンガラムという店でマンドウ・ククを食べる。 |
Posted by hajimet at 22:24
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ソウル春(2) 3月10日 |
寒い。昨日20度以上あったのに、今日の朝の気温はマイナス3度。 |
Posted by hajimet at 21:55
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ソウル春(1) 3月9日 |
朝8時25分のJALで金浦空港に向かう。航路はおおむね良好。ただ、黄砂の中だったので、ソウルの町が黄砂の雲海に沈んでいるようであった。わずかに冠岳山、北漢山が雲海から頭を出していた。その雲海に飛行機は下りていった。 |
Posted by hajimet at 21:28
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2012年8月8日 |
暑い…韓国旅行 8月1日(2) |
申聞鼓を撮影して、歩いて大通りに(トラブル防止のためカメラを仕舞って)。 |
Posted by hajimet at 22:12
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暑い…韓国旅行1 8月1日(1) |
暑い1日だった。 |
Posted by hajimet at 21:47
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2012年2月23日 |
日本語?韓国語? |
社稷洞にある団体旅行者向け食堂。店の名前、日本語でも韓国語でも読める。 |
Posted by hajimet at 19:34
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ココ麺とcool |
今流行っている꼬꼬麺(ココ麺)を入手。そして、真露のCoolも。 |
Posted by hajimet at 19:30
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雲 |
1月29日、韓国へ飛ぶ。関空経由金浦便。 |
Posted by hajimet at 19:22
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2011年9月19日 |
おっと危ないハングル2 |
突然、目の前ハングル(갸)と満州文字風が飛び込んできました。 |
Posted by hajimet at 20:12
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2011年8月23日 |
ソウルの看板4 |
4.韓国語の音声体系との混同、5.その他 |
Posted by hajimet at 09:45
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ソウルの看板3 |
3.訳しすぎ…個人的にはこれが一番面白い。 |
Posted by hajimet at 09:14
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ソウルの日本語看板2 |
2.似た字体の混同 |
Posted by hajimet at 09:05
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ソウルの日本語看板1 |
ソウルの日本語看板も以前に比べてかなり良くなってきた。「ゆ」に濁点が付いたり、意味不明の日本語はほとんど無くなったが、それでもおかしいものはある。ほぼ五つに類型化できるようだ。 |
Posted by hajimet at 08:52
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2011年8月22日 |
チャミスルオリジナル |
チャミスルがオリジナルのラベルをつけて売っていた。 |
Posted by hajimet at 09:40
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韓国での食事8月19日 |
昼、ホテル裏のコッケ(ワタリガニの沖漬)の店でコッケ定食を食べる。 |
Posted by hajimet at 09:22
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韓国での食事8月18日 |
朝はホテルで。町歩きをして「伝統茶院」で韓国のお茶(茶葉をつかなくとも「チャ」と言います)。 |
Posted by hajimet at 09:15
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韓国での食事8月17日 |
12時頃ホテルに到着。 |
Posted by hajimet at 09:03
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2011年7月3日 |
つかれると(おっと危ないハングル1) |
つかれているとき、なぜ「갸」があるのかと考えてしまいました。 |
Posted by hajimet at 16:02
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2011年2月19日 |
大邱で見た日本語 |
大邱のホテルで見た計算書。 |
