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2016年5月24日
友だちは、改題、試験は
面白かったので、永久保存。
テストの自由記述覧に書いてあった言葉。


「テストは学習時間を5倍にし、睡眠時間を半分にし、心の余裕を皆無にする」


たしかに。
Posted by hajimet at 00:05 | Comments (0)


2016年3月10日
ソウル紀行(4) 2015年8月26日

ソウル4日目。天気は頗る良い。月曜日のリベンジも兼ねて。
まずは、東大門歴史館1398。ここのメインの建築物である
「東大門デザインプラザ」は「ザハ氏」の設計。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歴史館を見学した後、五間水橋の跡を通り、ソウル城郭博物館へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地下鉄に乗り、先農壇と先農壇歴史文化館を見る。
歴史文化館は先農壇の祭祀の様子を紹介する。一説に依れば、ここはソルロンタンの発祥地。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先農壇。そばには日本時代ここにあった石碑が残っている。
京城女子師範学校の裏手の丘に立っていたものという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高麗大学の前を歩いて、清涼里方面へ。
まずは、腹ごしらえ。スンデククを食べる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くの世宗大王記念館へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに15分ほどかけて清涼里駅まで歩く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて、地下鉄を乗り換えて漢城大入口まで。恵和門を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先蚕壇に行こうとしたが、うまく方向がつかめず、タクシーもダメ。
雨も降ってきたので市内に戻る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雲峴宮

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タプゴル公園 3.1独立運動の「独立宣言」を行った場所。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方で、燕山君までは円覚寺のあったところ。公園の名前の元になった塔。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寺の遺構。そして碑。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安洞別宮跡(現豊文女子高校)。世宗がここで死亡した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は知人と一献。元、倫理の先生だったそうで…

Posted by hajimet at 20:24 | Comments (0)


2014年11月23日
これはひどい…

9月に宿泊した北京のホテルで。さすがに業者を通じてクレームをいれた。

Posted by hajimet at 21:03 | Comments (0)


2014年7月14日
新暦、月遅れ、旧暦(お盆を題材に)

7月13日。東京はお盆の入り。
7月に死者が地中から出てくるという発想は、仏教や道教と関係なく、東アジアに共通する感覚だという。お盆はこのような感覚と、儒教の祖先祭祀、仏教、道教が習合した「日本の」仏教行事である。

もともと7月の行事だから、新暦(太陽暦)では梅雨明け直前の7月に行われるが、本来は旧暦(太陰太陽暦)で行われていた行事である。旧暦の7月15日はもっと後だから、月遅れの「8月お盆」の方が伝統的な感覚は近い。実際、東京でも、区部から市部に入ると「8月お盆」の地域が増えるし、区部でも、地方出身の人は「8月お盆」で行う人も多い。

だが、最近は旧暦そのものでお盆や正月を行うという話は聞かなくなった。子供の頃は月遅れでなく、旧暦でお盆や正月を行う話題をニュースなどで取り上げていた記憶がある(実際には旧暦の地域もあるのかもしれないが)。お盆が旧暦8月15日だとすると、満月とも関係あることになるが、その辺との関わりは薄れているのかも知れない。

一方、中国や韓国では旧暦は強く生きていて、お盆にあたる秋夕(清明節)や、正月は旧暦で祝っている。旧暦でないと正月の気分が出ないという人も多い。韓国で、1月1日に、「새해 복 많이 받으세요(新年、たくさんの幸せを得られますように)」と言われて、あわてて「새해 복 많이 받으세요」と挨拶した人を見たことがある。その人の中では1月1日は新年という印象ではなかったのだろう。
 
旧正月を向かえて「真の○○年になった」という記述を見たこともある。また、誕生日も旧暦で祝うことが多く、誕生日を尋ねるときは、それが新暦か旧暦かを確認しなければならない。

そこからすると、旧暦に関する感覚が、日本と中韓でかなり違うことが分かる。中韓では新暦と旧暦が生きている。そして、伝統行事については旧暦の感覚の方が強い。一方で、日本は新暦、月遅れ(擬似旧暦)、旧暦の3種が行われていたが、旧暦が月遅れに収斂してきたといえるように思う。

月遅れは、中韓では聞かない日本での感覚で、旧暦がほぼ一月遅れになることから、新暦の日付の1月遅れで行事を行うというものである。8月7日の七夕、8月15日のお盆がそれにあたる。擬似旧暦ではあるのだが、結果的に新暦の日付で月遅れを行うのだから、新暦に収斂したと考えても良いかも知れない。

そういう意味では、日本では旧暦の感覚が残りつつ、それが新暦に収斂して、旧暦と言うことを意識しつつあると言っても良いかも知れない。よく「家の地域は8月お盆だから、東京の7月お盆は実感がわかない」ということを耳にするが、これはそのことの裏付けのように思う。

ちなみに、韓国の秋夕は日本のお盆にあたる行事であるが、こちらは旧暦8月15日に行われる。日本では十五夜である。秋夕はお盆ですというと、一見内容は理解出来るのだが、日にちが一月ずれることが分からなくなる。これも8月15日に「8月お盆」をすることとの混同であるとも言える。…実際は「8月お盆」の方が盛大だから、混同も仕方ないとも言えるが。

