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2006年11月25日
昭島、羽村紀行
土曜日、天気がよいので昭島まで行った。東京で唯一の積石塚があると言うことなので見に行ったのだ。多摩地区から埼玉にかけては狛江、調布、志木、新座、狛江など渡来系の関係が以外と多い。大和朝廷が新羅、高句麗の渡来人を関東に配したこともあるのだろうが、古墳となると時代は少しさかのぼる。

立川から青梅線、拝島から五日市線に入る。青梅線はカメラを持った集団が先頭を占領していた。ディーゼル機関車が旧型客舎を牽いて走るとのことで、それがお目当てだそうだ(途中でそれ違ったが、プッシュプルで運転していた)。

東秋留駅で降りてまず二宮考古館へ。ここで発掘品を見たり、資料を集めて昭島に向けて歩き始めた。五日市街道のケヤキが見事に紅葉している中をひたすら西へ歩く。五日市街道のあるところは台地の上だが、秋川はじめ両岸を流れる川の向こうは急流が広がる。その向こうに関東山地が見え、富士山や大山まで見える。道の先にも山が立ちはだかり関東平野の末端であることを感じさせる。何となく韓国慶州の風景を思い出させる光景だ。左手に大山古墳を見る。円形だが、よく見ると墳丘全体が角張っている。方墳らしい。墳丘の上からは台地全体から丘陵一帯が見渡せる。都立秋留高校の標識を見ながら、昭島駅に到着。約25分ほど。

昭島駅から積石塚の瀬戸丘古墳群までは徒歩15分くらい。民家の中に石室があらわれる。その後古墳が密集しているという栗畑へ行く。落ち葉がおちてよく分からないが、一か所だけ石室らしき石組みが見えた。詳しくはこちらを

駅に戻ると1時半。近くで食事をとり、福生行きのバスに乗る。15分ほどで福生駅だ。地図で見ると十分歩ける距離なのだが、少々疲れたのだ。福生駅から青梅線で一駅。羽村駅だ。駅前に神社があり、そこに「まいまいず井戸」がある。ずっと話に聴いていたのだが、一度見てみたかった。地面を10メートルくらいくぼめ、螺旋状に井戸に下りていく。上から見るとカタツムリ(マイマイ)の様に見えるのだ。下りてみる。おりきったあたりがローム層の下端で、そこから礫層になる。井戸はさらに10メートルくらい深いところにあった。ところで、どこにも説明がなかったが、井戸わきに「隼人墓(塚)?」というのがあった。こりゃいったいなんだ?(疑問を残しつつ)

駅の反対に抜ける。まっすぐ坂を下りていく。途中馬の水飲み場跡を眺めながらどんどん下りていくと、そこは多摩川である。羽村は玉川上水の取水口がある。そこを見に行ったのだ。江戸時代に多摩川兄弟が作った堰とほぼ同じ場所に堰が作られ、多摩川の水の多くが一旦上水側に引き込まれる。そのうち余剰分を多摩川に戻すようになっている。堰の真ん中には筏用の門も残されている。多摩川兄弟の像を見る。これを見つけて嬉しそうに喜んでいたカップルもいた。そして玉川上水を下ってみたが、水の豊富なのは500メートルほど。そこで水は羽村浄水場へ引き込まれてしまい、その下流は少しの水が流れているだけであった。

ここで3時半になった。薄暗くなったので帰宅した。この日の東京の日の入りは4時29分なのだ。
Posted by hajimet at 22:27 | Comments (0)


2006年11月22日
N響コンサート
久しぶりにN響を聴いた。N響自体はテレビでも聴くがそのことではない。生だ。
11月13日、オペラシティーでだ。ノリントンの振る演奏にしてはいやに安いと思いつつ、行ってみたらNTT東日本の冠コンサートだった。

1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソロは庄司紗矢香。弦楽器は対向配置でピリオド奏法だ。1楽章の序奏部はこんなに連綿たる曲かと思うくらいゆっくり演奏が始まった。ソロが入って多少テンポを取り戻したものの、全体としてとてもゆっくりだった。2楽章は今度は速いテンポで、ベートーヴェン交響曲第6番の2楽章を思わせるような明るい曲に仕上がっていた。3楽章はまた落ち着いたテンポだ。

ピリオド奏法のせいか、ノリントンの解釈のせいか、4拍連打するときに、1拍目を強く、後を弱くしているのだが、かなり気になった。

2曲目はヴォーン・ウィリアムズ「交響曲第5番」。はじめて聴く曲だ。というよりもヴォーン・ウィリアムス自体がほぼ始めてだ。「スリーンスリーヴスによる幻想曲」くらいしか知らない。

D-durのはずが、Cから始まる不思議な曲だ。ドミナントはCisだから、普通Cは使わない。ホルンの牧歌的なメロディーと弦楽器の民謡風のメロディーが対話のように繰り返されるとプログラム通りに曲が進む。しかし、金官は苦労していたな。

2楽章になると、プログラム通りに曲が進行しなくなった。不思議だ。3拍目にアクセントをつけた3拍子で書かれた曲というが、指揮は4拍子を示している。8分の12かとも思ったが、どうも違うようだ。その内に変拍子の嵐に。管が強くなっている中での変拍子だから、ブラスでも面白そう。でも、3拍子はどこへ?

