海印寺(해인사:ヘインサ)
 
海印寺は高霊(고령:コリョン)近くの伽倻山(가야산:カヤサン)麓にある。伽耶山は大伽耶の勢力圏で、伽耶川が流れる所である。近くから伽耶碑が発見されるなど、もともと大伽耶にとって重要な場所で、そのことと寺が造られたことは関係があると考えられる。統一新羅は、5山信仰があったが、いずれもがそれ以前の勢力が重要視していた山である。

ところで、海印寺は「仏法僧」の三大寺刹の1つ、「法」寺にあたり、802年の創建。ちなみに「仏」寺は釈迦の舎利を祀る通度寺(통도사:トンドサ)、「僧」寺は修業の寺、松広寺(송광사:ソングァンサ)である。

海印寺が「法」寺といわれるのは、八万大蔵経の経板を収めた「板庫」があるからである。高麗(고랴:コリョ)で大蔵経は2回作られた。1度目は1021年から1087年にかけて、契丹の撃退を願って彫られた。これは大邱(대구:テグ)近くの八公山(팔공산:パルゴンサン)麓の符印寺(부인사:プインサ)にあったが、モンゴルの侵攻で消滅した。

2度目はモンゴルの侵攻によって江華島(강화도:カンファド)に都を移したときに、モンゴルの撃退を祈念して彫られた。1236年から51年に彫られたもので、15世紀後半にここに移された。白樺の版木を3年間海水につけてから蒸し、さらに乾燥させて経典を彫ったものに漆を塗って完成させた。大蔵経は日本でもっともも関心を持たれたものの1つで、東京、芝増上寺初め、各地に残存している

駐車場から15分ほどかけて坂を上がっていくと伽藍があり、新羅後期の三層石塔が立つ。大蔵経の庫は伽藍の後ろ、最も高いところにある。建物は風通しをよくするために、壁面に格子がつけられ自然と湿度が調整できるようになっている。

寺の裏側、山の中には磨崖仏立像がある(緇仁里(치인리:チインニ)磨崖立像)で、慶州(경주:キョンジュ)栢栗寺(백율사:ペンニュルサ)の金銅薬師仏立像に匹敵する9世紀の作品とされる。海印寺からは徒歩で15分ほど。

本堂と三層石塔 経庫入口 経庫に保管される版木 般若心経の一部 緇仁里磨崖立像

前のページ     目次     HOME      次のページ