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2017年1月3日
白キムチ(朝鮮漬け)

親戚に伝わる「朝鮮漬け」。在日が作る朝鮮漬けは「赤い」キムチの系統だが、
日本人が作るものは「白い」ものに刻んだ鷹の爪が入るケースが多く、
もしかすると、朝鮮にいた日本人が「朝鮮風白菜漬け」として作っていたものが
日本に伝わったのかも知れない。
 
白菜1個を軽く乾してから下漬。
韓国の漬け方ではなく、日本の白菜漬けの方法で下漬けする。
 
豚の挽肉を茹でて、網に漉しておく。茹で汁も使う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葱、大根、人参、ニラを刻む。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニンニク、ショウガ、リンゴ、梨、大根、タマネギ(キムチと同じ分量)をミキサーで摺り下ろし、
砂糖、アミの塩辛、刻んだ鷹の爪8本分、味調整用に塩、豚肉、
豚の茹で汁と野菜を和える。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白菜に挟み込み、冷暗所に置く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1週間ほどで完成。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニラは歯触りが合わない。辛みももう少し合っても大丈夫。
ということで、第2弾はニラを入れなかった。唐辛子も10本に。
また、カナリエキスとイワシエキスを入れ、アミの塩辛がなかったのでシラスを入れた。
漬けてから1週間で食べられるが、その時点でシラスは溶けきっていなかった。
さらに3日後になると、シラスは溶けて無くなっていた。

Posted by hajimet at 20:08 | Comments (0)


白菜漬け 2016

日本版白菜漬け。
白菜を割って、樽の底に塩を振りかけ白菜を並べる。上からも塩を振り、
外葉で蓋をする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2日ほどで水が上がってきたら、水を捨てて本漬け。昆布、柚、唐辛子をチラシ、軽く重し。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
冷暗所に保存

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3日目くらいから食べられる。柚はかなり入れてもよいようで、第2弾では柚を大量に入れた。

Posted by hajimet at 20:00 | Comments (0)


キムチ 2016

12月初旬、キムチ漬け開始。
日干しした白菜の葉の間に塩を振り、重石をしてタルに。大根は千切りにして軽く日に乾す。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日大根はタルから揚げて、水切りをする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダシ。昆布でダシをとったのち、煮干し、タマネギ、長ネギを茹でて野菜出汁とする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
餅米を摺り下ろし糊にする。
すり大根(大根半分)、ナシ(半分)、リンゴ(半分)
タマネギ(半分)、砂糖カップ2分の1、、ニンニク3かけ、生姜半かけ
カナリエキス4分の1カップ、イワシエキス4分の1カップ、アミの塩辛半カップを
ミキサーに入でおろし、ヤンニョムとする。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
万能ネギ10束、ニラ2分の1束、セリ数本、長ネギ1本を4センチ程度の長さに刻み、
唐辛子を少しまぶしておいた大根の千切りと混ぜ、
さらにヤンニョム、糊、ダシ、粉唐辛子カップ2と混ぜる。
(千切り、ざく切りは前の日のうちに刻んでおいた)
 
白菜の葉の間に具を入れて漬ける。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
密閉して冷暗所に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3週間後、まだ漬かりが浅いが、完成。

 
 
 

Posted by hajimet at 19:35 | Comments (0)


2014年6月1日
講演「各地に残る日韓の歴史」 20140531 葛飾シンフォニックヒルズ(韓国大使館主催)
5月31日、葛飾シンフォニックヒルズの会議室で2時30分より講演。
題は「各地に残る日韓交流の歴史」。内容は大きく5編に分けた。

資料はこちら

導入の後、
1.日韓は近い
釜山から対馬は見える。あまり当たり前に見えていて
「対馬が見えることが分かるけれども、あれは対馬でないね。韓国の島だね」
という人に会ったことがある。

対馬の人は、対馬に来るならパスポートを持って釜山経由で来た方が好いという。
戦前は急病には釜山に運んでいたし、対馬の最も人気のあった就職先は
朝鮮鉄道であった。壱岐、九州は互いに見える距離。
漂流民など流れ着く人も多く、江戸時代にハングルで書かれた掛け軸が残っている。
実は関東が、韓国からは最も遠い場所なのである(北海道を除く)。

2.韓国の倭系遺跡
韓国にも倭系古墳、前方後円墳がある。
ヤマト政権は鉄を求めて韓国と関係を持った。
その関係で、5世紀くらいのものが中心である。

また、倭系の横穴墓もある。東城王は王になるとき九州から筑紫の兵に守られて
現在の公州に入っている。そのような人たちの墓だと考えられている。
また、共通の漁具が出てきたり、弥生時代の交易センターとして、勒島がある。
ここは弥生土器だらけの島である。

3.北九州
交易の拠点であった。まずは糸島。
魏志倭人伝に対馬―壱岐―松浦―伊都―奴のルートがでているが、その伊都国。
伽耶山を目印に来たと考えられる。5世紀前後から博多湾全体で交易が始まり、
その拠点も西新町遺跡に移った。ここには韓国人居住の跡などがある。

一方でヤマト政権側も最前線として宗像大社を祀るし、
百済復興などにからんで朝倉の宮、それと前後して水城などが形成される。
元寇の防塁、名護屋城もあるが、三浦との縁から釜山会高徳寺という寺もある。

4.関西
古来伎人(広隆寺、八坂神社)、
今来伎人(伝王仁墓、オミアシ神社、辛科神社、穴太遺跡)、
百済王にからむもの(百済駅、杭全神社、石塔寺、百済王神社など)が残っている。

八坂神社はスサノオを祀るが、渡来系の神でソシモリに降りたとされる。
ところで、百済王神社の額には牛頭天王と書かれている。
牛=ソ、頭=モリ。牛頭天王信仰と習合したか。

それ以外にも栗東狛坂廃寺磨崖仏のように、新羅人に関係する遺跡もある。
敦賀方面から琵琶湖沿いに入ってきた可能性もある。

継体天皇との関係も議論としてはある。
百済王氏が最初に配された難波の津付近に、鶴橋がある。

5.関東

直接渡来人が来たと言うよりも、再配置された人びとの根拠地。
多胡郡、高麗郡、新羅郡(新座、志木)がそれ。

一方信濃、甲斐から静岡、愛知にかけて積石塚が分布する。
高句麗系の可能性が強い。

その後、江戸時代には通信使が来るなどで、
知識として韓国のことが入ってきている。

千葉にはハングルで彫られた石碑が残っている。
(初期のハングルで彫られた当時のものは、日韓含めててここにしかない)

平田篤胤の影響の神代文字もある。
これはハングルの知識があると、なぜか読めてしまうもの。
その後、明治の交流や、現在まで続く関係がある。

こういう関係がある中で、お互いにどう付き合っていくか。
エスノセントリズムではだめで、文科相対主義で行くべき。

ところで、「理解」しようというが、
「理解」するということは、何を「理解」するのか。
まず、「違う」ということを理解すること。古来日韓のつきあいを書いたものを
読んでも、どの時代も今と変わらない、双方の違いを指摘している。

結局、両方とも変わっていない。基礎の時代、古代まで遡っても
日韓は基本的思想、神に関する考え方がまったく違う。

人は社会の中で生きるから、違う発想を身につければ、それで行動する。
日韓は顔があまりにもよく似ているため、同じ発想をすると思い込む。
しかし、違うことを前提に付き合っていかないと、行き違いばかり起こる。

これで終わり。
Posted by hajimet at 19:49 | Comments (0)


2013年6月10日
韓国の地震

今日、朝鮮日報を見ていた。
地震記事が出ていた。まず、日本では記事にならない内容だ。
というより、この程度のものは常に日本のどこかで起きているからだ。
 
しかし、いかに地震が少ないか、この記事を通じても分かる。
まず、マグニチュード(韓国では規模、震度といわれる)。
そして、数十年単位で起きた地震を回数で表せること。
 
