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夜明け
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写真−140
チャイティーヨの夜明け
2011_2_23
撮影地:チャイティーヨ山頂
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あとがき‥‥
最後に選んだ写真は、チャイティーヨ寺院の夜明けである。何時の時代、何処の国の人でも、夜明けは、その日が良い日となるであろうことの期待を持って清清しい気持ちで迎えている。日本の元旦の初日の出などは、その最たるものであろう。世界共通の、夜明けの神々しい気持ちと風景を、ここミャンマーでも見た。

旅行中に出会ったミャンマーの人々は一様に優しく、親切で、静かな人々であり、アジアで残された最後の「微笑みの国」と感じた。近代化の緒に就いたばかりで、今から近代化に向けて大きく変化するであろうが、微笑みを持続させながらの変化であって欲しい。

ミャンマーをなぜ旅行先に選んだか。その経緯は多少感傷的かも知れない。小学生の頃、ミャンマーの独立が報道され、建国の父アウンサン将軍暗殺のニュースが脳裏に残っていた。中学生の頃には、遺骨収集団のニュースが何度も流れた。ビルマの竪琴の映画も観た。大学生の頃にはクーデターの記事が賑わった。また、隣国のバングラデシュの独立戦争で300万人が死んだとのニュースが盛んに流れたのは、高度成長下の会社員だった時代である。ベトナムやカンボジアにおいても、言葉に尽くせないことがいろいろあった。

これらの事件はラジオや新聞で興味は持ったが、若い頃はそれなりに忙しく、特に就職してからは企業戦士として無我夢中の時代が続き、いつしかこれらのニュースは忘却の彼方へ流れてしまった。

しかし退職して自由な時間が出来ると、これらの記憶が改めて気に懸かり、生来の旅行好きも加わり、客観情勢もこれらの地に行くことが可能になったので、昨年は旅行先としてバングラデシュ、今年はミャンマーを選んだ次第である。

旅行後の感想の感傷的な表現として、「若い頃に置き忘れたものを辿り歩く」といった感じだろうか。現在もいろいろなものを置き忘れながら生活をしているが、これを将来辿り歩くことは出来ないかも知れない。

帰国後、写真整理と旅行記を書きながら、今回の旅行は、従来にも増して私なりの経緯を有する辺境地旅行であったことが思い起こされました。またこの旅行をもって、私のアジアの辺境地旅行は、一つの区切りがついたような気もしています。了 

   2011年3月13日 記
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