Posted by hajimet at 23:26 | Comments (0)


2014年7月8日
箸休め

散策帰り、道ばたで摘んできた野草。スベリヒユとアカザ。どちらもあちらこちらに生えているもの。今は雑草扱いだが、スベリヒユはヨーロッパでは野菜扱いで、サラダにして食べたりもするそうだ。アカザ、シロザも江戸時代までは野菜として栽培されていたもの。
 
スベリヒユ(マツバボタンもこの仲間だけれど)は、とろみのある、すこしシャクっとした感じ。
アカザは固めのホウレンソウ。
 
どちらもよく洗う(アカザは葉の裏の毛がとれるように何回も水を替えてジャバジャバと)。
あく抜きのため塩ゆでにして、水にさらす(結構灰汁が浮いてくる)。
あとは醤油をかけて食べた。
クセがないから、色々な食べ方が出来るそうだ。

 
 

Posted by hajimet at 21:40 | Comments (0)


2014年7月5日
しおこうじ 20140705

塩麹初挑戦。
米麹200g、塩60g、水300g。麹についている文章では手で混ぜているうちにしっとりして、握れるくらいになるので、そうなったら塩を混ぜろと書いてあった。
 
でも、お店のHPには、米麹をほぐしたら塩と馴染ませて、水を入れろと書いてあったので、そちらを採用。一週間後、うまく行くかどうか。

Posted by hajimet at 20:09 | Comments (0)


2014年6月10日
梅雨入り 20140605

駒場高校にて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 21:14 | Comments (0)


2014年5月12日
野草摘み

5月10日土曜日、仕事の合間をぬって野草摘み。個人的春の風物詩。
ノビル、ヒメジオン、ハルジオン、カラスノエンドウ、タンポポ。
 
ノビル以外は茹でて、1日水にさらす。醤油とマヨネーズで食べた。

Posted by hajimet at 23:48 | Comments (0)


今年も山菜

今年も岩手のお店から到着。山菜セット。
毎回内容は違うが
今年は、左からタラノメ、コシアブラ、ハリキリ、葉わさび、コゴメ。
 
葉わさびはサッと熱湯にくぐらせ、冷水につけた後、醤油漬けに。
コツは冷水につけてから瓶に密閉しておくこと。
 
コゴメの大部分は茹でて、醤油とマヨネーズ。
残りは、他の山菜と一緒に天ぷらにする。
ハリキリはタラノメをもっと凝縮させたような香りと、味。
コシアブラも香り満点だった。

Posted by hajimet at 23:43 | Comments (0)


2013年12月15日
キムチ作り

今年もキムチ作り。今年は大根が高く、スーパーでも一本ものが手に入らない。
4分の3ほどの量を買ってきた。これで200円近くになる。
カクテギや水キムチも作ろうと思ったが、今回は断念する。
 
白菜2タマ分を350gの塩で下漬けする。
2時頃、切り分け、日に当てる。4時過ぎに塩を振り2段で仕込む。10時頃天地を入れ替える。
少しきつめに漬かったので、翌朝、丁寧に洗って塩分を落とす。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌朝、カキを茹でて醒ます。昨年まで煮干しの出汁をとっていたが、鰯のエキスが入ることと、
昨年、手作りのカキの塩辛を使ったが、胃腸の状態がおかしくなったため。
茹でたカキが醒めるまでの間に、作業の場所を整え、食材も洗っておく。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最初に大根4分の3を「大根突き」で千切りにして、粉唐辛子を、おたま1杯分まぶしておく。
こうしないと、大根に色が絡まないとのこと。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
野菜を刻んで、大根の上に投入。リンゴはすり下ろして入れる。
ニンニク1.5球、生姜半分、カキの実を電動カッターに入れて刻む。
カキの茹で汁の一部と、冷凍したおろした梨もミキサーに入れる。
 
この汁と茹で汁の残り、粉唐辛子、お玉で3杯、あみの塩辛、鰯エキス各カップ半分を混ぜる。
塩味が少ないので、鰯エキスを多めにする。それを白菜に挟んで樽に入れて出来上がり。
約2時間の行程。

 

Posted by hajimet at 13:14 | Comments (0)


2013年9月20日
中秋

旧暦8月15日は中秋の名月。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Googleも日本と韓国、繁体字版でこの日をロゴに扱っていた。まず日本。ススキと月見団子

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中国では中秋節。
月を愛でる日。月に供え物をして、家族で月餅を食べている(月が丸い=家族円満)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国では秋夕(チュソク)。
日本のお盆にあたる日。踊っているのはカンガンスルレ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ベトナムでも中秋テットといって、子供のための月見の日になっている。
韓国では、先祖祭祀の方が重視されるが、いずれも月を見る習慣がある日。
月を通して、それぞれの思いが通じるといいですね。
 

Posted by hajimet at 09:20 | Comments (0)