Posted by hajimet at 22:21
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釜山、金海国際空港で |
2月17日 |
Posted by hajimet at 22:14
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韓国の食事(6) |
2月16日(夜) ヤンニョムカルビ |
Posted by hajimet at 22:10
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韓国の食事(5) |
2月16日(昼) |
Posted by hajimet at 22:02
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韓国の食事(4) |
2月15日(夜) |
Posted by hajimet at 21:42
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韓国の食事(3) |
2月15日(昼) スンドゥブ |
Posted by hajimet at 21:36
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韓国の食事(2) |
2月14日(夜)キムチチゲ |
Posted by hajimet at 21:20
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韓国の食事(1) |
2月14日(昼)サムパップ(包みご飯) |
Posted by hajimet at 21:12
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記録的大雪の慶州。その2 |
雪は夜11時頃まで降り続いた。 |
Posted by hajimet at 20:20
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記録的大雪の慶州(2月14日) |
2月13日から17日まで、新羅紀行で韓国に行った。 |
Posted by hajimet at 19:48
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2011年1月9日 |
チュオタン(韓国式鰌鍋) |
韓国式鰌鍋チュオタン。よく見るのは、鰌をすりつぶしたもので、鰌は単なるダシのような位置づけである。しかし、本来のチュオタンは違ったという。水に鰌を入れ、豆腐と一緒に茹でる。すると豆腐の中に鰌が入り込むので、その豆腐を切って食べていたという。武橋洞にある湧金屋は1932年開業のチュオタンの店だが、最初はそのようにして食べさせていたそうだ。味は辛かったとのこと。 |
Posted by hajimet at 22:05
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余命808…これ何? |
ソウルにて発見
808DAWN、 「宿酔解消用天然茶」 |
Posted by hajimet at 12:55
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2010年7月28日 |
韓国の食事(7) |
7月25日 ソウル サムギョプサル |
Posted by hajimet at 10:10
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韓国の食事(6) |
7月24日 江華島 硫黄アヒル燻製 |
Posted by hajimet at 10:07
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韓国の食事(5) |
7月25日夜 仁川 韓国風中華料理 |
Posted by hajimet at 10:01
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韓国の食事(4) |
7月23日 霊光 クルビ(イシモチ料理) |
Posted by hajimet at 09:55
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韓国の食事(3) |
7月22日(夜) 光州 |
Posted by hajimet at 09:50
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韓国の食事(2) |
7月22日 全州 ピビンバプ(石焼きではない) |
Posted by hajimet at 09:45
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韓国での食事(1) |
7月21日 公州にて(ソモリ クッパ) |
Posted by hajimet at 09:40
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2010年7月27日 |
店の名前(3) |
日本もそうですが、どこをみたらよいのでしょう? |
Posted by hajimet at 20:21
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店の名前(2) |
回転寿司屋の名前なのですが(ソウル 武橋洞、2010年7月26日) |
