平景隆の墓

墓所(新城神社内)

新城の古戦場の そば、新城神社にある。平景隆は壱岐の守護代であったが、ここはその本陣、樋詰城跡にある。1274年10月14日、元が攻めてきたとき、少弐資能に援軍 を頼んだが、間に合わずわずか、100人ほどの兵で闘った。景隆は鉄砲や毒矢という戦法の違いから、元に太刀打ちできず、戦場から退却して、15日にここ で自刃したとされる。

神社は周囲より一段高い地形の場所にあり、城があったことを偲ばせる地形である。神社は1886(明治19)年に創建され、祭神は平景隆と元寇の戦死者であったが、後に壱岐島司藤原忠理と、刀伊の入寇の戦死者も合祀された。



新城神社 記念碑

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