松翁院四面石塔
四面石塔(遠く三浦半島が見え る)

千葉県富津市竹岡の松翁院にある。大巌寺と同じく浄土宗の寺で、江戸時代は徳川家や東京芝の増上寺と関 係の深い寺だったといわれる。また、竹岡は、近くの 岬が江戸防御の重要な拠点であったため、白河や会津領であった。そのため白河藩士や会津藩士が多く滞在し、この松翁院には多くの会津藩士の墓が今でも残さ れている。

石塔は館山の大巌寺に遅れること46年、寛文10年(1670)に建てられ た。四面に4つの文字が彫られることは一緒であるが、その順番は変わっていて、日本風漢字、ハングル、梵字、中国の篆字となっている。形も大巌寺と異な り、傘をかぶった卒塔婆形式である。ハングルは大巌寺同様初期のハングルの形態であるが、文字そのものをモデル化して見ているようで、ハングルの各部分が 音を表しているという様な意識は無かったようである。

字幅が細くなり、子音が無いことを表す「○」の幅で文字が彫られている(本来は上の方が若干幅が出 る)。また、南を表す「Nam」の部分は「Na」が小さく草冠のようにな り、「m」の部分が異様に大きい。昆虫の触角をカリカチュアライズしたようにも見える。おそらく原本を見たのではなく、大巌寺のものを参考にしながら、石 塔にあうようにアレンジしたのでは無かろうか。

この寺の7代遵誉上人の時に建てられ、この地域の有力者であった臼井八郎左右 衛門尉という人によって建立された。しかしそれ以上のことは分からない。竹岡自体が3回の大火で焼けていて、寺の過去の文献も焼失しているためである。

遵誉上人は徳川家や増 上寺と関係が深く、徳川綱吉の御講釈拝聴に呼び出された こともある。寺宝になっている涅槃仏刺繍もこの僧侶の時に作られて奉納されている(万治元年 1658)。この涅槃刺繍は近くの保田(ほた)にいた菱川師 宣の原画に父菱川吉左衛門が刺繍したものであって、寺勢の強かった時期であった。もしかしたら会津藩との関係もあるかも知れないが、これはいずれ調べてみ たい。

篆字と漢字
ハングル
梵字とハングル
漢字と梵字
 
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