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2013年11月2日
韓国併合(二時間目)

科目:日本史B(50分、3単位)
単元:日露戦争後の国際情勢の変化(三時間のうち二時間目)
目標:日露戦争後の国際情勢の変化とともに、韓国併合、南満州進出通じての東アジア情勢の枠組みの変化を学ぶ(国際社会全体の枠組みの変化は日露戦争で既習済み)。
 
1時間目:(1)日露戦争中:韓国の局外中立宣言と日韓議定書、第一次日韓協約
      (2)桂タフト協定、第二次日英同盟とポーツマス条約、第二次日韓協約
        韓国側の見方についても、簡単に触れることとする。
2時間目(本時):(3)ハーグ密使事件から韓国併合
 導入:3分
前時ハーグ密使事件に簡単に触れたことを受けて、高宗が密使を派遣したこと。日本側は韓国を出るときから把握していたこと。その動きが韓国併合に繋がることに触れる。
 
 展開1:15分
(要約)韓国はロシアに頼ろうとしたが、すでに第一次日露協約を締結するときだったため、ロシアの関心が韓国から離れていた。一方皇帝は伊藤によって退位させられる。その直後、1907年7月、第三次日韓協約を締結し、内政権も日本側に移るとともに、韓国官吏に日本人を採用できるようにした。さらに8月には韓国軍も解散せられ、それによって義兵闘争(要するに内戦)が盛んになる。これは1909年まで続く。
 
韓国の植民地化について、伊藤は「時期尚早論」をとるが、軍部の力によって桂内閣はて「適当な時期に併合」を決める(要するに、山県の力)。伊藤は統監を辞任するが、その後哈爾浜で安重根に殺される(旅順刑務所のはなしなども少々)。
 
展開2:20分
1910年8月韓国併合。条文を読ませる。その後プリント配布。併合が韓国人、日本人にどう捉えられたか当時の新聞の題目で見ようと考えた。
プリント三枚。一枚ずつ配る。また、これら新聞の縮刷版のコピーを持って行き、現物を見せながら話を進行する。
 
1.大韓毎日申報の題目

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大韓毎日申報は、日本による植民地化を防ごうとする論陣を張る新聞で「民族紙」といわれる。最初の題字は併合前日のものだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大韓毎日申報と書かれ、上の年号は鳰、4年8月28日となっている。翌日は新聞は停刊。この前後は日本の新聞も輸入禁止になっていた。併合のことを知られないためだ。次の日にはこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「大韓帝国」は無くなったのだから「大韓」の文字は消える。さらに年号が明治43年になる。改元は日本でもあるが、かならず元年から始まる。突然43年になることは、それまで「鳰、」で来た人たちがどう感じるだろうか。
 
さらにその翌日にはこうなる。この新聞はこの後、総督府の朝鮮語紙として御用新聞となる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本風の縦書きになる。では、もう一紙見て見よう(2枚目配布)。
プリント2

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇城新聞。皇城とは「漢城」のことで、皇帝がいる城だからこのようにも呼ばれた。併合前最後の題字を見て見よう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇城新聞と書かれ、皇城と新聞の間には韓国の旗が描かれている。中央には大韓鳰、4年と書かれている。このすぐ下には朝鮮の様々な年号がかかれ、合わせて日本暦、清国暦、西暦が書かれている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ところが、29日に号外が出て30日に出された新聞はこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「皇城」が消えて「漢城」になる。ここで設問。なぜ皇城は駄目になったのか。生徒:「皇帝がいないから」。ところで、「漢」は急いで差し替えたことが判る。元号は明治43年。脇に書かれていた様々な朝鮮の暦も消えた。まだ韓国の旗は描かれている。では、次の物を見て見よう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついに韓国の旗も消えてしまった。「皇」が消えて、明治になって、自分たちが使ってきた旗も消えてしまう。ところで、当時韓国で出ていた日本語紙はどうだったのだろう(3枚目配布)。
プリント3

