天草と南島原

天草、島原は天草・島原の乱で知られるところでもある。天草は小西行長の所領で南蛮人渡来以来カトリックの強いところであった。バテレン追放以降も熱心に信仰が続いたが、島原の乱を境に急速に衰える。島原では多くの信者が死亡し、そのためにキリスト教が殆ど信仰されなくなったが、一方で天草は潜伏吉利支丹 として信仰が続いた。指導者もいない中で信仰が続けられたので、その形は元のキリスト教徒は似ても似つかないものにまで変化した。一方明治になり、この地に再び宣教師が来るようになると、再びキリスト教が熱心に信仰されるようにもなった(復活キリシタン)。このように、この地域は島原の乱以前のキリシタン 遺跡、その後の潜伏吉利支丹の遺跡、復活キリシタンの様子などが重層的に残っている。

天 草 南島原
殉教公園 (本渡) 明徳寺(本渡) 南蛮船来航の碑(口之津)
祇園橋(本 渡 鬼の城キ リシタン墓碑公園(五和) 吉川キリシタン墓(吉川
東向寺 鈴木神社 鈴木重正建立供養塔(南有馬)
富 岡城址(富岡) 富岡吉利支丹供養碑(富岡) 原城(南 有馬)
大江天主堂(大江) 崎津天主堂(崎津) 板倉重正供 養碑(南有馬)
天草学林跡(河浦)   有馬セミナ リヨ跡(有馬
正覚寺(上津浦原)
吉利支丹墓碑(有家
天草サンタマリア館
有家キリシタン墓・セミナリヨ跡


有家キリシタン史跡公園
 



天草航空 島原と雲仙 左は下天草、右は島原(サンタマリア館より)
                  
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