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2007年6月25日
アンサンブル・サクラ 日韓友情コンサート2007

ここのところ、久しぶりに外出が続く。
22日は区議会議員になった知人と会い、議会の話などを聞く。
23日は韓国関係の人々と会う。昼過ぎにいったらもう宴会が始まっていた…。フードライターに会って、著書をいただく。
24日は2週間に1回の鍼灸へ行った後、コンサートへ。
 
アンサンブル・サクラ 日韓友情コンサート2007である。オーボエ奏者を韓国から招いていた。
 
場所は市ヶ谷ルーテル教会。初めての場所だ。定員200人のこじんまりしたところ。小規模のコンサートにはちょうどいいところ。席も前から5番目の中央という、最も良いところが確保できた。開演前など、教会員の方などが、座席などに気配りをしていた。
 
行く前から、どういう演奏になるのだろうと思う演奏会も珍しい。マリンバ、ピアノ、オーボエの組み合わせだ。マリンバ+ピアノ、オーボエ+ピアノは何回も聞いたことがあるので想像がつくのだが、マリンバとオーボエが結びつかない。
 
実際は、すべての曲が3台で演奏するわけでなかった。
 
しかし雨降りである。オーボエの調子が心配だった。チューニングの時、少しリードの調子が悪いのか、音がかすれ気味だった。もっともどちらかというと太めの音の奏者である。愛の挨拶。最初のフェルマータの長さが、絶品。自分で演奏すると長くなりすぎるのだが、このくらいでちょうど流れるのかという長さだった。残念ながら、調子がまだあがっていなかったかな?
 
モーツアルト、ハフナーセレナーデよりロンド。マリンバとピアノでとれも流麗。次の一柳 慧「パガニーニ パーソナル」はパガニーニの旋律が自由に展開していく。変奏と言うよりも断片化したり、自由に転調したりして面白い。故岩城宏之氏のために書いた曲であるが、マリンバが激しく、改めて「打楽器」の一つなのだと思う。続いて尹伊桑の「タルモリ」。オーボエのしっとりした旋律が楽しい。一部の最後は山本純ノ介の「借景U」であった。作曲者は故山本直純氏の息子さんで、雰囲気はよく似ていた。
 
第2部。殆ど初めての曲。西村 朗「アリラン幻想曲」の次に、M,シュミット「ガナイア」。ガーナのリズムがヒントになっているということで、そのリズムを基調に旋律が組まれている。韓国のサムルノリなどもそうだが、聞いていると強烈な陶酔感を覚える。目の前に荒野とサバンナのなかに遠くぽつりとたたずむ象という光景が浮かんでいた。その中で、太鼓を人がたたいている…。なんとなくステレオタイプではあるが。
 
続いて松村崇継の「ランド」。とてもきれいな曲。途中の転調、転調で曲が進行する部分がすばらしく、さらに時々かいま見られる旋律が非常にきれい。最後の部分、作曲家によると曲が「自然に帰る時間を」示しているそうだが、いったいPがいくつついているのだろう。文字通り消え入るように、曲が消えていった。だんだん目の前の光景がかすれていって、溶けるような…。明るさがフェードインして、そのまま暗くなるのでなく、明るさは変わらずに、景色が溶けている。どこかでこの光景を見たように思っていたら、カラヤンがザルツブルグで振ったドンジョバンニの1シーンだった。最後にドンジョバンニが使者に握手したまま連れ去られるところの効果がそうなのだ。だんだん小さくなり、ぼけていって、青い空間に消えていき、そして何もなくなる…シュミットとともに、機会があったら是非、音がほしい演奏だった。
 