2013年8月20日
イゴネリ作り

佐渡へ行った帰りにイゴ草を買ってきた。イゴネリの元。
お店で店員さんと話をしているうちに、それほど制作は難しくないと言うことで買ってきた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本海側では、イゴ、エゴと言ってよく食べられているし、
博多では製法が異なるものの、おなじイゴ草から「おきゅうと」が作られる。
HPを見ていると、店頭で売っているイゴネリは寒天を混ぜているというが、
今回作るのは、イゴ草だけ。
 
作り方は、レシピに従う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
●良く洗う…結構汚れている。水を吸って増量し始める。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ●鍋に入れて、火をつける。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ●沸騰したところ。もう溶け出す。沸騰までは強火

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
●点火後20分。この辺で酢を1,2滴投入(こんなに少なくっていいの?)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ●点火後30分。ほぼ半分の量になる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ●さらに5分。ほぼ完全に溶けて、細かい繊維だけ。かなり重くなってきた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ●ここで混ぜる(練る)のを止めてバッドにいれる。
お店で、佐渡のものは、薄く広げて冷ましますと、念を押されたので、佐渡風に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あとは、固まるのを待つのみ。
 
●翌日、固まったものを切って、酢味噌で食べる。もう少し濃く練っても良かった。

Posted by hajimet at 20:22 | Comments (0)


2013年8月17日
生月・平戸紀行(5) 平戸

平戸に入る。まずは、幸橋(オランダ橋)と「英国商館遺址之碑」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
幸橋の奥は湾になっていたものを埋めた築地。そこにイギリス商館があった。
イギリス商館跡(左)と三浦按針終焉の地(右)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
湾の入口にはオランダ商館がある。
その裏手の山には三浦按針の墓(イギリス人墓地 左)、ザビエル記念碑がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その入口には小麦様の碑。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
戻ってオランダ商館跡(左、再建)、オランダ屏(右)、オランダ埠頭(下左)、商館壁を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに、寺院群と教会、コルネリヤ碑、平戸カトリック教会を見て、平戸城側から商館跡を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平戸の最後は高麗窯碑。高麗町にある。文禄慶長の役のときに連れてこられた陶工の墓。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平戸島はこれでお終い。

Posted by hajimet at 16:31 | Comments (0)


2013年7月9日
ウサギの国

近くのどうぶつ病院に行ったとき。
なぜ?こんな所に朝鮮半島が書かれているんだ?
国際交流?
 
実際はウサギのシルエットが書かれているだけだった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮半島は横向きのトラやウサギの形をしていると言われる。
朝鮮半島→ウサギではなく、ウサギを見て朝鮮半島を連想したわけだ。
それにしても似ていた。
 

Posted by hajimet at 22:32 | Comments (0)


2013年6月9日
ミズのたたき

ミズのタタキ。
皮をむいて、ビール瓶などで叩く。
ミキサーで粗めに細かくする。
擂り鉢にニンニクみじん切り(1かけ)、山椒の実(5,6個)、味噌を入れて30分ほどする。
とろろのようになると言うが、さらさらのまま。
 
味はあっさりして、ほんのり青臭く、ミソとニンニクの風味の中に、
遠くにほんのりと山椒の香りがするというもの。

Posted by hajimet at 22:49 | Comments (0)


2013年5月31日
ラッキョウ漬

今年もらっきょ漬け。今年は次の要領で作った。
1.醤油漬け
 ラッキョウの皮をむく。
 醤油、水を3:2(目分量)、トウガラシを入れて一煮立ち、冷ます。
 ラッキョウにつける
→醤油漬けはそれほど期間をおかずに食べるので、漬け汁の割合はほとんど目分量。
 
2.本漬け
 らっきょうを洗い、塩もみして容器へ。誘い水、唐辛子を入れて2日おく。
 2日後、皮むき(皮の部分は塩で柔らかくなっているので、皮をむきやすい)
 酢カップ(大きめのコップ)3、水3/4(本はカップ)。砂糖200(本は250)、唐辛子を一煮立ち。
 酢をきかせ、甘みを抑えた味にする。
 
 皮むきの終わったらっきょうを2時間ほどざるに入れて水切り。
 水を拭き取って容器に入れ、つける。内容に合わせて、酢と水を少し足す。
 さて、どんな味になるか。

 

Posted by hajimet at 08:49 | Comments (0)


2013年5月21日
今年も山菜セット

ことしも天然きのこ山菜.comさん http://www.kinokosansai.com/から
山菜お試しセットが届いた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上から右回りに
アイコ、タラノメ、ハリギリ、コシアブラ、ホシナ(<WBR>ヨブマスソウ)。
全部天ぷらにしたが、ハリキリとホシナの香りがよかった。
コシアブラ(ミヤマイラクサ)は比較的淡泊。コシアブラは濃厚な味だった。
 

Posted by hajimet at 20:59 | Comments (0)


2013年5月11日
野草の天ぷら

写真: 夕食の時に、揚げてもらいました。上がタンポポの花と葉、左下がカラスノエンドウ、右側がヒメジオン。この時期の味です。
 
上:タンポポ
右:ヒメジオン
左:カラスノエンドウ
 
どれも揚げると同じ味になる。

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Posted by hajimet at 01:11 | Comments (0)