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
居留地の日本人向けにだしていたもの。では、新聞は一面は小説で始まっている。併合前日の題字を見よう。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
年号は明治43年のまま。では、併合直後の新聞は?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
紙面はどう?「何も変わっていない」の声が出る。このとき、日本で出ていた新聞は併合を喜ぶ、お祭り騒ぎのような記事だった。でも、この新聞は何も変わっていない。中を見ると併合に触れているが、現地に住んでいる日本人にとっては、ただ、自分の住んでいるところが「日本」なって土地が増えた事と、居留地が無くなっただけで、それまでの生活と連続していることが読み取れる。
 
韓国の人がよく「併合の痛み」を知って欲しいと言ってくる。しかし、日本人の立場ではそれを感じることは難しい。というのも歴史上他国に支配される経験が無いから(沖縄は除く。戦後の一時期も日本政府はあった)。英、仏=ローマ、独=ローマ、西、葡=イスラム、東欧=モンゴル、トルコ、ロシア…などと具体的に考えさせる。
 
歴史的に体験していないが、このような史料などをつかって擬似的に考えることは出来る(実際に元号が変わったところと、3枚目のプリントには大きく反応していた生徒が数名いた)。
 
展開3:10分 総督府の機構・武断政治と土地調査事業(略)、
まとめ:2分 次回の導入のための動機づけ。
 
3時間目:日本の南満州進出と国際関係。特に対米関係悪化と、第一次世界大戦の枠組みが出来ることに重点を置く。

Posted by hajimet at 21:39 | Comments (2)


2013年6月9日
戊辰戦争から明治改元まで(授業風景)

授業は関連事項を多く扱い、なるべく多くの方向から関心を持てるようにしている。
以下の様にである(2時間分)
 
 戊辰戦争から。
  「戊辰」とは→十干十二支について
          甲子園
          西暦から十干十二支を計算する方法。
  鳥羽伏見の位置関係
   征東軍が上京するとき→「みやさんみやさん(蝶々夫人で代用)」を聴かせる
      (そのついでに「ある晴れた日に」をさわりだけ)
          板橋、市ヶ谷、本門寺についての話し。
 
  彰義隊→江戸切り絵図で寛永寺を見せて(上野の山が全部)、
         黒門、遺体処理(しなかった)、靖国などなど。
        ついでに、切り絵図を見ながら、大名屋敷の門がどこにあるか。
 
  白虎隊→四神、五行(中心は黄龍…中国皇帝が着る服の色)。
        目黒、目白、目青、目赤、目黄。
        増上寺-日枝神社-神田明神-浅草寺(むしろ鬼門の話しですが…)
 
  五稜郭の形について。
    五箇条のご誓文を読んで、山内豊重の上書と比較。
    五榜の掲示を読み、政体書も読む。
        政体書(ほとんど法律解釈)
      閏4月について(太陽暦と太陰暦から)。
      地方官制。江戸市中を江戸府→東京府としたところで、
             江戸時代の地図に戻りおおよその位置について
             朱引まにも触れる
      明治改元→嘉永からの元号の変遷理由を見る。
      東京に遷る→板書に遷都としない理由を話す。
             大学院の指導教授が京都出身。「天皇さんは京都からお貸ししているのです。いつかは帰ってくると思っています」という言葉がとても印象的だったから。
 
      明治政府の目標と日本が植民地にならなかった理由(政経、世界史でも扱う)、
        国外的要因、国内的要因。
      維新政府の方針…古代天皇制の復古。神祇官、神仏分離令。
           神仏分離令→本地垂迹
こんな具合。
 

Posted by hajimet at 22:38 | Comments (0)


2013年5月19日
攘夷論から開国論に

日本史
尊王攘夷運動から、四国艦隊下関砲撃事件まで(1時間)。
 
島津久光の提起により文久の改革が行われたが、久光が京都を去り薩摩へ行くと、京都では攘夷派の力が強くなる。長州で松下村塾出身者の力が強くなり、長州藩の攘夷論者が実権を握ったため。
 
これに勢いを得た朝廷は急進攘夷派の三条実美を勅使として江戸に送り、攘夷を迫る。将軍は229年ぶりに上洛し、朝廷を牽制しようとしたが、結局攘夷を飲まされる。
 
そのため、1863年5月10日を期して攘夷を実行する事になり、長州藩は下関を通過する英仏蘭船を攻撃する。
 
しかし、朝廷では8月18日に公武合体派による政変がおき、三条実美は都落ち、長州藩は京都に出入り出来なくなる。孝明天皇も、「8月18日の動きが自分の気持ち」と宣言してしまったの、攘夷派はハシゴを外されてしまった格好になった。
 
