鬼の窟古墳


古墳全景 羨道

壱岐には約270基の古墳があるが、大多数は6世紀後半から7世紀初めにかけて作られたものである。それまで古墳がほとんど作られなかったのに対して、突然大量の古墳が作られたのだが、それは壱岐を国防の拠点にしたことと、磐井の乱(527)以降、大和政権が依然として「日本」の支配権を維持していることを示そうとしたためと考えられている。

壱岐の古墳は、本土の古墳と異なり埴輪が出土しない。そのため、段築にする必要がなく、あたかも新羅慶州の円墳と同じように見え、これを新羅からの影響とする見方もある。

鬼 の窟古墳は壱岐内で2番目の大きな円墳で、直系45m、高さ13.5mである。6世紀後半から7世紀前半のものとされている。石室は前室、中室、玄室の3 室からなっていて、壱岐の中で最長のものである。入り口には閉塞石が残っている。横穴は九州式の造りで、大きな腰石の上に持ち送りで作られている。ただ し、部屋の仕切りの棟石はない。ここからは須恵器、新羅系の新羅土器、鈴などが出ている。





石室入り口 玄室天井 玄室奥に祀られる観音

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