明徳寺(本 渡)
双 聯
明徳寺は本土城城館跡に位置する。天草・島原の乱後、徳川家光の命により三河よりここに移った初代代官鈴木重成によって開かれた。鈴木重成はキリシタンを抑えるために、禅宗と浄土宗の寺を多く建てた。ここもその1つである。開祖は中華珪法禅師。
ここの寺の山門にかけられている双聯には、キリシタンを抑えるという意思がはっきり書かれている。
祖門英師行清規流通仏陀之正法(始祖のすぐれた師は清い規則を行い、仏陀の正法をひろめ)
将家賢臣革敞政艾除耶蘇之邪宗(将軍家の賢い臣下は弊政を改め、耶蘇の邪宗を取り除く)
残念ながら、保存状態はよくない。
なお、明徳寺隣にある活尾出世稲荷は加藤清正の朝鮮出兵の時に、軍将の松下嘉平次が陣中に捧持したとされる。
寺全景(奥が出世稲荷・本丸方面)
山門より
本渡市街
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