わさび漬け

春の味、わさびの茎の漬け物。今年は新しい漬け方をしてみた。
 
今までは、茶葉の入ったお湯にくぐらす。麗水にとったのち塩でもむ。あくが出きったら密閉容器で保存。最初の日は時々容器を振る。かなり刺激的な香りだった。
 
今年は佐渡の食べ方を工夫した。本には、から煎りして暖かいだし汁に入れること、品種が本土と違うことが書かれていた。しかし、それ以上の情報がないので、
 
・茎(一部根茎)、葉を2センチ幅くらいに刻むj。
・フライパンを熱し、根茎、茎、羽野順に投入してしんなりするまで煎る。
・その間にそばつゆの元を薄味気味にして、少々酒を加えて熱する。
 熱した後、氷水にフライパンごと浸す。
・タイミングを見て、わさびを瓶にいれ、まだ暖かいだし汁をそこに注ぐ。
・半日常温にさらしあとは冷蔵庫
 
とて上品な辛さに仕上がりました。
写真: 自家製わさび漬。普段と違う作り方をしてみた。わさびを刻む。フライパンでから煎りして密閉容器に入れる。薄めて温めただし汁を注ぎ、密閉して常温保温。半日おいてから冷蔵庫に。出しの味がきいて、上品な辛み(佐渡の春の味として紹介されているものをヒントに作ってみました)。<br><br>普段は、茶葉を入れたお湯にサッと茎をくぐらせ、すぐ水にさらす。包丁で刻んで、塩を振って全体重をかけてアクが抜けるまで揉み続ける。その後密閉容器に入れる。こちらは、かなり刺激的な味と香りである。それより、から煎りした方がいいかも。

Posted by hajimet at 00:43 | Comments (0)


アカツメグサ

 
花を摘んで、湯がいた。色がくすむが、酢をたらすと元の色が復活。
まるでリトマス紙。味はよい。
 
写真: 今日の野草。アカツメグサ。花も葉も食べられます。個人的にはシロツメグサの方が好きかな?。茹でると花の色が落ちますが、酢をたらすと復活します。写真は酢をかけた後のもの。でも、かけすぎると豆の香りが消えます。今日の失敗でした。

Posted by hajimet at 00:38 | Comments (0)


2013年4月23日
5.21皆既日食

雲のおかげで肉眼で見えた(2012年5月21日)。

Posted by hajimet at 23:55 | Comments (0)


おもしろ日本語

新大久保で見つけたもの。2011年8月。

 

Posted by hajimet at 23:53 | Comments (0)


おっと危ないハングル

갸 に見えました。2011年7月、池上線で。

Posted by hajimet at 23:48 | Comments (0)


おっと危ないハングル

ITにあった写真ですが、どう見てもハングルです。

Posted by hajimet at 23:30 | Comments (0)


2012年12月29日
関西紅葉紀行(11月18日、19日)…その2(東福寺)

朝、新大阪から新幹線で京都へ。奈良線で一駅、東福寺で降りる。
新緑と紅葉で有名な寺。駅から寺へは歩いて10分ほど。境内に入るとすぐに臥雲橋を渡る。(右は2012年5月)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
方丈前で入場券を買い、通天橋へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ともかく紅葉のきれいな寺だ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東福寺を見た後、京阪本線で出町柳に向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出町柳は地下駅である。ここは、30年前(1982年3月17日)、高校の学年旅行(修学旅行)の班行動で、貴船神社、鞍馬寺へ行ったときの出発点であったのだが、このとき京阪はまだ地上を走っていた。ここからは追憶の旅である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出町柳からは叡山電鉄に乗る。当時は京福電鉄で、戦前の車両が走っていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その時の車両は残っておらず、鞍馬駅にカットボディーされたものが残っているだけだった。

Posted by hajimet at 22:17 | Comments (0)


2012年12月2日
キムチ造り

3年目のキムチ造り。今年はうまく行くか。
白菜1個半を塩漬けしておく水を切る。白菜漬け程度の濃さ
ちょっと薄めの味だったので、殆ど水洗いをしなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
煮干しで出汁を取り、冷やす。350cc。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダイコン一本半を千切りにし、トウガラシをお玉一杯絡める。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニンジン一本、セリ一束、タマネギ一つを刻む。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニンニク1.5玉、生姜半分をすり下ろし、長ネギをみじん切り。さらに梨半分をすり下ろす。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鰯の魚醤3分の1カップ、あみの塩辛3分の2カップ(位)、冷やしただし汁、
その他全部を合わせ、唐辛子お玉で3杯加える。
(アミからの塩味がきつかったので、塩はとくに加えなかった)
具材を葉っぱの間に入れて漬け込み完成。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、うまく行くかどうか。
 

Posted by hajimet at 12:47 | Comments (0)


2012年4月10日
レンギョウとケナリ

レンギョウは韓国語でケナリという。韓国では春を告げる風物詩で、町中が真っ黄色になるほどケナリで覆われる。その黄色の帯の中で、低いところは朝鮮ツツジのピンク、高いところにコブシ、木蓮が咲き、桜が咲き始める。
 
