「対抗宗教改革と隠れキリシタン」
科目:倫理(都立駒場高等学校2年3クラス) 1時間 単元:キリスト教 ユダヤ教、 イエス、 イエスの死と原始キリスト教 アウグスティヌス スコラ哲学 本時(特別編、まとめ) 目標 キリスト教が日本にもたらされた。これは対抗宗教改革(反宗教改革)の結果である。ザビエルらイエズス会によってもたらされるが、このことが日本にとって有利に働いた。一方で、キリシタン禁止令以降、信仰を保った人びともいたが、彼らの宗教は次第に「土着化」して変容していった。変容しつつ、原型を残すことなど、異文化の受容のあり方を、ザビエル、隠れきしりタンを通じて考えることにしたい。 1.導入 中世のカトリックの腐敗(すべての権威が教会に、cf.トマス・アクィナス) →ルターの宗教改革(1517)。 カルバンの予定説:商業、金融業をキリスト教の側から支える理論である。
2.対抗宗教改革(反宗教改革)。 カトリックの側の改革(1545 トリエント公会議) ルターの僅か二十数年後(1534)にイエズス会が設立。 ザビエル(1506-1552):発起人7人のうちの一人。 イエズス会:海外への宣教を考える。 →南米、アジアへ進出(両者で異なる状況)。 南米 :金が出る、インフルエンザで住民が死ぬ、強固な国がない→植民地 アジア:強固な国(中国、朝鮮、日本)→「植民市」しか作れない(ゴアなど)
ザビエル=自己犠牲の精神(トリエント公会議、自己救済参照)でゴアに行く。 ゴアでヤジロウに会い鹿児島に上陸(ルターから40年たっていない)。 平戸経由で京都まで行く(応仁の乱の混乱で天皇には会えない)。
ザビエルは日本人を高く評価していた=植民地化への道を歩まなかった。 他の異教徒と異なり偶像崇拝をしない ・神社:磐座などに神を下ろして(依り代)、供物を与えるなどして帰ってもらう =祟らずに守って貰う ・大日を信仰していた(最初、神を「大日」と訳した。のちに「デウス」に変更)。 →ザビエルの誤解 (くわえて)イエズス会は現地の習慣を重視しながら布教することが会の方針
3.日本におけるキリスト教の拡大 西日本を中心にキリスト教は広まり、コレギオ、セミナリオ、南蛮寺が作られる。 セミナリオではラテン語、音楽教育などが行われ、かなり成果があった。 オルガンを含め西洋楽器はこの時期かなり日本に入ってきている。 →天正遣欧使節使ではローマ教皇の前で聖歌を完璧に歌っている(その歌を聞かせる)。 …日本人にとって苦手とされる「ファ、シ」の音が正確に出せていると言うことにもなる。 (雑談)明治のお雇い外国人メーソンは日本人にこの2音を出させることは 絶望的だと悩んだが、そうではなかった。(今でも不安定な音)。 小さいときから教えた結果だろう。 4.禁教 禁教後の方向は3つある。(プリントを使いながら) (1)改宗 (2)信仰維持(隠れて)。 隠れた集団同士の接触はないし、新しいものは入ってこない。 →自然に変質し土着化。 (例)葬式:お経を上げている脇で、お経の効果を消す「おらしょ」をあげ、 十字架の様な形をした紙を持たせる。 →それがどういう意味かは次第に分からなくなる。 「おらしょ」のなかにはデウス、アベマリア、キリヤ、ケレドなどの言葉も残っている。 →その意味は分からない(元の聖歌はかなり分かっている)。 →これを唱えられないとおじいさんを祀ることも出来ないからと覚えるだけ。 (「おらしょ」の一部を聴かせる)
(3)イメージを残す。 禁教になり聖歌を歌うことは出来なくなる。 西洋楽器もキリシタンとの関係で完全に毀される。 →琴など他の楽器で伴奏部分だけを演奏して、本来の曲をイメージする。 (コード進行だけで本来の曲を連想するようなも>の) →そのうちに、聖歌というイメージは消え、伴奏だけが残る。 ◎それを整理した曲が箏曲「六段」。 (元の曲と、琴と重ねた演奏、六段を少しずつ聴かせる)。
5.まとめ 結局、異文化と接触するときは変容して受け入れられる。 (同じジーンズでも日本、韓国、中国では履きこなし方が違う)、 キリスト教の場合、断絶を経ているから、大幅に変容し土着化する。 その場合でも、「遺伝子」はどこかに残る。 最後に:ザビエルの夢、日本に法学、神学、医学部を供えた大学を作ること。 →1928年に実現:上智大学
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