ここでオーボエの再登場。尹伊桑の「ピリ」。ピリはダブルリードの縦笛で、太いながらも甲高い音が出る。しかも、尺八に似て、音程の上げ下げができる。西洋楽器ではオーボエが一番近いが、かなり性格が違う。しかし、演奏が始まった途端、ピリにとても近い響きと音程の揺れがでて、驚いた。勿論、本物ほどスムースに音程を揺らすことは出来ないが、ぼーっと聴いていると、一瞬どちらかなと思う瞬間もあった。韓国人で、体でピリの音がイメージ出来ないと、とても演奏できないとも思った。きっと日本人がやると、ピリの音の揺らし方が尺八の揺らし方になるのではないかなどという余計なことまで考えてしまった。
 
演奏する方は大変であったであろう。響きや音程を出すだけでなく、途中で循環呼吸をしている部分もあるし(さすがオーボエ)、重音もある。管楽器は基本的に重音は出せないのだ。しかし、5度に近い響きを出したり、オクターブの倍音をうまく響かせて、きれいであった。
 
つづいて、モンティのチャールダッシュ。マリンバとピアノのみ。よく知られているだけに、最後に肩の力を抜いて聴くことが出来た。それにしても加速感がイイですね。
 
最後にアンコールに「愛の挨拶」。1曲目の時に、なんとなく本調子ではないなと思っていたが、こちらは文字通り絶品。エルガー夫妻が庭で紅茶でも飲みながら、愛をささやきあっている雰囲気がとてもよく出ていた。テンポを前に持って行くところも抑制がきいていて安心して聞けた(1回加速しすぎて音楽がせせこましくなった経験があるもので)。
 
結局3つの楽器がそれぞれきれいに関係づけられた演奏会であった。また、初めての曲が多い割には、面白いプログラムで楽しむことが出来た。特に現代の曲は、なんだか分からないうちに終わることも多いのに、今回はいろいろな情景を思い浮かべながら聞くことが出来た。また、聴きたいものである。
 
追伸:先週の日曜日、カール・ベームの初期のCD(10枚組)とトスカニーニのCD(10枚組)を買ってきて、聴くのに大わらわ。どちらも10枚で2000円しなかったもので、つい買ってしまった。その上、カールベームが1980年に最後に来日したときのフィガロのDVDまで届いて…。フィガロは出演者がすごい。個人的には、このときわれたベートーヴェンより数段上の演奏をしているように思える。

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2006年11月22日
N響コンサート
久しぶりにN響を聴いた。N響自体はテレビでも聴くがそのことではない。生だ。
11月13日、オペラシティーでだ。ノリントンの振る演奏にしてはいやに安いと思いつつ、行ってみたらNTT東日本の冠コンサートだった。

1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソロは庄司紗矢香。弦楽器は対向配置でピリオド奏法だ。1楽章の序奏部はこんなに連綿たる曲かと思うくらいゆっくり演奏が始まった。ソロが入って多少テンポを取り戻したものの、全体としてとてもゆっくりだった。2楽章は今度は速いテンポで、ベートーヴェン交響曲第6番の2楽章を思わせるような明るい曲に仕上がっていた。3楽章はまた落ち着いたテンポだ。

ピリオド奏法のせいか、ノリントンの解釈のせいか、4拍連打するときに、1拍目を強く、後を弱くしているのだが、かなり気になった。

2曲目はヴォーン・ウィリアムズ「交響曲第5番」。はじめて聴く曲だ。というよりもヴォーン・ウィリアムス自体がほぼ始めてだ。「スリーンスリーヴスによる幻想曲」くらいしか知らない。

D-durのはずが、Cから始まる不思議な曲だ。ドミナントはCisだから、普通Cは使わない。ホルンの牧歌的なメロディーと弦楽器の民謡風のメロディーが対話のように繰り返されるとプログラム通りに曲が進む。しかし、金官は苦労していたな。

2楽章になると、プログラム通りに曲が進行しなくなった。不思議だ。3拍目にアクセントをつけた3拍子で書かれた曲というが、指揮は4拍子を示している。8分の12かとも思ったが、どうも違うようだ。その内に変拍子の嵐に。管が強くなっている中での変拍子だから、ブラスでも面白そう。でも、3拍子はどこへ?

