殉教公園(本 渡)

ル イス・アルメイダ記念碑

殉教公園は、天草氏が築いた本渡城址にある。天草は小西領であった が、在地勢力だった天草五人衆を抑えきれなかった。そこで1589年(天正17年)、11月、天草五人衆と小西行長、加藤清正連合軍が戦いを行った。ここ に籠城したキリシタン1000人近くが殺された。最後は女性が断髪して、鎧を着て戦ったという。。

本丸跡には天草切支丹館が立ち、そのすぐしたには、アルメイダとアダム荒川の記念碑が建つ。アルメイダは1525年生まれ。1555年、貿易商と して平戸に来たが、来日とほぼ同時にイエズス会に入信した。1561年には専ら布教活動に専念した。1565年に志岐氏の招きで天草に来た。天草地方のキ リシタン布教の始まりである。アルメイダは専ら布教活動を行い、1583年に死亡した。

アダム荒川の記念碑はアルメイダの記念碑の向かって左側にある。天草最初の殉教者とされる。1552年頃島原で生まれる。1614年キリシタン禁教令のため日本を去らなければならなくなった宣教師に教会を任されたが、1614年、捉えられて殺された。

こ れら記念碑の前にはキリシタン墓地が広がる。名前は彫られず十字架が彫り込まれるものだ。五和町御領のキリシタン墓地の一部を移したものだそうだ。ここか ら少し離れた、出丸あとには殉教戦千人塚がある。天草・島原の乱での死者を祀ったものである。本渡も天草・島原の乱の激戦地の1つであった。

本丸跡には天草キリシタン館がある。南蛮文化の伝来、天草・島原の乱、乱後の復興とキリスト教の信仰の3つに分けて展示されているが、特に『天草四郎陣中旗」は有名である。




城址から見る本渡市街 キリシタン墓 千人塚

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