実はこの直前に孝明天皇を中心とした倒幕の動きがあった。孝明天皇は伊勢神宮、神武天皇陵、春日大社を訪問して、攘夷、倒幕を誓っていたからである。
 
なぜ、神武天皇陵かというと、伝説上初代の天皇で、孝明天皇まで代が途切れていないことになっているし、その上はさらに天照大神、イザナギ、イザナミまで繋がる(国作りの話しを簡単に)。つまり、日本の国を作った神々に宣言をすることになるのである。
 
一方、長州藩は再起を期し、兵と共に京都に上がるが阻止される。ついには、蛤御門付近で戦闘となり敗北する。これにより長州は「朝敵」とされ、指導力を回復したい幕府によって征討される。これに期を合わせて四国艦隊が下関を砲撃した。
 
四国艦隊側は、攘夷による攻撃への報復を行うことと、これにより、攘夷は無駄だと言うことを日本中に知らせることを目的としていた。砲撃前に幕府に通報して、他の開港場に影響を及ばさないことも伝えていた。いわば、両方が手を組んで長州を攻撃したことになる。
 
結果的に、長州内で保守派が勢力を奪還したことで、長州は幕府軍と戦闘せずに敗北という結果を受け入れることになった。この1年前、薩摩も生麦事件の報復による薩英戦争によって攘夷が不可能だと言うことを思い知っていた。
 
今後日本では急速に攘夷論が消えていく。しかし、なぜそれが出来たのであろうか。
 
実は、尊王攘夷の考えは水戸学と共に平田派の国学の影響も強かった。
平田篤胤は、世の中のすべてのものが古来に日本にあったとして、その根拠を求めて日本書紀や古事記を研究した人であった。はるか昔から神代文字があったし(どうみてもハングル)、アダムとイブはイザナギ、イサナミだとするほどだった。この考えから「天皇中心」、「古来からの神道のすぐれた国」という考えが出てきて、「尊王」と「攘夷」に繋がっていった。
 
平田の考えは弟子たちに敷衍され、時勢と共に尊王、攘夷の面が強くなっていた。地方でその考えを支持するものが多かったが、その中に津和野藩士の大国隆正がいた。大国はキリスト圏の力の強さも知っていたため、単なる攘夷論では駄目なことも分かっていた。そこで「攘夷するためには、まずは西欧諸国と交流して、富国強兵をする必要がある。それをしないと対峙できない」と主張した。
 
つまり、攘夷のために力をつける必要があるという理屈である。言い方を変えれば拡大版攘夷論であり、開国、富国強兵は攘夷のためと言うことになる。その観点からその後の日本の歩みを見ていると、ある程度自信がついたときに攘夷的な動きが出てくるという特徴がある。大国そのものを意識していなくとも、意識の底で大国と共通する感覚を持ち続けていると言うことだろう(その意味で平田派の考え、攘夷は未だ克服されていない)。
 
一方で尊王はそのまま残った。それゆえ、天皇を旗頭とする倒幕へと急速に進んでいったと言える。(大国の話は、次回もう一度やり直す予定〔時間切れではしょったため〕)。

Posted by hajimet at 22:03 | Comments (0)


2013年4月3日
ルネサンス

ルネサンス
1.背景
  十字軍
    教皇権の失墜
    国王、商人の伸張
    都市の伸張。これまでの都市と異なる「自治都市」の出現
     →都市は自由にする
 
     現実を肯定し、現実の生活が楽しいという商人層の出現する
      ◎神中心の中世の思考と合わない
         ⇒ルネサンス(文芸復興、ギリシア、ローマにヒントを求める)の背景
 
2.ルネサンスと人間中心主義
 人文主義者(詩、歴史、言語に関心、↔神文主義:教会、教皇、聖書)
  ラテン語文献の研究を通じたキケロのインパクト
    人間はロゴスで意思を交わすのだから、学問によって教養(humanitasu)を
     身につけることが必要。
 
