モンゴルのカラコルム・ナーダム祭
モンゴル旅行の写真集と旅行記のページ
2004年7月8日より7月15日までの8日間、大草原の遊牧騎馬民族末裔の国モンゴルへ旅行しました。
折りしもモンゴルの国を挙げての夏の祭典・ナーダム祭の期間中で、勇壮な競技風景を満喫できました。
モンゴル国旗
モンゴルへの経路図
写真集目次
旅行記目次
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今回の旅行では9人のツアーメンバーと添乗員・現地ガイドが、ウランバートルからカラコルムへ、さらにツェンケル温泉、ツェツェルレグへと大草原を四輪駆動車4台に分乗して走行した。走行距離は地図で大まかに測ると約1,500km、走行時間は合計30時間以上にもなる強行軍であった。
その間の雄大な大草原の風景は写真集で見て頂きたい。草原の地平線の遠方には山並が見られ、それを越える時も何時峠を越えたか分からないような滑らかな山脈が多い。
これらを単調な風景と見る人も居たが、ゴルフコースのような滑らかな草原あり、凸凹草原あり、石ころ道あり、また遊牧民の放牧風景、点在する白いゲル(遊牧民の住居)など走っても走っても退屈しなかった。
四輪駆動車の窓からは草原に棲むリスのような小動物やナキウサギ、鷲、ツルなどが時たま見られ、休憩したお花畑では蝶々のアポロが群舞?していた。草原以外にも河川や湖、山間部には樹林地帯もあった。
夕方遊牧民の民家の近くでずっと様子を見ていた。男の子達は馬や羊を裸馬に乗って巧みに誘導し、女の子達は馬の乳を搾りまた井戸に水を汲みに行く。子供達も結構忙しいが、次から次にいろいろな用事をしていた。
そばで大人が命令しているのではない。黙っていても子供達は当然のように自分の役割分担をこなしている。しかも楽しそうに仕事をしている。
モンゴルの全人口は約260万人、名古屋市とほぼ同じ規模である。そのうちの3分の1の80万人を越える人が首都ウランバートルに住んでいる。
モンゴルの領土は日本の4倍あり、草原の遊牧生活者と都市部の生活者の数は著しくアンバランスである。
失業者は17万5千人、国民全体の4割は月収2千円以下(日本円換算)で生活が苦しい。経済は成長しているが貧富の差が広がり一般の国民に恩恵が行き渡らない。ここ3年間の寒波で1千万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっていると言う。
このような深刻な問題を抱えて去る6月に総選挙が行われ政権が交代したが、政権交代により問題が直ちに解決するほど単純ではない。
モンゴルの歴史はチンギスハーン時代に遡らなくても、近代でも非常に複雑な道を歩んでいる。1921年にロシア革命の影響下、世界で2番目の社会主義政権国としてモンゴル人民共和国が発足し、その後もソ連、中国、日本などの錯綜した力関係の中で翻弄された。
1990年3月にソ連の変革を受けた民主化要求で人民革命党が1党独裁制を放棄、1992年2月にマルクス主義と決別した新憲法が発効され民主化の道を歩み始めた。ほんの10年前のことである。
社会主義政権下時代には宗教は禁止され、全国に700以上あった寺院や歴史的価値高い文化遺産はその殆どが破壊されてしまった。
モンゴルでは今のところ観光客に対する物売りは全く居ない。せいぜいウランバートルのガンダン寺で鳩の餌の豆を売っている子供が居たくらいである。それも執拗な売り方はしていない。
けれども草原で日本人観光客をたった1時間馬に乗せるだけで数か月分の収入が得られることが分かったらどうなるであろうか。馬を観光客に提供したゲルの遊牧民は生活は豊かになるかも知れないが、確実に人心を荒廃させる面を持つと思う。そうは思ってもアンバランスな近代化と観光化は防ぎようがない。
気のせいかウランバートルでは、あのカラコルムやツェンケル温泉のゲルで見た無口だが誇り高き品格のある老人の顔や、優しさに満ちた老婆の顔、そして楽しそうな子供達の顔は少ないように思えた。都会生活の苦渋に満ちた顔である。
旅行者が辺鄙な地域を訪れた場合、そこに「素朴・純真・純朴な人達に出会った」との表現だけで納得していないだろうか?
そして「素朴・純真・純朴な人達」に対して、自分達は「文明人である」との優越感を持っていないだろうか?
喜び、悲しみ、家族への思いやり、自然への思いやりは彼らの方が上で、「心の文明度」は彼らの方が優れていると思う。
ウランバートルの都市生活者より草原の遊牧民の方がはるかに「心の文明度」は高いと感じた。あの誇り高き草原の文化を少しでも永らえて欲しい。この感想は短日時の旅行者の思い上がりであろうか?
平成16年7月16日 記