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ルーツを訪ねる旅
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2007年08月29日

「江草城」と「江草村」と「江草姓」を訪ねて

江草村の位置図 須玉町の地区マップ
須玉町の地区マップ
§1. 山梨県に(旧)江草村があった
1−1 江草村との出会い

 幼少時代より地図に興味を持っていた。小学生の頃、教科書の日本地図帳の各頁を丹念に眺めて珍しい地名を探し、同一頁内に同じ地名が何カ所あるかを探して遊んでいたことがあった。

 小学校5年生の頃だったと思うが、中部地方の地図を端から端まで眺めていて山梨県に「江草」の地名を見つけた。普通なら見落とす一番小さな活字であった。

 父(江草)は広島県福山の出身で、福山には江草姓が多いとは聞いていたが、山梨県の地名の「江草」との関係は聞いていなかったので、それ以上の興味は湧かず50年以上の月日が経った。

 数年前に山梨県の秩父連峰の名山「瑞牆山」に登山したとき、ドライブ途中に「江草」の集落を偶然通過した。50年以上前の記憶が懐かしく甦ったので、車を停めて「江草郵便局」の看板を撮影して小休止した。私の姓が江草でなければ当然見過ごしたであろう小さな集落である。「瑞牆山」の登山者も「増富温泉」への行楽客もこの集落は100%見過ごして通過していると思う。しかしこの時もこれ以上の散策は続かなかった。

 俄然興味が再燃したのは、数日前にインターネット検索で偶然に「江草城」(獅子吼城)の存在を知った時である。「江草城」はあの江草集落にある山城である。

 これが「江草姓」と「江草城」を散策する強い動機となった。

 調べる中に「江草城」の城主は安芸国(広島県)とも深い関係があったことが判読出来た。また「江草城」は数奇な「獅子吼」の伝説に始まり、武田信玄の代には栄光の時期を持つものの、最後は徳川家康の命により服部半蔵率いる伊賀忍者に滅ぼされた悲劇の城であることも分かった。

 1−2に続く

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関連項目:
福山市山野の戸屋ケ丸城と江草氏
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広島県神石郡の江草村と江草氏