4楽章はもっと不思議。後半はフーガになり、最後はニ長調の手話音が明るく鳴り響き渡って曲が終わると書いてあるのだが、曲はどんどん静かになり、クラリネットのD-durのスケールが聞こえてきて、静かに消え入るように終わってしまった。マーラーの6番の終わりのように、最後にD-durでの壮麗な響きがあるように想像したのだがそうではない。ちょうどメンデルスゾンの交響曲第3番をうっかりクレンペラー版で聴いてしまったような、虚無を思わせるのだ。しかし、記述と演奏の違いは何なのだろう。

あとでCDとスコアを買って検討しなければならない。
Posted by hajimet at 19:55 | Comments (0)


2005年9月5日
コウモリのスコア
先日、思わず全曲版のスコアを衝動買いしてしまった。9600円。ハードカバーの辞書のような装丁、中クラスの辞書ほどの大きさがある。さっそく演奏を聴きながらスコアを眺める。結構どの演奏も音符を追加したり削ったりしているようだ。慣例的なカットもあるようで、「どうしたらいいんだろう」などは、持っている演奏すべてが譜面上の後半をカットしていた(もっとも、これを全部まじめに演奏したらかなり長ったらしくなる)。これからスコアの解説を読まなければと思っている(英語とドイツ語…辞書が必要)。…備忘録代わりに。
Posted by hajimet at 21:57 | Comments (0)


2005年8月30日
コウモリとカールベーム

コウモリはオペラ・オペレッタの中でも好きな作品だ。序曲が良くできていて、曲の見せ場をうまく組み合わせているので、序曲を聴くたびに作品の中を思い出して、それだけでも楽しくなる。

映像ではカルロス・クライバーのもの(最初LD,先日韓国でDVD購入)、ヴラディミル・ユロフスキーをもっていて、CDはボスコフスキーのものがある。クライバーは軽快な演奏で、とても楽しめる。ユロフスキーは演出が相性にあわない。ボスコフスキーはフォルクスオーパーの演奏で、非常に上品である。ここにカールベーム、ウィーンフィルハーモニーの映像が加わった。

カールベームは1981年に没した指揮者で、晩年何回か日本に来て、とても人気があった。70年代頃からの演奏はテンポが落ちてきて、特にロンドンフィルといれたチャイコフスキーの5番4楽章のコーダなどは止まるのではないかと思うくらい遅くなるものもあった。一方50年代から60年代にかけてのベルリンフィルとの演奏はとても快活なものが多い。ブラームスの交響曲第1番、シューベルトの交響曲第9番などが印象的だ。

晩年でもテンポが快活なものもあり、ドレスデンと入れたシューベルトの交響曲第9番は荒れているのではないかと思うほどの演奏であるし、ウィーンフィルとのシューマンの交響曲第4番はコーダで驚くようなアッチェレランドがある。

全体としては、武骨と言ってもよいほどの非常にまじめな演奏をする指揮者で曲によってはタダまじめなだけというものもあるが、一方で低音楽器を中心とした拍動感と推進力、歌わせ方の優れた指揮者でもあった。ウィーンといれたベートーヴェンの交響曲第6番などがその代表であろう。テンポはそれほど速くないが、音楽がどんどん前に進んでいくのだ。

コウモリは1972年の録音で、序曲からしてまじめで、遅めのテンポであるが推進力をかんじる。序曲でカールベームの指揮がずっと見られるのも嬉しい。

第1幕からの演出はカルロスクライバーと同じオットー・シェンクのものであるが、テンポの設定や配役の違いから、ライブと映画の違いか、クライバーのものよりももう少し古い時代の設定のように見える(実際は1874年(明治7年)に42日間で作曲されたといわれる)。なお、主人公のアイゼンシュタインは両方ともヴェヒターである。

