通信使客館跡


阿弥陀堂 阿弥陀堂脇の礎石

勝本には朝鮮通信使の客館があった。厳原の次の滞在場所が壱岐勝本で、その後が相の島で あった。ここに12回壱岐を訪れた(帰りは風の関係か、壱岐に寄らないものもあったようだ)。当時の勝本港は水深が浅く、船を繋いで桟橋を作り、通信使は その上を歩いて上陸したとのことである。風待ちで滞在が長引くと、郷ノ浦の爾自神社の東風石で風が止むことを祈ったと言われる。

現在客館跡は阿弥陀堂になっていて、当時を思わせるものは僅か3つの土台石だけである。

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