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2016年2月28日
佐賀、朝鮮紀行 その1(2016年2月24日)

佐賀県に残る、文禄慶長の役の跡を見に、佐賀へ行く。
新幹線と特急を乗り継いだ。
 
佐賀平野はただただ平ら。縄文海進時に有明海の底になったところで、
その後の海退で干潟が干上がったからだという。
干潟の澪筋が水路になっていて、非常に細かいクリークが発達している。
 
佐賀駅で降りて、タクシーで金立山麓の高麗人逆修碑を見に行く。
20分ほどの距離。
 
有田焼の祖、李参平が最初に窯を開いたあたりとも言われている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山の麓の畑の中だが、表示はない。しかも、猪除けに囲まれた所にあった。
この地域は徐福伝説があるところでもある。
 
タクシーに乗ったついでに、市南部の筑後川に架かる昇開橋を見学。
もと佐賀線の廃線跡で、筑後川の中央部分の橋が上下する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
橋のたもとには徐福像もあった。
 
再びタクシーで市内に戻る。阿弥陀寺で洪浩然の墓を見る。
洪浩然は文禄慶長の役の時に鍋島直茂に連れてこられた人で、
京都五山で学んだ。その後勝茂に使えた。その文字は「こぶ浩然」として
知られ、「英彦山」の銅鳥居の額なども書いている。
 
晩年、朝鮮へ帰郷する許可が下りたが、唐津港で呼び戻され、帰国を断念。
1637年、勝茂死去のときに追い腹を切った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、県立美術館、県立博物館を見学。唐人町を歩いてホテルに向かう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐人町は文禄慶長以前に日本に来ていて、1591年に佐賀藩に召し抱えられた
李宗歓に与えられたところ。文禄慶長の役の時には通訳として朝鮮に渡っている。
 
墓の隣には、李宗歓が朝鮮から連れ帰ってきた朝鮮人のひとりである
九山清道の墓もある。九山清道は鍋島更紗の創始者として知られる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐人町には李宗歓を祭る東人神社もある。
鳥居は肥前鳥居。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐賀は恵比寿信仰の盛んなところだが、
なかには、文禄慶長の役の時に、
黒田藩が鍋島藩の様子を探るために送ったという恵比寿もあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町中でおひな様の展示が行われていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夜は有明海の珍味と刺身で一献。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

Posted by hajimet at 12:31 | Comments (0)

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