テンポは遅いが出演者が楽しみながら歌っている様子がよくわかる。ともかく全編どこを見ても楽しそうなのだ。

序曲でいう中間部、4分の3になる旋律(メロドラマ風の所)で構成されている「8日間も貴方なしで1人ですごすなんて」では、クライバーが、いかにも楽しみを思い浮かべてうきうきという雰囲気が前面に出るのだが、ベーム版は悲しみをこらえる風な顔をしながら、でもこらえきれずにうきうきするという微妙な雰囲気を良く出している。

第2幕、オルロフスキーはクライバー版はアルトのファスベンダーが歌っていて若々しい感じを出しているが、ベーム版はテナーのヴィントガッセンが歌っている。こちらはすでに60才近く、貫禄のあるオルロフスキーだ。当然若々しいテンポの速い語り、動きではなく、重厚である。

「高貴な振る舞い、しなやかな物腰」の時計の音を数えているうちに、時計をロザリンデに奪われてしまうところのテンポ感はベームらしい。

第2幕後半のワルツは序曲よりもテンポ感も良く、良く聴くと3拍目が少し遅れるウィーン風のリズムになっている。ワルツの旋律がおわり、鐘が6つなる直前のクレッシェンドはとても効果的に聞こえる。

第3幕の「どうしたらよいだろう」は途中から序曲の序奏部(6つの鐘のあと)になる。弁護士に化けたアイゼンシュタインが切れるところで、この曲全体のクライマックスになり、さらにコーダ直前の部分へと飛ぶが、アイゼンシュタインが切れた雰囲気の違いが良く出ている。

フィナーレでは再び鐘の後の旋律が出てくるが、ここはかなりはやめのテンポで進んでいく。

ただ、いずれにせよ遅めで、まじめなテンポと解釈であるが、見れば見るほど(聴けば聴くほど)飽きない演奏のように思う。

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2005年6月20日
演奏会(2)ブルックナー交響曲第7番

さて、2曲目はブルックナーの交響曲第7番。
実は、体調が万全でなく、ゲネプロでばてていた。しかも咳止めを飲んだら、案の定…。
 
1楽章。比較的早めのテンポで始まる。出だしは、チェロが情感たっぷりに、しかしながら歌いすぎない程度に曲をはじめていた。ようやく吹くところ、ホールの響きの関係で、自分の吹いている音は聞こえるが、まわりの音は意外なほどに聞こえない。この曲はシャープの臨時記号がやたら多く、吹く直前に音を確認するのだが、「あれ」と思うところも(いい訳だが、CDでも結構半音間違えている演奏に出くわす)。中間部も比較的うまく流れ、最後まで。
 
2楽章も比較的早めのテンポであるが、普段の練習より心持ち遅く進行していった。ワグナーテューバの出だしから綺麗に行く。しかし、吹きにくそうな楽器だ。4台とも響きも、音程の取りやすさも違うように聞こえる(後で聞いたら、音のツボがなくて合わせづらいとのこと)。あまり他で使われることがなかったことも分かるように思う。中間部も何とかこなして、最後の部分。ワーグナーへのオマージュも綺麗だった。コントラバスのピッチカートなどほぼうまくはまっていたようだ。
 
3楽章。あとからトロンボーンがあおっていたと指摘された。テンポ指示を変更した部分は多少、変更前の余韻が残っていたようだったが、何とかクリア。中間部はぐっとテンポを落として、ゆっくりと歩みを進めていた。
 
4楽章。まもなく終わり。そろそろ頭の中には終わった後のいろいろなことが抽象的なものから、具体的なものに変わってくる。緊張感のせいか、妙に疲れているし、喉も「かなり」乾いて来たからだ。
 
