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2018年3月25日
チェコ旅行(5) 2017年3月28日
朝食。インターバル。














「朝いち」でストラフ修道院。
哲学の間、神学の間(いずれも図書館)の装飾がすごい。

幕末、初めて渡欧した人たちは、このような物を見てどう感じただろうか。
感じたことが文明開化に繋がったことは事実だが、それに対する疑問である。

個人的には文化背景が違いすぎて消化できない。
ヨーロッパ発のものが仕事、趣味の主体なのだが、
「こういうことだったのか」ということが正直な気持ち。

志賀直哉が日本の言葉をフランス語にしようといったり、
漢字は後れているからローマ字にしようという動きが、
いかに浅はかなものだったか強く感じた。


















最初にここに行った目的の一つは鐘の音を録音することだった。
静かな環境で録れると思ったら、鐘の音と共に工事の音が…。
こちらの人にとっては単なる時報・生活の音でしかないのだろう。


午前の2番目に聖ヴィート寺院。
ゴチック建築で、あらゆるものが天を志向している。
また、ステンドグラスと光…。「神」を感じる。
神が輝いていて、光が注ぐのだから。

…東京でも韓国でも同じ景色は見られるのだが、何か違う。
チェコで見ているためか、根本的に違うのか?

入場まで20分ならぶ。
自分の前後には中国人の団体、前が韓国人の団体。
韓国人の団体が礼儀正しく見えた

…韓国に行くと余り感じないのだが、
中国人と比較すると、日本人と韓国人はよく似ていると思う。
中国に行ったときに感じたことを、チェコで再確認した。




















叔父に会う予定が出来て、12時に一旦ホテルに戻る。
午後、旧市内散策。フス像を中心に。イースターの準備も始まったよう。



















市民会館見学ツアー。英語だが聞き取りやすい。
スメタナホールもコースに。
こういう絵に囲まれて演奏を聴くのかと思った。

ほかいくつかの部屋を回るが、
メインは「市長の間」。

ここはムハ(ミューシャ)の絵で満たされている。
特にフスを見たかった(これの元絵はこのとき東京に来ていた)。

予約チケットを見せて、撮影許可のチケットを買ったのに、
なぜか元チケット消滅。
買い直しましょうか?とガイド氏に言ったが、
最終的にOKとなって事なきを得た。



















聖ミクラーシュ教会でミニコンサート。約1時間。
バッハ、ヘンデル、メンデルスゾン、ドボルザークをオルガンとアルトで。
とはいっても客席(礼拝席)からは見えない。
後方上にあるオルガンで演奏。

音が上から響き合いながら降りてくる。
色々な方から包まれる。
細かい動きは響きと時差で混ざり合い
パッセージがどうなっているかはよく分からないが、
混ざる故に、かえって旋律線が浮かび上がってくる。発見だ。
バッハはその辺も計算しているのではないかと思った。

神はスッと降りてくるのではなく、
少しずつ、少しずつ降りてくるのだ。そんなことを感じた。

こういう演奏を、
礼拝の時に、しかも目の前にはイエスの絵を見ながら聞くのだから、
自然と音と絵が「神」と結びつくのだろうなと思った。



















教会の前の広場などあちらこちらで思い思いの辻音楽。
見たことのない楽器も(旧市街の広場にて)。
王宮前の民謡風の歌のフルートと、旧市街広場のサックスは上手かった。


















夜、プラハ市交響楽団で
ペールギュント、ブルッフの交響幻想曲、ドボルザークの交響曲第8番。
ソロ:Mikhail Ovrutsky 指揮:インキネン。ホールはスメタナホール。

前2曲の弦が弱音器を付けたような響き、管も渾然一体と響く。
ブルッフは良かった。そして、アンコールのタイスの瞑想曲。うねるような演奏。

ドボルジャークは、響きが全然違った。
トロンボーンも最初のコラールが、チェロと対等に聞こえ、
かつ歌っていたのが印象的だった。

そして、展開部にはいってF(ff?)でもり上がるところ。
ただ強くなる演奏が多いのだが、
段差があってむやみに強くなるのではなく、
あくまでも前からの旋律の続き、
低音からバランス良く鐘が響くように音楽を支えていた。

つまり、そのあとの疾風怒濤のような展開のスタートでなく、
飽くまでもそれまでの集大成に響いていた。
音の強弱、楽譜の指示が全部意味を持って、
文脈に反していないことがよく分かる演奏だった。

トロンボーンの音色の変化も素晴らしく、
コラール、ソロ、オケの支えで全然響きが違う。
最後の15小節の部分、最初2小節は旋律の響きで吹き、
次の小節からは支えにパッと変わる。
こういう吹き方が出来ると良いなと思う使い分けだった。

客席は静かではない。色々な音が聞こえる。
でも聴いている人は楽しんでいることが分かる。
休憩も社交の場であることがよく分かった。

しかし…タイミングは大事。

ブルッフの最後のパウゼで盛大に一発咳をした人(不満なのかと思った)、
一部アンコールの幻想曲で、最後のトゥッティの直前にものを落とした人、
極めつけはドボルザークの2楽章の真ん中、
静かにコントラバスが演奏している部分で
カカオトークの着信音を流した人…。

歌舞伎ならもの凄い絶妙な合いの手。
一斉に笑いが出ていました。




















買ってきた酒。スリヴォビッツ。
ドボルジャークがこれを飲み過ぎて、
譜面に間違いが多い云々と、高校の時の指揮者が語っていた。
ほんのり甘くて飲みやすい。でも30度。
朝が怖い(今0時10分。日本時間7時10分)。
Posted by hajimet at 17:11 | Comments (0)

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