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2005年5月22日
韓国のオペラ歌手たち(コンサート)

ここのところコンサート付いている。今日は、「韓国のオペラ歌手達」という、声楽家7人(韓国人5人、日本人2人)によるコンサートを聴いてきた。
 
場所はオペラシティー。ここ3回のホールの中では残響が一番きれいだった。ただ、席の場所が3回上手の舞台の上(下を見ると落ちそうで怖い)だったので、音の条件はあまり良くない。かえって、ピアノの反響盤のないところの音がストレートに聞こえてきて、ピアノって、実は雄々しい楽器なんだと改めて発見した次第だ。はってある弦3本が時間差をもって響いてきたり、ある音に対する倍音の弦が共鳴するのがわかったり、これはこれで楽しかった。
 
韓国の音楽家には優れた者が多い。とくに、器楽や声楽だ。指揮もチョンミュンフンはよく知られている。ただ、韓国であまり聴く機会がなかった。韓国で聴いた唯一のオケはズビン・メータのイスラエルフィルで、リヒャルとシュトラウスの家庭交響曲だけだ。ホールは世宗文化会館。日比谷公会堂のようなもので、音はあまりよくなかった。
 
本番中に子供が走っていたり、話し声が聞こえてきたりホールの環境は随分違うと思った。あとは、東京文化会館で聴いた、オペラ「春香伝」。アリアを口ずさんでいる人がいたので、結構知られているのではと思ったが、CDはでていない。韓国の音楽家のCDも歌や器楽については時々発売されていて、目にすると買ってきている。
 
今日の会場は普通行く本番と違って、多少社交的な要素のあるお客さんも多かったようだ。男女とも着物姿がいたりした。そのせいかホールも完全にはシンとしない。さて、肝心の本番だが、長くなりそうなので「追記」で。

プログラムはオペラのアリア中心。それも見せ場のあるもの。1曲目から、演奏会のメインのプログラムではないかと思わせる盛り上がり方だった。曲はトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」。最初から「ブラボー」の嵐で、「普通だったらこれで本番終わるのにな」というものだった。

2曲目のう椿姫「そはかの人か、花から花へ」を楽しんだ後、セビリアの理髪師の「今の歌声は」。ソプラノのパクジュンウォンの歌だったが、少し太めの声で、素直に音楽が聞こえてきた。4曲目もセビリアの理髪師から「陰口はそよ風のように」。こちらは、まっすぐ声が伸びるものだった。その後ジョルダーノが2曲続く。前半最後はラ・ボエームの二重唱。ペ・チェヨルとパク・ジュンヨンの歌。

後半にはいり、カルメンのハバネラを聴いた後、ファウストの「金の子牛の歌」。リジュンヨンの歌だったが、「陰口…」よりも快活で、三連符のリズムが生き生きとしていた。始めて聴く曲だったが、テンポ感もとてもよかった。続いて、ファウストの「宝石の歌」を聴いた後、トスカの「星も光ぬ」。

テノールのパクソンドの歌だが、sott voceの歌い方がとてもきれい。まっすぐに声は出ていて、力強いのだが、でも柔らかい。曲の後半にむかって徐々に盛り上がってくるところが流れがよく、歌の世界に惹き込まれるようなうまさだった。

つづけてリゴレット「尾にめ、鬼め」、「女心の歌」と進む。最後のカデンツァ(かな)の部分の朗々とした感じが印象に残った。見せ場の部分がうまく行くと、ピアニストがすごく嬉しそうな顔をするのだが、このときは一段と嬉しそうだった。それよりも終わったとたんの拍手がすごかった。

最後にドンカルロから「われらの胸に友情を」をきき、本番は終了。

 

ここまで聴きながら、韓国の歌曲が一つ入っていても良かったと感じていた。日本は合唱曲がかなり発達しているのだが、韓国は歌曲が発達しているからだ。でも、韓国歌曲の夕べにしてしまうと、客層が限られるし、こういうときに一曲くらい紹介していく方がよいのではないかと思ったからだ。

また、7人で歌えるアンコールが気になった。なんとなく「乾杯の歌」かなと思っていた。

アンコール1曲目は男性4人でオーソレミオ。フレーズごとにそれぞれが「奪い合って?」歌うという趣向だった。2曲目は男性3人と女性1人で「그리운 금강산」。これで疑問点は解消された(きれいな声でした。パクジュンウォン(Sop)の歌いが)。

そしてあいさつをした後、乾杯の歌。女性パートを3人で分担したが、アドリブだったためか、おみあいしてしまったところもあったが、ご愛敬。ダンスをするパートナーを奪い合ったり、最後を思い切り伸ばしたり。ピアニストもとても楽しそうだった。

あいさつはチェヒョンスさんが通訳を入れてやっていたが、「音楽の好きな人、特にクラシックの好きな人は日本人、韓国人ではなく、世界人です」「隣の人の手を握ってみましょう。愛を分かち合えますか?」といったところが印象に残った。(日曜日といわず주일날と言っていたことも印象的だったが)

これだけ、ソリストが集まって、みんなが一緒に大きな声で音を伸ばしたら…

ホール全体が響きわたっていた。音がまわって、音に満たされていたのではなく、本当に壁などが響いていたのだ。かつて、第9で、ソリストの真横で楽器を吹いたことがあって、そのとき、あまりの声量に、音程がとれないどころでなく、音の圧力しか感じられないことがあった。耳が痛くなりきつかったのだが、それを思い出すような声量だった。

 

いずれにせよ、とても満足のいった演奏会だった。

 

 

Posted by hajimet at 22:00 | Comments (0)

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