始まって3分の1ほど進行したところのコントラバスのピッチカートは、綺麗にはまっていた。ここはいろいろな演奏を聴いても、走り気味になる場所なのだが、本番は気にならなかった。譜面上でBreitとなっているところは、練習の時から4拍でしっかり演奏することを意識させたかったようだが、本番直前の練習からかなり強調していて、2拍でカウントするところと対比を明瞭につけていた。吹いていても、目の端にしっかり指揮を意識しながら吹いていた。
 
ホールの響きはよいようで、時々聞こえてくる残響はとても気持ちの良いものだった。しかし、舞台の構造のせいか、特定のパートだけ生の音が聞こえてきたり(トロンボーンの所ではコントラバスがそうだった)、本当に合わせる必要のある隣の人の音がよく聞こえてこないなど、最後まで不安な演奏だった。隣の音が聞こえてきて、はじめて自分の音量などバランスが調整できるからだ。
 
終演後ざっと目を通したアンケートを見る限り反応は良かったようだ。一方吹いている側からは多くの反省点があった。より練習を重ねて先に繋げたいものである。

Posted by hajimet at 21:26 | Comments (2)


演奏会(1) エルガーチェロ協奏曲

6月19日(日)、星陵フィルの演奏会が行われた。場所はミューザ川崎。
以前BBC交響楽団の演奏でメンデルスゾンのバイオリン協奏曲とホルストの惑星を聞いたところだ。

そのときは舞台下手脇で聞いていたが、ホールの響きのわりに演奏しにくいホールだという印象を持っていた。

さて、当日、団員の楽器に思わぬアクシデントがおきるということもあったが、何とかゲネプロも終了。開場もはじまり、ロビーでは木管五重奏のロビーコンサートが良い雰囲気で行われていた。
時間になり、曲の開始。1楽章。練習のときよりもゆったりしたテンポで曲が進んでいた。思わず「いいじゃん」などと思い演奏していた。

2楽章。これは吹きにくい楽章だ。拍の頭とチェロのメロディーの頭が半拍ずれるというもので、ただでさえソロとオーケストラがずれて聞こえる楽章である。しかも早くて細かい。その中にポツン、ポツンと各パートが1音ずつはいるので、数えにくいし演奏しにくいことこの上ない。結構アシは出ていたみたいだが、ほぼ曲は進んでいった…冷や汗箇所もあったが、客席では目立たなかったみたい。

3楽章。4楽章は何とか最後まで進んでいった。3楽章はトロンボーンの出がないため、本当にゆっくり聞いていられた。4楽章も何とかだったが、というより、入りを間違えないようにするほうが大変で、他のパートを聞いている余裕がなかったということが正しいかも知れない。特にソリストとの関係でその都度テンポが異なる場所が多く、緊張の連続だったのだ。

でも、チェロのソロを間近で、しかもホールの間接音で聞けたので、とても情感あふれて響きの豊かなものに感じられた。舞台で聞いている醍醐味かも知れない(次に続く)。

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2005年5月22日
韓国のオペラ歌手たち(コンサート)

ここのところコンサート付いている。今日は、「韓国のオペラ歌手達」という、声楽家7人(韓国人5人、日本人2人)によるコンサートを聴いてきた。
 
場所はオペラシティー。ここ3回のホールの中では残響が一番きれいだった。ただ、席の場所が3回上手の舞台の上(下を見ると落ちそうで怖い)だったので、音の条件はあまり良くない。かえって、ピアノの反響盤のないところの音がストレートに聞こえてきて、ピアノって、実は雄々しい楽器なんだと改めて発見した次第だ。はってある弦3本が時間差をもって響いてきたり、ある音に対する倍音の弦が共鳴するのがわかったり、これはこれで楽しかった。
 
韓国の音楽家には優れた者が多い。とくに、器楽や声楽だ。指揮もチョンミュンフンはよく知られている。ただ、韓国であまり聴く機会がなかった。韓国で聴いた唯一のオケはズビン・メータのイスラエルフィルで、リヒャルとシュトラウスの家庭交響曲だけだ。ホールは世宗文化会館。日比谷公会堂のようなもので、音はあまりよくなかった。
 
