月読神社

神社入口

芦辺港から車で10分ほど。近くには国分寺跡鬼の窟古墳(6世紀後半、長崎県内最大の前方後円墳)があるなど、古代壱岐国の中心地にあたる。月読はイザ ナギ命とイザナミの命の子供で、天照大神の次に産んだとされる。この次に産んだのが素戔嗚尊である。この神社は日本神道発祥の地とされる。

朝廷の使いで任那(伽耶)に行った阿閉臣事代(アベノオミコトシ ロ)が国に戻るとき、壱岐で 月読尊がお告げをした。それを朝廷に伝えたところ、京都に神社を作ることとして、壱岐の県主の先祖、忍見宿祢が分霊し仕えたという。487年のこととされ る。なお、神 功皇后が三韓征伐の折に腹にあてて出産を送らせたとする月延石があったとされる。

神社そのものは新しいものである。この場所は江戸時代に比定されたもので、箱崎八幡神社が本来の場所であったとする説もある。なお、対馬の小船越には阿麻氐 留神社がある。これも任那との関係の中での神託が関係している神社である。




拝殿 拝殿脇の摂社(月読神社) 摂社

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