安国寺
本堂(江戸時代)
山門
芦辺港から車で10分。1338年、足利尊氏と直義は、元寇の戦死者供養などのために全国に安国寺建立を命じた。壱岐は
戦乱のため
建立する余裕がなかった。そこで、従来からあっ た安国海印寺を拡張することにした。境内には江戸時代の
キリシタン関係のものも多く残されている
。
この寺には高麗大蔵経が残されている。589帖のうち219帖は高麗版で、うち6帖に1046年の年号がある。高麗大蔵経は2回作られた。1回目は 1011年に攻めてきた
北方の契丹人の攻撃
を仏 力で避けるためで、版木は大邱近郊の符仁寺(부인사:プインサ)にあった(モンゴル侵攻により焼失し、基檀だけ残る)。2回目は 1236年、モンゴルの侵攻によってなお
江華島
に 都を移した高麗王朝が作らせたものである。こちらの版木は
海印寺(해인사:ヘイ ンサ)に保管
されていて、室町時代に多く日本に も渡ってきて、
東京芝の増上寺
や近江の
三井寺
など各地に残っている。
安国寺のものは第1回目の大蔵経で、大変貴重なものである。だが、1994年に493帖が盗難に遭ってしまった。。
本尊(延命地蔵尊)
大蔵経の説明
(参考)韓国、符仁寺の基檀(大邱八公山)
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