ミャンマー(ビルマ)旅行記、写真集
(仏教遺跡の宝庫、黄金に輝くパゴダ群)
「仏教遺跡の宝庫」と謳われるミャンマーを象徴するパゴダ(仏塔)は黄金色に輝いている。人々は敬虔な仏教徒であり、仏教国特有の微笑みを持って旅行者に対応する。優しく、親切で、静かな人々である。
しかしその歴史を見ると、激しい戦を伴う王朝の変動史があり、現在も途上国の持つ多面の問題を抱えている。途上国の中でも後発の開発途上国である。このように複雑な切り口を持つ国を駆け足で旅行した。
ミャンマー国旗
ミャンマーへの経路図
(読者のご感想など歓迎します)
始めに‥‥
ミャンマーという馴染みの薄い国へ旅行した。アジア遺された最後の「微笑みの仏教国」である。
日本ではカンボジアのアンコール王朝や、タイのアユタヤ王朝が馴染み深いが、その理由としては、これらの遺跡には多数の日本人観光客が訪れていることがあると思う。較べて、ミャンマーを訪れる日本人は少なく、馴染みが少ないのかも知れない。少し古いデータであるが、日本からミャンマーへの旅行者数は、タイへの旅行者数の1/55、カンボジアの1/7である。(2005年、各国政府機関のデータ)
ビルマの歴史に主として登場する民族は、ビルマ族、モン族、シャン族であるが、ビルマに何度も統一王朝を開いたビルマ族を中心に、その王朝の歴史を調べてみた。
ビルマの歴史上の代表的な王朝は、バガン王朝、タウングー王朝、コンバウン王朝である。 旅行ではこれらの王朝の諸王都を中心に、膨大な仏教建造物を観光した。
ビルマの王朝は、時代によってはカンボジアのアンコール王朝と勢力を2分し、タイのアユタヤ王朝を脅かし、さらにはこれを滅ぼしたことがあるほど強大な王朝であった。
東南アジアのジャングルの中で、これほど激しい王朝間の争いと、文化の興隆があったことは、中・高校の歴史では学んだ記憶がなく、私の頭の中では、この地帯の歴史は空白であったので、その意味で今回の旅行は新鮮であった。もっとも、これらの地域の歴史が日本語で豊富に読めるようになったのは、30年前ともいわれる。
訪問した寺院の類は、予め予定に入っていた寺院だけでも約 40 寺院あった。実際には予定外の寺院も追加されたので数はさらに増えた。しかも、一つの寺院には多くの建物があり、例えば、
カッグ遺跡 では 2548 のパゴダが、 タウンボーディーパゴダに は 58 万体の仏像があった。 一つの寺院が広大で、施設の数が物凄い。ミャンマー滞在
13 日間、朝から晩まで全て寺院めぐりをした印象である。
この他に、インレー湖周辺の少数民族の村落探訪や、エーヤワディー川クルーズによりミャンマーの特徴ある風俗が垣間見られ、旅行の変化が楽しめた。
ビルマの歴史は、イギリスの植民地化や太平洋戦争以降の近代史になると、古代王朝の歴史とは様相が一変する。
現在の国名はビルマからミャンマーに改称された。途上国が持つ政治的な問題も続いており、新聞やインターネットなどで数多く報道されている。
これらの詳細に関してはネット情報や、関連書籍など多数あるが、本ホームページでは旅行中に見聞したことを中心に記したので、あえて政治的な件には一切触れてはいない。
旅行中に出会った人々は一様に優しく、親切で、静かな人々であり、アジアで遺された最後の「微笑みの国」である。近代化の緒に就いたばかりで、今から大きく変化するであろうが、それに伴う過去・現在・未来のいろいろな矛盾の判断・批判は、時間を経なければ述べられない。