佐賀県に残る、文禄慶長の役の跡を見に、佐賀へ行く。 新幹線と特急を乗り継いだ。 佐賀平野はただただ平ら。縄文海進時に有明海の底になったところで、 その後の海退で干潟が干上がったからだという。 干潟の澪筋が水路になっていて、非常に細かいクリークが発達している。 佐賀駅で降りて、タクシーで金立山麓の高麗人逆修碑を見に行く。 20分ほどの距離。 有田焼の祖、李参平が最初に窯を開いたあたりとも言われている。
.jpg) 山の麓の畑の中だが、表示はない。しかも、猪除けに囲まれた所にあった。 この地域は徐福伝説があるところでもある。 タクシーに乗ったついでに、市南部の筑後川に架かる昇開橋を見学。 もと佐賀線の廃線跡で、筑後川の中央部分の橋が上下する。
.jpg) .jpg) 橋のたもとには徐福像もあった。 再びタクシーで市内に戻る。阿弥陀寺で洪浩然の墓を見る。 洪浩然は文禄慶長の役の時に鍋島直茂に連れてこられた人で、 京都五山で学んだ。その後勝茂に使えた。その文字は「こぶ浩然」として 知られ、「英彦山」の銅鳥居の額なども書いている。 晩年、朝鮮へ帰郷する許可が下りたが、唐津港で呼び戻され、帰国を断念。 1637年、勝茂死去のときに追い腹を切った。
.jpg)  その後、県立美術館、県立博物館を見学。唐人町を歩いてホテルに向かう。
.jpg) 唐人町は文禄慶長以前に日本に来ていて、1591年に佐賀藩に召し抱えられた 李宗歓に与えられたところ。文禄慶長の役の時には通訳として朝鮮に渡っている。 墓の隣には、李宗歓が朝鮮から連れ帰ってきた朝鮮人のひとりである 九山清道の墓もある。九山清道は鍋島更紗の創始者として知られる。
.jpg)  唐人町には李宗歓を祭る東人神社もある。 鳥居は肥前鳥居。
 佐賀は恵比寿信仰の盛んなところだが、 なかには、文禄慶長の役の時に、 黒田藩が鍋島藩の様子を探るために送ったという恵比寿もあった。
.jpg) 町中でおひな様の展示が行われていた。
.jpg) .jpg) 夜は有明海の珍味と刺身で一献。
 
 
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