  ペトラルカ:ラテン語文献を研究、近代登山の父(純粋に山が美しいから)。
  エラスムス:教会を批判した『愚神礼讃』→「宗教改革」へ
 
 互いに「市民」であるとことの自覚=「平等」の観念の発生。
    「自分がそう感じるなら、あなたもそう感じる」。
      →神の下での平等とは違う観念。

     「人間中心主義」の発生
      万能人
      絵画で遠近法の登場
       自分がそう見えるように貴方にも見えるはず。
 
        ダビンチ、「最後の晩餐」の遠近法:
         その焦点はイエスに向かっているように見えながら、微妙にそれている。
         イエスの背後に向かう(さりげなく焦点をずらす)
           →神中心の世界から離れきれない、中世から近世へパラダイムが
             変わるときで、あからさまに人間中心を表現できないから。
 
3.まとめ:近代思想の特徴
 ルネサンスや宗教改革を経た結果成立

 (1)人間中心:ボッティチェリ「春」は絵の中に「肺」の象徴を描き、人間中心をさりげなく表す。
 (2)個人の自由
 (3)合理的精神:経験と感覚を重視。実験と数学的思考。
    ダビンチ: 書物で自然を学ぶことは愚かだと言う。
           人間の肉体の解剖図を自分で作り、それに基づいて、
           人間を飛翔させようとしていた。
 (4)進歩史観:自然の征服と社会発展により人類は発展する
           この考えがあるから(是非は別として)原発は開発できた。
 
このあと、ベーコン、デカルトへ。

Posted by hajimet at 12:02 | Comments (0)


イスラム教とその影響

イスラム教とその影響
 
単元:イスラム教
    イスラム教 1時間
    その影響  0.5時間
 
導入:
 日本では馴染みが少ない
  アメリカの事件
  欧米の視点を経てイスラムのことが日本に流入するので、イメージが偏る。
 
  実際、分布範囲が広い。
       現在でも南アフリカに勢力拡張中(拡張中の宗教はあまりない)。
       中世はイベリア半島まで勢力圏んであった。
   →それだけ信仰しやすい宗教であると言うこと。
 
展開(1)イスラム教成立の背景とイスラム教
 
発祥地、アラビア半島:遊牧生活地域。部族ごとに多神教を信仰。
      部族同士の争いも多く、その解消が課題になっていた…@。
 
メッカ:(ハンマドの生地)東西交易の要衝。神殿があり、ムハンマド一族が支配。
      活発化した商業による金権支配の打破が課題…A。
 
   @、A庶民が平穏に暮らせる新思想が求められる(ムハンマドの時代)。
 
ムハンマド:40歳のころ、憑霊現象によって神の言葉を聞いたとされる。
        妻より預言者を自覚させられる。
        622年、一神教のユダヤ教の強いメディナに聖遷。その後630年にメッカに戻る。
 
イスラム教の特徴
 @絶対帰依(そもそもイスラムは「絶対神への帰依を」を意味する)。
    神(AL Lah=The God)は超越的な全知全能の唯一の神で、見ることが出来ない。
     →像崇拝は禁止
    (漫画…×、日本人形…×、場合によっては写真も。一方で、アラビア書道は発展)

 A万人平等
    アラーの前ではすべての人が平等。
 
B信徒の実践義務=六信五行
   六信
    唯一神(アラー)
    天使 ガブリエル(ジブリール)
    経典(啓典)
     モーセの五書
     ダビデの詩篇
     イエスの福音書
     クルアーン(完璧なもの、アラビア語のみ)
      →アラビア語だけだから、コーランを唱える地域はアラビア語が共通語になる。
        「啓典の民」:同じアラーの言葉を伝えられたユダヤ教、キリスト教。特別扱い。

特に五行の中で、礼拝、断食を中心に話す。
  メッカの方向の分かる方位磁針、
 今回のオリンピックが断食の時期に当たり、長老会議で許可が出た。
 
礼拝:「アザーン」を聞かせる。
 
展開(2):イスラム文化とヨーロッパ
 イスラム文化:様々な文化を取り入れたり、影響を与えることが出来る文化
   万物平等の思想から、イスラム圏を超えたところとの交易も可能になるから。
      中国から「アラジンと魔法のランプ」などが入っていった。
      日本にはイチジク、ザクロ、獅子、琵琶などが入った
 
