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2018年3月27日
チェコ・韓国旅行(12) 終了
取り敢えず、帰国前の夜。
抜いた親不知の破片が「生えてきた」事件を除いて大過なし。
歯(実は骨)が舌に当たって、プラハの2,3日は痛くて話ずらかった。

チェコ、スラヴの歴史、言語はこれから勉強するとして、ゲ
ルマンとスラヴの交錯する面白い地域だと言うことが分かった。

そして、中国に行ったとき以上に、日韓がよく似た国だということを改めて認識した。
西洋から来たら、食べ物の味以外の違いは気がつきにくいのではないかとすら思った。

ついでに、ドイツ語と英語、ブロークンで何とかなることも分かった。
「ドイツ語の勉強をしているから、ドイツ語のパンフレット頂戴」と言ったときに
ニコニコしてパンフレットをくれたのは本当に嬉しい。

また、話したことに英語で答えてくれたのも嬉しい。
もちろん、通じない方が多かったけど。

一方、韓国語は意識的に封印。Is there a Book 입니까?とやりたくなる。
I seeというつもりが네, 알겠습니다とやってしまったり…。
それを止めようとすると、英語の前にドイツ語が出てきて大慌て。

やっかいなことに、韓国語のYesは네(ネ)、チェコ語はアーノ。
韓国語のNoは아뇨(アニョ)。チェコ語はネー。
無意識でネー、ネーとやっていたので、向こうの人にはNo,No,と聞こえたはず。
怪訝な顔をしていたわけだ。

ともかく意識的に韓国語を封じていたので、
ソウルに着いたら楽に韓国語が話せること。普段以上にスラスラ言葉が出てきた。

ところで、今回印象的だったことはチェコとドイツの国境を越えたこと。
雰囲気ががらりと変わった。かといって断絶よりも連続も感じた。

日韓の違いも、実は違いと連続ではないか。
そうだとすると、チェコ、ドイツの違いとどう差があるのか
ケーススタディになると思った。

また神聖ローマ帝国、ハプスブルグなどとの関係から、ドイツ語が優勢だった中で、
チェコ人の民族意識が形成された。
チェコ人とフス派が結びつく時期もあって、
カトリックが強化されたときに失郷民となった人が多く出た。

国民意識の高まりと共に、戦後、多くのドイツ人が失郷民になった。

この谷間にあったのがカフカ。ユダヤ人のドイツ語話者。
ドイツ語で作品を発表したから、チェコ人からは見向きもされない。
ナチスの時代は当然評価されず、思想的に合わないため共産主義時代も無評価。
民主化後チェコで評価されるようになって、我々の評価とかなり異なるようだ。

カフカ博物館ではチェコ語より英語、
英語よりドイツ語の分量が多いことが印象的だった。

この辺のことが日韓のこととパラレルに見える。
在日の学校の文化、朝鮮語で書かれた作品が朝鮮語がわからない話者に
どう受け止められるかなど、多くのヒントを得たように思った。


時差ぼけ、身体を動かしていれば大丈夫。
止めると落ちる。一瞬の判断ミスは結構多く、注意力が落ちていることは分かる。
生理現象だからしょうがない。

飛行機の中でも行くときは寝ている人が多かったが、
帰りは着陸数時間前(ヨーロッパ時間で0時ころ)から寝る人が多かった。

新しい視野を広げさせてくれたと共に、
日韓をより深く見るきっかけになったように思う。
チェコ、韓国、ともに刺激的な旅行だった。

実は撮影ミスなのだが、意外と幻想的な写真が出来た。
8ミリ映画のような…戦前の彩色絵はがきのような…。

















旅のシメ。自分への土産。
Posted by hajimet at 11:36 | Comments (0)

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