世界の地震エネルギーの10%が日本で発散されている。
そのうえ、3.11以降、1年以内に1万回以上地震がおきれば、
このような書き方はできない。というか意味ない。
しかし、安定陸塊で地震のないところでは、この回数が意味を持つというわけだ。
 
韓国の建築基準は、地震がないことを前提になっているから、日本よりは脆弱である。
韓国に同行した建築家が、新しいビルの柱を見て、
強度は日本のほぼ3分の1だと言ったことを聞いたことがある。
だから、柱は、生理的に大丈夫かと思うくらい細い(中国よりは太いが)。

そんなところだから、揺れること自体が問題になるのだろう。
 
九州からたった200キロで、これだけ状況が違うという証左である。
ただ、3.11で朝鮮半島も数センチずれているという報道を目にしている。
その影響が朝鮮半島でもあるかもしれない。
 
…ちなみにソウルで地震に遭ったことがある。
玄界島で大きな被害を起こした地震だが、一瞬目眩かと思った。
 
地震を経験しない人が地震に遭遇すると、目眩と思うそうだが、
地震がないところにいると安心していたから、そう感じたというわけだ。
 
新聞記事は以下の通り。
 
2013/06/10
光州でM2.7の地震、過去35年で最大
光州市で19年ぶりに地震が発生した。
気象庁は今月8日午前5時56分59秒、光州市東区の東南東3キロの地点で、
マグニチュード(M)2.7の地震が発生した、と発表した。
 
規模が小さいため被害の報告はなかったが、
都心から近い場所で地震が発生したため、
揺れを感じた一部の市民から問い合わせが相次いだという。
 
光州市消防本部は「光州市や全羅南道の各地から
『ドシンという音が聞こえた』『地面が揺れた』といった電話が30回ほどかかってきた」と発表した。
光陽市や順天市など全羅南道東部でも揺れを感じた住民がいたという。
 
今回の地震は、計器による観測が始まった1978年以降に
光州で発生した地震としては5回目で、規模は最も大きいとのことだ。

Posted by hajimet at 23:36 | Comments (0)


2013年3月23日
ソウル春(3) 3月11日、12日

午前中は部屋でのんびり。昼、知人に会いに市庁前まで行く。プレジデントホテル下のハンガラムという店でマンドウ・ククを食べる。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
食後、楽園楽器商街と仁寺洞を散策。とんかつは「돈까스」と書かれるものが多くなったと思いながら、看板を眺める。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4時頃ホテルに戻り、ホテルのサウナで垢すり、マッサージ(痛かったが上図だった)。それからソウル駅へ行き、5,6年ぶりに友人と会う。南大門市場へ行き、チョッパリをあてに、マッコリ、トンドンチュ。メインの通りの豚の頭が置かれている店。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日、この日日本から来た知人と合流して弘大一帯を散歩。居酒屋、日本料理店の多い所でもある。「四柱とタロット」などと言う店もあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弘益大学も散策する。オーケストラや日本語同好会のポスターがあった。歩いている人のカバンの形が少し変わったかな?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
合井駅に着く。地下鉄も到着案内などが出来て、ずいぶん雰囲気が変わった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
合井駅横のパン屋で時間をつぶす。隣の餃子屋さん。店名の漢字表記がおかしい。韓国で餃子のことを饅頭というが、「満度」と書かれている。別の人とも合流して「エゴマの身のチゲ」を食べる。店の前に「東京焼き」と書いた看板があったが、どんなものだろうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルに戻りチェックインしてから、南大門市場と栄豊文庫、教保文庫による。南大門も修復感性間近だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7時過ぎの飛行機で帰国。
 
 

Posted by hajimet at 22:24 | Comments (0)


ソウル春(2) 3月10日

寒い。昨日20度以上あったのに、今日の朝の気温はマイナス3度。
9時過ぎ、ホテルを出て「漢城百済博物館」へ行く。タクシーで1万5千ウォンほど。
オリンピック公園の平和門で下りて、そこから歩く。途中の公園の遊具の写真

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
漢城(ソウル)には紀元前18年(伝)から475年まで百済の都があった。オリンピック公園も管来時代の夢村土城のあとである。この漢城時代の様子をよく描き出している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここのトイレ、「紙を便器に流しましょう」と書かれていた。韓国では下水道事情から使った紙はわきのゴミ箱に捨てることが普通だから、画期的なことだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらくオリンピック公園を散歩。ここも健康器具があった。それから景福宮に移る。1時間ほど時間が余ったからだ。昨日の黄砂がウソみたいに晴れた「ソウル晴れ」。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仁寺洞に移り、「泗川」で冠式料理を食べる。プルコギと統営産の白身魚とカキの入り焼きを食べる。ここで研究の相談など。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市内を少々散歩した後、早めにホテルに戻り原稿を書く。夜、裏の店で、まずはそば粉のジョン。そば粉は小麦粉など混ざっているのだろう。少しもちもちしている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続けてキノコのチョンゴル。この中にもそばが入っていた。辛いスープにも合う。ところで、韓国の鍋には白菜が入らない。水っぽくなるからだと言った人がいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、近くの「トゥダリ」に移る。10年以上前からある日本風焼き鳥店だが、かなり韓国風に味が代わり、「辛い焼き鳥」などを置いている。店の提灯…漢字が分からない人が書いたな…。

 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 21:55 | Comments (0)


ソウル春(1) 3月9日

朝8時25分のJALで金浦空港に向かう。航路はおおむね良好。ただ、黄砂の中だったので、ソウルの町が黄砂の雲海に沈んでいるようであった。わずかに冠岳山、北漢山が雲海から頭を出していた。その雲海に飛行機は下りていった。
 
ホテル到着後、教保文庫に向かった。資料探しが目的だったが、大混雑。土曜日で家族連れが多い上に、新学期(3月開始)の教科書購入のため高校生が沢山いる。あちらこちらで座って本を読んでいるし、まともに歩けない状態。それでもいくつか本を購入する。教材用絵本も購入した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
教保文庫から清溪川を歩く。ここも家族連れや恋人同士が多く集まって、休日を楽しんでいた。
この日は3月なのに20度以上に気温が上がったため、ガラスを外して風通しをよくしたコーヒーショップまであった(翌々日ここを通ったらガラスがはめられていた)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらく散策した後、ホテルの近くに戻る。以前、韓国で自転車を見ることは珍しかったが、最近はロード用の自転車を多く見かけるようになった。スポーツとして捉えられているのだろう。多くの人が自転車用の装備をして乗っている。日本で見かけるようなママチャリは見られない。
 
近くの公園には健康器具が置かれ、老人が体操をしていた。韓国では公園にこのような器具を置いているところが多く、あちらこちらで目にすることが出来た。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は近くの焼き肉屋でサムギョプサルを食べる。最近流行りの熱い肉を石の上で焼くタイプでなく、鉄板の上で薄手の肉をじっくり焼く昔の焼き方。それでも、最初の頃よりは肉が厚い。最近はキムチも一緒に焼くようになったが、もともとはそうではなかった。10年以上前、この店でキムチを焼いたら、異様な臭いがすると言って、店員が見に来たことを覚えている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くのロッテマートで買いだし。済州島お土産のコーナー。「きせつもの」の「せつ」を一文字と認識したか。最近としては珍しい日本語の間違い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
買ってきた日本酒。韓国料理にも合うと書いてあったので買ってきて飲んでみた。韓国料理と日本酒は、酒が甘くて仕方ないのだ。結果はトロットした中途半端な味だった。3日間で飲み干すことが出来なかった。おつまみと一緒に。

