有馬セミナリヨ跡


標石 セミナリヨ跡から日野江城方面

iセミナリヨは修道者育成の基礎知識を学ぶ小学校に当たる学校である。島原は「極楽〔浄土〕」信仰により、比較的分かりやすい浄土系信仰の強いところで あった。そこに、「天国」「地獄」という考えを持つキリスト教が入ったために、比較的スムースにキリスト教が受け入れられていった。これを背景にセミナリ ヨが築かれた。ここで日本文学、ラテン語、音楽他一般科目が教えられた。課程を修了するまでには6年近くかかったという。のセミナリヨで学んだ学生の中か ら、4少年が選ばれて天正の遣欧使節として1582年にヨーロッパに渡った。

有 馬のセミナリヨは1580年に有馬晴信の支援を受けて設立、84年に新しい土地を得て移転。しかし、87年の秀吉の伴天連追放令に伴って、有馬のセミナリ ヨは一時閉鎖され、長崎の浦上に移った。その後各地を転々として、島原に戻り、1601年から1612年まで再び有馬に落ち着くことになった。現在跡は 残っておらず、標石が立っているだけである。

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