原の辻遺跡(2)



3重の環濠 門から王都へ 高倉(土台柱が独特)

原の辻遺跡は東側を流れる幡鉾川の河口、内海湾から1`ほど遡ったところにある。河口部は狭く丘陵状になっているので、そこが防禦地点として機能してい た。反対にここを敵が突破すれば、すでに防禦は不可能な地形となっている。そのために、王都の周りを囲む三重の環濠は浅く、ほとんど水もなく、さらに防御 策も築かれていない。形式上城門は作られているが、これも必ずしもここを通らなければ中には入れないわけではない。だが、大陸の形式で王都を作ることが大 切なことだった。同時に環濠の中で生活していると言うことで、住民に一体感を持たせる機能もあった。

一 方で、船着き場は川を遡り、王都を越えたところに作られている。後方は粗朶式といわれ、切り取った木の枝などを積み重ねて作られている。大陸の最新の技術 だったようで、このように港や王都の作りを見せることで、技術力が高かったことを誇示したものと考えられている。さらに、土器の捨て場が決められており、 一定の秩序でここが治められていることを対外的に示すこともしてきた。

王都の中は、地形を含めて復元、公開作業を進めている。この中で は、高床式の建物が多く目に入る。いずれも二股の木の柱で上の本屋を支える構造になっていて、一本の丸太で屋根まで貫通する形式とは大きく異なる。外の地 域と異なり、木が少ないために有効利用したものと考えられる。

さらに、通訳の住んでいたであろうと考えられ韓国南岸地域で見つかった構造と類似している円形平地式壁立建物や、靴を使っていただろうと考えられる板間のある建物、竿秤の出てきた交易の倉庫など多くの建物が発見されている。

丘 陵の最も高いところ、祭祀の空間の脇に丘陵を横切るように環濠が2本通っている。その脇に小型の方形周溝墓のようなものがあるが、墓の遺構は出てきていな い。小さな舞台のようなものだと想定しているようだ。環濠はまだ完全に発見されていない。2011年の台風の折、崩れたところ発掘したところ、それまでの 環濠の延長上に埋もれた環濠が出てきた。




祭殿脇屋の板間 環濠と周溝(方形周溝墓とは異なる) 発掘された環濠

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