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5.ウランバートル
 モンゴルの全人口は約260万人、名古屋市とほぼ同じ規模である。そのうちの3分の1の80万人を越える人が首都ウランバートルに住んでいる。
 モンゴルの領土は日本の4倍あり、草原の遊牧生活者と都市部の生活者の数は著しくアンバランスである。

 失業者は17万5千人、国民全体の4割は月収2千円以下(日本円換算)で生活が苦しい。経済は成長しているが貧富の差が広がり一般の国民に恩恵が行き渡らない。ここ3年間の寒波で1千万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっていると言う。
 このような深刻な問題を抱えて去る6月に総選挙が行われ政権が交代したが、政権交代により問題が直ちに解決するほど単純ではない。

 ウランバートルの中心部を夕方の交通渋滞の時間帯に観光バスで走ったが、大草原の中の都市とは思えない潤いの少ない街である。緑は少なく街路樹が有っても手入れされていない。車も殆どが中古車である。建物の多くは社会主義時代の名残で効率優先の単なる4角形の建物が多い。宿泊したホテルのそばのアパート群も単純な長方形である。それでも最近は郊外には立派なアパートが並んでいると聞いた。
 嘘か本当か分からないが、食生活の近代化でガンになる人も最近は多いと聞いた。犯罪も多く治安は大変悪いと日本の外務省の海外安全情報にも記されている。

 モンゴルの歴史はチンギスハーン時代に遡らなくても、近代でも非常に複雑な道を歩んでいる。1921年にロシア革命の影響下、世界で2番目の社会主義政権国としてモンゴル人民共和国が発足し、その後もソ連、中国、日本などの錯綜した力関係の中で翻弄された。
 1990年3月にソ連の変革を受けた民主化要求で人民革命党が1党独裁制を放棄、1992年2月にマルクス主義と決別した新憲法が発効され民主化の道を歩み始めた。ほんの10年前のことである。
 社会主義政権下時代には宗教は禁止され、全国に700以上あった寺院や歴史的価値高い文化遺産はその殆どが破壊されてしまった。

 今回の旅行で観光したウランバートルのボグドハーン宮殿やガンダン寺、カラコルムのエルデニ・ゾー寺院、ツェツェルレグの県立博物館などは何れも社会主義時代の破壊から辛うじて免れた大寺院の一部か、あるいは最近再建されたものである。
 国の文化遺産が全て破壊されたことは民族の誇りとして悲劇的な事だと思う。日本で仮に京都、奈良、鎌倉の全寺院と城郭が破壊されていたら、日本人のアイデンティティと日本文化に対する認識、誇りはもっと荒んでいると思う。

 モンゴルでは今のところ観光客に対する物売りは全く居ない。せいぜいウランバートルのガンダン寺で鳩の餌の豆を売っている子供が居たくらいである。それも執拗な売り方はしていない。

 けれども草原で日本人観光客をたった1時間馬に乗せるだけで数か月分の収入が得られることが分かったらどうなるであろうか。馬を観光客に提供したゲルの遊牧民は生活は豊かになるかも知れないが、確実に人心を荒廃させる面を持つと思う。そうは思ってもアンバランスな近代化と観光化は防ぎようがない。

 気のせいかウランバートルでは、あのカラコルムやツェンケル温泉のゲルで見た無口だが誇り高き品格のある老人の顔や、優しさに満ちた老婆の顔、そして楽しそうな子供達の顔は少ないように思えた。都会生活の苦渋に満ちた顔である。

 旅行者が辺鄙な地域を訪れた場合、そこに「素朴・純真・純朴な人達に出会った」との表現だけで納得していないだろうか?
 そして「素朴・純真・純朴な人達」に対して、自分達は「文明人である」との優越感を持っていないだろうか?
 喜び、悲しみ、家族への思いやり、自然への思いやりは彼らの方が上で、「心の文明度」は彼らの方が優れていると思う。

 ウランバートルの都市生活者より草原の遊牧民の方がはるかに「心の文明度」は高いと感じた。あの誇り高き草原の文化を少しでも永らえて欲しい。この感想は短日時の旅行者の思い上がりであろうか?       

                              平成16年7月16日 記