トップへ
ルーツを訪ねる旅
return.gif next.gif
2009年05月10日

福山市山野の「戸屋ケ丸城」と「江草氏」

§1. 序
2年ほど前になるが、拙ホームページに「江草城と江草村と江草の姓を訪ねて」をUPした。その内容は、山梨県の「江草村」を訪問して、「江草姓」のルーツを探すことにあった。そして、「江草村」にあった「江草城」と、中国地方の備後の戦国時代の豪族「江草氏」を関係付けることが出来る可能性を発見した。
 
ネット検索によりこの拙文を読まれた「江草姓」の方から「亡くなった祖母が話していたことと符合して懐かしく祖母を思い出した」などのメールを戴いたこともある。
 
最近、広島県福山市在住の方から興味深い記事(上記)を紹介戴いた。出典は福山市の広報誌「広報ふくやま」である。
その短い文章の中に「江草氏」の表記が一箇所だけあった。ここから関連事項を調べれば「江草姓」のルーツが判るかも知れないと思い、ネット検索で調べてみた結果が本小考察である。
 
検索では「江草氏」に関する新発見はなかったが、備後地方(広島県東部)の南北朝から戦国時代の歴史を調べることにより、ある程度「江草氏」の歴史を推定することが出来た。
 
備後地方には南北朝時代からの在地領主で、その後守護にもなった国人領主の「宮氏」が勢力を張っていた。
戦国時代になると、中国地方ではより巨大な戦国大名(毛利氏、尼子氏、山名氏など)が覇を競った。その中で「宮氏」は「尼子氏」の傘下に組して勢力を保ったが、ついにその居城「志川滝山城」は「毛利氏」により陥落し勢力は衰退した。
 
私の推論では、土着豪族「江草氏」は「宮氏」の傘下で栄えたが、「宮氏」が勢力を失うとともに「江草氏」も衰退し、歴史の表舞台から消え去ったのではなかろうか。
 
なお、冒頭述べた記事を紹介戴いた方は「宮氏」の末裔である。
 
次ページへ続く
return.gif next.gif
他地域のページへジャンプ
 
・仏教遺跡の宝庫/ミャンマー
・黄金のベンガル/バングラデシュ
・アイスランド/火山と氷河が創り出した奇跡の島
・ガルワール・ヒマラヤ、花の谷トレッキング
・東南アジア最高峰キナバル山登山
・リビアへの旅行(ローマ帝国遺跡とサハラ砂漠)
南米最南端パタゴニア地方の旅行
インドのオリッサ、バスタール民族紀行
・ベトナム北部の少数民族
・モンゴルのカラコルム・ナーダム祭
・ブータンのパロ・ツェチュ祭
・シルクロード(新疆ウイグル自治区)
・ウズベキスタン
関連項目:
江草城と江草村と江草の姓を訪ねて
広島県神石郡の江草村と江草氏
egusa001003.gif
このサイトをご覧になった方より是非メールを頂きたく存じます。
特に「江草姓」の方がご覧になったらご連絡下さい。