そのくらい印象の強いケナリなのだが、なぜか日本のレンギョウはそれほどイメージがない。黄色い花が咲く春先の木というくらいの印象しかないのだ。今年、日本のレンギョウを見ていて気がついた。枝を切ってきれいに揃えている物が多いのだ。だから葉と一緒に花が咲く。一方で韓国のケナリは枝を切らずに伸ばしている。この伸びたところにたくさんの花が咲くというわけだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(2012年大田区にて)
これが韓国のケナリと日本のレンギョウのイメージの違いのように思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005年、ソウル竜山にて。

Posted by hajimet at 12:39 | Comments (0)


2011年10月31日
牛なのに

近くの店で「プルコギ定食」をだしていた。
バックに불고기とも書いてあって、ハングルもずいぶん目に触れるようになったと思った。
 
そして、
「なぜ『누プルコギ』なのだろう。牛なら『소』なのに…」。
 
「牛」を「누」と見間違えたのだった。これで二日連続…

Posted by hajimet at 21:59 | Comments (0)


2011年4月6日
東日本大震災の影響

東日本大震災は、大きな揺れではあったが、東京では建物の倒壊は少なかった。
しかし、余震が続いてるせいか、あるいは地震では耐えられたものが徐々に耐えきれなくなって
おかしくなっているのか、少しずつ様々な変化が出ているようである。
 
地元の神社の鳥居である。鎌倉時代に作られた溜池の端に作られているのであるが、
地震発生後2週間以上たって、接近禁止となった。


鳥居が傾いている。鳥居は他にも同様のことがあり、職場の近くの赤坂日枝神社の鳥居も倒壊危険となっていた。
 
赤坂見附付近は、江戸時代の溜池の跡に作られていた軟弱地盤地域である。埋め立てが古いため、液状化は起きていなかったが、

地盤が最大10センチ近く沈んだようだ。

浮き上がった建物、

建物に引っ張られて浮き上がったタイル、

土台に亀裂の入った、

建物の間でつぶされたブロック塀など、
土台部分に影響が大きく見られる。中には土台が大きく崩れ、立ち入り禁止になっている建物もあった。

建物の土台が浮かび上がったもの
 

浮かび上がっただけでなく、空洞になっているもの

(道路の沈み方がよく分かる)
 

大きく段差の出来たもの
 

建物にくっついて歩道タイルがまくれ上がったもの。
 
ともかく、変化が大きかった。

Posted by hajimet at 20:11 | Comments (1)


2007年3月18日
上州渡来人紀行(2)

第2日目。8時20分宿舎発。宿舎は東横イン高崎駅前。LANでインターネットには接続し放題。朝はおにぎり、味噌汁、スープ、パンのサービス。夜はカレーライスのサービスのあるホテルだった。カレーライスの魅力的な匂いは、14階のエレベーターホールまで充満していた。おなかのすいていた身でこれから飲み会の立場からは「何とかして〜」であった。それ以外は居心地はよい。
 
まず綿貫観音山古墳へ。しかし上州は大きな前方後円墳の多いところだ。ここもそうだ。石室を開けてもらい入る。榛名山の噴石を側面に、多胡石と同じ砂岩を天井石にしていて、崩壊していたものを復元したそうだ。入り口は西南を向いていて、その方向は百済だと言うが、この方向は太平洋である。あえて百済と考えるとすれば、遺体の頭の向きが北西を向いていれば、(つまり入り口の通路に直角方向)そちらが百済になる。なぜ、百済かというと、この古墳から百済公州武寧王から出てきた鏡と同じ型から鋳出した鏡が出ているからである。ここからは「泣き女」3人が一つにされた埴輪が出ている。まわりは妙義、浅間、榛名。妙高、穂高などの山が囲んでいる。その山からの出口で、しかも利根川などの大河が流れるのだから、いかに豊かな土地か想像できる。
 
その埴輪などを見に群馬県立歴史博物館へ行く。特別展で雛人形をやっていて、御殿雛に関心を持つ。旧石器時代の話、縄文期の海進の時の群馬、縄文、弥生の説明を受け改めて上野国の勢力の大きさを感じさせられる。また古墳や仏教伝来時の3国からの影響なども見られる。ちなみに昨日見た多胡碑をはじめとする上毛三碑は碑石を作る習慣のほとんどない日本では珍しいことで、文字の使い方などに新羅の影響が見られるとのことであった。ついでに多賀城碑のレプリカも今回何カ所かで見たが、これも渡来人の影響があるとのことだ。なぜか靺鞨という文字もあるのだが、これはのちの靺鞨と同じか分かっていないとのこと。庭にでる。馬のモニュメントがある。渡来系の「牧」の事かと思ったが、そうではなく、現代彫刻の「巨馬(おおうま)」であった。
 
