« 2006年6月 | Main | 2006年8月 »


2006年7月30日
夏のソウル2
2日目。天気は多少良かったが、蒸している。
その中、西橋(ソギョ)洞へ向かった。ホテルから地下鉄6号線で合井(ハプチョン)まで行き、そこで2号線に乗り換えて一駅である。2号線の合村駅は、東京の南北線と同じくホームと線路の間がガラスで仕切られ、列車の扉とホームのガラス扉が連動するようになっていた。

地下鉄2号線弘大(ホンデ)入口で下車。この町は美術系の弘益大学があり、アートの町として知られている。今のホテルに泊まるようになる前はここの西橋ホテルに止まっていたので、懐かしい町でもある。

さて、以前韓国の絵本を見ていたときに、この付近を舞台にした絵本を見つけたことがある。子供が飼い犬とはぐれ、探し回るという話で、韓国版「ウォーリーを探せ」といえるような内容だった。その中に、あたかも鉄道の廃線跡が市場になったような町の絵があった。道のカーブの様子がその「臭い」を醸し出しているのだ。その後、Suッkaraという雑誌を読んでいて、そのカーブの理由が分かった。

それは、西橋洞365番地。唐人里にある火力発電所へ石炭を運ぶ線路沿いに作られた町だった。地図を見ると、ソウル駅から都羅駅方面へ向かう京義線からの引き込み線よろしく、弧を描かれた道路がある。これがそれだったのだ。町の中の地図では「歩いてみたい道」として赤く色づけられている。京義線のほうは、弘大入り口の駅から北を見ると、すぐ目の前に踏切が見えていて、直進している。以前は1時間に一本普通列車が走るだけの線路で、近くを走る地下鉄が頻繁に走るのに対して、ローカル鉄道然としていた。しかし、KTX開通後はソウルから京義線にはいるKTX列車が日に何回かここを通過しているはずだ。

実際に行ってみた。何のことはない。昔、西橋ホテルの裏で見かけた駐車場がそれだった。道路の真ん中に車一台分とまれる駐車場が延々と続いていて、不思議な光景だと思っていたところだ。友達に連れられてトッポギを食べた屋台街のあった道がそこだ。トッポッギにインスタントラーメンの麺と御飯まで入る、炭水化物大集合状態であったが、それをまわりの学生が美味しそうに食べていた。結局線路跡を駐車場にしたということだった。その駐車場は公園になったり、遊歩道になったり千変万化である。

途中の建物は、線路跡と思われる駐車場沿いに一列に並ぶ、線路沿いは比較的最近扉が作られたようで、古くからの入り口は道路の反対、元の土手の下側開けられている。建物の切れ目を見ると、土手の傾斜の所に建物を建てて、傾斜の部分を瓦石などで埋めた跡が見られる。

ここが学生街のせいか、やたら「居酒屋」が目についた。日本語で表示があり、それぞれ「ももたろう」「うまい」「勝負」「おしゃく」「おやおや」などの名前がついている。共通に見られるのは、提灯がぶら下がっているところだ。多くは赤提灯だが、そうでないところもある。ハングルで書かれている白提灯の店もあったが、そこは韓国語で「清酒専門店、トッケビ(鬼)」と書かれていた。ほかにも「カレーコロッケ」を出す店とか、ともかくひらがなが溢れていた。

もちろん、韓国の店の方が多い。中には「独島(竹島)はわが領土、チャミスルは吾等が酒」などという広告を出す店もある。韓国はこの手の広告が多く、「停止線は良心線、安全ベルトは生命線」などの語呂を合わせた宣伝文をよく見る。

昼食後、国立中央博物館へ向かう。「平壌から来た遺跡」展をしていて、旧跡以降、高句麗、高麗などにわたる遺物を多く展示していた。なかでも開城の高麗初代太祖の陵から出てきた太祖像は圧巻だった。他にも弥勒菩薩広開(国王56号の方)、高麗の墓碑、大東輿地図反義などの多くの企画展が行われていた。

翌日(26日)は朝からお土産買いに南大門市場などへ。国立韓国銀行前のロータリーが春から夏の間に突然廃止になり芝生が覆われ、一部横断歩道で反対側に渡れるようになっていたことに驚いた。ここの地下道はいつ歩いても迷うところだったのだ。

帰りの飛行機は事前の「離陸後、20分ほどは梅雨前線の影響で大きな揺れが予想されます」というアナウンスの通り大揺れだった。言葉を聞いて覚悟するほどはいつもは揺れないのだが、今回は例外であった。
Posted by hajimet at 20:16 | Comments (0)


2006年7月28日
夏のソウル1
7月24日から26日までソウルへ行った。羽田−金浦便のため、初日はお昼頃から、帰宅日は夕方遅くまで時間を使うことが出来、実際は3泊とそれほど変わらない密度である。

初日は書店で本を買い込み、その後知人に会う。合流した後、夜に避馬コルへ行った。鍾路の大通りの一本裏の細い路地で、朝鮮時代高官が通る鍾路の通りを避けて人々が通ったため、この名前で呼ばれる。道沿いには小さな食堂が連なる。そのうちの一軒に入った。

入り口にショウケースがあり、そこにハツ、センマイ、銀杏、スズメ、ホタテの貝柱などの串刺しが展示されていた。ここでつまみを選び焼いてもらう式である。ホタテの貝柱は「カイバシ」で通じる。

飲み物は「ひれ酒」である。これも「ヒレザケ」で通じるので、日本時代に入った者であろう。よその日本料理店で、韓国人が冬になるとよく飲むという話を聞いたことがある。頼むと薬缶に温められたお酒を入れて持ってきて、カップに注ぐ。注ぐときにライターで酒に火をつけながら注がれる。まるでフランベ状態だ。日本では、「ふぐひれ」の臭みをとるために、注がれた後にマッチで火をつけるのだが、注ぐときに火をつけてもアルコールが飛ぶだけのように思うのだが…。

ひれはおそらく「エイヒレ」である。少々生臭い。このとき飲んだカップは面白かった。二重底になっていて熱が直接伝わらないようになっている。底に穴が開いているので、空気が上手く対流するように工夫されているのだ。二重底はかなりの上げ底で、一見2合カップだが、実際は8勺位しか入らないように思われる。

ここで飲んでから、ナクチポックム(タコの辛味噌炒め)を食べに行った。こちらでは御飯も一緒に出てきて、ピビンバップにして食べるように技術指導された。ただ、混ぜ御飯にしてタコのまわりについているトウガラシ味噌が落ちると、そこに残るのはタダのタコであった。タコにはあまり味がしみないためである。

Posted by hajimet at 17:39 | Comments (0)