大江天主堂

天主堂

大江、崎津は天草・島原の乱後も潜伏キリシタンの多い所であった。 1805年には「キリシタン崩れ」と呼ばれるキリシタン発覚事件がおきたが、対象者は「宗門心得違之者」として異仏類の提出と踏み絵の実施で許された。キ リスト教徒可也変わってしまったこともあったのだろう。

1873年、キリスト教が認められ、大江の地に説教所が開設された。これにより、 復活キリシタンは生まれ始めたが、改宗が現実に認められるのは、1881年になってからだった。1877年、初代の西洋人の宣教師が着任した。それから数 人変わった後、1892年、ガルニエ神父が着任し、1941年この地で死亡するまで布教を続けた(81歳)。神父像は教会脇に置かれている。

もともと1879年に教会堂が築かれたが、現在の建物は1932年に起工され、33年に完成したものである。ロマネスク様式で、内部は建設当初は畳敷きであった。

教会堂の脇に墓地がある。日本の伝統式の墓の上に十字架が載せられている構造だが、この構造は十字架が折れやすいという欠点があり、そのために次第に作られなくなったものである。




入口 天主堂よりの景観 天主堂横にある墓群

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