Posted by hajimet at 20:18
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店の名前 |
韓国と日本で店の名前の付け方が違うが、これもその一つ |
Posted by hajimet at 20:13
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外来語 |
韓国語と日本語と、外来語の読み方はかなり違う。 |
Posted by hajimet at 20:09
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2008年10月3日 |
八百屋? |
韓国の果物屋の風景です。普通の住宅街にある店です。 どこか変わっていませんか?注目は右下です。
「トマト」があるのです。
韓国では果物扱いです。 ちなみに、八百屋も何軒か見て回りましたが、置いていない店の方が多かったです。 左下は屋台で、栗と棗の実を売っていました。 (9月28日、ソウル麻浦にて)
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Posted by hajimet at 11:24
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ドングリは |
「ドングリの本来の主人は、リスです」 9月29日撮影 宗廟の入り口にあった。「宗廟野生動物食料保護」の標語である。 韓国ではドングリは食用されるので、この標語の意味は 単なる「樹を大切にしましょう」ということではない。
実際に宗廟を散策している女性達が、足下に散らばるドングリの実を手に取りながら、 「このドングリの実はおいしくて、あれはおいしくない」と言って、 物色していた。 |
Posted by hajimet at 10:55
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2007年12月15日 |
虎がたばこを吸っていた頃 |
12月、韓国の益山の料金所のトイレで撮った写真。
なぜ、虎が山にいなくなったかを知っていますか? 虎がたばこを吸っていた頃の虎は、 肺ガンで死んだという説があります。
ということだそうです。 ※虎がたばこを吸っていたころ=日本の「昔々あるところに」あたる。
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Posted by hajimet at 14:40
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2006年7月30日 |
夏のソウル2 |
2日目。天気は多少良かったが、蒸している。 その中、西橋(ソギョ)洞へ向かった。ホテルから地下鉄6号線で合井(ハプチョン)まで行き、そこで2号線に乗り換えて一駅である。2号線の合村駅は、東京の南北線と同じくホームと線路の間がガラスで仕切られ、列車の扉とホームのガラス扉が連動するようになっていた。 地下鉄2号線弘大(ホンデ)入口で下車。この町は美術系の弘益大学があり、アートの町として知られている。今のホテルに泊まるようになる前はここの西橋ホテルに止まっていたので、懐かしい町でもある。 さて、以前韓国の絵本を見ていたときに、この付近を舞台にした絵本を見つけたことがある。子供が飼い犬とはぐれ、探し回るという話で、韓国版「ウォーリーを探せ」といえるような内容だった。その中に、あたかも鉄道の廃線跡が市場になったような町の絵があった。道のカーブの様子がその「臭い」を醸し出しているのだ。その後、Suッkaraという雑誌を読んでいて、そのカーブの理由が分かった。 それは、西橋洞365番地。唐人里にある火力発電所へ石炭を運ぶ線路沿いに作られた町だった。地図を見ると、ソウル駅から都羅駅方面へ向かう京義線からの引き込み線よろしく、弧を描かれた道路がある。これがそれだったのだ。町の中の地図では「歩いてみたい道」として赤く色づけられている。京義線のほうは、弘大入り口の駅から北を見ると、すぐ目の前に踏切が見えていて、直進している。以前は1時間に一本普通列車が走るだけの線路で、近くを走る地下鉄が頻繁に走るのに対して、ローカル鉄道然としていた。しかし、KTX開通後はソウルから京義線にはいるKTX列車が日に何回かここを通過しているはずだ。 実際に行ってみた。何のことはない。昔、西橋ホテルの裏で見かけた駐車場がそれだった。道路の真ん中に車一台分とまれる駐車場が延々と続いていて、不思議な光景だと思っていたところだ。友達に連れられてトッポギを食べた屋台街のあった道がそこだ。トッポッギにインスタントラーメンの麺と御飯まで入る、炭水化物大集合状態であったが、それをまわりの学生が美味しそうに食べていた。結局線路跡を駐車場にしたということだった。その駐車場は公園になったり、遊歩道になったり千変万化である。 途中の建物は、線路跡と思われる駐車場沿いに一列に並ぶ、線路沿いは比較的最近扉が作られたようで、古くからの入り口は道路の反対、元の土手の下側開けられている。建物の切れ目を見ると、土手の傾斜の所に建物を建てて、傾斜の部分を瓦石などで埋めた跡が見られる。 ここが学生街のせいか、やたら「居酒屋」が目についた。日本語で表示があり、それぞれ「ももたろう」「うまい」「勝負」「おしゃく」「おやおや」などの名前がついている。共通に見られるのは、提灯がぶら下がっているところだ。多くは赤提灯だが、そうでないところもある。ハングルで書かれている白提灯の店もあったが、そこは韓国語で「清酒専門店、トッケビ(鬼)」と書かれていた。