本番中に子供が走っていたり、話し声が聞こえてきたりホールの環境は随分違うと思った。あとは、東京文化会館で聴いた、オペラ「春香伝」。アリアを口ずさんでいる人がいたので、結構知られているのではと思ったが、CDはでていない。韓国の音楽家のCDも歌や器楽については時々発売されていて、目にすると買ってきている。
 
今日の会場は普通行く本番と違って、多少社交的な要素のあるお客さんも多かったようだ。男女とも着物姿がいたりした。そのせいかホールも完全にはシンとしない。さて、肝心の本番だが、長くなりそうなので「追記」で。

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Posted by hajimet at 22:00 | Comments (0)


2005年5月21日
ブルックナー交響曲第7番

さっきに続いてブルックナーの話。
昨日は聞いた話だが、今度はやる方の話である。6月に入っているオーケストラでブルックナーの交響曲をやるのだ。今日はその練習だった。プロではないから、半年くらい時間をかけて曲を作っていく。で、自分のパート譜を眺めているのだが、きわめて読みにくい譜面である。

一言で言って、「気まじめ」なのだ。まじめでなければ、演奏できないのだが、行きすぎは困る。
まず、休みが律儀に10小節単位で書かれている。自分の吹いているトロンボーンは休みが多いパートのため、5,10,10,6なんて休みの数が書いてあるのだ。

 ところが、これがやりにくい。クラシックの曲は基本的に8小節を単位に曲が進むのだ。その中で、3小節や5小節単位をいれて曲を効果的にする。10小節単位に区切られていても、音楽の実体に合わないと演奏の障害にしかならない。 

そのうえ、臨時記号が多い。トロンボーンなど管楽器は♭は演奏しやすいが、この曲は♯系の曲である。ただでさえやりにくいのに、和声の関係か、一度ナチュラルで解除しておいて、さらに♯をつけるのである。ダブルシャープやダブルフラットに見えてしまう(老眼?)。音を間違える元だ。

また、吹き始めの前間違えないように数小節ガイドという他のパートの譜面が小さく書かれているのだが、これも間違いの元だ。ブルックナーはやたらくり返しの多い作曲家なのだ。同じ音型が延々と続くことが多いのに、直前4小節だけガイドを書かれても、反射的にその音型が始まってからカウントを始めて5小節目に早速と吹いてしまうということになるのだ。まわりの目が怖い瞬間である。 

まじめすぎると、却ってという例のようだ。

 ということで、少し譜面を不真面目にすることとした。まず、10小節単位の給付記号を実際の休みの小節数に合計し、書き直す。あまりにもうるさいナチュラルを演奏上必要のないものを修正液で消す。などなど。 

で、意気揚々と吹いたら、ナチュラルがないことにかえって混乱し、音を間違えたところがあった。この譜面で何回も演奏しているからだ…馴れとは恐ろしい。

馴れといえば、本番直前に譜面を縮小コピーして製本したところ、本番で大あわてした経験もある。目が無意識に本来音符があったところにいくのだ。そこにある音は全く別の音で、一瞬状況が分からなくなったのだ。 

まあ、本番までまだ時間があるから、今回はすぐに慣れるだろう(歯が痛くて、体が無意識にそこをかばって、上のGから上がほとんど音にならなかったし…)
 
追伸:全く無関係の話だが、酎ハイのマイナス196度のCMに使われている音楽。大阪市営地下鉄の発車音楽をモティーフに使ったものだ。
 
 
 
 

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ブルックナー交響曲第7番

昨日、新日本フィルハーモニーのコンサートを聴きに行ってきた。曲はベルクのバイオリン協奏曲と、ブルックナーの交響曲だ7番。
 
ベルクは20年ほど前都響で聴いたが、そのときはソリストの弦が2本とも切れてしまうというハプニングのあったものだ。今回久々に聴いたが、2楽章後半で突然バッハのコラールが出てくるところがとても印象的だった。
 
