ミャンマー旅行地図
myanmar002005.gif myanmar002003.gif
ミャンマーのトップへ
ミャンマーの写真集へ
ミャンマー旅行地図 myanmar002006.gif myanmar002004.gif
ミャンマーのトップへ
ミャンマーの写真集へ
myanmar002001.gif
ミャンマーの王朝史詳細へ
さらに興味がある方は→
隆盛と滅亡を繰り返したビルマ王朝‥‥
旅行した地点は、何れもミャンマーの古都である。時代ごとに王都は変わっている。旅行ではこれらのミャンマーを代表する古都を全て訪れた。

古都 バガン(バガン王朝)‥‥‥
ビルマ族は9世紀に中国から南下した民族である。 (日本は平安時代初期)
11世紀にビルマ族のバガン王朝が強大となり、この地方を統一しバガンを王都とした。この時、現在に到る上座仏教の基礎が築かれた。そして、カンボジアのアンコール王朝とともに、この地方の2大勢力となった。 (日本は平安時代中期(藤原時代)、宇治平等院鳳凰堂)

古都 バゴー(タウングー王朝)‥‥‥
13世紀に一時モンゴルに占領された。 (日本は鎌倉時代、元寇)
その後モン族とシャン族がこの地を支配したが、16世紀、再度ビルマ族が勢力を盛り返し、タウングー王朝が興りバゴーを王都とした。タイのアユタヤ王朝も隷属させた。 (日本は戦国時代)

古都 マンダレー(コンバウン王朝)‥‥‥
18世紀半ばに、モン族によりビルマ族のタウングー王朝は崩壊するが、ほどなく再々度ビルマ族によるコンバウン王朝が興りバゴーを王都とし、後にマンダレーを新首都として建設した。この王朝はタイのアユタヤ王朝を崩壊させた。 (日本は江戸時代中期)
19世紀になるとイギリスの植民地化が進み、1885年、コンバウン王朝は崩壊する。 
(日本は1868年、明治維新)

古い聖地 ヤンゴン(ラングーン)‥‥‥
ヤンゴンは紀元前6世紀頃から仏教の聖地でもあった。
太平洋戦争の一時期(1943年8月1日〜1945年)、日本軍によりビルマは占領されたが、終戦と同時に再びイギリスの植民地となった。イギリスはラングーン(現ヤンゴン)を首都とした。 
(1945年太平洋戦争敗戦終結)

 
ラングーンは独立後も首都であったが、現在の首都はヤンゴンから300km離れた原野のネーピードーに、1996年突然移転されている。

以上は代表的な王都、古都であり、同一王朝で何度も遷都されたこともある。また、ビルマ族に対立したモン族やシャン族もその隆盛時にはこれらの都市を王都としたが、ややこしくなるので省略した。

上記では、参考として、ビルマの歴史に並べて、青字で日本の歴史を併記してみた。ビルマの歴史と日本の歴史を並べて理解すると親しみを抱く。

例えば、古都は古都でも、平安時代初期の古都「バガン」と、明治維新の頃の古都「マンダレー」では、観光時の感慨が全然違う。歴史を立体的に理解していないと「バガン」も「マンダレー」も同じ目で見てしまう。(ミャンマーの王朝史詳細へ)