ヨーロッパとの接触
    ウマイヤ朝
    十字軍(12世紀ルネサンス)、レコンキスタ
    ウィーン包囲によるトルコブームなど
  
    ・イスラム経由で様々な文化がヨーロッパに入る。
      ギリシア哲学、
      製紙(それまではパピルス、羊皮紙)、火薬、羅針盤、「ゼロ」など
       →印刷術、宗教改革、植民地化、大航海時代、代数学の発達
        イスラム圏で発達した錬金術=科学の発達。
 
    ・コーランでは音楽は禁止。
      しかし、アザーンの旋律性がヨーロッパ音楽の旋律に影響を与える。
        →これがなければ、ポップスは存在し得ない。
       トルコブーム:トルコの打楽器が入り込む。
        →これがなければ、現代のバンドは成立し得ない。
 
    ・ヨーロッパにない概念がヨーロッパに流入。
      アルカリ、アルコールのような単語がヨーロッパ言語に組み込まれていった。
       →これらがルネサンスにつながった。
 
次回は、そのようなルネサンスの思想背景。

Posted by hajimet at 11:41 | Comments (0)


日本仏教(鎌倉時代まで)

日本仏教
 
単元:仏教
本時:前回般若心経を通じて、仏教思想も日本化されていることを見た。そこで、本時では日本でどのように仏教思想が受け入れられていたか、本格的に日本仏教が展開する鎌倉仏教の入口までを見ることにする。
 
1. 6世紀に受容
   当初は藩神として受容される(蘇我氏と物部氏)=文化を豊にすることに繋がる
    …和辻哲郎:そのような日本の文化状況を「文化の重層性」という言葉で示した。
 
2. 聖徳太子
   十七条の憲法(凡夫)
   三教義疏(教義をまとめたとされる)
   「世間これ虚仮…」
    cf. 中宮寺
 
3. 奈良時代:鎮護(護国)仏教。
   この国は仏国土。王は仏陀(弥勒)の化身。律令制度とペアの考え
    聖武天皇(国分寺、大仏など)、鑑真(受戒制度)、南都六宗(仏教)。
      (この辺は新羅仏教と関連づけて話しても面白い…
      奈良の大仏が毘盧遮那ということは、韓国で主流の華厳経の影響)。
 
4. 平安時代:現世利益を求める仏教
   律令制の緩み→護国より現世利益を求める。対象も貴族から庶民へ。
    最澄:延暦寺を開き、独自の受戒制度(死後6日後に許可)、
         法華経を中心に「一切衆生悉有仏性」をとく
          なぜ法華経か→教相判釈〔の言葉は使わずに〕について解説)。
 
   空海:真言密教に基づき金剛峯寺を起こす。
        宇宙の原理を支配する大日如来信仰を行う(大日が出てきたら密教系)。
        「自然」と「宇宙」の融合を目指す感覚が日本にあった(教科書より)
 
5.仏教の土着化:
   (1) 神仏習合:神宮寺、修験道など
      本地垂迹説:仏陀が孔子、神として姿を変えて現れる=権現
               (余裕のあるクラスは「今昔物語」の編成)。
   
   (2)末法思想:社会不安→鎌倉仏教へ
      日本では1052年から末法とされ、藤原頼通はこれによって平等院鳳凰堂を建てる。
      鳳凰堂を池の中の島に建て、中には阿弥陀如来がいる。浄土信仰のあらわれ。
 
     不安の世に現世でなく、浄土にすがろうとしたが
     人が死ぬときは、大騒ぎして阿弥陀をお迎えしたと伝えられる。
 
     空也(阿弥陀聖)や源信(厭離穢土、欣求浄土):阿弥陀への帰依をとく、
     法然:「南無阿弥陀仏」のみ唱えれば良いという浄土宗を起こす。
     親鸞:した法然、浄土真宗を起こす。
 
