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2005年8月29日
ソウル(3)舎堂から市内へ

2日目。朝土砂降りで、遠出の予定を変更する。少し早いお昼を食べたが、珍しく不味い。チェーン点の鉄板クイでパイナップルとトマトも一緒に炒めているために変な味になるのだ。食べた場所は地下鉄2号線新林洞(シンニムドン)駅そば。それから2号線にのり、舎堂(サダン)駅で降りた。ソウル市立美術館南ソウル別館へ行く。駅から100b。画家による「自然の記録展」をやっていた(チラシでは7月31日までだったか)。キムスンヨンのNight Landscapeという作品は、写真をもとにしてコンテ風にしたものであったが、ずっと韓国のものだと思ってみていたら、最後1枚、銀座の風景が混ぜてあった。
 
この建物はかなり古風だ。レンガ造りでコロニアルスタイルのベランダがある。実は大韓帝国時代に建てられたベルギー領事館の建物で、のちにここに移築したとのことだ。続いて、4号線で景福宮(キョンボククン)まで行き、朝鮮時代に国の安泰を願って祭祀が行われた、社稷壇(サジクダン)、国の始祖、壇君廟などを見て、仁寺洞まで歩く。かなりの人出で町が沸き返ってきた。日本語、中国語も聞こえてくるし、南アジアの服装をした人も多い。もちろん、日本語通じる店も多いし、日本語の看板もあるのだが、中には?と思うような日本語もある。
 
寺洞麺屋の場合「サドンミョノク」になるのだが、「ン」が「メ」に、「ョ」が「ヨ」に、「ク」が「ワ」になっている。以前「スラックス」が「ズうツクス」になっているものを見たことがあるが、おそらく混同しやすいのであろう。きっと、日本にある韓国語の表記も似たようなものが結構あるのだろう。韓国語の方が一見記号にしか見えないから、そういうことが多いかも知れない。
 
仁寺洞の出口が鍾路である。そのも一本向こうが清渓川である。ここは朝鮮時代に首都漢城をつくるときに、整備された川で、もともと下水用の川で、朝鮮時代に川をさらって清流を流すか、下水のままにするか議論があった川であった。
 
朴政権のときに汚れの激しさから暗渠化工事をして上を清渓路とした。場所によっては高架道路もかけた。
 
しかし、実際川はそのまま残り朝鮮時代の石橋までそのまま道路の下にある状態であった。さたに、川からでるリュか水素で鉄筋が腐敗して、構造上もあぶなくなっていた。米軍がこの道の通行を避けていたと言うことすら聴いたことがある。
 
そこで、川を覆っていた道路をはずして、あらたに清流を流すことにしたのである。光化門交差点のそばに水のわき出し口を作って流すように工事をしたわけである。昨年は道路を空けただけで単なるガラ場だった。この正月は川道が整理されていたが、水は流れていなかった。今回は水が滔々と流れ、まわりには水草や花が植えられていた。
 
また、朝鮮時代に川の水位を測った、広通橋(クヮントンギョ またの名を広橋:クヮンギョ)が復元され、水位をはかる石標も、他の場所に保管されていたがを元に場所に戻して復元された。ソウルの変化はある意味ドラスティックである。突然高層マンションが出来たり、町の雰囲気が変わることもある。今回一番びっくりしたのは、南大門のロータリーが廃止されて一面の芝生となり、ソウル駅方面から門の真ん前まで直接行けるようになったことである。脇には城壁の一部も復元されていた。
 
南大門へ行ったのは3日目のことだった。昼間は知り合いの事務所に行っていたので(ついでに足裏マッサージも)、夕方4時になった。そして、ホテルに引き返し(5時)、金浦空港までタクシーを飛ばし(5時20分、1万5000ウォン)、飛行機が出発(7時15分)、雲の上辺を飛んでいるといることで結構揺さぶられながら羽田着(9時15分)。席が羽根のそばだったので、結構ローリングをかんじる。対地速度は900キロを超えていたから、なるべく揺れない航路を選んだのだろう。このスピードだと通常ならもう少し早くつくからだ。入国審査、税関検査を終え(9時40分)、家に到着(10時)。やはり近い…。

Posted by hajimet at 23:58 | Comments (3)

Comments
どうも。ブログへの書き込みは今回が初めてですね。

清渓川の工事、進んでいるようですね。
ぼくも8月に見ましたけど、本当にみちがえっていました。
この清渓川の復元工事がはじまったころは、こんなに
きれいにできるとは思いませんでした。
川は下水道になり、水は汚れきっている状態でどうするんだろうと
思っていました。
高架道路時代末期のころは、川はガスを発生していて臭いもひどいところが
ありました。
帰りの地下鉄やバスを逃したときに市内から昔すんでいた家に帰るとき、
タクシーを使ったのですが、そのルートが清渓高架道路でした。
走っていて「いつか崩れるなぁ」というドキドキ感もするくらいの
道路でした。おまけにタクシーは結構飛ばすから、そのままカーブ曲がりきれなくて
高架下に落ちるんじゃないかという気がしたのは僕だけではないと思います。

この清渓川以外にも、ソウル市内の道路が少しずつ変化してきたような
感じがします。
ソウル市庁舎前の大通りに横断歩道がいくつかできました。
ソウルの中心部は横断歩道がなく、歩行者はもちろん、
足の不自由な人には地獄のような歩道です。
向かい側にいくのに地下通路を通って、階段を上り下りしないとなりません。
今後、これももっとどうにかなってほしいなぁと思います。

いずれにしても完全復元までもう少しのところに来ています。
今後の動きが楽しみです。




  Posted by: kimcity at 2005/09/14 21:32:10
清渓路の高架橋は本当にスリリングでした。
カーブもきついし、柱も細くてつぶれるのではないかと思ったことは
何回もあります。東大門市場の近くのビルも古いものばかりでした。

ソウル市庁の前に横断歩道が出来たほか、南大門も市場から門に
かけて横断歩道が出来ましたね。ソウル駅方面から南大門へ向かって
道路の反対側を歩いてくると、地下道を通らずに市場へ行けるように
なりました。

そういえば、ソウル駅前の高架道路も清渓路の高架道ができあがった
頃になくなりましたね。昌徳宮のところもそうだし。
前にHPにそこの吹雪の様子を載せましたが、
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/hakken_007.htm
この景色はもう見られないわけです。
  Posted by: hajimet at 2005/09/14 21:41:00
そうですね。
あのときの吹雪の風景は今でも覚えています。
あれは本当に死ぬかと思いました。
「街中で遭難か?!」っていうくらいでしたね。
雨宿りというか、雪宿りしようと避難する間が
なかったです。T-T
  Posted by: kimcity at 2005/09/14 21:57:14


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