群馬を後にして17号線を南下。行田行く。約1時間であるが、それにしても関東平野は広いと改めて思う。まわりはただ平野だけ。埼玉古墳群につく。5世紀に突然大古墳が出現するので有名で、武蔵の南部の政権との勢力争いの結果、上州と結んだ南武蔵が負け、大和政権と結んだ埼玉の勢力が勝ったためと言われる。雄略天皇の名前の入った鉄剣が出たことでも有名。これは埼玉の資料館に本物が展示される。丸山古墳に登った後、鉄剣の出た稲荷山に登るが「何だか変」だ。ここは3回目であるが、記憶の古墳と違う。後で分かった。2回目に来たときにトレンチを掘っていたのだが、それをもとに前方部を復元したのだった。将軍塚は日本ではわずかにしかない馬具が出たことで知られる。馬具は直感的に加羅を連想するのだが。資料館では稲荷山古墳の出土物と、横穴古墳の特別展をやっていた。
 
吉見百穴へ行く。いつ行っても異様な風景だ。旧軍時代の地下軍事工場もここにあって、途中までは行くことができる。古墳はいくつかの形に分けられるようだが、蒼ケが付き、棺台がある。上は粘土、下はグリーンタフの凝灰岩でいずれも掘りやすい土質である。だからこれだけ掘られたのだろう。渡来系との関係を想定することもあるが、たしかに須恵器は出てくるが、いかんせん横穴古墳はそもそも副葬品が少なすぎる。遠くからは訓練であろう。銃声が聞こえてくる。さらにバスで一時間。飯能に就く。地名については韓国語の「ハンナラ」(偉大な国)との関係を指摘する人もいる。ここで1泊。東京への通勤圏の中なので、こんな機会でもなければ泊まれないところである。

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2006年8月19日
小谷村・仮面舞踏会(二題)
表題は互いに関係ない。帰省後小谷村の融通念仏供養碑について調査を続けている。結果はホームページで公開しているが(写真)(説明)、そこでも出てくる大町北高校の太田先生から多くの示唆を受けた。それを確認するために、資料収集で国会図書館に通っている。これまでに小谷村誌、小谷の石造物を見ることが出来たし、ITでも関連サイトを探すことが出来た。喜平治の雨飾山登山の記録は原文がHPで読むことが出来る。

また、文字の原典を確認するために、倭漢節用無双嚢も見た。これは復刻の影陰版であるが、これがまた面白い。要するに辞書兼事典なのだ。魚の並べ方(川魚と海の魚で違う)とか、大名のこととか、地図とか…。読んでいて飽きない。ただし、変体仮名のため、斜めに眺めている。丁寧に読もうと思えば相当の覚悟が必要。文字も「中華文字之始」、「古文字」、「八体(大篆、小篆など)」、六書、真字と草書のときの筆の持ち方の違い、和字(国字)の起こり、いろはと来る。

それに続いて、天竺国の文字(サンスクリット)が五十音で、ダッタン国の文字(満州文字・数単語)、オランダ文字(筆記体で崩れていて、読めない)、朝鮮国の文字と続く。朝鮮国の文字は明らかにハングルなのであるが、なぜ、それがこういう字体にかわっちゃの?というくらい変型している。由来を調べてみても面白いかもしれない。

閑話休題

今、ハチャトゥリアンの仮面舞踏会に関係している。つい先日、NHKFMでこの曲を紹介していて、かなり珍しい曲との位置づけだった。大学の時に一度やったことがあるのだが、そのときはどんな背景かよく分からなかったし、それにしては暗いな位しか思っていなかった。

その後出版されたスコアにも曲の説明が出ているのだが、なんだか分かったような分からない様な説明しか書かれていない。この夏は是非原作を読もうと思ったのだが、
残念ながら邦訳が少ない事に気がついた。そこで昨日、国会図書館に行ったついでに請求して読むことにした。普段は資料収集に走り回るので、資料を見ても、斜めに見ながら関係のありそうな處をコピーしてくることがほとんどだ。以前よりスピーディーになったとはいえ、閉架の図書館で、本が出るまでに20分以上、コピーも請求してから製品が出来るまで20分以上かかるから、効率よく動き回ることが必要だからだ。

仮面舞踏会は戯曲で、中味は悲劇だった。仮面舞踏会に参加した伯爵夫人が、ニーナという人妻の落とした腕輪を公爵に差し上げる。公爵はその腕輪をくれた仮面の女を気に入るが、それがニーナの腕輪と気付く。ニーナの亭主もニーナが仮面舞踏会へ行き、腕輪を無くしたことに気付く。そして、公爵とのことも。

嫉妬に狂い、もともと人に対して冷たかった亭主はニーナと公爵を殺す機会をねらう。公爵を好きだった伯爵夫人は、自分が仮面をかぶって腕輪を渡したことを公爵に白状した。また、ニーナの亭主にも告白しようとしたが、時すでに遅し。すれ違いで告白は出来なかった。亭主は公爵を殺そうと呼び出すが、それはできず、ニーナはそこで亭主に毒の入ったアイスクリームを食べさせられ、無実を叫びながら死んでいく。

亭主がニーナの無実を知ったのは、ニーナの葬式の時、公爵と「見知らぬ男」からであった。そこで発狂し倒れていく。という話だ。仮面舞踏会の曲、特にロマンスが暗いのも、そういったニーナのロマンスを歌っていたからだ(原曲は歌だったようだ)。曲の背景を知ることも大切なのだが、しかし、良い演奏になかなかお目にかかれないのも玉に瑕。もう少しCD漁りをしなければならないように思う。
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2006年1月16日
大阪「鶴橋」物語

