インド東部山岳地帯オリッサ・バスタール民俗紀行
インド東部山岳地帯のオリッサ・バスタール地方の少数民族の村々を訪問した時の写真集と旅行記
2006年11月11日より11月23日までの12日間、インド東部山岳地帯の辺境の地、オリッサ・バスタール地方の少数民族の村々を訪問しました。 ドラヴィタ系種族等の末裔が、周囲を強大なインド・アーリア系種族に囲まれながらも、独自の民族衣装や伝統文化を守り続ける珍しい光景を見ることが出来、大変感動的で印象深い旅行でした。
インドへの経路図
インドの国旗
はじめに
インドへ旅行するのは始めてである。今までインドへ行かなかった理由は、「日本からビルマまでは謙譲の美徳が支配し、インドから西は自己主張の美徳が支配する」とも言われるように、強烈な自己主張はあまり好きでないからである。若い頃イランを訪れたが、その時の悪い意味でのカルチュアショックもある。やはりブータンに代表されるように、他人を疑わず顔を合わせればニコッと笑う国の方が親しみやすいと思っていた。しかし今回インドを訪れて印象は変わった。少数民族の人懐っこい顔とスキンシップの豊かさに至るところで出会った。その雰囲気は写真を見て頂きたい。
インドについて少し調べてみた。
インドは過去数千年に見られた大規模な民族移動の主要経路上に位置するため多くの民族到来の波を迎えてきた。先ず、アフリカからのネグリト系種族、次いで地中海パレスチナ地方からの種族(オーストロ・アジア系の言語を形成)、そして3番目に紀元前3,500年頃に地中海地域からドラヴィタ族が移動してきた。世界4大文明の一つインダス文明を開いたのはこのドラヴィタ族であったと言われる。4番目にチベット・ビルマ方面からの種族、5番目に紀元前1,500年頃にウラル山脈南方に源を持つインド・アーリア族がやってきてこの地の支配力を強めた。
これらは遥か昔の3500年以上前の事であり、以降も近隣諸国からいろいろな種族が流出入している。現在でも北へ行くほどアーリア系の血が濃く、南へ行くほどドラヴィタ系の血が濃いと言われる。
このようにインドは異なる多くの種族が次々と移動、あるいは通過し相互に影響を及ぼし合った結果、すべての面でモザイク状の現象が見られると言う。
1981年の国勢調査ではインドの言語数は145に絞られているが、これは1652の言語数から取り出した数字だそうだ。1652の言語を整理したインドの言語学者は偉いと思う。なおインドの公用語は18であるとのこと。
旅行したオリッサ州の公用語はインド・アーリア系のオリヤー語であり、チャティッシュガール州の公用語はやはりインド・アーリヤ系のヒンドゥー語である。また今回訪問した数々の少数民族はドラヴィタ系の言語またはオーストロ・アジア系の言語を使用している。即ち、
多数派のインド・アーリア系の民族に追い出されて不便な山岳部に点々と住み、独特の文化を守り続けている先住の少数民族を訪ね歩く‥‥‥このように今回の旅行を位置づけてみた。
また、オリッサ州は南北インドの境界地域に位置するため、北のアーリア系文化と南のドラヴィタ系文化の特徴が併存し、さらに平地のヒンドゥー文化と山地の部族文化が交錯する興味深い地域であると言われる。現在でも平地の村落文化と山地の部族文化の交錯した影響を双方に残している。歴史的にはオリッサは中世に高度な宗教都市文化を発達させた。
以上の予備知識で旅行に出かけたが、結果は期待を上回る濃い旅行であり大変満足した。
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