有家キリシタン墓・セミナリヨ跡

標柱とキリシタン墓

有家にある。庵の中に4つのキリシタン墓が置かれている。1900(明治33)年に発見され、1902年発表。1923(大正12)年京都大学文学部考古学班が取り上げたことで、注目される様になったもの。キリシタン墓研究の嚆矢となったものとされている。

こ の場所はセミナリヨの跡でもある。有馬に作られたセミナリヨは、政情やキリシタン弾圧によって転々と場所を移した。説明板によると、有馬-八良尾-加津佐 -天草-八良尾と動き、1595(文禄4)年、有家に移る。しかし、1597(慶長元)年、長崎に移った。大浦天主堂に保管されてい2枚の銅版画「セビリ ヤの聖母」には「1596 in Semino Jappo Ariye」の書名が残されているとのことである。




キリシタン墓 花十字紋 カルワリオ十字紋

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