正覚寺(南蛮寺跡)




本堂 キリシタン墓碑群とナギの木(南蛮樹) キリシタン墓 山門

正覚寺は1646年(正保3年)、鈴木重成によって創建された。元々ここには南蛮寺と呼ばれた教会が建てられていた。1589年(天正17年)、上津浦城 主によって創建された、上津浦城主上津浦種直は天草6人衆の一人で、小西行長の傘下だった。キリスト教に帰依した後教会を建て、外国人宣教師を招いた。そ のため上津浦で3500人の信徒がいたという。1614年のバテレン追放令に伴って、教会は廃止された。その後天草・島原の乱のときに上津浦古城が前身基 地となったため、周囲は荒廃した。

そ の後、鈴木重成によって寺が建てられたのである。1985年(昭和60年)、本堂を改築しようとしたとき、本堂の下(土台石ともいわれる)からキリシタン 墓が出てきた。本堂裏に覆い屋を建てて保存され地エル。扁平石型、かまぼこ型、自然石型の墓石である。このうちかまぼこ形にはIHS(Iesus Hominum  Salvator=イエスが人類を救済する )というイエズス会のマーク、干十字が彫られ、「慶長11年」、「大つるきんた」などの文字が彫られている。

その前には潜伏キリシタン時代のものと思われる石碑が置かれる。富岡のキリシタン碑と同じ種字の入っているもの、戒名が途中が削られているのかなくているもの、「卍」が彫られているもの、デウスの象徴の太陽(○の中に点)が彫られ「三界万霊『等』」と彫られているものが置かれている(潜伏キリシタン碑に関する説明はない)。

覆い屋の裏には宣教師が植えたとされる「南蛮樹=ナギの木」がある。




IHSの文字の入っている墓碑 潜伏キリシタン墓(富岡と同じ種字) 潜伏キリシタン墓(卍=十字架) デウスのマーク入

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