 
 

Posted by hajimet at 21:28 | Comments (0)


2012年8月8日
暑い…韓国旅行 8月1日(2)

申聞鼓を撮影して、歩いて大通りに(トラブル防止のためカメラを仕舞って)。
 
タクシーを止める。何とハザードをつけているではないか。
これまでで初めての経験だ。そういえば、ドアの鍵の扱いは運転手に任せろという
表示もあった。ということは、自動ドアか、と思ったが、さすがに違った。

どうもオートバイ衝突対策などで、オートロック化したようなのだ。
それとともに停車時のハザード文化も入ったようだ。
精算の時にもハザードをつけている車もあった。

 
車は再び大統領官邸前を通り、三清洞から山岳道路を通って、成均館大学へ。
大学を通り抜けて、文廟、成均館前で下ろしてもらう。
孔子廟や蕩平碑などを撮影。ここは2回目、10年ぶりだが、前回は
ほとんど撮影していなかったので、丁寧に撮影する。

 
前回来たときは、孔子廟側は入れず、学生が勉強する講堂である明倫館は
結婚式を行っていて、ゆっくり見る雰囲気ではなかった。
(しかも、急に疲れが吹き出てきて、体調的にもゆっくり出来なかった)。
科挙に合格した学生が学ぶ部屋などがそのまま残されている。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらにタクシーで南山公園へ。
元朝鮮神宮のあとで、社務所あとには安重根記念館が建つ。
以前は朝鮮神宮時代の階段の素材を利用して作られた階段で、
道路まで降りなければならなかったのだが、
階段は撤去され、盛り土がされて、緩やかな坂道で降りられるように直されていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実は、朝鮮神宮時代はこのような地形になっていて、
写真右手まで行ったところから階段で降りるようになっていた。
今は、階段ではないが、脇に散策路が作られて下まで降りられるようなっていた。
 
一旦ホテルに戻り、知り合いの事務所を訪ねた後、
ホテル近くでスンドゥブを食べる。そして部屋で一献。

Posted by hajimet at 22:12 | Comments (0)


暑い…韓国旅行1 8月1日(1)

暑い1日だった。
この日のうちに、必要な取材をしようと思っていたのだが、
ともかく蒸し暑い。暴炎警報が出ている。ソウルの気温は36度。かなり蒸し暑い。
着陸時の機内放送では31度だったはずなのに…。
ついでに、羽田の予報では、2日が30度、3日は26度となっていたが、何を根拠にしたのだろう。
 
昼、ブデチゲを食べたあと、極力タクシーで回ることにする。
まず、延世大学の「延世歴史の庭」へ。正門からすぐのところ。
広恵院という、延世とソウル大の大学病院の元になったところで、建物が復元されている。
この場所は、正祖の母親の陵があったところでもある。
 
注目は建物の裏側。歴史に関係したものが置かれているのだが、
広恵院を作ったアンダーウッドの墓があることとともに、その横に
「興亜維新記念塔」が置かれている。朝鮮総督南次郎書、昭和16年12月8日となっている。
表面は削られていて、韓国でよく目にする日本時代の記念碑と同じ様子だ。
 
しかし、これが建立された碑が16年12月8日が気になる。
真珠湾攻撃の日であるが、もし、これが本当にこの日に建立されたなら、
偶然であるし、そうでなければ後から建てられたことになる。調査が必要。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続けて、本館の方に歩く。5分ほど。正面向かって左手にある尹東柱の詩碑を見るためである。
中国龍井に続いて2つ目であった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正門まで戻り、タクシーで申聞鼓へ。ネットで青瓦台脇のムグンファ広場の中に
あると聞いたので、そこを目指す。景福宮脇の大通りを北上して曲がり込むが、
そこで検問。目的を聞かれ、鞄の中をチェックされ…。
やっとの事で許可を取って、その場所に。辺りは中国人観光客ばかり…

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
申聞鼓は本来王宮の中にあって、是を叩くと、直訴できると言うものだ。
対馬でも、石製の同じようなものが置かれている。
 

Posted by hajimet at 21:47 | Comments (0)


2012年2月23日
日本語?韓国語?

社稷洞にある団体旅行者向け食堂。店の名前、日本語でも韓国語でも読める。
日本語なら「宮の朝」、韓国語では「宮의 朝」。上手く工夫したものだ。

Posted by hajimet at 19:34 | Comments (0)


ココ麺とcool

今流行っている꼬꼬麺(ココ麺)を入手。そして、真露のCoolも。
ラーメンは帰国後食べたが、びっくりするような辛さ。
Coolは18度の焼酎で、濃いめの日本酒と同じくらい。
25度の真露を知っている身からすると、水みたい。
でも、量の加減も分かるから、飲み過ぎる心配も無い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 19:30 | Comments (0)


1月29日、韓国へ飛ぶ。関空経由金浦便。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
富士は雲の上に出ていた。そして、日本海側は雲の上で何も見えない。
冬型の気圧配置の中を飛んだからだ。
ところが、しばらく行くと所々海面が見えて、ついにはヒツジ雲状態に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いよいよ雲が無くなったと思ったら、朝鮮半島だった。
雲が大陸側から海を渡る間に出来ることがよくわかるフライトだった。
雲ははるか遠くに見える(この後、韓国の領域に入ったので
撮影禁止というアナウンスが流れた)

Posted by hajimet at 19:22 | Comments (0)


2011年9月19日
おっと危ないハングル2

突然、目の前ハングル(갸)と満州文字風が飛び込んできました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
目黒線西小山駅前にあります。
 

Posted by hajimet at 20:12 | Comments (0)


2011年8月23日
ソウルの看板4

4.韓国語の音声体系との混同、5.その他
 
韓国語と日本語で音の区別の仕方が異なることから起こるもの(厳密に言えば音の長短もここに入る)。とくに、日本語の濁音と清音の区別はないため、韓国語の話者が「G」「D」「B」「Ja」と発音しているつもりでも、日本人には場所によっては「K」「T」「P」「Cya」に聞こえる。言葉の頭は絶対に濁らないが、韓国語話者にその感覚が無いため、濁音で書かれることが多々ある。
(逆に韓国語話者からは、日本語話者が「k」で話すと、「Kh」に聞こえることが多いそうだ)
個人的にはGimpo空港を「ギンポ」と言われると、背筋がぞっとするくらい気持ち悪い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プリクラのつもり。
…それ以外にも多くの事例がある。
これは日本でも韓国語に仮名を振るときによく見られる。
その言語の体系でなく、違った音に聞こえる異なった体系を持っている人に
理解して貰うことが優先であろう(日本語→韓国語も一緒)。
 
5.その他

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国語フォントの環境で日本語を書こうとすると、こうなる事がある。
それをそのまま刷りだしたのだろう。
文章も、韓国語的だが、ここは意味が通じるということで、とくに扱わない。
 
1〜4まで、言語の体系の違いから来ることなので、
その「差異」を知る必要があるという事になるように思われる。

Posted by hajimet at 09:45 | Comments (0)


ソウルの看板3

3.訳しすぎ…個人的にはこれが一番面白い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ピビン冷麺」→「揉むこと冷麺」
「ピビン」の部分は冷麺に対しては「混ぜる」と訳すが、
「揉む、こする」の意味もある(こちらが基本)。
但し、上の「咸興ピビン冷麺」が「揉むこと」になっていないのが不思議。
英文の方が正確に意味を表しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文字の混同もかなりある看板
「アンコウ」と「アソコゥ」、「フグ」と「フゲ」
適度に漢字を混ぜれば、まだ意味がとおる看板だが、
カタカナで表したため意味不明になった。
「タラボルムシ」は「タラの蒸し物」くらいか。「뽈」…不明
「수육」は煮た牛肉のこと。「フグ煮」か「茹でフグ」、
「튀김」は揚げ物だが、「フグ揚げ」くらい。
最後の「鰒」確かに「フグ」だが、「アワビ」もこの漢字。韓国語では「アワビ」の意味しか無い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「め韓牛」→メス牛のこと。生さしみ→ユッケのこと。せいぜい「さしみ」。
つい数年前まで、この手のメニュー表示が多かった。

