壱岐と韓国
壱岐は玄界灘に浮かぶ島である。対馬から50km、佐賀県呼子からは20kmほどの距離しかない。そのため、九州も対馬も可視距離にある。百済武寧王が生まれたとされる加唐島も目と鼻の先にある。3世紀くらいまでは交易の拠点として、一支国が栄えた。その後も国境の拠点として栄えてきた。同様の経過を対馬 もたどるが、
対馬が山がちである
のに対して、壱岐は比較的平 坦な島である。長崎県最大の平野があり、最大の穀倉地帯がある。佐渡と並んで自給のできる島である。
高いところでは韓国のFM放送が受信出来る。また、様々な面で韓国との関係を見ることができるが、特に元寇関係の遺跡が多い。
原の辻遺跡
1
2
(古代)
勝本千人塚
(元寇))
安国寺
1
2
(高麗大蔵経)
カ ラカミ遺跡
(古代)
平景隆の墓
(元寇)
金蔵寺
(高麗仏)
岳の辻のろし台
(古代)
新城古戦場
(元寇)
金谷寺
(李朝仏)
月読神社
少弐資時の墓
(元寇)
通信使客館
(通信使)
遣新羅使の墓
碇石
(元寇)
聖母宮
双六古墳
、
鬼の巌古墳
掛木古墳
勝本城と曽良の墓
(文禄慶長の役)
国分寺跡
へそ石
壱岐から九州を見る
日本の中の朝鮮
対馬と韓国
HOME
韓国、日本への道