     日蓮:日蓮宗
         末法の世、法華経に帰依し、「南無妙法蓮華経」を唱えれば良い
 
     浄土信仰:このころの東アジアに共通の信仰(唐、新羅の末期)。
     日蓮の思想:日本独自。
 
◎何れも大陸の複雑な教義を単純化したところに特徴がある。
  題目などを唱えれば「おのずから」救われるという日本の思想の特徴から来る
                                       (教科書より)。
 

Posted by hajimet at 11:15 | Comments (0)


般若心経(大乗思想と日韓での変遷)

般若心経
 
単元 仏教
     インド思想
     カースト制とバラモン教
     仏陀の生涯
     仏陀の悟りと原始仏教
     部派仏教よ上座部仏教
     大乗仏教(2時間)
     般若心経(大乗思想と日韓での変遷)…本時
     日本仏教(鎌倉以前)
 
目標。般若心経を読み下すことで、大乗思想(既習)がどう語られているかを確認すると共に、
    般若心経が日中韓各国でどう捉えられているか、
    特に日本でどう変容していったのかについて学習する。
     
1.導入
 「般若心経」の書いてあるプリントを配り、音を聞かせる。
 
2.展開(1) 
 摩訶般若波羅蜜多心経の解説:大乗思想がどう読み込まれているか。
  4世紀頃成立。
  観自在菩薩=観音がシャーリプトラに語る形式
    すべてが空であることを観音は悟ったが、それは色即是空ということである。
    六根も六境も六識も「無」であり、四諦も無云々を「漢文風に読みながら説明」
 
    菩提菩陀:般若波羅蜜によるため
       アノクタラサンミャクサンボダイ(この上ない悟り)を得る。
          三菩提:完全な悟り(三=完全〔英語のSum、菩提=悟り〕。
 
   この道は偉大なマントラ=真言であって、ギャテーを唱える。
 
まとめ
 ・そのための導入…プリント配布
 「般若心経」の構成をまとめたものと、「如是我聞」で始まる般若心経、絵文字の般若心経。
  サンスクリット版を一部聞かせ、
   本当にアノクタラサンミャクサンボダイとか、マントラとか、ガーテーと言っていることを確認。     
   日本の般若心経、韓国の般若心経を聞かせる(2クラスは盛りあがる)。
 
 ・日中韓で般若心経のとらえ方が異なる(仏教自体も違う宗教と考えた方がよい)。
    ・中国:禅として。
    ・韓国:仏教の真理を強調する経典として
     →禅の思想よりも、最高の知恵を生み出す功徳の経典と捉えられている。
    ・日本:(1)禅のため、(2)神道との融合、(3)マントラを強調した呪術として
 
日本の場合、
 (1) 経典を音読みで読む。
   中国ではある程度聞いていて意味が分かるが、日本ではわけの分からないもの。
   わけが分からない物を不思議なもの=「有り、難い」ものと捕らえ、
   ここに霊力があると考える(神道との融合)。
 
(2) 写経(日本独自のもの)、
   仏説=真理の書いてある般若心経自身が霊的な「パワー」を持つものと考える。
   書かれている般若心経自体が「パワースポット」なのである。
   だから、写経をしてパワーを受けることになる。
 
(3) マントラの呪術:
   夏のテレビで放映される除霊シーンで唱えられる経典=「般若心経」。
   これを唱えて霊を追い出す。
     →「般若波羅蜜多」の力に注目したもの(密教系の流れになる。)
 
次回:般若心経が日本では独自のものになったように、日本仏教の特徴は何か。
 

Posted by hajimet at 10:48 | Comments (0)


対抗宗教改革と隠れキリシタン(2012年度 倫理授業より)

「対抗宗教改革と隠れキリシタン」

 
科目:倫理(都立駒場高等学校2年3クラス) 1時間
単元:キリスト教
 
   ユダヤ教、
   イエス、
   イエスの死と原始キリスト教
   アウグスティヌス
   スコラ哲学
   本時(特別編、まとめ)
 
目標
 キリスト教が日本にもたらされた。これは対抗宗教改革(反宗教改革)の結果である。ザビエルらイエズス会によってもたらされるが、このことが日本にとって有利に働いた。一方で、キリシタン禁止令以降、信仰を保った人びともいたが、彼らの宗教は次第に「土着化」して変容していった。変容しつつ、原型を残すことなど、異文化の受容のあり方を、ザビエル、隠れきしりタンを通じて考えることにしたい。
 
