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2005年8月30日
コウモリとカールベーム

コウモリはオペラ・オペレッタの中でも好きな作品だ。序曲が良くできていて、曲の見せ場をうまく組み合わせているので、序曲を聴くたびに作品の中を思い出して、それだけでも楽しくなる。

映像ではカルロス・クライバーのもの(最初LD,先日韓国でDVD購入)、ヴラディミル・ユロフスキーをもっていて、CDはボスコフスキーのものがある。クライバーは軽快な演奏で、とても楽しめる。ユロフスキーは演出が相性にあわない。ボスコフスキーはフォルクスオーパーの演奏で、非常に上品である。ここにカールベーム、ウィーンフィルハーモニーの映像が加わった。

カールベームは1981年に没した指揮者で、晩年何回か日本に来て、とても人気があった。70年代頃からの演奏はテンポが落ちてきて、特にロンドンフィルといれたチャイコフスキーの5番4楽章のコーダなどは止まるのではないかと思うくらい遅くなるものもあった。一方50年代から60年代にかけてのベルリンフィルとの演奏はとても快活なものが多い。ブラームスの交響曲第1番、シューベルトの交響曲第9番などが印象的だ。

晩年でもテンポが快活なものもあり、ドレスデンと入れたシューベルトの交響曲第9番は荒れているのではないかと思うほどの演奏であるし、ウィーンフィルとのシューマンの交響曲第4番はコーダで驚くようなアッチェレランドがある。

全体としては、武骨と言ってもよいほどの非常にまじめな演奏をする指揮者で曲によってはタダまじめなだけというものもあるが、一方で低音楽器を中心とした拍動感と推進力、歌わせ方の優れた指揮者でもあった。ウィーンといれたベートーヴェンの交響曲第6番などがその代表であろう。テンポはそれほど速くないが、音楽がどんどん前に進んでいくのだ。

コウモリは1972年の録音で、序曲からしてまじめで、遅めのテンポであるが推進力をかんじる。序曲でカールベームの指揮がずっと見られるのも嬉しい。

第1幕からの演出はカルロスクライバーと同じオットー・シェンクのものであるが、テンポの設定や配役の違いから、ライブと映画の違いか、クライバーのものよりももう少し古い時代の設定のように見える(実際は1874年(明治7年)に42日間で作曲されたといわれる)。なお、主人公のアイゼンシュタインは両方ともヴェヒターである。

テンポは遅いが出演者が楽しみながら歌っている様子がよくわかる。ともかく全編どこを見ても楽しそうなのだ。

序曲でいう中間部、4分の3になる旋律(メロドラマ風の所)で構成されている「8日間も貴方なしで1人ですごすなんて」では、クライバーが、いかにも楽しみを思い浮かべてうきうきという雰囲気が前面に出るのだが、ベーム版は悲しみをこらえる風な顔をしながら、でもこらえきれずにうきうきするという微妙な雰囲気を良く出している。

第2幕、オルロフスキーはクライバー版はアルトのファスベンダーが歌っていて若々しい感じを出しているが、ベーム版はテナーのヴィントガッセンが歌っている。こちらはすでに60才近く、貫禄のあるオルロフスキーだ。当然若々しいテンポの速い語り、動きではなく、重厚である。

「高貴な振る舞い、しなやかな物腰」の時計の音を数えているうちに、時計をロザリンデに奪われてしまうところのテンポ感はベームらしい。

第2幕後半のワルツは序曲よりもテンポ感も良く、良く聴くと3拍目が少し遅れるウィーン風のリズムになっている。ワルツの旋律がおわり、鐘が6つなる直前のクレッシェンドはとても効果的に聞こえる。

第3幕の「どうしたらよいだろう」は途中から序曲の序奏部(6つの鐘のあと)になる。弁護士に化けたアイゼンシュタインが切れるところで、この曲全体のクライマックスになり、さらにコーダ直前の部分へと飛ぶが、アイゼンシュタインが切れた雰囲気の違いが良く出ている。

フィナーレでは再び鐘の後の旋律が出てくるが、ここはかなりはやめのテンポで進んでいく。

ただ、いずれにせよ遅めで、まじめなテンポと解釈であるが、見れば見るほど(聴けば聴くほど)飽きない演奏のように思う。

Posted by hajimet at 21:57 | Comments (0)

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