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2005年6月20日
演奏会(2)ブルックナー交響曲第7番

さて、2曲目はブルックナーの交響曲第7番。
実は、体調が万全でなく、ゲネプロでばてていた。しかも咳止めを飲んだら、案の定…。
 
1楽章。比較的早めのテンポで始まる。出だしは、チェロが情感たっぷりに、しかしながら歌いすぎない程度に曲をはじめていた。ようやく吹くところ、ホールの響きの関係で、自分の吹いている音は聞こえるが、まわりの音は意外なほどに聞こえない。この曲はシャープの臨時記号がやたら多く、吹く直前に音を確認するのだが、「あれ」と思うところも(いい訳だが、CDでも結構半音間違えている演奏に出くわす)。中間部も比較的うまく流れ、最後まで。
 
2楽章も比較的早めのテンポであるが、普段の練習より心持ち遅く進行していった。ワグナーテューバの出だしから綺麗に行く。しかし、吹きにくそうな楽器だ。4台とも響きも、音程の取りやすさも違うように聞こえる(後で聞いたら、音のツボがなくて合わせづらいとのこと)。あまり他で使われることがなかったことも分かるように思う。中間部も何とかこなして、最後の部分。ワーグナーへのオマージュも綺麗だった。コントラバスのピッチカートなどほぼうまくはまっていたようだ。
 
3楽章。あとからトロンボーンがあおっていたと指摘された。テンポ指示を変更した部分は多少、変更前の余韻が残っていたようだったが、何とかクリア。中間部はぐっとテンポを落として、ゆっくりと歩みを進めていた。
 
4楽章。まもなく終わり。そろそろ頭の中には終わった後のいろいろなことが抽象的なものから、具体的なものに変わってくる。緊張感のせいか、妙に疲れているし、喉も「かなり」乾いて来たからだ。
 
始まって3分の1ほど進行したところのコントラバスのピッチカートは、綺麗にはまっていた。ここはいろいろな演奏を聴いても、走り気味になる場所なのだが、本番は気にならなかった。譜面上でBreitとなっているところは、練習の時から4拍でしっかり演奏することを意識させたかったようだが、本番直前の練習からかなり強調していて、2拍でカウントするところと対比を明瞭につけていた。吹いていても、目の端にしっかり指揮を意識しながら吹いていた。
 
ホールの響きはよいようで、時々聞こえてくる残響はとても気持ちの良いものだった。しかし、舞台の構造のせいか、特定のパートだけ生の音が聞こえてきたり(トロンボーンの所ではコントラバスがそうだった)、本当に合わせる必要のある隣の人の音がよく聞こえてこないなど、最後まで不安な演奏だった。隣の音が聞こえてきて、はじめて自分の音量などバランスが調整できるからだ。
 
終演後ざっと目を通したアンケートを見る限り反応は良かったようだ。一方吹いている側からは多くの反省点があった。より練習を重ねて先に繋げたいものである。

Posted by hajimet at 21:26 | Comments (2)


演奏会(1) エルガーチェロ協奏曲

6月19日(日)、星陵フィルの演奏会が行われた。場所はミューザ川崎。
以前BBC交響楽団の演奏でメンデルスゾンのバイオリン協奏曲とホルストの惑星を聞いたところだ。

そのときは舞台下手脇で聞いていたが、ホールの響きのわりに演奏しにくいホールだという印象を持っていた。

さて、当日、団員の楽器に思わぬアクシデントがおきるということもあったが、何とかゲネプロも終了。開場もはじまり、ロビーでは木管五重奏のロビーコンサートが良い雰囲気で行われていた。
時間になり、曲の開始。1楽章。練習のときよりもゆったりしたテンポで曲が進んでいた。思わず「いいじゃん」などと思い演奏していた。

2楽章。これは吹きにくい楽章だ。拍の頭とチェロのメロディーの頭が半拍ずれるというもので、ただでさえソロとオーケストラがずれて聞こえる楽章である。しかも早くて細かい。その中にポツン、ポツンと各パートが1音ずつはいるので、数えにくいし演奏しにくいことこの上ない。結構アシは出ていたみたいだが、ほぼ曲は進んでいった…冷や汗箇所もあったが、客席では目立たなかったみたい。

3楽章。4楽章は何とか最後まで進んでいった。3楽章はトロンボーンの出がないため、本当にゆっくり聞いていられた。4楽章も何とかだったが、というより、入りを間違えないようにするほうが大変で、他のパートを聞いている余裕がなかったということが正しいかも知れない。特にソリストとの関係でその都度テンポが異なる場所が多く、緊張の連続だったのだ。

