内山書院(내산서원:ネサンソウォン)
内山書院全景 姜像

霊光(영광:ヨングァン)から10キロほど、仏甲寺(불갑사:プルガップサ)へ行く途中にある。文禄慶長の役のとき日本へ連れて行かれた<多くの人のうち、姜(강항:カンハン)を祀ったところである。

姜(1567-1618)は慶長の役のときに日本軍が黄海に入ってきたことを知ると、家族を率いて船で脱出を図ったが、2人の兄とともに日本側の軍に捕まってしまった。その後四国大津城、京都伏見城に移された。密かに当時の国王で、漢城(後の徳寿宮)に戻ってきていた宣祖(선조:ソンジョ)に救援を求めたが失敗した。

日本では儒学のその1人、藤原惺窩(1561-1619)に、李退渓(이퇴계:イテゲ)の朱子学、科挙の制度、葬礼などを伝授した。惺窩の門下には新井白石雨森芳州などがいる。

姜は帰国したのち、朝廷の招請をうけたが、敵国に捕まった罪があるといっ、隠居して学問につとめた。書院のある場所は、風水的に優れた所にある。なお、姜の墓は書院の裏山に婦人の墓とならんで作られた。

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