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2005年6月1日
京都東福寺(その1)

5月28日は大阪で韓国語の教員の会合に出た後、御幸森通り近くの焼き肉やで懇親会を行う。

この近くは平野川の開墾と、戦前、済州島からの連絡船が来た関係で在日が多い。
もっとも百済の時代から渡来人が住んでいたという記録もある。
商店街には釜山弁で오이소,보이소,사이소とかき、下に大阪弁で「来てえな、見てえな、買うてえな」と書いてあるとても郷土色あふれるものだった。
 
翌日京都へ向かう。特に見るものは決めていない。駅で「特別拝観」を聴いてから決めようと思ったが、珍しくほとんど終わりだった。で、観光地図と韓国語のバスの乗り換え案内をもらって、奈良線で一駅のところにある東福寺へ。
 
特に期待はしていなかったが、これがすごい。まず塔頭がものすごく多い。その中で霊雲院へ入った。石庭を見せてもらえるというので中に入った。

庭の中央には細川家から送られたという遺愛石が台と石船に乗っておかれていた。石船が力強く進むように庭の砂利は力強い波形を描いている。
 
今まで見たどの石庭よりも波がはっきり描かれている。庭は二面だが、片方は九山八海の庭と名付けられ、遺愛石が中心に、もう一方は臥雲の庭としていずれも力強い庭となっている。
 
さて、本堂を眺めると、ガラスケースが。よく見るとバイオリンやバラライカがある。

東福寺は日露戦争の時、ロシア人捕虜が収容されたところ、彼らがバイオリン、バラライカ、タンバリンなどを自分たちで作て演奏していたそうだ。帰国するときに寺においていったものを展示されている。ニスもかからず白木の粗末なものだが、木の組み合わせなど作り慣れた人がいたのではないかと思わせるものだった。
 

Posted by hajimet at 21:41 | Comments (0)

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