ブルックナーは全体として柔らかい響きを求めた演奏だった。指揮者のハスシルドがアーベントロートの弟子だったせいか、テンポはよく動く。金管を叫ばせすぎず、オルガンのような響きを求めていたため、厚い金管のハーモニーの中でも弦が浮き立つような響きになっていた。長くなるので、続きはこちらへ。

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Posted by hajimet at 16:49 | Comments (0)


2005年5月19日
ストラビンスキー交響曲第1番

最近、時間があると聴いている曲である。関係しているところが演奏するということで聴いているのだ。
 
春の祭典や火の鳥などはよく聴くが、これは曲名を聞くまで全く知らなかった。ストラビンスキーが23歳の時、まだロシアにいる頃に書かれたものだ。春の祭典などは1小節ごとに拍子が変わる変拍子の嵐だが、変拍子はなく、そのうえほぼ4小節ごとに区切ることの出来る単純明快な曲である。ただ、ときおり6小節や5小節一単位が出てきて後の作品を連想させる部分もある。
 
それもそのはず作品番号1番で、ストラビンスキーが始めて書いたメジャーなオーケストラ曲である。
 
全体を聴いた感じでは、3楽章の中間のホルンの旋律のように後の火の鳥への発展を連想させる部分もあるものの、師匠の影響が強く感じられる曲だ。2楽章や3楽章の中間部などはボロディンの交響曲第2番を聴いているような気分になる。
 
解説書によるとグラズノフやチャイコフスキーの悲愴の影響が強いようだ、2楽章はグラズノフとリムスキーコルサコフのオマージュ、リムスキーコルサコフの皇帝スルタンの物語の影響もあるという。3楽章は悲愴の4楽章の影響が強いそうだ。
 
聴いた演奏は、ネーメ ヤールビー指揮、スイスロマンド管弦楽団。スコアと見比べると、テンポなどかなりいじっているように思えるが、それだけに流麗に聞こえる演奏になっている。
 
同じCD集(5枚組)に入っているコラールバリエーションも聴いていて面白い。一見古典風だが、よく聴いてみると…の世界である。

Posted by hajimet at 21:44 | Comments (0)


2005年5月5日
チョウミュンフンのコンサート

5月1日(日)、東京フィルのコンサートを聴きに行ってきた。
曲はシベリウスのバイオリン協奏曲と、ベートーヴェンの交響曲第3番。指揮はチョウミュンフン。

とても柔らかい解釈で、本来3つにふるところを、一つ振りで降るところも多く、オケに表現をまかせているところが興味深かった。
シベリウスは昨年夏に自分の所属しているアマチュアオケでも演奏したが、1楽章の後半クラリネットとバイオリンが掛け合いになるところなど、プロでも難しい所なんだなと改めて感じさせられた。また、ソロの響きを潰さないように、音量などの工夫が感じられた。2楽章の中間部の歌わせ方は、絶品。

ベートーヴェンは柔らかく歌わせながらも、推進力のある演奏。この指揮者は結構テンポをおとし、2楽章の後の盛り上がる直前など泊まるのではないかと思うほどにまでなるのだが、テンポの変化をあまり感じさせない。気がついたら変わっていたという感じだった。
1楽章のコーダのトランペットなどは譜面を改訂せずに演奏させていた。これだとフレーズの後半が行方不明になるが、バランスの調整がうまくできていて自然に他のパートに旋律が移っていったところが印象的だった。
さて、エロイカといえば、3楽章と終楽章のホルンであるが、この部分はオケから浮かび上がって聞こえていた。とてもきれい。全体に印のよいコンサートだった。

おしむらくは、2ndバイオリンがちょっと走り気味だったことぐらいだ。

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