Posted by hajimet at 09:14 | Comments (0)


ソウルの日本語看板2

2.似た字体の混同
ひらがなとカタカナが混合する場合もある。ひどくなると、スラックスが「ズうツクス」なったり、ダマゴ(たまご)が「ゆまぢ(「ゆ」は濁点)」となることもあった。これは韓国語の発音体系との混同も含まれている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ネンミョン(冷麺)。「ン」「ソ」の混同。

 
 
 
 
 
 
「ッ」と「ツ」、「ジ」と「ヅ」、「ウォ」と「ゥオ」、「ン」と「ソ」
 
※日本語の知識がないと、どうしても起きてしまうが、
  ロッテホテルの案内でも発見して、びっくりした。
  似た文字の混同とするとハングルを「引き移す」と、よりひどいことになりそう。

Posted by hajimet at 09:05 | Comments (0)


ソウルの日本語看板1

ソウルの日本語看板も以前に比べてかなり良くなってきた。「ゆ」に濁点が付いたり、意味不明の日本語はほとんど無くなったが、それでもおかしいものはある。ほぼ五つに類型化できるようだ。
1,音の長短、2,似た文字との間違い、3,訳しすぎ、4,韓国語の音声体系との混同、5,其の他である。
 
まずは音の長短。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国語は音の長短の感覚が無い。韓国語からすれば、「チョ」も「チョー」も区別しない。
そのためにこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらは韓国語をそのままカタカナで表したもの、。
単語そのものは「ウリ」だが、次の単語との関係で若干伸びて発音されるのだろう。
ただし、「イ」一文字分発音すると、かなり間延びした感じになる。

Posted by hajimet at 08:52 | Comments (0)


2011年8月22日
チャミスルオリジナル

チャミスルがオリジナルのラベルをつけて売っていた。
一番の好みはこれ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一番上の文字を一文字ずつ読むと、チャミスルになります。
(左から)本当(Cham)に青い海岸で、この(I)ように立っていると、サッ(Sul)と駆け出したい気持ちだね。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャミスル一杯やろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これも、一行ずつチャミスルにかけている。

Posted by hajimet at 09:40 | Comments (0)


韓国での食事8月19日

昼、ホテル裏のコッケ(ワタリガニの沖漬)の店でコッケ定食を食べる。
これで3万ウォン(2500円)いきません。
大量の突き出し。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左からアオサの海苔、海苔、カキの塩辛、鱈の甘辛炒め、
ズッキーニの和え物、ナスの和え物、ジャコ、
大根菜っ葉のキムチ、シメジの和え物、よくわからない葉っぱの和え物
 
まずこれが出てきた。…続いて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メイン登場。甲羅に飯を入れて海苔に巻くのが美味しい。
もちろん、生ですすってもよい。
カニが出てから、テンジャンチゲ(韓国風味噌汁)、イシモチ、
韓国風茶碗蒸し、チジミも出てきた。
 
最後に桃がデザートに。ただし、笑ってしまうくらい「固い」。
うす甘い大根をかじっているような雰囲気。

Posted by hajimet at 09:22 | Comments (0)


韓国での食事8月18日

朝はホテルで。町歩きをして「伝統茶院」で韓国のお茶(茶葉をつかなくとも「チャ」と言います)。
昼は参鶏湯。
夜は韓国の飲み屋(店名「マポナル」)で一献。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左から、ポッサム(ゆで豚をキムチなどで包んで食べるもの。
中 カムジャジョン(ジャガイモのチジミ)
右 ナクチポックム(タコの辛味噌炒め)。ここの店はそうめんを混ぜ込んで食べる。

Posted by hajimet at 09:15 | Comments (0)


韓国での食事8月17日

12時頃ホテルに到着。
ホテルの裏で、韓国のソバを食べる。こちらはビビンメミル(ソバをコチュジャンなどで混ぜるもの)を頼む。あわせてソバのジョン。香ばしくて美味しかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は近くのスンドゥブの店で焼き肉。サムギョプサルとカルビ、スンドゥブを注文。

Posted by hajimet at 09:03 | Comments (0)


2011年7月3日
つかれると(おっと危ないハングル1)

つかれているとき、なぜ「」があるのかと考えてしまいました。
東急池上線の列車広告です。しかも2回も。
 
正解は「水ようかん」の「水」を崩した文字です。
ときどきこういう見間違えをします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この「青」、ぱっと目に入ってくるんですが、「背景が意外と地味なんです」。
 

Posted by hajimet at 16:02 | Comments (0)


2011年2月19日
大邱で見た日本語

大邱のホテルで見た計算書。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本語の文章がおかしいのは置いておいて、
下から2行目と最終行の書き方はおかしい。
「なさつて退宿の薪につント迄…」
「どらも」
 
撥音の概念は韓国語にないため、「っ」と「つ」の区別がつかない。
「フ」と「つ」の混同。
「ロ」と「□(四角)」の混同。
「ど」…ハングルで書く場合、語頭の「と」を「do」で表すことが多いことから、
    それをそのままカナでも援用してしまった。
「う」と「ら」の混同。
 
間違えではあるが、どのようなものを何故間違えたのか、
誤用例を集めておくと、様々な分野で役立つように思える。
かつては、かなりひどく、あるホテルで
「ずうつクス」というのを見たことがある。「スラックス」であるが、
これも説明のつく間違えではある。

Posted by hajimet at 22:21 | Comments (0)


釜山、金海国際空港で

2月17日

 
国際線カウンターに、
機内持ち込み禁止物の
ポスターがあった。
 
どこかで見たことがあると思ったら、
国土交通省航空局、警察局と
書いてあった。
 
利用者の多くが日本人であることが
わかる一場面であった。

Posted by hajimet at 22:14 | Comments (0)


韓国の食事(6)

2月16日(夜) ヤンニョムカルビ

 
釜山 タルマジで。
左下の赤、緑、黄は
大根を染めたもの。
 
ここの店は、
タマネギを醤油に浸したものを
つけダレにして食べる。

Posted by hajimet at 22:10 | Comments (0)


韓国の食事(5)

2月16日(昼)

慶州ヘジャングクタウン
 
ヘジャングクも慶州の名物。
全国的に食べることができるが、
二日酔いなどのときの食べ物と
され、胃に優しいという。
 
慶州はそばのムクのヘジャングク、
コンナムルのものが有名であるが、
この店は、この両方が入っている。
あっさりした味だ。
 
 

 
もう一つ、ソンジククがあった。
これは牛の血を元に作った、
塊が入っている。
ほとんど鉄の塊である。
 
少々鉄くさいが、
味は濃厚な牛のスープである。

Posted by hajimet at 22:02 | Comments (0)


韓国の食事(4)

2月15日(夜)

 
浦項の刺身屋
 
まずは
タイ、ヒラメなどの刺身を堪能。
サンチュ、チジミ、ニンニク、
青唐辛子、海草のこんにく風、
茹でエビ、つけだれ

 
 
 
 
続いてムルフェ(水刺身)
よく分からない白身の魚
(骨きりしていたところからすると
太刀魚か?)にキュウリと梨の千切り
刻みネギと海苔とコチュジャン。
 
これに水をかけて混ぜて食べる。
漁師の料理だそうだ。
 
さすがに水を入れる気には
ならなかった。
 

 