4楽章はもっと不思議。後半はフーガになり、最後はニ長調の手話音が明るく鳴り響き渡って曲が終わると書いてあるのだが、曲はどんどん静かになり、クラリネットのD-durのスケールが聞こえてきて、静かに消え入るように終わってしまった。マーラーの6番の終わりのように、最後にD-durでの壮麗な響きがあるように想像したのだがそうではない。ちょうどメンデルスゾンの交響曲第3番をうっかりクレンペラー版で聴いてしまったような、虚無を思わせるのだ。しかし、記述と演奏の違いは何なのだろう。

あとでCDとスコアを買って検討しなければならない。
Posted by hajimet at 19:55 | Comments (0)


2006年11月20日
広島
ここのところ、HPのUPの関係でブログはお休みだった。その間にも韓国、コンサートなど行っているので、改めて書くことにしよう。

まずは広島訪問。韓国語の教員研修のためで、17日から19日まで。往復飛行機。割引を使ったので、ほぼ新幹線と同じ金額だ。広合間訪問は91年以来2回目。あの時は駆け足だったが、今度は時間があることはある。

17日、授業が終わってから羽田空港へ。18時30分広島着。しかし、広島から先が悪かった。山陽道が事故渋滞で空港から市内まで2時間かかった。結局新幹線の方が早い。夜先に来ているメンバーと合流して韓国風料理を食べ、そのまま寝る。宿所は法華クラブ広島。

18日、6時半起床。朝食はバイキング。ヤマイモ、メカブ、広島漬けなどこの手のものにしては充実した内容だ。研修は午後からなので、午前中は宮島へ行くこととする。紙屋町東から広島電鉄で宮島へ。途中線路幅と道幅がそれほど違わないところを通りながら列車は進む。分岐点などは専用信号があるが、基本的には交通信号で走る、広電西広島からは専用軌道で鉄道用の信号で走る。隣は山陽線が併走する。

途中から忽然と戦前の建物が現れ始めた。広島市内は当然原子爆弾のためその様な建物はないので、突然何軒も固まって目の前に現れたのには驚き、改めて原爆の威力を知った。

宮島駅で降りる。道の向かいに船乗り場があるが、宮島行き船乗り場の看板が2つあり、入り口も二つ。JR連絡船と広電系の二社が競合しているのだ。まるで箱根の伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道の戦いみたい。あちらはバス停留場も船着き場も完全に会社ごとに別れているが、こちらはJRも広電もほぼ同じ場所に停留所がある。波止場も一緒で、対岸もならんでいる。駅の位置や列車本数から行けば広電に歩があるが、広電はJRに比べ時間がかかる。船は大鳥居のそばまで行けるJRに歩があるが、その分時間がかかる。実際行きは15分かかるが、帰りは鳥居によらないので10分だ。

厳島神社は多くの観光客でにぎわっていた。近くのガイドの話を聞いていると、やたら台風で崩壊したことを強調している。大鳥居を眺め、紅葉谷へ。名前の通り一面紅葉で、「旬は旬に楽しまなきゃ」という事を思い知らされた。それと一緒に、今年は中国、韓国、広島と紅葉前線に沿って旅行したので、なんと恵まれているのだろうと思い感慨にふける。秀吉が作らせ、途中で終わった千畳閣などを眺め、JRで西広島駅まで。昔の己斐駅だ。そこから広電で原爆ドーム前まで戻り、ドームと平和記念公園を見学する。

18日。雨(一時土砂降り)。
7時半起床。研修会が9時30分に始まるので、その前に広島城へ行く。1キロほどで歩いて15分ほどだ。目的は旧大本営址を見ること。広島城内にあるが、土台だけ残っていた。原爆で建物は吹き飛ばされてしまい、入り口に上がる階段までしか残されていない。原爆ドームは爆風がほぼ真上から来たため、建物の駆体は残ったが、こちらは横風だったのだろう。新羅の寺院跡とか、藤原京の旧薬師寺跡を見ているような不思議な気分だ。これが4秒程度の出来事だなんて。

午後、終了後、平和通りを歩いて比治山へ向かう。約2キロ。歩いて30分はかからなかった。途中被爆した石塔のある寺などを眺めながら陸軍墓地をめざす。予備知識なしで行ったが、入り口に「木口小平」の写真が。戦前の修身の教科書に「死んでもラッパを放しませんでした」といった人物だ。墓地の中に日清戦争でなくなった広島陸軍の合同墓があり、そこに名前が刻まれていた。朝鮮成歓で死亡。ソウル南方100キロの天安の少し北だ。戦前は天安駅前に銅像が立っていた。しかし、死亡場所を眺めていると、この戦争が朝鮮を舞台に行われたことが改めて分かる。墓地には北進事変で死亡した外人墓地もあった。墓地からは陸軍広島被服支敞あとから宇品港まで見渡せる。要するに陸軍の要地そのものだ。

その後広電で宇品港に向かう。似島や江田島へ行く船もあったが、時間の関係であきらめる。さらに広電で平和記念館へ向かい、資料を集める。高校の修学旅行生と一緒になったが、見学を進めるにつれての反応の変化が興味深かった。

18時30分発の飛行機で帰宅。飛行機はまず日本海へ飛び、それから東京へ向かった。関西にある低気圧を避けたのだと思ったが、それとともに直前に大阪上空で乱気流に巻き込まれ、けが人が発生したことが、あとになってわかった。実際飛行機は大揺れで、突然突き上げるように上昇したり、スッと下降したりで客室乗務員が思わずしゃがみ込むくらいであった。こちらの読んでいた本は一瞬にぐちゃっとなってしまった。機長も2回も放送を入れる位ひどい揺れだったのだ。
Posted by hajimet at 21:07 | Comments (0)