増上寺経蔵
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増上寺は1393年に開かれた寺であるが、徳川家康が関東を治めるようになって以来、徳川家の菩提寺となり繁栄した寺で
ある(1590)。現在の地、東京の芝に移ったのは慶長3(1598)年で、江戸幕府成立1603)の直前である。増上寺が芝に移ってきたときは、徳川家
康の天
下普請の前で、近くまで江戸湾が入り込んでいた。
家康はいろいろなものを寄進したが、その中に経蔵と三大蔵経がある。経蔵は経典(大蔵経)を収めておく建物のことで、慶長10(1605)年に木造で建て
られ、火事の多い江戸での防火対策のために漆喰で土蔵作りに改造された(1802)。そのため一度も火災にあっておらず、太平洋戦争の空襲(1945)で
寺自体は殆ど焼けたが、経蔵は焼け残った。
経蔵の中には日本一の大きさの大輪蔵がある。八角形をしていて、中に経典が入っている。これを一回転させると功徳が得られるという。大きなものであるが、
力を入れなくとも楽に回すことができる。大輪蔵の四方は四天王が守り、前には大輪蔵を考えたという傅翕(ふきゅう)大士(497-596)とその2人の子
供像が安置されている。
ここに修められている大蔵経は、宋版大蔵経、元版大蔵経、高麗版大蔵経の
3種類である。3種類は珍しい。通常は三井寺の高麗大蔵経のよ
うに1種類だからである。それぞれもとは近江菅山寺(宋版)、伊豆修善寺(元版)、大和円成寺(高麗版)にあったものを家康が入手し、寄進した。
そしてそれぞれを経蔵の書架(右=元版・輪蔵=宋版・左=高麗版)に収めてあったが、現在は収蔵庫に移されている。
寺の本堂裏には徳川家の霊廟があり、6
人の将軍が眠っている。