ほかにも「カレーコロッケ」を出す店とか、ともかくひらがなが溢れていた。 もちろん、韓国の店の方が多い。中には「独島(竹島)はわが領土、チャミスルは吾等が酒」などという広告を出す店もある。韓国はこの手の広告が多く、「停止線は良心線、安全ベルトは生命線」などの語呂を合わせた宣伝文をよく見る。 昼食後、国立中央博物館へ向かう。「平壌から来た遺跡」展をしていて、旧跡以降、高句麗、高麗などにわたる遺物を多く展示していた。なかでも開城の高麗初代太祖の陵から出てきた太祖像は圧巻だった。他にも弥勒菩薩広開(国王56号の方)、高麗の墓碑、大東輿地図反義などの多くの企画展が行われていた。 翌日(26日)は朝からお土産買いに南大門市場などへ。国立韓国銀行前のロータリーが春から夏の間に突然廃止になり芝生が覆われ、一部横断歩道で反対側に渡れるようになっていたことに驚いた。ここの地下道はいつ歩いても迷うところだったのだ。 帰りの飛行機は事前の「離陸後、20分ほどは梅雨前線の影響で大きな揺れが予想されます」というアナウンスの通り大揺れだった。言葉を聞いて覚悟するほどはいつもは揺れないのだが、今回は例外であった。 |
Posted by hajimet at 20:16
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2006年7月28日 |
夏のソウル1 |
7月24日から26日までソウルへ行った。羽田−金浦便のため、初日はお昼頃から、帰宅日は夕方遅くまで時間を使うことが出来、実際は3泊とそれほど変わらない密度である。 初日は書店で本を買い込み、その後知人に会う。合流した後、夜に避馬コルへ行った。鍾路の大通りの一本裏の細い路地で、朝鮮時代高官が通る鍾路の通りを避けて人々が通ったため、この名前で呼ばれる。道沿いには小さな食堂が連なる。そのうちの一軒に入った。 入り口にショウケースがあり、そこにハツ、センマイ、銀杏、スズメ、ホタテの貝柱などの串刺しが展示されていた。ここでつまみを選び焼いてもらう式である。ホタテの貝柱は「カイバシ」で通じる。 飲み物は「ひれ酒」である。これも「ヒレザケ」で通じるので、日本時代に入った者であろう。よその日本料理店で、韓国人が冬になるとよく飲むという話を聞いたことがある。頼むと薬缶に温められたお酒を入れて持ってきて、カップに注ぐ。注ぐときにライターで酒に火をつけながら注がれる。まるでフランベ状態だ。日本では、「ふぐひれ」の臭みをとるために、注がれた後にマッチで火をつけるのだが、注ぐときに火をつけてもアルコールが飛ぶだけのように思うのだが…。 ひれはおそらく「エイヒレ」である。少々生臭い。このとき飲んだカップは面白かった。二重底になっていて熱が直接伝わらないようになっている。底に穴が開いているので、空気が上手く対流するように工夫されているのだ。二重底はかなりの上げ底で、一見2合カップだが、実際は8勺位しか入らないように思われる。 ここで飲んでから、ナクチポックム(タコの辛味噌炒め)を食べに行った。こちらでは御飯も一緒に出てきて、ピビンバップにして食べるように技術指導された。ただ、混ぜ御飯にしてタコのまわりについているトウガラシ味噌が落ちると、そこに残るのはタダのタコであった。タコにはあまり味がしみないためである。 |
Posted by hajimet at 17:39
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2005年12月31日 |
寒い韓国(3) |
3日目。朝9時10分のKTXで大田(テジョン)へ向かう。1時間で到着。途中車内では時速300キロを超えている表示が出ている。 |
Posted by hajimet at 22:55
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2005年12月30日 |
寒い韓国(2) |
2日目。町はうっすらと雪化粧。昨日ソウルへ来る途中の漢江もうっすらと氷がはっていて、水のあるところに水鳥が集まっているという状況だったが、今日も寒い。町に出たが、雪が降ってきても体に張り付くことはないし、雪はいつまでたっても新雪状態である。 |
Posted by hajimet at 21:56
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寒い韓国(1) |
12月24日、ソウルへ行く。朝8時15分羽田発のJALである。左に芦ノ湖(二重火山が実によく分かる)や雪のない富士を見ながら飛ぶ。琵琶湖を遠く眺めるころか雲の上を飛ぶようになった。高度11000mまで上昇したところで、飛行機は揺れはじめた。時速は650キロほど。しばらくして耳が圧迫されるような感覚があり、ナビゲーターを見たところ9600メートルまで降下していた。
揺れの関係で高度を調節したとのこと。この日のソウルの気温は氷点下10度。天気は良いのだが、滑走路が滑りやすいのでシートベルトを厳重にするように機長のアナウンスがある。たしかに滑走路に雪や氷が落ちている。 ホテルに着き、たまたまソウルに来ていた親戚と合流して全州屋へ行く。ピビンバプをたべ、南大門市場へ散策。南大門では衛兵の交代式のさなかであった。続いて明洞へ。 |
Posted by hajimet at 21:38
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2005年5月9日 |
教科書の効用 |
今、HPで韓国の地理をまとめている。 |
Posted by hajimet at 00:53
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