 
 
 
 
最後にカメギ
浦項の名物。
サンマの一夜干し風だが、
特に塩をしてあるわけ出ないので、
不思議な感じがする。
 
 

 

 
実際には一夜干しでなく、
洗った秋刀魚を10〜16日間自然凍結乾燥させたもの。食べ方は葉に昆布、ワケギなどを一緒に捲いて食べる。
 
独特の弾力がある。
 
 
 
 

 

 
 
 
最後にタイのスープが出た。豆ホヤが出しに使われていた。
 
(あるブログによれば、
刺身料理を食べる場合、
お腹のためには焼酎が良いそうだ)

Posted by hajimet at 21:42 | Comments (0)


韓国の食事(3)

2月15日(昼) スンドゥブ

急遽変更された店で。
 
個人的には韓国に行くと
必ず食べる好物。
 
おぼろ豆腐の鍋である。
 
キムチ、大根の葉の煮物、
豆の葉の漬物、
ナムル(わかめ、大根、ほうれん草)
 
 
おからの味噌仕立て、ごまめ、キャベツの葉のチヂミ風、
カレイの甘辛仕上げ、鰯の塩辛、唐辛子(日本風)の揚げ物など。
(旅行者向けに辛みを抑えてもらった…少々物足りない)

Posted by hajimet at 21:36 | Comments (0)


韓国の食事(2)

2月14日(夜)キムチチゲ

 
慶州コーロンホテルにて。
 
キムチ、もやしのナムル、
わかめのナムル、
ほうれん草のナムル、
チジミ、キムチチゲ

Posted by hajimet at 21:20 | Comments (0)


韓国の食事(1)

2月14日(昼)サムパップ(包みご飯)
 サムウォン(森園)サムパップにて

多くの葉っぱ(マメ、カボチャ、
白菜、昆布、チシャ、茹でキャベツ他)、
ニンニク付け、ほうれん草和え、
チヂミ、韓国風茶碗蒸し、
ジャガイモサラダ、味噌、ズッキーニ、
海苔の佃煮風、鰯の塩辛、
サンマの煮付け、梅のシロップ漬
キムチなど。
 
  

                                  
 
葉っぱにご飯を包んで食べる。
葉っぱは季節によって違うが、
タンポポの葉が出てきたこともあった。
 
ご飯と一緒に包むものは
好きなものを自由に入れて良い。
 
入れすぎると口が閉まらなくなる。
(夫婦げんかの時にわざとやるとか…)
 
  

Posted by hajimet at 21:12 | Comments (0)


記録的大雪の慶州。その2

雪は夜11時頃まで降り続いた。
 
2月15日
朝一面の雪景色。
テレビは盛んに観測史上(植民地時代含む)初めての大雪を伝えている。
北部の江原道では1m以上積もったのだが、そんなには積もらない地域なのだ。
 
9時出発のはずのバスは現れない。
何と昨日留まったところから動けないとのことだった。
チェーンはあるが、雪に埋もれて付けられず、
バックしようにも雪に埋もれた車があって動けない。
何とか排除して動いたのは10時近かった。

 
 
 
道は半分圧雪になっていて、
滑りやすい。
そこをホテルから下りていく。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
途中の駐車場では
押しがけをしている車まであった。
(オートマでは無理)
 
 
 

 
それでも何とかバスのあるところまで移動した。
しかし、バスの止まっている付近は、除雪はされているが、今度は氷っていた。
一瞬滑り、怖い思いをした。

遺跡はどこも、雪を掻き分ける始末だ。
講師の先生と一緒に
先人を切って歩いたが、
長靴の上から雪が入り込んでくる。
 
高村光太郎をもじれば、
「僕の前に道はない。
僕の後ろには道がある。
その道を人がついてくる」
という気分だった。

 

 
昼食は急遽店を変更。
予約していた店が
雪で潰れたからだ。
 
ビニルハウスも随所で潰れていた。
 
それでも午後になると、
路面から湯気が出るほどの陽ざしで、
雪はかなり溶けた。
 
 
特に雪の少ないところでは地肌が出るほどであった。
 
だが、全体が溶けたかと思うのは
 
誤算だった。あるところにはあったのだ。
場所によっては膝まで雪が来た。しかも夕方にはそれが凍り始めた。
しかし、1日雪焼けするほどの快晴。夕陽はきれいだった。

 
 
雪の影響は次の日も続いたが、
雪そのものよりも雪の影響で
道が閉鎖されたりすることの
方が大きかった。
 
また、頭上の木の枝からは
半ば氷った雪が落ちてくることが
怖かった。
 
 
 
 

Posted by hajimet at 20:20 | Comments (0)


記録的大雪の慶州(2月14日)

2月13日から17日まで、新羅紀行で韓国に行った。
初日は薄曇り、飛行機が多少揺れた程度だった。
 
週間予報では最終日以外「晴れ」。

 
なのにテレビでは雪の予報を伝えている。
 
翌日目覚めたら一面の雪。すでに10cmくらい積もっている。
シンシンと、風もなく降り続けていた。
雪による大渋滞を抜けて何とか慶州に入るが、そこは吹雪のまっただ中だった。
 

 
慶州は雪景色もきれいだそうだ。
だが、それどころ出ない。
 
ちょっとでも外に出ると、
 
雪だるまになるのだ
 
お昼頃、すでに30cmくらい積もっていた。
雪景色と言うより、これから何が起こるか分からない怖さがあった。
 
 
これは、翌日明らかになる。
 
午後、雪はもっと激しくなる。

 
木の枝からは積もった雪が霧のように落ちてくる。

  
 
 
 
 
 
 

長距離までは
見通せない。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついに
深い雪になった。


この時点で30cm近く。
バスは最徐行で進む。
それでも、ときどきお尻を振り、
恐怖を感じる。
 

 
 
さらに怖いことに、今日のホテル。
コーロンホテルは
 
山の上なのだ。
 
 
何事もないことを願っていたが、結局バスはホテルにたどり着けなかった。
メインの通りが閉鎖されてしまったことと、
一本しかない裏道でバスの前を走っていた車が、すり減った普通のタイヤのためエンコし、
バスの進路を夫妻だからである。そこから200mほどホテルまで歩く羽目になった。
 
運転手は深夜1時まで何とかしようとしていたが、あきらめたとのことだった。

Posted by hajimet at 19:48 | Comments (0)


2011年1月9日
チュオタン(韓国式鰌鍋)

韓国式鰌鍋チュオタン。よく見るのは、鰌をすりつぶしたもので、鰌は単なるダシのような位置づけである。しかし、本来のチュオタンは違ったという。水に鰌を入れ、豆腐と一緒に茹でる。すると豆腐の中に鰌が入り込むので、その豆腐を切って食べていたという。武橋洞にある湧金屋は1932年開業のチュオタンの店だが、最初はそのようにして食べさせていたそうだ。味は辛かったとのこと。
 
場所柄、李承晩時代は東亜日報の記者のたまり場になり、子供を「スンマニ(承晩ちゃん)」と呼びつけて、李承晩の悪口や反政府的なことを言っていたという。刑事もここには顔を出せなかったそうだ(この店の名前の付いた小説などもあるようだ)。
 
その後作り方は変わったが、鰌そのものが入っている事は変わりない。柔らかく煮込んであるので、骨も普通に噛むことが出来る。1月6日昼に食べた。辛さもそれほどでもない。同名の店が景福宮の近くにある。こちらは分家に当たるとのこと。
 
ついで…麻浦で食べたヘムルチョンゴル。貝やホヤ、魚、野菜など様々なものが入り、それを生から茹でて食べるものであった。ガラスのフタの下で何かうごめくものが…。たこが一匹生きたまま入っていて、ゆでだこになるところであった。まだ動きが止まっていないときに、挟みが出てきて、タコを切り、「もう食べ頃、堅くなる前に食べるように」と言われた。確かに新鮮なのだが、あまりにも刺激的な風景であった。

Posted by hajimet at 22:05 | Comments (0)


余命808…これ何?

