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2013年11月30日
ハングル書道

11月29日:日比谷高校
ハングル書道。宮体、版本体を練習させたのち、作品を提出させた。
ハングル・デザインも提出させた。
 
黒板に右側からストーリーになるように並べて張り出し、鑑賞しているところ。

Posted by hajimet at 09:04 | Comments (0)


紅葉がピーク

11月27日。浜田山にて。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 08:59 | Comments (0)


数字を使ったゲーム

日比谷高校。11月23日。
漢数詞、固有数詞の定着。
 
数字を使った対話練習をしながら、新しい方法を思いついた。
 
・生徒に3つの文章を作らせる。疑問文で、「学校に行ったのは何時ですか」というもの。
 時間か月日を聞くことと、過去形を使うことが条件。
 
表向きは月日、時間を答えさせることだが、
実際の狙いは、過去形と、数字を定着させること、基本的な動詞を使わせること、
助詞を適切に使わせることにある(かなり欲張りな隠れテーマ)。
 
文章を作らせた後、こちらで文を確認してから活動に入る。
 
AがBを指名して、○○ッシと呼びかけ、質問をさせる。
Bは質問の意味を理解して答えなければならない。
 
本人にとっては未知の単語が投げかけられるため、こちらで補助して導く。
たとえば몇 시간という問いが出てきたとき、
「몇 시はさっきやったよね、それに간が付いたものだけど…」「시간」は
日本語にもよく似ているぞ」「시は時だから…」「あ、時間ですか?」。
「そう(ここではっと思い)、念のためだけど、この場合はハン、トゥ、セーを使います」
 
こんな感じ。出てきた質問によって臨機応変に対応する。
場合によっては「さっき出てきたばかりだ」と想起させる方法も用いる。
そして、Bの答えた数字をAに当てさせる。
 
3×6で18とおり行ったら終了時間。
今回は授業中に思いついて行ったものなので、整理し切れていないところもあるが、
目的を絞って行えば、学習者の負担もそれほど多くなく出来るのではないかと思う。

Posted by hajimet at 08:52 | Comments (0)


2013年11月2日
韓国併合(二時間目)

科目:日本史B(50分、3単位)
単元:日露戦争後の国際情勢の変化(三時間のうち二時間目)
目標:日露戦争後の国際情勢の変化とともに、韓国併合、南満州進出通じての東アジア情勢の枠組みの変化を学ぶ(国際社会全体の枠組みの変化は日露戦争で既習済み)。
 
1時間目:(1)日露戦争中:韓国の局外中立宣言と日韓議定書、第一次日韓協約
      (2)桂タフト協定、第二次日英同盟とポーツマス条約、第二次日韓協約
        韓国側の見方についても、簡単に触れることとする。
2時間目(本時):(3)ハーグ密使事件から韓国併合
 導入:3分
前時ハーグ密使事件に簡単に触れたことを受けて、高宗が密使を派遣したこと。日本側は韓国を出るときから把握していたこと。その動きが韓国併合に繋がることに触れる。
 
 展開1:15分
(要約)韓国はロシアに頼ろうとしたが、すでに第一次日露協約を締結するときだったため、ロシアの関心が韓国から離れていた。一方皇帝は伊藤によって退位させられる。その直後、1907年7月、第三次日韓協約を締結し、内政権も日本側に移るとともに、韓国官吏に日本人を採用できるようにした。さらに8月には韓国軍も解散せられ、それによって義兵闘争(要するに内戦)が盛んになる。これは1909年まで続く。
 
韓国の植民地化について、伊藤は「時期尚早論」をとるが、軍部の力によって桂内閣はて「適当な時期に併合」を決める(要するに、山県の力)。伊藤は統監を辞任するが、その後哈爾浜で安重根に殺される(旅順刑務所のはなしなども少々)。
 
展開2:20分
1910年8月韓国併合。条文を読ませる。その後プリント配布。併合が韓国人、日本人にどう捉えられたか当時の新聞の題目で見ようと考えた。
プリント三枚。一枚ずつ配る。また、これら新聞の縮刷版のコピーを持って行き、現物を見せながら話を進行する。
 
1.大韓毎日申報の題目

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大韓毎日申報は、日本による植民地化を防ごうとする論陣を張る新聞で「民族紙」といわれる。最初の題字は併合前日のものだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大韓毎日申報と書かれ、上の年号は鳰、4年8月28日となっている。翌日は新聞は停刊。この前後は日本の新聞も輸入禁止になっていた。併合のことを知られないためだ。次の日にはこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「大韓帝国」は無くなったのだから「大韓」の文字は消える。さらに年号が明治43年になる。改元は日本でもあるが、かならず元年から始まる。突然43年になることは、それまで「鳰、」で来た人たちがどう感じるだろうか。
 
さらにその翌日にはこうなる。この新聞はこの後、総督府の朝鮮語紙として御用新聞となる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本風の縦書きになる。では、もう一紙見て見よう(2枚目配布)。
プリント2

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇城新聞。皇城とは「漢城」のことで、皇帝がいる城だからこのようにも呼ばれた。併合前最後の題字を見て見よう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇城新聞と書かれ、皇城と新聞の間には韓国の旗が描かれている。中央には大韓鳰、4年と書かれている。このすぐ下には朝鮮の様々な年号がかかれ、合わせて日本暦、清国暦、西暦が書かれている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ところが、29日に号外が出て30日に出された新聞はこうなった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「皇城」が消えて「漢城」になる。ここで設問。なぜ皇城は駄目になったのか。生徒:「皇帝がいないから」。ところで、「漢」は急いで差し替えたことが判る。元号は明治43年。脇に書かれていた様々な朝鮮の暦も消えた。まだ韓国の旗は描かれている。では、次の物を見て見よう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついに韓国の旗も消えてしまった。「皇」が消えて、明治になって、自分たちが使ってきた旗も消えてしまう。ところで、当時韓国で出ていた日本語紙はどうだったのだろう(3枚目配布)。
プリント3

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
居留地の日本人向けにだしていたもの。では、新聞は一面は小説で始まっている。併合前日の題字を見よう。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
年号は明治43年のまま。では、併合直後の新聞は?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
紙面はどう?「何も変わっていない」の声が出る。このとき、日本で出ていた新聞は併合を喜ぶ、お祭り騒ぎのような記事だった。でも、この新聞は何も変わっていない。中を見ると併合に触れているが、現地に住んでいる日本人にとっては、ただ、自分の住んでいるところが「日本」なって土地が増えた事と、居留地が無くなっただけで、それまでの生活と連続していることが読み取れる。
 
韓国の人がよく「併合の痛み」を知って欲しいと言ってくる。しかし、日本人の立場ではそれを感じることは難しい。というのも歴史上他国に支配される経験が無いから(沖縄は除く。戦後の一時期も日本政府はあった)。英、仏=ローマ、独=ローマ、西、葡=イスラム、東欧=モンゴル、トルコ、ロシア…などと具体的に考えさせる。
 
歴史的に体験していないが、このような史料などをつかって擬似的に考えることは出来る(実際に元号が変わったところと、3枚目のプリントには大きく反応していた生徒が数名いた)。
 
展開3:10分 総督府の機構・武断政治と土地調査事業(略)、
まとめ:2分 次回の導入のための動機づけ。
 
3時間目:日本の南満州進出と国際関係。特に対米関係悪化と、第一次世界大戦の枠組みが出来ることに重点を置く。

Posted by hajimet at 21:39 | Comments (2)