大阪「鶴橋」物語(藤田綾子 現代書館 1800円(税))を読んだ。

鶴橋は何度も行っているところだ、「日本の中の韓国」といわれ、焼き肉を食べに行ったり、キムチなどを買うこともあるのだが、市場を歩いたイメージは雑然としていて、迷路のようになっていて、昭和30年代の卸売市場を連想させるものだった。

むしろ日本の戦後の市場の雰囲気を残しているというイメージで、近くにある古い市場によくにた雰囲気だった。
 
その辺のことがこの本によって鮮やかに解決したのだ。
 
この市場が戦争終了直前の強制疎開のあとにできたもので、その区画を色濃く残していること。
後に市場として成立したが、闇市が姿を変えたもので(1 建物疎開が残した「傷跡」)、最も古い建物は昭和22年のもの。市場の中にいくつかの商店会があって、雰囲気や背景がそれぞれ違う(2 鶴橋闇市、3 商店街のあけぼの)。
 
最初のうちは卸売り中心で、その商圏は奈良や三重県まで及んでいた。近鉄や城東線(大阪環状線)が乗り入れていて、そちらへ交通が便利なことと、船場などの問屋街が戦災に遭ったためである。奈良には鮮魚を届けたり、万屋が物資を仕入れにきたりしていた。
三重からは尾鷲などであがった魚が届けられた。一方、四国などから石けんなどを仕入れに来る商店もあった(4 鶴橋へ行けばなんでも揃う)。
 
再開発計画もあったが、戦災にあったところではないので市がほとんど介入しなかった。同じ闇市から発達したところでも、上本町や大阪駅前は戦災にあったり、戦前から市街地開発が行われたところなので、市などによって再開発が行われたが、鶴橋はそうではなかった。そのために唯一といっても良いくらい戦後すぐの雰囲気を残すこととなった(5 幻の再開発計画)。

今の鶴橋高麗市場のあたりに店が増え始めたのは昭和32年頃からで、ちょうど近鉄の複々線化工事が終わったことと関係する。韓国のものを扱う店もこのころから集まりはじめたが、最初のうちは祭祀に必要なものを扱う店が集まってきた。もともと朝鮮の商店は桃谷のコリアンタウンに集まっていたが、ここは駅から離れている一方、鶴橋は交通の便がよかった。しかし、一部の店を除いて韓国の食材点が集まりはじめたのは昭和40年代からであった。
 
コリアンタウンとしてマスコミで大きく取り上げられるようになったのは、88ソウルオリンピックの頃からで、そのころから焼き肉屋やチジミ屋も増加しはじめた。このころから大阪のガイドブックで取り上げられるようになった。しかも、最初は「上六・鶴橋周辺」というものだったが、最近のものはほぼ単独で取り上げられるようになった(6 コリアンフードタウン)。
 
鶴橋の商店街そのものは勢いが落ちてきている。一つはターミナルでないこと。鉄道の客を中心に考えていたため、モータリゼーションに対向できない。奈良、大阪に卸売市場が出来た。スーパーマーケットが増えたなどで、人も集まらなくなった。そのために、廃業する店も多く、その多くにニューカマーが店を構えるようになった。その際は食材店ではなく、ブティックなどが多い(終章 衰退とのたたかい)。
 
というようなことが、豊富な資料を使って、鶴橋の歴史、背景、その時代時代の問題点を取り上げているが、インタビューなどを使い、それを実証的に検討していく手法は圧巻であった。あらためて、鶴橋の市場をゆっくり巡検したくなった。

Posted by hajimet at 21:46 | Comments (0)


2005年11月9日
日比谷高校の虹

11月7日(月)夕方、急な用事で4時頃学校をでると、何と目の前に大きな虹が。携帯のカメラで撮ってみる。意外に綺麗でびっくりした。

 左に写っているものが校舎。右側の像は「星陵像」といい、百周年を記念して1979年に作られたもの。像の手が虹をつかむような角度で撮ってみた。天気がよい日だったが、どこかで雨が降っていただろうか。
 
翌日も空気が澄んでいて、家の近くから夕暮れの富士山が見えていた。富士山の左手から山裾に沿ってすうっと影が伸びていた。富士山が綺麗に見え始めると、冬が近い。

Posted by hajimet at 20:34 | Comments (3)


2005年7月23日
地震
今日の地震は大きかった。
本当は、今やっていることの取材のために、房総の勝山、館山に写真を撮りに行く予定で、夕方、勝浦の水泳教室を覗くつもりでいたのだが、曇っていたため中止して、家の部屋の配置換えをやっていた。

家具の安定が悪くて、地震が来ると危ないと思い、近くのスーパーに家具の転倒防止器具を買いにいった。店に入り、いくつかある商品を眺めていると、何か足下が落ち着かない。商品がかすかに揺れはじめた。崩れてくると危ないと思って、近くの出口に向かっているときに揺れが大きくなった。