ソウルにて発見


「黎明808」なんとも不思議な名前のものである。最初「余命808」と呼んでしまった。余命と黎明は韓国語で同じ音。読み間違えたのは、この飲み物が目的としているものからの類推からである。
 
表には発明家南宮ヒョンと署名の入った写真が刷られ(どこかのドクター○○に雰囲気は似ている)、

808DAWN
 
韓国標準協会ロハス認証
 
韓国標準協会「黄金の蝶賞」、
 
韓国消費者ウェルビーング指数「6年連続1位」
受賞した名前が続く。
 
さらに韓国の特許番号が大きく刷られ、
その下に
「発明特許品」世界11カ国国際発明特許品「名品」と仰々しく書かれる。
 
そのものとは、
 

「宿酔解消用天然茶」
 
横にはさらに黎明808と書かれ、第43回発明の日金塔産業勲章受勲、
 
米国FDA公認研究機関で
 
人体無毒性判定とまで書かれいてる。
 
そして「黎明808は国際発明発明特許技術で製造し、早い二日酔い解消で活気に満ちた朝、黎明(夜明け)を開いてくれる」と書かれる。要するに、ナナカマド、甘草、葛花などの漢方濃
 
縮液を甘くしたもの。
 
味は…甘い薬でした…。二日酔い解消効果は…不明。
でも仰々しい
 
…。信じるものは救われる?

Posted by hajimet at 12:55 | Comments (0)


2010年7月28日
韓国の食事(7)

7月25日 ソウル サムギョプサル
 
すっかりこの焼き方になりました。
もともと、薄めの肉を焼いていたのですが…
 
ブタの油で、豆腐、ジャガイモ、キムチを
揚げ(?)ます。
 
野菜、ニラ、サンチュなど

Posted by hajimet at 10:10 | Comments (0)


韓国の食事(6)

7月24日 江華島 硫黄アヒル燻製

 
 
肉は焼いて、ごま油で食べる。
サンチュ、ダイコン、ニラ、キムチ、
水キムチ、ニンニクなど。

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韓国の食事(5)

7月25日夜 仁川 韓国風中華料理

 
 
中華料理定番の突き出し。
タクアン(酢をかけて食べる)
タマネギ用テンメンジャン風ミソ、
タマネギ(生、辛くない)
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
中華街

Posted by hajimet at 10:01 | Comments (0)


韓国の食事(4)

7月23日 霊光 クルビ(イシモチ料理)

 
イシモチ2種類
干し鱈、かに2種類、
エイの刺身、エイの蒸し物、
貝、干しエビ、エビ、アサリのスープ、
牛肉とニンニク、ニンニク(エシャロット?)漬、もやし、タケノコ、豚の皮等々
 
 
 
 
 

 
 
 
配膳した机を運び込む。

Posted by hajimet at 09:55 | Comments (0)


韓国の食事(3)

7月22日(夜) 光州 
プルコギ

 
ソウルよりも淡泊。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
付け合わせ
キムチ、サラダ、ニラ、もやし等々

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韓国の食事(2)

7月22日 全州 ピビンバプ(石焼きではない)

 
 
混ぜる前。
入れ物は…
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
付け合わせ
もやしスープ、エリンギ、キムチ、
水キムチ、キュウリ(メンマ?)、
ゴボウ、ミツバ、大根菜の水キムチ、
ズッキーニの揚げ物
 

Posted by hajimet at 09:45 | Comments (0)


韓国での食事(1)

7月21日 公州にて(ソモリ クッパ)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つきだし

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キムチ、カクトゥギ、タマネギ醤油漬け、塩辛、ニラ、
肉につけるわさび醤油

Posted by hajimet at 09:40 | Comments (0)


2010年7月27日
店の名前(3)

日本もそうですが、どこをみたらよいのでしょう?
(光州月桂洞 2010年7月22日)

 
 

Posted by hajimet at 20:21 | Comments (0)


店の名前(2)

回転寿司屋の名前なのですが(ソウル 武橋洞、2010年7月26日)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はらはらします。

Posted by hajimet at 20:18 | Comments (0)


店の名前

韓国と日本で店の名前の付け方が違うが、これもその一つ
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「簡単に一杯」…。仁川新都市にて(2010年7月25日)
 
 

Posted by hajimet at 20:13 | Comments (0)


外来語

韓国語と日本語と、外来語の読み方はかなり違う。
これもその一例(2010年7月25日、ソウル孔徳にて)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メドゥ ポ カルリク
日本式ならマッド フォー ガーリック
かなり違います。

Posted by hajimet at 20:09 | Comments (0)


2008年10月3日
八百屋?

韓国の果物屋の風景です。普通の住宅街にある店です。

どこか変わっていませんか?注目は右下です。

 

「トマト」があるのです。

 

韓国では果物扱いです。

ちなみに、八百屋も何軒か見て回りましたが、置いていない店の方が多かったです。

左下は屋台で、栗と棗の実を売っていました。

(9月28日、ソウル麻浦にて)

 

Posted by hajimet at 11:24 | Comments (1)


ドングリは

「ドングリの本来の主人は、リスです」

9月29日撮影

宗廟の入り口にあった。「宗廟野生動物食料保護」の標語である。

韓国ではドングリは食用されるので、この標語の意味は

単なる「樹を大切にしましょう」ということではない。

 

実際に宗廟を散策している女性達が、足下に散らばるドングリの実を手に取りながら、

「このドングリの実はおいしくて、あれはおいしくない」と言って、

物色していた。

Posted by hajimet at 10:55 | Comments (0)


2007年12月15日
虎がたばこを吸っていた頃

12月、韓国の益山の料金所のトイレで撮った写真。

 

なぜ、虎が山にいなくなったかを知っていますか?

虎がたばこを吸っていた頃の虎は、

肺ガンで死んだという説があります。

 

ということだそうです。

※虎がたばこを吸っていたころ=日本の「昔々あるところに」あたる。

 

Posted by hajimet at 14:40 | Comments (0)


2006年7月30日
夏のソウル2
2日目。天気は多少良かったが、蒸している。
その中、西橋(ソギョ)洞へ向かった。ホテルから地下鉄6号線で合井(ハプチョン)まで行き、そこで2号線に乗り換えて一駅である。2号線の合村駅は、東京の南北線と同じくホームと線路の間がガラスで仕切られ、列車の扉とホームのガラス扉が連動するようになっていた。

地下鉄2号線弘大(ホンデ)入口で下車。この町は美術系の弘益大学があり、アートの町として知られている。今のホテルに泊まるようになる前はここの西橋ホテルに止まっていたので、懐かしい町でもある。

さて、以前韓国の絵本を見ていたときに、この付近を舞台にした絵本を見つけたことがある。子供が飼い犬とはぐれ、探し回るという話で、韓国版「ウォーリーを探せ」といえるような内容だった。その中に、あたかも鉄道の廃線跡が市場になったような町の絵があった。道のカーブの様子がその「臭い」を醸し出しているのだ。その後、Suッkaraという雑誌を読んでいて、そのカーブの理由が分かった。

それは、西橋洞365番地。唐人里にある火力発電所へ石炭を運ぶ線路沿いに作られた町だった。地図を見ると、ソウル駅から都羅駅方面へ向かう京義線からの引き込み線よろしく、弧を描かれた道路がある。これがそれだったのだ。町の中の地図では「歩いてみたい道」として赤く色づけられている。京義線のほうは、弘大入り口の駅から北を見ると、すぐ目の前に踏切が見えていて、直進している。以前は1時間に一本普通列車が走るだけの線路で、近くを走る地下鉄が頻繁に走るのに対して、ローカル鉄道然としていた。しかし、KTX開通後はソウルから京義線にはいるKTX列車が日に何回かここを通過しているはずだ。