1.導入
  中世のカトリックの腐敗(すべての権威が教会に、cf.トマス・アクィナス)

   →ルターの宗教改革(1517)。
     カルバンの予定説:商業、金融業をキリスト教の側から支える理論である

2.対抗宗教改革(反宗教改革)。

  カトリックの側の改革(1545 トリエント公会議)
  ルターの僅か二十数年後(1534)にイエズス会が設立。
    ザビエル(1506-1552):発起人7人のうちの一人。
 
 イエズス会:海外への宣教を考える。
   →南米、アジアへ進出(両者で異なる状況)。
     南米 :金が出る、インフルエンザで住民が死ぬ、強固な国がない→植民地
     アジア:強固な国(中国、朝鮮、日本)→「植民市」しか作れない(ゴアなど)

 ザビエル=自己犠牲の精神(トリエント公会議、自己救済参照)でゴアに行く。

        ゴアでヤジロウに会い鹿児島に上陸(ルターから40年たっていない)。
        平戸経由で京都まで行く(応仁の乱の混乱で天皇には会えない)。

 ザビエルは日本人を高く評価していた=植民地化への道を歩まなかった。

   他の異教徒と異なり偶像崇拝をしない
     ・神社:磐座などに神を下ろして(依り代)、供物を与えるなどして帰ってもらう
       =祟らずに守って貰う
     ・大日を信仰していた(最初、神を「大日」と訳した。のちに「デウス」に変更)。
       →ザビエルの誤解
 (くわえて)イエズス会は現地の習慣を重視ながら布教することが会の方針

3.日本におけるキリスト教の拡大

  西日本を中心にキリスト教は広まり、コレギオ、セミナリオ、南蛮寺が作られる。
  セミナリオではラテン語、音楽教育などが行われ、かなり成果があった。
  オルガンを含め西洋楽器はこの時期かなり日本に入ってきている。  
 
  →天正遣欧使節使ではローマ教皇の前で聖歌を完璧に歌っている(その歌を聞かせる)。
   …日本人にとって苦手とされる「ファ、シ」の音が正確に出せていると言うことにもなる。
 
    (雑談)明治のお雇い外国人メーソンは日本人にこの2音を出させることは
    絶望的だと悩んだが、そうではなかった。(今でも不安定な音)。
    小さいときから教えた結果だろう。
 
4.禁教
 禁教後の方向は3つある。(プリントを使いながら)
  (1)改宗
  (2)信仰維持(隠れて)。
    隠れた集団同士の接触はないし、新しいものは入ってこない。
    →自然に変質し土着化
      (例)葬式:お経を上げている脇で、お経の効果を消す「おらしょ」をあげ、
        十字架の様な形をした紙を持たせる。
         →それがどういう意味かは次第に分からなくなる。
 
      「おらしょ」のなかにはデウス、アベマリア、キリヤ、ケレドなどの言葉も残っている。
         →その意味は分からない(元の聖歌はかなり分かっている)。
         →これを唱えられないとおじいさんを祀ることも出来ないからと覚えるだけ。
         (「おらしょ」の一部を聴かせる)

 
 (3)イメージを残す。
    禁教になり聖歌を歌うことは出来なくなる。
    西洋楽器もキリシタンとの関係で完全に毀される。
    →琴など他の楽器で伴奏部分だけを演奏して、本来の曲をイメージする。
      (コード進行だけで本来の曲を連想するようなも>の)
 
    →そのうちに、聖歌というイメージは消え、伴奏だけが残る。
     ◎それを整理した曲が箏曲「六段」。
        (元の曲と、琴と重ねた演奏、六段を少しずつ聴かせる)。

5.まとめ
  結局、異文化と接触するときは変容して受け入れられる。
   (同じジーンズでも日本、韓国、中国では履きこなし方が違う)、
  キリスト教の場合、断絶を経ているから、大幅に変容し土着化する。
 
  その場合でも、「遺伝子」はどこかに残る。
 
最後に:ザビエルの夢、日本に法学、神学、医学部を供えた大学を作ること。
      →1928年に実現:上智大学
 
 

Posted by hajimet at 09:50 | Comments (0)