「大きい」という声以外は、人の動きも止まり、不気味な静けさの中、商品が揺れるゴーゴーという音しか聞こえない。立っていても足下がおぼつかないような揺れ方だった。商品もゆらゆら、大波の中に揺さぶられている船のような揺れ方をしていた。何となく15年ほど前の千葉県東方沖地震の揺れと似ているなと思いながら、揺れが収まることを待っていた。

地震が収まりかけた頃、店では「ただいま大きな地震を感じています。揺れは大きいですが、まもなく収まる見込みです」という放送が入った。誰が見ても分かるのに…。

その頃は、まだ揺れてはいたが、レジも計算を再開し、お客さんも買い物を再開していた。テレビでは震度4と報じていたが、どうもそれ以上のようだ。結局震度5弱。

家へ帰ったところ家具は無事。本が少し落ちただけだった。店でも、よく商品が崩れなかったと思ったが、ゆれが比較的ゆっくりだったからだろう。すぐに転倒防止家具をつけたことはいうまでもない。

…ちょっと日記代わりに。
Posted by hajimet at 23:20 | Comments (0)


2005年7月21日
なぜか歌舞伎
ここのところブログはお休みだった。というのは特に新しいことがなかったわけで…。

ところで、昨日、知人に誘われて社会人のための歌舞伎鑑賞教室へ行ってきた。
オペラや、中国の京劇、韓国の劇、伝統芸能などは見る機会があったのだが、これまで日本のものを見る機会はなかった。

自分の所のものを知ってこそ、よその良さも分かると思うのだが、初めてのことは敷居が高いものである。

場所は国立劇場。入って先ずびっくりした。イスというイスに座って、みんなが食事を食べているではないか。弁当を広げているものも多い。まわりには弁当屋や食堂、おみやげ屋が並んでいて、さながら大きな駅の名産品コーナーのようになっている。これは休憩時間もそうだった。

そういえば、幕の内弁当はここから来ているんだっけ。

最初は歌舞伎の紹介。回り舞台、せり、花道の説明、黒御簾の説明。そこでやるお囃子がある程度流されて、そのものの様子を示してから台詞が始まるが、それを「ひろし」の芸風に重ねて説明しているのは上手。見栄のきり方、女形の作り方、かけ声のかけ方など30分でとてもわかりやすく解説していた。

休憩後「義経千本桜」の河連法眼館の場を見る。
舞台の壮大さ、華やかさ、キツネと人間の変わり身の早さなどを見ているうちに、一時間たってしまった。「静」の部分が多いと思っていたが、むしろ「動」の激しいものであった。

義太夫もプロンプターが出ていたので、何を言っているかよく分かったし、なんと言っても、間の手やかけ声の入れ方の絶妙なことに耳を奪われた。西洋の音楽の「拍」の観念とは違うみたい。

解説用のイヤホンを借りて、ところどころ解説を聞きながらみたが、ほとんど必要なかった。

しかし、歌舞伎の間の取り方や、動きはいろいろなところに取り入れられていることも感じられた。映画はもちろん、コメディーなどでもある。

日本人が西洋音楽をやると、演歌風になると良く言われるが、きっとこんなところに背景があるのかな等とも思って劇場をあとにした。
Posted by hajimet at 23:02 | Comments (0)


2005年5月22日
韓国のオペラ歌手(たわごと)

前の頁でも書いたように、韓国の音楽家で世界的に活躍している人が多い。
指揮者のチョンミュンフン、バイオリンのチョンキョンファ、チェロのチャン・ハンナ他である。
 
声楽の分野でも多くの人が活躍している。今日の本番でもそれを改めて認識させられた。主催者が「よん様だけでなく、声楽も」と言っていたが、まさにそう思う。
 
日韓(本当は他の国もそうだが)が政治、経済の関係から個人の関係に移りつつあると最近思っている。個人との関係が強くなることで、政治的な問題などの意味合いも変わってくるのではないかとも思う。
 
その意味でイベント性だけでは…(続き)
 

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Posted by hajimet at 22:55 | Comments (0)


2005年5月15日
20年ぶりぐらい大同窓会
昨日吉祥寺で、大学のときのクラブ(管弦楽団)の同窓会があった。1年上の学年が企画し、その学年が関係した前後の学年を呼ぼうというものだった。

考えてみたら、大学を出てからクラブ関係の人とほとんど会っていない。生活の場が大学から離れたこともあるからだ。

何人か連絡を取っている人はいるし、ばったり電車の中で会ったということもあった。でもそこまで。

当日100人近く募集をかけたうち、50人近くが集まり(驚異的)、そのほとんどが二次会まで行った(これも驚異的)。

ほとんどが大学卒業後始めて会うのだが、不思議なもので最初わからなかった顔が何かのきっかけで大学の時の顔を結びつき、少しずつ途切れていた記憶の断片が頭の中で再生されてつながるのだ。

大学1年の新入生歓迎合宿の夜に何を話して盛り上がったかまで思い出した。不思議なものだった。

こういう機会って時々あった方がいいですね。そんなことを思いつつ、家路についた(3次会をしつつ)。
Posted by hajimet at 10:43 | Comments (0)