実際に行ってみた。何のことはない。昔、西橋ホテルの裏で見かけた駐車場がそれだった。道路の真ん中に車一台分とまれる駐車場が延々と続いていて、不思議な光景だと思っていたところだ。友達に連れられてトッポギを食べた屋台街のあった道がそこだ。トッポッギにインスタントラーメンの麺と御飯まで入る、炭水化物大集合状態であったが、それをまわりの学生が美味しそうに食べていた。結局線路跡を駐車場にしたということだった。その駐車場は公園になったり、遊歩道になったり千変万化である。

途中の建物は、線路跡と思われる駐車場沿いに一列に並ぶ、線路沿いは比較的最近扉が作られたようで、古くからの入り口は道路の反対、元の土手の下側開けられている。建物の切れ目を見ると、土手の傾斜の所に建物を建てて、傾斜の部分を瓦石などで埋めた跡が見られる。

ここが学生街のせいか、やたら「居酒屋」が目についた。日本語で表示があり、それぞれ「ももたろう」「うまい」「勝負」「おしゃく」「おやおや」などの名前がついている。共通に見られるのは、提灯がぶら下がっているところだ。多くは赤提灯だが、そうでないところもある。ハングルで書かれている白提灯の店もあったが、そこは韓国語で「清酒専門店、トッケビ(鬼)」と書かれていた。ほかにも「カレーコロッケ」を出す店とか、ともかくひらがなが溢れていた。

もちろん、韓国の店の方が多い。中には「独島(竹島)はわが領土、チャミスルは吾等が酒」などという広告を出す店もある。韓国はこの手の広告が多く、「停止線は良心線、安全ベルトは生命線」などの語呂を合わせた宣伝文をよく見る。

昼食後、国立中央博物館へ向かう。「平壌から来た遺跡」展をしていて、旧跡以降、高句麗、高麗などにわたる遺物を多く展示していた。なかでも開城の高麗初代太祖の陵から出てきた太祖像は圧巻だった。他にも弥勒菩薩広開(国王56号の方)、高麗の墓碑、大東輿地図反義などの多くの企画展が行われていた。

翌日(26日)は朝からお土産買いに南大門市場などへ。国立韓国銀行前のロータリーが春から夏の間に突然廃止になり芝生が覆われ、一部横断歩道で反対側に渡れるようになっていたことに驚いた。ここの地下道はいつ歩いても迷うところだったのだ。

帰りの飛行機は事前の「離陸後、20分ほどは梅雨前線の影響で大きな揺れが予想されます」というアナウンスの通り大揺れだった。言葉を聞いて覚悟するほどはいつもは揺れないのだが、今回は例外であった。
Posted by hajimet at 20:16 | Comments (0)


2006年7月28日
夏のソウル1
7月24日から26日までソウルへ行った。羽田−金浦便のため、初日はお昼頃から、帰宅日は夕方遅くまで時間を使うことが出来、実際は3泊とそれほど変わらない密度である。

初日は書店で本を買い込み、その後知人に会う。合流した後、夜に避馬コルへ行った。鍾路の大通りの一本裏の細い路地で、朝鮮時代高官が通る鍾路の通りを避けて人々が通ったため、この名前で呼ばれる。道沿いには小さな食堂が連なる。そのうちの一軒に入った。

入り口にショウケースがあり、そこにハツ、センマイ、銀杏、スズメ、ホタテの貝柱などの串刺しが展示されていた。ここでつまみを選び焼いてもらう式である。ホタテの貝柱は「カイバシ」で通じる。

飲み物は「ひれ酒」である。これも「ヒレザケ」で通じるので、日本時代に入った者であろう。よその日本料理店で、韓国人が冬になるとよく飲むという話を聞いたことがある。頼むと薬缶に温められたお酒を入れて持ってきて、カップに注ぐ。注ぐときにライターで酒に火をつけながら注がれる。まるでフランベ状態だ。日本では、「ふぐひれ」の臭みをとるために、注がれた後にマッチで火をつけるのだが、注ぐときに火をつけてもアルコールが飛ぶだけのように思うのだが…。

ひれはおそらく「エイヒレ」である。少々生臭い。このとき飲んだカップは面白かった。二重底になっていて熱が直接伝わらないようになっている。底に穴が開いているので、空気が上手く対流するように工夫されているのだ。二重底はかなりの上げ底で、一見2合カップだが、実際は8勺位しか入らないように思われる。

ここで飲んでから、ナクチポックム(タコの辛味噌炒め)を食べに行った。こちらでは御飯も一緒に出てきて、ピビンバップにして食べるように技術指導された。ただ、混ぜ御飯にしてタコのまわりについているトウガラシ味噌が落ちると、そこに残るのはタダのタコであった。タコにはあまり味がしみないためである。

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2005年12月31日
寒い韓国(3)

3日目。朝9時10分のKTXで大田(テジョン)へ向かう。1時間で到着。途中車内では時速300キロを超えている表示が出ている。
 
大田から西大田バスターミナルへ行き、扶余方面のバスに乗る。論山など数カ所を泊まりながら、約1時間半で扶余に到着した。昼時なので、バスターミナル裏にあるスンデの店で、スンデクックを食べる。あたりにスンデの店が多いので、どうしてか聴いたら「ここがスンデタウンだからね」と言われた。(ここのところスンデの店がやたら目につくように思う・タウンは日本語ではストリート、シティーと言った方がしっくり来るようだ。ここではスンデ・ストリートがよい。)
 
市内には雪が積もっているが、扶蘇山も白く雪化粧している。麓は王宮跡で盛んに発掘が行われている。一部寺跡が公園化されていた。山は5pくらいの積雪があったが、一部アイスバーン化していて怖い。ここを200メートルほど登る。途中の迎日楼は木々の間に水田が見える。これまで、この山には2回登っているが、いずれも夏から秋にかけてで、木々が茂っていて下を見ることは出来なかった。
 
さらに小一時間、望月楼へ行く。眼下に広がる扶余の町並みが雪にをバックにはえていて、幻想的な風景だ。遠く白馬江が扶余を取り囲むように半円形に流れていることがよく分かる。山を登り込み、
もう少し歩くと落下岩である。前回訪れたときは、川霧の中で下が何も見えず、吸い込まれるよだったが、今回は晴れ渡り、足下の白馬江が綺麗に見える。
 
下まで降りていき、白馬江の遊覧船に乗る。貸し切りで12000ウォン。定価は16000ウォンだそうだ。川の縁には分厚い氷が漂っている。船を下り、クドゥレ公園を抜け、定林寺、宮南寺へと歩く。いずれも15分ずつ見れば歩いていける。
 
宮南池も分厚く氷がはっている。氷の上には人の足跡や、イタズラ書きのあとがある。おそらく乗っても割れないだろう。池の近くに松林が見える。軍守里寺跡であるが、行ってみたところ発掘調査をしていた。1930年代に一回発掘されているところだが。今回発掘し直したとのことだ。訪れたときはすでに発掘を終えて、埋め戻す作業をはじめたところであった。
 