でも、チェロのソロを間近で、しかもホールの間接音で聞けたので、とても情感あふれて響きの豊かなものに感じられた。舞台で聞いている醍醐味かも知れない(次に続く)。

Posted by hajimet at 21:13 | Comments (0)


2005年6月1日
東福寺(2)

塔頭を眺めながら東福寺へ向かう。13世紀の寺である。

途中路の向こうにトンネルのようなものが見えてきた。臥雲橋という木で造られた橋で、屋根がついていたためにトンネルのように見えたのだ。かなり深い谷で、一面カエデが植わっていた。

行ったときは新緑というにはちょっと遅かったが、さぞかし綺麗だっただろうとおもわせる風景だった。もちろん、モミジも楽しみ。

橋の向こうにもう一つ木の橋が見える。こちらは東福寺境内の橋で、本堂のあるところから寺を開山した僧侶を祀る開山堂へとつなぐものだ。名前を通天橋という。

臥雲橋から通天橋をみると、まるで木々で作られた雲海の上に橋が浮かぶように見えるが、通天橋から臥雲橋を見ると緑に埋もれたトンネルのように見える(写真は通天橋よりみた臥雲橋)。

開山堂のまわりには、ツツジがさく庭園と石庭が並べて作られるという面白い配置をしていた。開山堂も面白い建て方がされていて、その2階に納められている布袋和尚の像は、伏見人形の源になっているとパンレットは書いていた。

本堂を中心とした伽藍配置は戦国時代に作られた三門から南北一直線にならんだものである(塔はない)。

それらを見て、カワセミが羽繕いしている池をとおり、裏へ回る。創建当時の十三重の塔や神社があったが、その麓に「維新戦没者供養碑」が立っていた。篆額は山県有朋、文選は三浦悟楼である。

東福寺に続き、新那智山今熊野観音寺を拝観し、続いて泉湧寺を訪ねる。孝明天皇までの菩提寺で天武天皇以来の位牌がある。なぜか天智系の位牌がないとも言われる。本堂は谷底にあり、その裏手は歴代天皇皇后陵や皇族の墓所となっている。

泉湧寺に入りすぐ左手に楊貴妃観音堂と宝物館がある。楊貴妃観音は13世紀に中国から持ってきたもので、とてもふくよかな仏像である。

宝物館では孝明天皇の遺物点などをやっていた。孝明天皇は30代半ばでなくなり、泉湧寺で葬儀を執り行った最後の天皇である(孝明天皇から仏式でなくなった)。そこに展示されている夜具は、とても湯愚とは思えないものであった。袖つきのかい巻き風のものであるが、若草色の地に金で模様が織り込まれていて、外着や晴れ着に使えそうなものなのだ。

そんなものを見た後、京都駅へ歩いた。途中新熊野神社(いまくまの神社)、三十三間堂を眺めながら15分ほどの距離だった。

Posted by hajimet at 23:10 | Comments (1)


京都東福寺(その1)

5月28日は大阪で韓国語の教員の会合に出た後、御幸森通り近くの焼き肉やで懇親会を行う。

この近くは平野川の開墾と、戦前、済州島からの連絡船が来た関係で在日が多い。
もっとも百済の時代から渡来人が住んでいたという記録もある。
商店街には釜山弁で오이소,보이소,사이소とかき、下に大阪弁で「来てえな、見てえな、買うてえな」と書いてあるとても郷土色あふれるものだった。
 
翌日京都へ向かう。特に見るものは決めていない。駅で「特別拝観」を聴いてから決めようと思ったが、珍しくほとんど終わりだった。で、観光地図と韓国語のバスの乗り換え案内をもらって、奈良線で一駅のところにある東福寺へ。
 
特に期待はしていなかったが、これがすごい。まず塔頭がものすごく多い。その中で霊雲院へ入った。石庭を見せてもらえるというので中に入った。

庭の中央には細川家から送られたという遺愛石が台と石船に乗っておかれていた。石船が力強く進むように庭の砂利は力強い波形を描いている。
 
今まで見たどの石庭よりも波がはっきり描かれている。庭は二面だが、片方は九山八海の庭と名付けられ、遺愛石が中心に、もう一方は臥雲の庭としていずれも力強い庭となっている。
 
さて、本堂を眺めると、ガラスケースが。よく見るとバイオリンやバラライカがある。

東福寺は日露戦争の時、ロシア人捕虜が収容されたところ、彼らがバイオリン、バラライカ、タンバリンなどを自分たちで作て演奏していたそうだ。帰国するときに寺においていったものを展示されている。ニスもかからず白木の粗末なものだが、木の組み合わせなど作り慣れた人がいたのではないかと思わせるものだった。
 

Posted by hajimet at 21:41 | Comments (0)