16時40分のバスに乗り大田に戻る。知人と食事をして儒城温泉で一拍。夜遅くなりすぎて、温泉には入れなかった。
 
翌27日8時50分発のKTXでソウルへ。ノンストップで50分間でソウル駅に着く。ソウルで知人にあったり、用事を足したりした。写真はそのおり、東亜日報社からとった景福宮の写真である。その後、夜、焼き肉をたべに行く。孔徳洞(地下鉄5号線、7号線:コンドック)で美味しいと知られている店であるが、店は一見綺麗でない。その店の前に屋台風の設備があり、そこに案内される。屋台のまわりはビニールで覆われていて、風が入らないようになっているが、外より少し暖かいだけで、かなり寒い。外は頭を締め付けられるような寒さで、防寒着、防寒帽が効かない状態であった。
 
さらにもう一日28日にソウル市内をふらつき、昼にスジェビを食べて、夜の便で帰国した。帰りは対地速度1200キロほどで、1時間50分で羽田に。9時15分に着陸し、10時には家に到着していた。東京は韓国より10度近く気温が高いが、それでも寒いものは寒い。

Posted by hajimet at 22:55 | Comments (0)


2005年12月30日
寒い韓国(2)

2日目。町はうっすらと雪化粧。昨日ソウルへ来る途中の漢江もうっすらと氷がはっていて、水のあるところに水鳥が集まっているという状況だったが、今日も寒い。町に出たが、雪が降ってきても体に張り付くことはないし、雪はいつまでたっても新雪状態である。
 
清渓川へ行く。水源は東京の丸ビルのようにライトアップできるようにしてある。川面におりるが、脇の道は雪がうっすらと積もっている。風も冷たいが、ダウンジャケットのフードでほぼ防げる。途中、水標橋あとへ行く。水標橋そのものは奨忠壇公園に移設されているが、現在元の場所に戻すべく準備が行われているとのことである。川にはあちらこちらに説明する人がいる。韓国語と英語を交えて水標橋の説明をしてくれたが、最後に「It's a fantastic day in Seoul」とやっていた。
 
ついで、宗廟から昌徳宮と抜け、恵化ロータリー方面に歩く。宗廟では、朝鮮の王廟であるが、なぜか一人高麗時代の王が祀られている。王系が違うから本来祀ってはならないのだ。その中が後悔されていた。廟の前の石畳は雪があるおかげでとても綺麗であった。昌慶宮は大長吟の舞台にもなっている。昌慶宮の門の所は2003年に猛烈な地吹雪に遭ったところだ。猛烈な風と雷で雪が巻き上げられ、50メートル先が見えなくなり、目の前の道が渋滞した。5分で10p近く一気に雪が積もった。今回はそういうことはなかった。
 
今歩いている道のすぐ向こうは大学路(テハンノ)であるが、こちらの道は繁華街という雰囲気はない。ロータリーをこえると道は上り坂になる。そこを登り切った峠に小さな門が見える。東小門(恵化門)である。ここまで昌慶宮の正門から15分ほど。門から道を挟んだ反対側には朝鮮時代の城壁がのこっている。つまりここからが旧漢城になるのだ。現在も鍾路区と城北区の境になっている。門のある側の城壁は一部復元されている。奥まで行ってみた。城壁が続くはずの北岳山がすぐ目の前に見える(遠くには道峰山も)。足下には、伝統的な韓国住宅が広がっている。L字型の建物を2つ向かい合わせにした構造で、その間に四角い庭が出来る形をしている。
 
漢城大学入り口から地下鉄4号線に乗って忠武路に戻る。ここで遅めの昼食(2時)で、お粥をたべ
南村韓屋村を見る。そこを出たところがコリアンハウスである。そこを示す道路表示板はカタカナでコリアンハウスと書いてあった。韓国の中でカナで道路表示板があるのは珍しい(看板はいくらでもあるが)。さらに明洞には入り明洞聖堂を覗く。途中の道にはポンテギ、菊花パン(大判焼きの小さな感じのもの)、カルメ焼き(今年はあちらこちらで見かける)の屋台がならぶ。教会の前にはベツレヘムの馬小屋でイエスが誕生した様子をかたどったセットが置かれ、多くの人がろうそくを捧げて祈りごとを捧げている。教会の中ではやはり多くの人が座り、礼拝を捧げる準備をしていた。町中の人では、前の日ほどではない。
 
夜はキムチジョンとネジャンタン(ホルモンナベ)を食べて宿へ。

Posted by hajimet at 21:56 | Comments (0)


寒い韓国(1)

12月24日、ソウルへ行く。朝8時15分羽田発のJALである。左に芦ノ湖(二重火山が実によく分かる)や雪のない富士を見ながら飛ぶ。琵琶湖を遠く眺めるころか雲の上を飛ぶようになった。高度11000mまで上昇したところで、飛行機は揺れはじめた。時速は650キロほど。しばらくして耳が圧迫されるような感覚があり、ナビゲーターを見たところ9600メートルまで降下していた。

 

揺れの関係で高度を調節したとのこと。この日のソウルの気温は氷点下10度。天気は良いのだが、滑走路が滑りやすいのでシートベルトを厳重にするように機長のアナウンスがある。たしかに滑走路に雪や氷が落ちている。
 

ホテルに着き、たまたまソウルに来ていた親戚と合流して全州屋へ行く。ピビンバプをたべ、南大門市場へ散策。南大門では衛兵の交代式のさなかであった。続いて明洞へ。
 
実はなぜか服一着だけ、寝間着がわり持ってきたものが羽田のターンテーブルに落ちてしまい、慌てて買い直す羽目になったためである。機内で現物を見せていて、似た服の人がいると思っていたのだが…。結局服は出てこなかった。
 
町はクリスマスイヴ。明洞は明洞教会はじめ教会の多く集まる場所で、人が川のように流れている。しかし、目にしたのは、ほとんどが若者のカップルであった。どの店もものすごい込みようである。道路のすみではクリスマスケーキを売る店が出ていた。日本のものより少し色遣いがはっきりしているか。
 
夜、近くの店でチャドルベキを食べる。牛肉の油の入ったところの薄切りを石板の上で約。油が適当に抜け落ちて美味しかった。

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2005年5月9日
教科書の効用

今、HPで韓国の地理をまとめている。
日本と韓国の景色はとてもよく似ていて、既視感を覚えることもままある。いつだったか一緒に行った友人が、江華島の水田風景を眺めて「こういう外国もあったんだ」と言ったことが印象に残っていた。仕事柄ヨーロッパへよく行く人だったからだ。
 
確かによく似ている。韓国の南部海岸で車に乗りながら九州のAMラジオを聞いていると、本当に自分がどこにいるか分からなくなる。でも、何か違うのだ。似ていると言うことは同じということと違う。
 
そこに興味を持っているうちに韓国地理の本に出会ったのである。何冊か読んだが、確かに状況が違うことはわかった。しかし、うまく整理できないのだ。
 
韓国のことを基本においていて、読者がその状況をあるていど知っていることが前提となっているからだ。こちらは日本生まれの日本育ちだから、同じように書かれていてもイメージすることが違う。そんなことでうまくまとめられなかったのである。
 
ところで、去年4月、韓国の群山の高校から学校で使われている教科書が送られてきた。それを読んでいてはたと気がついた。
 
「教科書を利用したら?」
「基本情報が入っているし。」
 
結果的にはさっきの段落のリフレインになるのだが、ここで効用があることがわかった。内容的に日本のものと大差ないのだ。考えれば、基本的な知識を定着させるために教科書はあるのだ。
それに歴史や政治と異なり、地理の基本的概念はそれほど違わない。
 
とすれば、そこに書いてあることを柱にして日本のものと比較すればよい。そんなこんなで整理しているのが、今HPに載せているものである。

結局日本と韓国と基本的な条件がかなり違うことがわかった。その意味で「近くて遠い国」というキャッチフレーズ?が生き残るかもしれないと思うくらいにである。そんな風に思った。
 
詳しくはHP本編をごらんいただきたい。
 

Posted by hajimet at 00:53 | Comments (0)